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 アーマンの宿は朝から、いそいそと深都へ向かう冒険者達でごった返していた。
 だが、メビウスとテーブルを挟む麗人は、そんな慌ただしさもどこ吹く風。愛しの旦那様から未整理の伝票を受け取るや、ギルドのスタンプを手に取った。勿論メビウスも落ち着いたもので、スカイアイに頼まれた帳簿のチェックに忙しい。
「あらあら、そんなことがあったの。それで……まあ、大変だったわね」
 決済の判を押しながら、デフィールはスタンプに、はー、と一息。
「で? メビウス、貴女は行かなくていいの?」
「ん、取り敢えずぼく達は残るよ。この街に、海都の元老院に義理立てもあるし」
 今、海都の冒険者達は真実を前に決断を迫られていた。
 百年の昔より人の社会を狙い暗躍してきた、フカビト……その存在、その驚異が明らかになった今、フカビト討つべしという機運は高まりつつある。定宿を深都の瞬く恒星亭に移そうというギルドは、全体の約半数にのぼった。誰もが意気軒昂と鼻息も荒く、深王の元へ馳せ参じようと出てゆく。
 勿論トライマーチもその急先鋒なのだが、不思議とデフィールは今朝も平常運行だ。
「それよりデフィール、いいの? 確かエミット達は」
「この大所帯じゃ、ね。いいのよ、必要最低限行ってもらえば。経費だってかかるんだし」
「そりゃそうだ」
「そんなことより、メビウス。……実際のところ、どうなの?」
 スタンプを押す手を止めるや、デフィールは机の上に頬杖をついてメビウスを覗き込んできた。自然とその目が真剣味を帯びるので、海都を騒がせているフカビトの、その真祖のことを問われているのだとメビウスは察した。自然とメビウスも帳簿をめくる手が止まる。
「……実は、よく解らない。フカビトが本当に敵なのか」
「襲われたって聞いたけど?」
「うん。でも……人ならざる者が全て敵なら、ぼく達は冒険者ではなく、ただ相手にとっての敵になってしまう。深王に正義があったとしても、その反対はいつだって、もう一つの正義だから」
 メビウスの、未だ迷いを潜ませつつも、選ぶ意志だけは強固なその呟き。それを余さず拾って、エトリアの聖騎士は「ふぅん」と微笑み仕事に戻った。自然とメビウスもギルドの経理を目で追い始める。
 メビウスには、かつてハイ・ラガートの世界樹での経験があった。人ならざる存在もまた、自分達同様に生きているのだ。そしてそれは、エトリアの世界樹でも同じだと教えてくれたのは、他ならぬ目の前のデフィールだから。今は黙って、自分のなすべきことをなす。
「そうそう、メビウス。今週はネイピア商会には顔出した? 新商品が並んでたわよ」
「ん、そっちのチェックはレヴに任せてるんだ。お陰で防具を新調できたよ」
「あ、ファーマーの彼ね。いいわよね、手際良くて。お陰でこっちも素材収集、助かるわ」
「お互い様かな。ネモもエイビスも特異点探しじゃ旦那さんに、ヨルンさんに借りがあるし」
「いいのよ、あの人も好きでやってるし……火、使えないんだから。昔っからそう」
「それはそうと、雑務がたまるなあ。掃除や洗濯も宿任せ、って人数じゃないし。こっちも」
 宿帳を前にした少年へと、多くのギルドが宿代を精算して出て行く。その喧騒をよそに、メビウスはせっせと事務にも精を出した。ギルドマスターの仕事は多岐に渡り、そのどれもが忙しい。その大半を一手に引き受けてるデフィールなど、年の功とやらで手慣れたものだ。
 二人は他愛のない雑談を交わす傍ら、情報を交換しつつ手を動かす。
 騒がしさが聞き覚えのある声を響かせたのは、そんな時だった。
「おばねーさまっ、わたくしも深都に行きますわ! いつでも一緒ですっ」
「聞き分けておくれ、リシュリー。今度ばかりは危険過ぎる……海都で待って――」
「イーヤーでーすーわーっ! わたくし、おばねーさまの力になりたいのです」
「……リシュリー、お前はいつでも私を助けてくれる。そんなお前を守りたいのだ」
 身支度を終えたエミットに、未だパジャマ姿のリシュリーがしがみついている。何やら駄々をこねてるようで、その顔は半べそだ。エミットもまた困惑に眉根を寄せながら、しかし真剣な表情でそんなリシュリーを抱きしめる。
 どうやらトライマーチの一部が深都へ移動する中、リシュリーは海都残留組らしい。
「はは、こっそり出てくつもりが見つかっちまったなあ。いやいや、参った参った」
 不意にメビウスの隣で声がして、見上げればコッペペが頭をボリボリ掻いていた。バツが悪そうなその顔にはしかし、今日はどこか不思議に颯爽とした笑みが浮かんでいる。メビウスは思わず、珍しいその真剣味を帯びた表情に唖然とした。
「よお、デフィール。そんな訳でちょっくら深都に拠点を移すからよ。メンツは――」
「解ってるわ。……全くエミットも不器用な娘ね。リシュリーは自分が守る位言えないかしら」
