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「で、とりあえずは戻ってきた。そういう訳だね」
 鋭い短刀を手に、少し鞘から抜いてみるグリフィス。その声に、いまだ疲れが取れない様子のタリズマンが溜息混じりに肩を竦めて頷きを返してきた。
 ここはネイピア商会。海都アーモロードに軒を連ねる、冒険者を相手によろずを請け負う店の一つだ。昨夜遅く、ソラノカケラとトライマーチ、両ギルドが第二層最奥より素材を持ち帰ったため、一夜明けた店内は新製品でごった返していた。職人達の仕事の早さに驚きながらも、グリフィスは慎重に武具を精査してゆく。
「でも、俺達は海都の元老院よりミッションを請け負った」
「つまり、いくらオランピアがそうは言っても、報告する義務はある訳だ」
 同じ顔を並べて本を物色する星詠みが、交互にタリズマンの報告に声をあげた。無論、グリフィスも同意だ。それで今、彼らのギルドマスターは元老院に赴いている。その間に激戦の傷を癒しつつも、次に備えてアイテムを補充しているのだった。
「ま、隊長はハナからその気らしいんですけどね。旦那があの調子じゃねえ」
 ひとしきり顛末を語り終えたタリズマンは、再度溜息を零してカウンターへと首を巡らせる。
 グリフィスはその視線を追って、協調姿勢を取るもう一つのギルドのマスターを見据えた。トライマーチのマスター、コッペペが女主人を口説いている。飽きもせずに今日も。マゴノテがどうとかでおだてては、しきりにデートの誘いを美辞麗句に混ぜるその姿は、全く疲労を感じさせない。
 そんなところだけは一流の冒険者だと思いつつ、グリフィスは短刀を棚に戻した。
「兎に角、ぼく達はメビウスと共に進むだけだ。そうだろ、スカイアイ」
「勿論。まあ、信じたまえよ。我等がギルドマスターを……悪いようにはしないだろうから」
 先程から店の片隅で帳簿をつけていたスカイアイが、顔をあげるやジャラリと東洋の計算機を鳴らした。その並ぶ玉の一つ一つを指で弾いてもてあそびながら、自分に言い聞かせるように言葉を続ける。


「メビウスは兎も角、少なくとも俺はオランピアがしたことを忘れるつもりはないしね」
 ふと忙しく動かしていた指を止め、スカイアイは天井を見上げて、
「彼女達が、深都の連中がしてきたことは、実際は思ってたより小規模でも……許されない」
「実際には、小規模? スカイアイ、それはどういう意味だい?」
 再び帳簿に向かうスカイアイへと、思わずグリフィスが疑問符を投げかける。ネモもエイビスもタリズマンも、皆が皆そろってギルドのナンバーツーを覗き込んだ。
「オランピアが第二層で冒険者達を死に至らしめていた。……という事例は、実は少ない」
「と、言うと」
「実際には結果的に彼女の忠告を聞かず進んで、それで全滅した例が大半だ。もっとも――」
 パタン、と帳簿を閉じてスカイアイは立ち上がった。その口調が僅かに語気を強める。
「オランピアが意図的に古代魚の巣に誘導したとしか思えない例も、元老院には記録されていた」
 いまだ謎多き深都。その尖兵たるオランピアの百年に渡る跳梁。それは元老院の者達によって克明に記録されていたが、その数字が物語るものは少ない。代わって不信感と疑問は膨れるばかりだった。
「オランピアといい、ケトスといい……何を隠そうとしているんだろうか?」
「それだよエイビス、俺も――」
「俺はネモだよ。それはいいとして、話から察するに連中は百年間深都を閉ざして」
「何をやっているんだろうか、って話だよね」
 不意にネモの言葉尻を拾って、店の扉が開かれる。
 現れたのは、同年代程の女性を連れたメビウスだった。
「オランピアは言った。海都の為に戦ってると。何と? それを調べるのがまず一つ」
 ぐるり周囲の仲間達を見まわし、メビウスは各々の視線を吸込み更に言葉を続ける。
「それとフローディア様がね……水くさいってさ」
「水くさい、っていうのは……?」
 グリフィスは瞬時に、気風のいい元老院を取り仕切る老婆を思い出した。
「かつては同じ都だった海都と深都……共通の敵がいるなら、水くさいって話」
「なるほど、あのご老人が言いそうなことだね。で、彼女は?」
