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 メビウスは絶句した。目の前の光景……否、自身を包むありようそのものに。
 海王ケトスを打ち倒し、その先の扉へと歩を進め、階段を降りた一行を待っていたのは。
 ――深都。
「たっ、隊長……海の中に、都が……街が」
 タリズマンの驚嘆の声に、返事を搾り出すこともできない。肩に背負って支える意識なきエミットの重さも忘れる。メビウスは驚愕にただただ、呆けて口を半開きに深都を見上げた。
 まず眼につくのは、海都アーモロードよりも一際荘厳でいきいきと枝葉を伸ばす巨大な世界樹。そして、それを内包して海底深くに鎮座する空気の塊。その中心に、絢爛たる灯火を無数に瞬かせる深都があった。まさしく海中にあって、不可思議な大気の膜に守られながら、深都は存在していた。
 その異郷へ続く道を前に、あっけに取られてメビウスは呼吸も忘れる。その時、
「ついに来てしまったか、冒険者達よ……我等が深都に」
 不意に背後で声がして、近い順に皆が皆一同に振り向く。
 そこにはオランピアがいつもの様子で佇んでいた。
 ずり落ちそうになるエミットを背負いなおして、メビウスは誰よりも早く口を開く。
「オランピア! 海王は何も語ってはくれなかった……きみはっ!?」
「無論、語るべき言葉を持たない。私もまた。だが――」
 次の瞬間、蒼いローブが宙を舞った。それは風なき海底の空間に翻って、静かに地に落ちる。
 見慣れたローブを脱ぎ捨てたオランピアの姿に、メビウスはまたしても言葉を失った。
「語る前にまずは見よ……この深都に生きる私達の真の姿を」


 初めて露になったオランピアの体躯は、首から下に肉がついていなかった。肉だけではない……皮もなく、それらが覆い守るであろう内蔵すらなかった。骨格剥き出しの四肢は金属的に鈍色の光を反射し、所々に小さく唸る機器や計器がこびりついている。ただそれだけの、異様に細い肉体がさらけ出されていた。
「オランピア、君は……」
「これがお前たち冒険者が、知りたがっていた真実の一片だ。……どうだ、満足か?」
 思わずメビウスはゴクリと喉を鳴らす。肩を貸して共に立つエミットが、今は異様に重く感じる。彼女だけではない、自身の五体ですら重く感じて動かない。それほどまでに、暴かれた真実は衝撃的だった。
 それでも尚言葉を選んで俯くメビウスをよそに、オランピアは滔々と語りだした。
「鋼の肉体に魂を灯して、私達は戦っている……海都の為に、真なる敵と」
「真なる、敵……それは? オランピア、真なる敵とは――」
「それを知ることを深王は禁じた……守るべきお前達、海都の民全てにだ」
「そうか、だからケトスはあんなにまで……でもっ!」
 痛々しいまでに細い少女の影を前に、メビウスは哀切の念を叫んだ。
「どうして言葉にしない、語らないっ! 何故そこまで意固地になる……もっと言葉を!」
 再三再四、メビウスは対話を望んできた。そうして望みを絶たれた疼痛に耐えながら、拳を振るってきた。このうえ尚、語れぬ事情を抱えた相手に振りかざす拳を握れぬままに。
 メビウスの悲痛なまでの問に対して、オランピアは平坦で抑揚に欠く声を投げてくる。
「お前達が知ること、それ自体が危険なのだ」
 以外な返答に誰もがピクンと身を震わせる。先程から白煙を巻き上げ笑顔で固まるリシュリーは兎も角として、タリズマンとコッペペは互いに顔を見合わせて肩を竦めた。無論、エミットの半身を担いだメビウスも気持ちは同じ。
 知ること自体が危険……そして、真なる敵。その意味とは?