 デフィールはただ懐から金貨の入った革袋を取り出すと、それを「無駄遣いはダメよ」と言いながらコッペペに放る。それを受け取りコッペペがいつものゆるい笑みに戻るや、向こうの方でも動きがあった。
 地団駄を踏んでエミットを引き止めるリシュリーに、意外な少女が声をかけたのだ。
「リシュ、エミットさんはリシュの為に言ってくれてる。だから、わたしと一緒に海都にいよう?」
「ジェラ……でも、でもでもっ、あのおっかないのと、おばねーさまは戦われるのですわ」
「でも、戦うだけが冒険者じゃないもの。ね、リシュ……海都にも仕事は沢山あるんだよ」
 ジェラヴリグがリシュリーに寄り添い、そっとその腕を抱く。こうなるともう、どちらが年上なのかも解らなくなるもので、面倒見のいい姉と世間知らずな妹のよう。リシュリーは最初こそ不満げだったが、ジェラが一緒にクエストを受けようと提案するや、嬉しげに笑顔を咲かせた。
 一件落着したようで、ホッとした様子のエミットは仲間と共に、手を振るリシュリーとジェラヴリグに見送られて出て行った。
「ふう、相変わらずジェラヴリグちゃんはいい子だなあ。十年後が楽しみだぜ、ウシシ」
「はいはい、貴方も行った行った。……あの子、妙に世間慣れしてるのよね。あんな歳で」
 慌てて駆け出すコッペペを見送り、デフィールが小さな溜息を零した。
 それはメビウスも常々気にかけてきたことだが、それを不幸だとは思わない。彼女の短い、自分の半分ほどの今までの人生には、それは紆余曲折があったのだろう。でも、今は大事な仲間として側にいる。そしてこのギルドに……ソラノカケラにいてくれる内は、メビウスの目が黒い内は、歳相応の少女でいさせてやりたい。親しいリシュリーもいてくれるし、メビウスの密かな願望は今の所は実を結んでいた。
 ただ、先日の真祖との邂逅が、ジェラヴリグを内心穏やかならざる状況に追い込んでるかと思えば胸が軋る。そのことを正直に相談すれば、デフィールは老婆心からメビウスの心境を察して気遣ってくれた。
 だが、他にもメビウス達の前に山積する問題は、読んで字のごとく山積みで。
 何より同業者達の一部が、エミット達がフカビトへの敵意も露に世界樹に降りてゆくのが不安だった。
「ま、ぼく達はぼく達の仕事をするだけ、か」
「そうね……彼女達みたいに、ね」
 メビウスの呟きを拾って、デフィールがジェラヴリグとリシュリーに目を細める。少女達は早速、着替えて酒場にクエストを探しにいこうと頷き合い、今日という日の始まりに笑顔を向け合っていた。その笑みがずっと続けばいいとメビウスは切に願う。
 そう、その瞬間……まさに、メビウスがそうして一息ついている時、背後に凍れる気配が出現した。
「入れ違いになったか。トライマーチの本隊は深都に移動。私も特務を遂行次第、後を追う」
 その声は酷くフラットで、おおよそ感情と呼べるものを感じ取れない。メビウスは何より、声の主が目を向ける先へ冷たい殺意を燻らせていることに身を強ばらせた。突如現れた機兵の女性は、暗い瞳を二人の少女に……その片方、ジェラヴリグに向けて目元を険しくしていた。
 メビウスの視線に気付いたのか、キュインと小さな音を立てて彼女は向き直った。
「オランピア様の命により、トライマーチに加勢する。確か、実質的指揮官は貴官だな」
 酷く無機質な声を発する、その主は無表情で瞳だけをデフィールに向けた。同時にクイとかけた眼鏡のブリッジを僅かに指で押し上げる。動作の全てが奇妙なまでに精緻で、メビウスは仲間のトーネードが持つ親近感や親和性とは別種の印象を受けた。
 デフィールが平静に名を問えば、その機兵はテムジンと名乗った。
「そう、それでテムジン、貴女もトライマーチに加入したいってことかしら?」
「肯定だ。特命を拝し、フカビト殲滅および、フカビトに誑かされた者の末裔を消去する」


 気付けばメビウスは思わず椅子を蹴っていた。
「そうか、深都は……深王は。当然か……でもっ。何と戦うかは、ぼく達はぼく達で決める」
「……お前がリボンの魔女、あのメビウスか。オランピア様の言う通り、要注意人物と認定」
 冷ややかな視線に怖気付くことなく、むしろ平然とメビウスは正面から堂々と受けて立った。彼女にはいささかも物怖じする理由もないし、仲間への敵意を許容する意味もない。ただ、理不尽に対しては毅然と冒険者の挟持に則って当たるつもりだった。
「ま、いいわ……仕事は山積みだし。そうね、テムジン……貴女、家事はできて?」
 やれやれといった調子でデフィールも立ち上がると、その意外な言葉にオランピアの手先は……テムジンは一瞬硬直し、そののち戸惑い気味に首肯を返した。アーマンの宿にメイドロボが生まれた瞬間だった。

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