 グリフィスがメビウスの隣へ水を向けると、黒髪の女性がぺこりと軽く会釈した。一同は揃って目礼を返し、メビウスの回りに集まりだす。
「ぼく達は彼女と再び深都に行くことになったよ。海都を代表する使者としてね。そういう訳で主殿、妹さんをお借りするよ? 大丈夫、責任持ってぼく達ソラノカケラが守るから」
 奥のカウンターへと首を伸ばして、メビウスが瑞々しい声を張り上げた。
 コッペペを適当にあしらっていたこの店の主が、目を細めて縦に首を振る。
「妹さん!? へー、あの守銭奴の……っと、いけねえ」
「口には気をつけたまえよ、タリズマン。守銭奴な上に地獄耳だからね」
 ぼそぼそと驚きを零す二人を、軽くメビウスが「こら」とたしなめる。
 グリフィスはその時、カウンターに向かうメビウスとすれ違いに、こちらへと目を輝かせて駆けてくるコッペペへ道を譲った。これから深都への道のりを共にする女性は、いやに愛想のいいコッペペの笑顔に怯んでみせる。
「はじめまして、美しいお嬢さん。いつもお姉様にはお世話になって……オイラ、コッペペってんだ」
 そこからはもういつもの光景で。呆れる一同の中にあって、グリフィスもまた黙ってコッペペの口説き文句を聞かされるハメになる。助け舟を出してもいいのだが、意外にも店主の妹は悪い気がしないようだ。そこがコッペペの狡猾な手管とも知らずに。
 それよりグリフィスは気になることがあって、ついコッペペのライフワークに横槍を入れる。
「そういえばコッペペさん、元老院に報告しなかったそうですね……深都のこと」
 聞いてる耳がとろけるような名文句の数々が遮られ、グリフィスの言葉にコッペペが振り返る。ちゃっかり口説く相手の肩へと手を回しながら。
「まあな。デフィールの奴はカンカンだがよ。エミット女史達にも納得して貰った」
「エミットさんの怪我の具合はどうです?」
「リシュリーちゃん達がつきっきりで看護してらあ。なに、深手はねぇから安心よ」
「それは良かった」
 頭巾の奥でグリフィスは安堵の笑みを浮かべる。
 あれだけの消耗戦の後、何の準備もなく第二層最強の敵へと挑まざるをえなかったのだ。むしろ勝利を収めたのが不思議なくらい。グリフィスは参加はしなかったが、タリズマンから海王ケトスの恐ろしさを嫌というほど聞かされていた。
「ま、それはそうと……お嬢さん、深都へゆくのでしたらオイラがエスコートを」
 抜け目ないとグリフィスが呆れるよりも早く、コッペペは恭しくかがんでみせた。そうして呆けている店主の妹君の手を取り、そっと唇を寄せた。
 相変わらずの軽薄な、しかし真面目で真摯なナンパぶりに舌を巻きつつ、グリフィスの思惟は今後の冒険へと想いを巡らせる。ついに深都は発見され、海都は友好的に接しようとしている。しかし、この百年ずっと閉ざされてきた深都が、どのような反応を返すかは未知数だ。加えて、
「……兎も角、後は深王とやら次第か」
 ぼそりと呟くは、深都を統べる者。オランピアやケトスが口にする、この世界樹の秘密を握る人物の一人。その名を出すや、立ち上がるコッペペの表情が変わった。
「どういう奴か、ちょっくら顔をおがんでみねぇとな……オイラの気も収まらない訳よ」
「それはぼく達も同じですね。多分、メビウスも皆も一緒だと思うんですけど」
 無精髭をなでながらコッペペは、先程のゆるんだ表情を打ち消して表情を鋭くする。
「なるほど、オランピアの尻を追っかけてるだけじゃないんですね」
「あたぼうよ。女の尻は追えるだけ追う、何も一人って訳じゃねぇさ」
「……や、ぼくが言いたかったのはそういう意味じゃないんですけどね」
「一途なオランピアちゃんの、そのホントの気持ちが知りたいって訳さあ」
 しかし、二人が互いにやり取りする謎の先は、全て憶測の域を出ない。
 グリフィスは改めて、自分達の冒険が新たな局面へと突入しつつあることを漠然と悟った。
「さて、買い物はみんないいかな? 出発は明日の朝、いつものメンバーで取り敢えず行くから」
 カウンターから響いてくるメビウスの声に、自然とグリフィスは大きな頷きを返した。

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