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 深都にネイピア商会の支店がオープンしたらしい。らしい、というのは、クフィールはそれをラプターから聞いただけで、目にしていなかったから。
 今日この日までは、実際に足を運んでみるまでは。
「や、品揃えなんかは上と同じらしいですけど。別段、これといって変わったものは――」
 律儀にお供を申し出てくれたイーグルが、不在の姉に代わって補足を呟いた。薄暗く淡い闇を湛えた深都の片隅に、その店は新築の匂いで明るい光が灯っていた。出入りする冒険者達は思ったよりも多い。それなりに繁盛しているようで、入口をくぐれば人の出入りで鳴り止まないベルがまたカランと鳴った。
 雑多で無国籍な本店とはうって変わって、支店の店内は整然としている。まるでそう、仕切る者の性格の差異がそのまま現れたような店構えで、思わずクフィールは苦笑を浮かべてしまった。
「と、ありゃトーネード……卿じゃないですか?」
「ホントだ。何してるんだろうね。イーグル、行ってみよう」
 それなりに混雑する店内に、見知った顔を見つけて。歩けばクフィールの肩をマントのように包むコートが袖を揺らした。隣でイーグルが挨拶の声を上げると同時に、「げ、コッペペさんまで」という言葉をも零す。今やお馴染になりつつある有名ギルドのマスターは、深都代理騎士と一緒に佇んでいた。
 だが、少し様子がおかしい。
 トーネードもそうなのだが、落ち着かない様子でタンタンと足踏みにつま先を鳴らし、互いに額を寄せ合っては、ああだこうだと溜息を零している。
「おや、クフィール殿下。イーグル君も。お買い物ですか?」
「よっ、王子様! それと、剣士のあんちゃんも。姉ちゃん元気が? オイラの誘い、まだ断ってるか? 欲しい物とか何か言ってたか?」
 こちらに気付いたのか、トーネードもコッペペも顔を上げるや手招き表情を明るくする。それまでどこか思案を燻らしているような、心持ち重く沈んでいた空気が霧散して弾けた。
「お二人とも、お疲れ様です。まあ、冷やかし半分なんですけど」
「俺は上と同じだって言ったんですけどね。ま、殿下が直接確かめるってんなら、まあ」
 ネイピア商会の姉妹が、その姉妹仲がどうかは別として、商品に関して連携を怠る筈がない。まして守銭奴な姉が几帳面な妹に、在庫の均一化を言い聞かせない訳がないのだが。それでも直接自分の目で確かめたいと言い出したのはクフィールで、彼のギルドマスターはそれを聞くや今日の仕事として送り出してくれた。
 こういう、人に任せておけばいいことをついつい自分でやってしまうのが、クフィールの習いであり性分だった。海賊船で下働きをしていたころに染み付いた、身体で学んだ一種の癖だ。
「それはそうと、お二人は何を?」
 クフィールの素朴な問いは挨拶のようなものだったが、トーネードとコッペペは身を乗り出してポンと肩を叩いてくる。
「ええ、実はコッペペ氏からその、なかなかの美人だとお聞きしたものでして」
「あの守銭奴の妹ちゃんがよ、前も会ってるけど結構イイのよ。それでちょいと買い物がてら」
 クフィールは最初、二人の言っていることが半分も解らなかった。溜息を零してイーグルが「これですよ、これ」と小指を立てて見せても、どうも要領を得ない。そういうことは王たる父も、恩人たる船長も教えてはくれなかったから。そもそも、あまり興味のある方ではなかったから。
 だが、三者が三様に囲んで語れば、クフィールもポンと掌を打つ。
「なるほど、店主殿をお茶に誘いに……そういう仕事もあるのですか」
「いやいやいやいや、まてまてまて。王子様よう、そりゃないだろうぜ」
「クフィール殿下、ワタシ達にとっては仕事より優先度の高い重要なことなのですよ」
 イーグルが肩を竦めて呆れるのを横目に、クフィールは再度「はあ」と感心してしまう。そういうところは純朴で、世間の荒波に揉まれたにしてはすれていない。何より今まで、すれている余裕もない暮らしをしてきたのだからしかたがない。勿論、興味がないわけではないので、
「で、あれが噂の店主殿ですね。たしか、本店の妹さんとか」
 深都での雇われ店員だろうか? 店内で会計をさばいているのは、妙に明朗快活な声で「イラシャーイマセ!」と歌うようなアンドロの少女だ。その横には確かに、見目麗しい妙齢の女性が笑顔を咲かせている。なるほど確かに美人だと思うが、そう認めるだけでクフィールはその先に思惟が及ばない。