「ここまで辿り着いたお前達に言えた義理ではないが……どうか忘れて貰えまいか」
 オランピアは眼を細めて、細い道が続く先に広がる深都を見上げた。そうして、どこか寂しげな無表情をメビウス達に向けてくる。そして再度、強い口調で「忘れて欲しい」と彼女は言葉を切った。
 そんなオランピアに正面から、異を唱える声があがった。
「忘れろ、って……そんな話はねぇ! でしょう、隊長! 俺らがどんな想いでここまできたか」
 タリズマンは声を荒らげてメビウスの制止も聞かず、オランピアへと詰めよった。ともすれば、握れば折れそうな程に細い首に手をかけそうな勢いだ。だが、彼にはそうして憤るだけの理由があったし、それはメビウスの心の奥にも深く沈殿していた。
 ここまで来て全てを忘れろというのは理不尽だ。不条理に過ぎる。
 だが、そうした冒険者の道理にあえて背く者が一人だけいた。
「よぉ、タリズマン。よさねぇか? 女の子相手に可愛げねぇ」
「コ、コッペペの旦那! でも俺達は! 旦那だって見たでしょう、一緒に戦った!」
 オランピアを吊るしあげかねない勢いで、タリズマンが肩越しに振り返る。その視線を受け止めながら、コッペペが一人捨てられた蒼いローブを拾い上げた。やれやれといった調子で埃を払うと、それを丁寧に広げてみせる。
「なぁ、メビウス。ここは一つ、オランピアちゃんの言う通りにしてみねぇか?」
「なっ……だ、旦那っ! 何を言ってるんですか、俺達は海都の冒険者だ。それが――」
 あれこれと思惟を巡らすメビウスの前で、コッペペはタリズマンをそっと脇に押しやった。そうしてオランピアの前に相対すると、静かにローブでその身を覆ってやる。
「女の子が裸はいけねぇ……大事な夜に取っとかにゃあ」
 オランピアの華奢な両肩に手を置くと、コッペペはは溜息を一つ零して、
「なあメビウス。オイラ達は何も見なかった……ってのは駄目かねえ?」
 その一言に血相を変えたのはタリズマンだった。もはや言葉にならない絶叫を口にして、両手を大げさに振りながら何かを喚きはじめる。あくまで剽げたコッペペのニヤケ顔に、猛烈な抗議の意が吸い込まれて入った。そんなタリズマンの取り乱した姿を見ながらも、短くメビウスは決意を口にする。
「駄目だ、コッペペ」
「たっは! 駄目かあ、駄目だよなあ……オイラも駄目だと思うんだけどなあ。そうか、駄目かあ」
 メビウスの一言を知っていたかのように、困った様子でコッペペは身体をなよなよ燻らせながら頭を抱える。だが、そうした一連の緩みきった態度には、決然とした意思が読み取れた。
「まあ、オイラ的には駄目は駄目なりに、時には必要かな、ってよ」
「で、今がその時だと?」
「そゆこと。オイラぁなーんも知らねぇ、見てもいねぇ。あの娘が言うならそれでいい」
「……でも、ぼく達はアーモロードの元老院から依頼を受けた冒険者だ」
 一歩踏み出せば、エミットの重さによろけて膝を付きそうになるメビウス。だが彼女はきっぱりと、初めて恥ずかしそうな表情を見せるオランピアに言い放った。
「数多の好奇心と探究心、無数の祈りと願いを携えぼく等はここに来た。だから」
 一歩も譲らぬ姿勢のメビウスはしかし、先の激戦からくる疲労に倒れそうになる。
 そんな時、意外な人物が逆側からエミットを支えて立たせ、メビウスの負担を半減させた。
「お話はさっぱりわかりませんわ! チンプンカンプンですの! でもっ!」
 リシュリーが突如として、叔母にして姉の身を支えてしがみつくや、キィキィと声を荒立てた。
「わたくし達は冒険者ですのっ! ですから……見聞きした真実は、わたくし達の宝物なのですわ!」
 リシュリーは、むー、とオランピアを睨んで一言発するや、それを確認するようにコッペペをも見つめる。その視線にトライマーチのギルドマスターは「まいったね、こらぁ」と屈託なく笑うと髪をバリボリかいている。
 メビウスは一度だけ深呼吸して、深都の地にしっかりと足を踏みしめ立つや言い放った。
「リシュリーの言う通りだ。ぼく達は冒険者、その意思と欲求に従う。それにね、オランピア」
 鎧を脱ぎ捨てて尚、くたびれた身体に重いエミット。その肩を貸し直してリシュリーと分かち合うと、メビウスはきっぱりと言い放った。
「きみ達がぼく達の為に戦ってるなら……ぼく達は力になりたいと思う。少なくともぼくは」
 もはや無表情ではいられないのか、メビウスの一言に面食らって僅かにオランピアがのけぞる。その顔は白磁のごとき透明さの中にも、僅かに赤みがさして狼狽の表情を象っていた。
「お前達が、力に……深都の」
「そそ、いーこと言うじゃないの、メビウス。オイラぁ、いつだってカワイコチャンの味方よ?」
「まあ、コッペペは兎も角……この話、持ち帰らせて貰うよ。真実だけがぼく達冒険者の誇りだから」
 黙ってしまったオランピアが、ぎゅむとローブの裾を掴む。その強い気配を背に、メビウスは今来た道を階段へと歩き出した。リシュリーと共に、エミットを担ぎながら。後を追って歩く二人は互いにやれやれと苦笑しながらも、さして不満もないようで続いてくる。
 しかしこの時、二つのギルドは方向は同じなれども、違う道を歩み出そうとしていた。

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