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 今日は朝から双子の星詠みがプライベートで外出。タリズマンはグリフィスと他のメンバーを誘ってクエストだし、スカイアイは宿屋で帳簿とにらめっこ。そんな時でも深都からの突然の呼び出しは、メビウスの都合を察してはくれない。
 だが、それでもミッションを前に孤立無援という失態は犯さないのがリボンの魔女の手管だった。
「凄い、本当に海の底に街がある……リシュの言ってた通り」
「冒険が終わったら、深都を案内しますわ! 不思議で不可思議なものが沢山ありますの」
 深都の遠景を外から眺める、第三層へと続く階段の前で。幼い少女達の並ぶ背中にメビウスは目を細めた。隣に立つエミットもまた、仲睦まじい二人に心なしか表情が柔らかい。
 ジェラヴリグとリシュリー、二人は手に手を取って視線を重ね、圧巻たる深都の景色に魅入っていた。その結ぶ手と手に、おそろいの可愛らしいリング。リシュリーが土産にと以前、深都で買い求めた物だ。それは見たこともない、石でも金属でもない、しかし不思議な光沢と艶で光っている。
「ま、あの二人が喜んでるだけでもよしとしよっかな。頭ごなしは勘弁なんだけどね」
「同感だ、メビウス。丁度今、うちも人が出払っていてな。今日は同道させて貰う」
 どうやらトライマーチも、今日は他のメンバーが別件で不在らしい。自然とメビウスはエミットの申し出を受け入れ、一時的にパーティを組むことを了承した。むしろこちらはジェラヴリグと二人きりなので、ありがたいくらいである。今日の冒険を共にするのは、お馴染みエミットとリシュリー、そして、
「いやあ、待たせた待たせた……オランピアちゃんとつい、話し込んじまってよ!」
 底抜けに陽気で明るい、緊張感のない声がもう一人。五人目のメンバー、コッペペが顔をくしゃくしゃの笑顔に崩して一同の前に現れた。その隣ではもう、異形の身体を隠そうともしないオランピア。いつもと同じ張り付いたような無表情には、感情の色が一切見て取れない。彼女とこうして顔を合わせれば、隣のエミットが喜怒哀楽の表現豊かにみえてくるくらいだ。
「……待たせたな、ソラノカケラ。そしてトライマーチよ」
 抑揚に欠く声ももはや聞き馴染んだが、今日はその言葉に鋭い緊張感が潜んでいる。
 オランピアはとてとてと一行に加わる二人の少女を見て、五人一塊になった両ギルドの面々を前に喋り出す。その薄い唇が動くより前に、機先を制してメビウスがチクリと一言。
「随分と急な呼び出しだね、オランピア。ぼく達海都の冒険者だって、毎日忙しいんだけど」
「それは承知している。しかし自体は急を要する。何より深王の命は全てにおいて優先される」
 話にならないのは毎度のことだが、あくまで頑なで一方的なのにももう慣れつつある。それは隣のエミットも同様のようで、子供達には二人仲良く新たな階層への冒険、コッペペにいたってはそれさえも二の次のようだった。それでも少し憮然とした自分を隠しきれぬメビウスは、深王代理騎士の的を射た正論に大きく頷いた。
「深王が何をそれ程お急ぎか。私達には初めての、未知の階層だ。準備は万端を期するべきだ」
 家を出てより永らく渡世の荒波に揉まれた、古参の冒険者らしいエミットの指摘は的確だ。
 だが、それを受けてもオランピアは顔色一つ変えず、ついてこいとばかりに階段へと踵を返す。
「……深王が約束を今日果たす。真実を見せると言った、その約束を。……その前に、一つ」
 ふと脚を止めたオランピアは、肩越しに一同を振り返った。その瞳は変わらぬ暗さに輝いていたが、メビウスを貫通して視線が一人の少女に注がれていた。
「ソラノカケラの。そう、確か、メビウス。その娘は、何だ? 何故、そんなモノが存在する」
 ビクリとすぐ傍らで、ジェラヴリグが身を震わせた。オランピアの眼差しは殺気すらはらんで寒々しく、それを向けられる矮躯は気丈に正面から受け止めている。相変わらずの不条理な一方通行に、流石にメビウスも溜息を零した。軽く前髪をかきあげると、腰に手を当て間に割って入る。
「彼女はぼくの仲間だけど? それが何か?」
「……不浄な。真実を知ればメビウス、お前もまた理解するだろう。今そこにある危機を」
「それを決めるのもぼくだ。真実が一つなら、それを受け止めるぼく達もまた一つさ」
「軽妙だな。小気味よい。深王はそんなお前を……いや、今は言うまい。それより――」
 突然の詰問に震えるジェラヴリグはしかし、しっかりと自分で自分を支えてオランピアを見つめ返す。そこには敵愾心はなく、ただ……少しだけそんな視線に晒されることに慣れた、そんなふうに努めて平静なのがメビウスには切なかった。見た目に反して大人びている、そのことを強いられ生きてきた彼女の境遇が否が応にも知れてしまう。
