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 サブクラスの習得に関して、ラプターに迷うところはなかった。だからこうして元老院を訪れ、今は選ばれし者のみが体得できる術を……海都の王族を守る将家の戦作法を求めた。自分は騎士、主君の盾にして矛だから。昔からラプターは研鑽の労を惜しまず、またその姿を見せず誇らず悟らせずをモットーとして育ってきた。
「まあ、サブクラス……深都よりもたらされた、今話題の新たな力ですね。それで」
「ええ。どうしてもファランクスの持つ技だけでは、決定力に欠ける気がするのです」
 元老院を奥へ、天井の高い廊下を歩く。案内してくれる女性の声は澄んで瑞々しく、総髪に結われた黒髪が華奢な背中で揺れていた。確かギルドマスターのメビウスの話では、元老院に客将として招かれた者達らしい。シノビの彼女はしかし、ラプターには自分とそう年も変わらぬように見えた。
 視界が開けて陽光が差し込む中庭に出ると、先程ヨタカと名乗ったシノビは振り返った。
「いいタイミングでしたね、マーティン卿。じかにその目で学ばれるとよいでしょう」
「は、はあ。あ、では……」
 花が咲き木々が葉を萌やす中庭に、二つの人影が相克していた。どちらも手に、模擬戦用の木刀を握っている。その片方はすらりとした美丈夫で、東方の戦衣を見に纏い、美麗な刺繍が精緻に施された羽織りを着こなしている。その青年と相対する矮躯に、ラプターは思わず「げっ」と、騎士らしくもない声を小さく発してしまった。
 そこには、アーマンの宿でよく見かけるトライマーチの勘定役……事務員をやっている少女が剣を握っていた。同じく東洋の着物に袴をはいて、小袖をたすきで止めている。額には長い長い純白の鉢巻を巻き、風もないのにそれがゆるゆると翻っていた。
「あの、ヨタカさん……でしたっけ。彼女は、確かトライマーチの」
「なずなさんも先程、ショーグンの資格に挑みたいと申されまして。クジュラ様が、ならばと」
「え、いや、しかし……あ、あの事務やってた娘っ子だよなあ? うーむ」
「どうされました? マーティン卿」
 隣で涼しげな微笑のヨタカに「ラプターで結構ですので」と返しつつ、ラプターは形よい顎に手を当て首を傾げた。確かにあれは、トライマーチで毎日帳簿や伝票をやりくりしている少女だ。少女と言っても、外見が幼く見えるだけで、年はそう……確か自分や隣のヨタカと同年代だ。
 しかしラプターは違和感を、何より妙な恐怖を覚えて背筋が薄ら寒くなる。
 いつも無表情で淡々と仕事をしていた、あのなずなが。笑っているのである。しかも、それはもう冴え冴えとした、満面の笑みに顔を緩めている。それは年頃の乙女であれば、蕾もほころぶようなという感じなのかもしれないが。その笑みははっきりとした戦意と殺意の入り混じる、闘争の歓喜と恭悦に自然と浮かぶ凍えた笑みだった。
「ミラージュ殿! お手前拝見……本気で打ち込んでもよろしいかっ!」
 普段は抑揚に欠くなずなの声も、どこか弾んで聞こえる。同時にズシャリと地を踏みしめ構える、その手に握る木刀すら輝いて見えた。よもや真剣ではとさえラプターは錯覚する。それほどまでになずなは、その全身から闘気を迸らせ、その解放感に酔ったような笑みでうっそりとしている。
 ラプターが知ってるトライマーチの事務員は、どこか人形のように愛らしいが愛想のない奴だった。筈なのに。今、目の前で手元を引き絞る、まるで見えない弓に矢をつがえるように木刀を構える少女は別人に見えた。
「勿論。全力で参られよ、なずな殿。クジュラ殿にも本気で相手をするよう仰せつかってる故」
 どこか鬼女めいた気迫を前にしても、ショーグンの青年――確かミラージュと呼ばれていた――は平静そのものだった。なずなが今、闘いに血潮を漲らせ煮え滾る獣油なら、対するミラージュの構えは清水。一点の濁りもない清流のようだ。下段に木刀を構えて、綺麗に脱力するのがラプターにも感じ取れる。両者の異質ながらも拮抗した実力が解る程度には、ラプターも騎士としての眼力があった。
 だからこそ、隣で何事もなかったように微笑むヨタカをよそに、気付けば手に汗を握ってしまう。
「では、参る……いざっ!」
「応っ、参れ。お相手致す」
 簡素なやりとりが終わった瞬間、なずなが地を蹴った。両者の間にはかなりの距離があったが、それが一足飛びに食い潰される。恐るべき瞬発力が爆発して、僅か一歩の踏み込みが二人を密着させた。
 木が木を打ったとは思えぬ、空気を切り裂く剣戟の音が周囲を震わせた。
 瞬間、息を飲み言葉を忘れ、それを思い出したラプターは気付けば叫んでいた。
「一撃で二発……違うっ、三発っ! 何だ、あの剣はっ!」
