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 再びメビウス達が訪れた深都は、ひんやりと冷たい静寂で一同を迎えた。幻想的だがどこか寒々しい街並みは、人影もまばら。そして行き交う僅かな人々は皆、オランピアと同様にローブ姿か機械の肉体を鳴らして歩いていた。
 ほの暗い中ぼんやりと淡く光る、この都のソラは海。カケラは泡と昇ってゆく。
 元老院からの書状と贈り物を携え、嫌に大人しいオランピアに先導されるまま……メビウス達ソラノカケラの一行は、トライマーチのいつもの五人と一緒に一際荘厳な宮殿へと通された。巨大な天球儀が鎮座する玉座は、天極殿星御座。その中央で出迎えた者こそ誰であろう――


「よくぞ深都へと辿り着いた、海都の冒険者達よ。卿等を今は労い歓待しよう」
 深海の水圧にも等しい、しかし威圧感と敵意なき厳かな声の主は、深王その人。深都の王はさして驚いた様子もなく、穏やかな表情でメビウス達を待っていた。端整な顔立ちに整った鼻梁、年の頃は見た目ではメビウス達とそう変わらないようにも見える。だが、百年の時を深海で生きてきたことを語るように、その身は厳つい鎧とビロードのマントで覆われていた。
「海都を代表してぼく達は来ました……多くの犠牲を互いに積み上げて」
 仲間達の先頭に立ち、メビウスがはきはきと言葉を紡ぐ。一字一句を噛み締め、己へと刻んでゆくように。自分にも言い聞かせて戒め、仲間達にも語って聞かせるように。
「深都を代表して迎えよう、リボンの魔女よ」
「! ……どうして、ぼくのことを」
「なに、王たる者の務めだ。卿等は我が友オランピアを通じて、少し調べさせて貰った」
「今はその名に意味を込めません。ですからぼくは改めて名乗る……ソラノカケラのメビウスと」
 瞬き一つしない深海の王は、その眉目秀麗な顔をようやく僅かばかり動かした。かすかに眉根を寄せて「ほう」と呟き、メビウスの前へと静々と歩みを進めてくる。メビウスは決して視線を逸らさず、背後で気配を強ばらせる仲間達を手で制した。
「メビウスさま!」
「メビウス、気をつけろ。……人の気配が全く感じられない」
 トライマーチのリシュリーやエミットにも、肩越しに大きな頷きを返す。その際、視界の隅で畏まって控えるオランピアと、それにつきまとっているコッペペが見えた。厳粛な雰囲気の中、相変わらずの伊達男を目にして、不思議と緊張が和らぐ。
「卿の名はそう、メビウス……リボンの魔女と謳われた、異郷の世界樹を征した冒険者」
 メビウスの眼前、互いの手が届く距離で深王は立ち止まった。その長駆がメビウスを見下ろし、どうやら微笑んだようだった。余りに表情が乏しいので、そう思うしかないメビウスだった。
「卿等の安全を保証し、深都での自由も与えよう。海都よりの書状、受け取らせて貰う」
 どっ、と背後で緊張が和らぐ気配がメビウスに伝わった。他ならぬメビウス自身、深王の歩み寄りに、何より差し出された手に安堵する。交わした握手に体温は感じなかったが、触れ合う気持ちに偽りはないと感じる。王たる威厳と度量が、その役割へと彼を押し出したと判断するメビウス。
 ようやく緊迫感が弾けて霧散し、ネイピア商会からの使者が書状と贈り物の目録を手渡した。メビウスはお得意様として、親愛なる守銭奴殿の妹君を、その大役を視線で背中から支えてやる。
「……先程の言葉、嬉しく思う。メビウス、我等は互いに多くの犠牲を積み上げてきた」
「それを無駄にしたくはない、価値あるものとしたいとも思います。……深王陛下」
「陛下、は無用だ。我はただ、深王であればよい。それ以上でもそれ以下でもない」
 書状を手に読む深王へと、メビウスは僅かに身を乗り出す。今度は仲間達がそんな彼女を支えてくれた。今、苦楽を共にした者達の、同じ時を生きる冒険者達の為に言葉を尽くす時。
「深都はかつて、海都と一つだと聞いております。そして今、両者の想いが再び一つになるなら……どうか深都の背負う真実を、その半分をぼく達に背負わせて欲しい。ぼくは、真実を分かち合いたい」
 コッペペをあしらっていたオランピアが、キュインと機械音も露に身構えた。それ程のことを口にしたと知れたが、メビウスは動じず怯まない。健気に言い寄るパイレーツを引き剥がすや、オランピアは不思議な材質の床を鳴らしてメビウスに詰め寄ってきた。
「ひかえよ! 深王の御前である! ……私達の業苦が、お前達人間などに――」
「よい。我が友オランピアよ。百年の禁は破られたのだ。この深都は再び、時を刻みだしたのだ」