 そんな時、尚も切れ味鋭い舌鋒を向けてくるオランピアに対して、ジェラヴリグを庇う声があがった。
「わたくしの友人を侮辱することは許しませんわ! ジェラはわたくしのお友達ですもの!」
 わっしとジェラヴリグを抱きしめると、リシュリーが子犬のように唸りながらオランピアを睨み返した。精一杯怖い顔を作っているらしい彼女は、むむむー、と眉根を寄せて顔を真っ赤にした。
「リシュ、わたしは平気。平気だから」
「大丈夫ですわ、ジェラ。わたくしがちょっぴりおねーさんですもの。だから、だから」
「うん……ありがとう、リシュ。でもわたし、平気なの。我慢、できちゃうんだよ」
 安心させるようにリシュリーの背をポンポンと叩いて、ジェラヴリグはその華奢な身を友から離した。そうして毅然と顔をあげてオランピアへと、静かにゆっくりと落ち着いた言葉を投げかける。
「わたしもまた、真実を……リシュやメビウス、他のみんなと一緒に真実を受け入れるよ」
 意外だったのか、オランピアが僅かに目を見開いた。あまりに些細な表情の変化で、それが驚きだと察するのにメビウスは時間がかかった。だが、再度その場で向き直るオランピアは、驚きも露にジェラヴリグを見詰める。
「お前のような存在は許されない。許されないのだ……それを知ってどうする?」
「わたしは誰にも、許しは乞わない。ただ、自分で仲間と生きていくだけ。それだけ」
「真実はお前の存在を否定し、真実を知ったお前の仲間もまた同様に拒絶するだろう」
「たとえそうだとしても、わたしは構わない。そうはならないと信じてるから」
 ジェラヴリグの言葉に迷いや戸惑いはなかった。
 対するオランピアもまた、その声にいささかの澱みもない。
 緊張に張り詰めた雰囲気の中、メビウスはただそっとジェラヴリグに寄り添い、その肩に手を置く。気を張っていてもまだ幼い少女……その身は近づく真相を前に震えていた。
「では、見せて貰おうか。深王の代理たる名を賜った、この私が」
 先程から一部始終を見守っていたエミットが、静かに声を尖らせた。
「深王ともあろう人物が、娘一人の境遇へ気を害するとは思えんがな。どうなのだ? オランピア」
「エミット……深王代理騎士」
「御託はいい、真実とやらがあるならば見せて貰おう。まずは己の目で見定める。それまでは――」
 エミットもまたメビウスに並ぶと、ジェラヴリグを守るように前に出る。
「それまでは、仲間への愚弄は私が許さない。愚挙は王を汚すと知れ、深王の友よ」
「……いいだろう。深王の威信にかけて、この場は私から引き下がろう。だが、夢々忘れるヒッ!」
 圧縮された緊迫感が弾けて霧散した。一触即発の空気をオランピアは、自ら羞恥の表情も露に飛び退きかき消した。その背後にはいつのまにか、ニヤケ顔のコッペペが鼻の下を伸ばしていた。
「ウホッ……いいあんよ。ひんやりしてんのにピターって吸いつくぜえ。オランピアちゃ〜ん」
「――っ! 無礼者! はっ、はは、恥を知れっ! この私を誰だと思っている。私は」
「乳やら尻やら、触ってくださいと言わんばかりじゃない? 最近ずっと裸なんだもんなー」
「くっ、待て貴様! ええい、何なのだこの男はっ! ……と、兎に角、お前達もついてこい」


 相手がアンドロだろうと、コッペペの下心はしっかりとしたもので、場の空気を問わずしたたかだった。どうやら太腿に頬ずりされたらしく、あのオランピアが顔を僅かに赤らめ怒気を発散させていた。その顔には他のアンドロ同様、感情の色が見て取れる。
 呆気にとられるメビウスは、階段の底へと逃げるコッペペと、それを追うオランピアを呆然と見送った。
「……ま、まああれだ。とりあえず、行こうか」
 冒険を前にどっと気疲れが襲って、メビウスは脱力に肩を落とす。しかし、オランピアが誘う真実への探究心は萎えることなく、心の底に渦巻いていた。それを求める好奇心も、それを受け止める覚悟も確かに胸の内に。だから今は、仲間達と階段へと歩く。
「見境のない男だな、まったく……少しは場の空気というものをだな」
「いや、エミット。彼は彼なりに空気を読んだのさ。た、多分ね。多分……だったらいいよねえ」
 熱気の吹き上げる階段を降りれば、自然と汗が噴き出て額を濡らした。煌々と揺らぐ明かりの先へと踏み出すメビウスの視界が突然開ける。待っていたのは第三階層『光輝ノ石窟』……焼けた岩盤が回廊を紡ぐ、灼熱の迷宮だった。
「まあ。暑いですわね、おばねーさま。ジェラ、わたくしが前に。おねーさんにお任せですわ!」
「ふふ……ありがとう、リシュ。さ、メビウス。行こう……世界樹の真実を目指して」
 再び手に手を取って、しかしリシュリーが変にお姉さんぶってリシュリーの前を歩く。その意気揚々とした歩調を追って、メビウスもまたエミットと共に新たな冒険の舞台へと歩き出した。

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