 ラプターの目はさながら猛禽の如く、眼前で起こった立ち合い……なずなが斬り込んで、ミラージュが受けた、その一撃の内容を読み取っていた。神速という形容でも足りない程の、驚異的な斬撃。僅か一撃の袈裟斬りが、受けたミラージュの剣に三つの音を輪唱させていたのだ。それがラプターには見えた。
「ほう、今の剣が見えたか。いい目ぞ……面白い娘っ子がここにもおるな、ヨタカよ」
「はい、祖父様。マーティン卿は、ラプターさんはショーグンの技を学びたいそうです」
「冒険者ギルドでも騒いでおったわい。例の深都の、新たな力を得る術じゃな?」
 気付けばラプターの隣に、いつのまにか老人が立っていた。気配は感じなかった。突然湧いて出たとしか思えない。だが、驚くラプターを褒めながら、老人は豊かな顎髭をさすりつつ感心した様子で語り出す。
「今のがブシドーの秘剣、ツバメ返しよ。極めれば一太刀は三度、敵を容赦なく斬り刻む」
 老人は楽しそうだが、それよりもラプターが驚きを改めたのは、
「なずなさんはハイ・ラガートではかなりのブシドーだったとか。あの剣、素晴らしいですね」
「ならばヨタカよ、お前ならどう受ける? 当たれば致命打、首と胴がおさらばぞ」
「シノビの技にて陽炎を出し避けまする。その後、分身にて全方位から抜刀……詰み、です」
 聞けば異国のブシドーなる冒険者の職業は、攻撃力にて並ぶ者なき無双の剣豪、その術を極めれば海都のショーグンに並ぶらしい。しかしながら、両者は同じく攻めるにおいて勝るも、守るにおいて貧弱。その点を的確に指摘するヨタカにも、年頃の乙女とは思えぬ凍てついた笑みが浮かんでいた。まるでそう、実際になずなと戦った時のことを想像し、それに歓喜を覚えて愉悦を感じているかのような冷笑。
 なずなもヨタカも、乙女としては残念に過ぎる、同性のラプターが見てもそう感じる笑顔だった。
 ラプターはもう、開いた口が塞がらなかった。
「……受けた。受けたっ! 私の剣を、受けた! ミラージュ殿、凄い……凄いっ、凄いぃ!」
 最高にして最強の奥義を繰り出したなずなは、それを受けきり全部さばいたミラージュを前に、鍔迫り合いで声を踊らせる。年頃の娘とは思えぬ、自分と同格……否、それ以上の相手を前にした時の悦びになずなは震えていた。大きな瞳は燦々と輝き、ギラつき眼前の力に魅了されている。
 対するミラージュは平静で、静かに獰猛な剣を正面から受け止め、押し返している。
 ラプターはふと、その端正な横顔に見覚えがあるような気がした。
「? ……なんだ、あの表情。いや、でもどこかで……ミラージュ殿、か……うん、どこかで――」
「ミラージュッ! なずな殿は本気ぞ? ……うぬもまた本気で応えよ。放て、我が伝授し奥義!」
 ラプターが訝しげに腕組む、その隣で老人は手にした木刀を放った。それは綺麗な放物線を描いてミラージュに吸い込まれてゆく。なずなを押し返すや、ミラージュは左手でそれを受け取り握った。
 瞬間、烈火の如きなずなの闘気とはまた別種の、静かに炭火が燻るような氣が迸った。
「――承知。しからば、なずな殿。我が最大の奥義にて返礼つかまつるっ」
 ビクン! 咄嗟にラプターは総身が泡立つ感覚に震えた。同じものを感じたのか、目の前のなずなはケタケタと笑いながら身を翻している。同じ笑いを隣のヨタカに感じながらも、ラプターは決着から目を離せず拳を握った。
 穏やかな中庭に、風一つないうららかな午後に、吹き荒ぶ嵐が竜巻となって荒れ狂った。
「地、水、火、風っ……我が心、空っ――奥義、五輪の剣」


 二刀流というのは、ラプターは聞いたことがある。誰より剣に詳しい弟が、あれは一種の曲芸だと言っていたのを思い出していた。だが、目の前でミラージュが振るう剣は、その常識を根底から覆すものだった。激しくも厳しい攻めが空気を沸騰させ、左右の剣が別種の生き物のように、個々に意志ある怒龍のごとくなずなを襲う。
 気付けばなずなの矮躯は、宙高く弾かれ舞い上がっていた。
「――これにて了、という訳じゃ。我等ショーグンに利き手ナシ……どうじゃ、娘っ子?」
 呆けていたラプターは、ポンと老人に肩を叩かれ我に返った。
 重力に捕まり落下したなずなは、飛び出したヨタカが受け止め抱きしめている。ミラージュに加減した様子はなかったが、なずなもまた未知の二刀流を受けきり、吹き飛ばされこそしたものの無事のようだ。そして今、ヨタカと互いに女の子とは思えぬ戦慄の笑みを浮かべて笑い合っている。
「ヨタカさん……ミラージュ殿は凄いな! 二刀流、私も覚えるぞ。覚えて……ふふ、あははっ」
「なずなさんならすぐに体得できますわ。それにしても、あの剣を受けきるなんて。うふふ」
 ラプターはショーグンたる者達の絶技を体感し、その身に刻んで学びながらも……人智を超えた剣技に乾いた笑いを引きつらせるしかなかった。

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