 今にもメビウスに斬りかからんばかりのオランピアを、静かに深王は制した。その物腰や所作にはいささかもよどみがなく、まさしく王たる者に相応しい賢明さを発露している。メビウスはここにきてようやく世界樹の謎を語る、言葉を交わす相手を得た。
 だが、次の瞬間には判で押したような文言が浴びせられた。
「我等が百年の戦、この邪悪なる敵を人へ知らしめる訳にはいかぬ」
 先程から変わらぬ静かな声音だったが、僅かに語気が尖るのをメビウスは拾う。
「海都の人間が知ることそのものが危険なのだ。故に我等は、世界樹に従い深みに沈んだ」
「深王! ……それでもぼくは、真実が人の尊厳と利益を損ねた前例を知りません」
「ならば卿は思い知るだろう。この世には知ってはならぬ、覗いてはならぬ淵があることを」
「待って欲しい、深王。海都は深都と協調し、共に苦難を歩む覚悟がある! それを――」
 今、熱を帯びてメビウスは手の内に汗を握った。圧してくるような強行は感じられないが、微塵も揺るがぬ決意が深王には見て取れる。そのかたくなさをこじ開ける為に、メビウスは熱意と情熱の限りを込めて、海都の声となり意思となって言の葉を探した。
 だが、そんな彼女の横に並ぶ暗く冷たい声があった。
「問おう、深王よ。私が王たる者に問うは一つ。……何が貴様等をそうさせる! 王よ!」
「おばねーさまっ! いけませんわ、まだメビウスさまが」
 槍こそ収めていたものの、エミットは瞳に暗く鈍い光を漲らせて深王を睨む。普段の無表情な鉄面皮も剥がれ落ち、そこには感情も露に咆える重装歩兵の姿があった。その険しい目元を横目に、メビウスは背中を凍てつく悪寒が擦過するのを感じる。
 だが、無礼を正面から受け止める深王には、いささかの揺るぎもなかった。
「答えよう、異国の姫よ……血を捨て憎むかつての姫よ」
「――ッ! 貴様、私を愚弄するかっ!」
「そうではない。卿を調べた、その知識を元に語ろう。答は一つ……我が王たる故にだ」
「王たる、故に……だと? されば重ねて問う! 王とは、そのありようとはなんだ!」
 珍しくいきり猛るエミットを、慌てて仲間のモンクやファーマーが止める。何よりリシュリーが必死に腰にしがみついて諌めようとする。だが、最愛の姪にして妹の声も、今のエミットには届いていないようだった。そんな彼女への即答をメビウスは聞く。
「王とは即ち、国を総て守る器。そして国とは民……そう、我は器のようなものだ」
「器、とは……」
「民がそこに何を見出し、何を注ぐか……ただ、我は器としてそれを零すまい。……一滴たりとも」
 流石のエミットも一声唸ると、それっきり黙ってしまった。代わってメビウスが、場を収めつつ改めて確認するように言葉を続ける。
「私心を捨てて尽くす……そう捉えていいのかな。それが、王……そして、あなたは深王」
「いかにも。我は名すら捨てた。今は深都を治め、機兵を率い……フカビトを封じ、討つ」
 フカビト……初めて深王の口から、二つの都の敵の名が出た。フカビト、それはいかなる魔か、はたまた邪か。ただ、ようやく片鱗を見せ始めた真実は、それを引き出したメビウスの目の前で翻る。
「……卿等には話すまでもない、真実を見せて示すしかないようだな」
「人の叡智を信じるなら、それを言葉で。拒まれて尚、ぼくは呼びかけをやめない」
「卿等の、とりわけ卿の覚悟は解った。……だが、相手は人ならぬモノ。我もまたしかり」
「それでも今は、海都の為にと海底深く、深海の孤独を戦う深都をぼくは信じたい」
 かつてメビウスは、仲間達と世界樹の迷宮を駆け上がった。今ではない時、ここではない場所を駆け抜けた。そこで目にした結末は、人ならざるモノへと陥った、しかしそれを望んだ人の妄念だった。その悲劇を胸に刻むからこそ、リボンの魔女の名を今はしまって、一人の冒険者として深王に対峙する。
「卿等に真実を約束しよう。また、共に歩むことを……進む道が同じ限り」
「たとえ道を違えても、目指す先が同じであればと願います。そう善処するだけです、ぼく達は」
 メビウスの小気味よい返答に、深王は納得の大きな頷きを返した。そして「下がってよい、宿にて休め」とだけ告げ、彼はきびすを返して背を向ける。メビウスがようやく一息ついて肩を落とすと、
「時に……我が友ケトスを討った者は誰か。それほどの剛の者、少し我は話がしたい」
 肩越しに振り返る深王の目が、その慧眼が炯とギラつくのをメビウスは見逃さなかった。
 同時に、隣でリシュリーをポンと撫でるや、黙ってエミットが前に出た。

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