 むしろ、大車輪で客をさばいている緑髪の少女のほうが、何だか健気で笑みが零れた。
「でな、王子様よ。こうして張り切って二人で来てみれば――」
「あの有様という訳です。……見ない顔ですが、これは先をこされましたね」
 トーネードとコッペペは二人揃って顎をしゃくると、肩を落として俯いてみせた。
 なるほど、店主殿の前には一人の老人が居座って、身振り手振りを交えて歓談に花を咲かせている。その内容がよほどおかしいのか、店主殿は上機嫌で下げたまなじりに涙を玉と浮かべて笑っていた。小さな背は好々爺を彷彿とさせる、どこにでもいそうなモンクの老人だ。
「……ええと、つまり。見知らぬ同業者に獲物をかっさらわれた、と」
「おう、イーグル君っ! 正解! そーいう訳なんだよなあ、トホホ」
「手ぶらで帰るのもなんなのですが、品揃えは海都と同じでして、はてさて……ほう?」
 落胆も束の間、トーネードはチョイチョイと相棒のようにコッペペを肘でつつく。おおよそ騎士らしくないその所作もしかし、隣で悪童のような笑みに返り咲いたコッペペがいれば、クフィールは感心を通り越して呆れてしまう。イーグルも同様のようで、何も言わずに首を横に振った。
「コッペペ氏、あそこに見るも可憐な貴婦人が……剣をご所望のようですが。素晴らしい」
「おおう、上玉じゃねぇか。サブにショーグンって感じのプリンセスかい。いいねえ」
 じゃあそういうことで、と二人はクフィール達を置いてチョコチョコ歩き出した。その歩調は小走りに速まり、混雑した店内を縫うように向こう側の棚へ進んでゆく。
 二人の背を視線で追っていたクフィールはその時、痩躯の美麗なプリンセスを見た。中性的でどこか少年のような横顔は冴え冴えとして瑞々しく、剣を抜いてその刃を検分する真剣な眼差しは切れ長で知的だ。
 涼しげな姫君はしかし、どこかクフィールには既視感があって首を捻る。
「お嬢さん、お一人ですか? 剣選びでしたらワタシがお手伝いできるかと」
「値段はオイラに任せな、お姫様。値段交渉ならお手のものよぅ!」
 普段からあれくらい真面目ならいいのに、とはイーグルの談だ。クフィールも半ば同意してしまう、それくらいトーネードとコッペペは真剣だった。優雅なトーネードのさりげない寄り添い方には気品が感じられるし、人懐っこい笑みを浮かべるコッペペの親切さは普段の五割増しだ。
 だが、その時……見目麗しい姫君の容姿を声音が裏切った。
「オッサン達、悪ぃな! こちとら財布にゃ余裕があるし、目利きにゃ自信あんだよ」
 トーネードが、コッペペが固まった。そればかりか、色を失い凝立してしまう。見ていた隣のイーグルでさえ驚くのだから無理はない。華美なドレスで着飾ったプリンセスが、突然男の声で喋りだしたのだ。それもやけに気風も威勢もいい。
 クフィールは二人を気の毒に思いながらも、女装の麗人に見知った面影を重ねていた。
 気付けばクフィールは客達を掻き分け、呑気に再び剣を鞘に納める美丈夫に駆け寄っていた。
「あっ、あの……もしかして、ラファール? ラファールかい?」
「おうっ! そういうお前は……クフィールじゃねぇか。おぉ、元気かい? 兄弟っ!」
 人目も気にせず肩を組んできてはバシバシと背を叩いてくる、この姫君は……否、青年は名をラファールという。クフィールの従兄弟で、国が滅んだ際に散り散りとなった一族の一人だった。
 なんだか感動の再会というのはいささか突拍子もない状況で、クフィールはただただ苦笑するしかない。それでも、無事を願い祈ってきた親族がこうして元気なのが嬉しくて、気付けばその手を握っていた。
 トーネードとコッペペはこの時、まだ固まったままだった。


「でもどうして? その格好」
「なぁに、逃げ延びた先の国で目をくらます為、女として育てられちまってよ!」
「ああ、それで……苦労したねえ。……も、もう、いいんじゃない?」
「いや、俺もそう思ったんだけどよ。姫暮らしが長過ぎて落ち着かねぇんだわ」
 ハハッ、と元気な笑いが響いた。その後に続くラファールの逃走劇と雌伏譚たるや、聞いてるクフィールが思わず涙ぐみそうになるような苦労話だったが。不思議とそれを語るラファールは、今ある生を謳歌するかのように活き活きとしていた。
「しかしなんだな、クフィールは随分すすけちまったなあ。苦労したか? おい」
「ま、まあそれなりに……君ほどじゃない気もしてきたけどね。それより」
「ああ、俺かい? 今ぁ、小さなギルドを仕切ってる。丁度行き詰ってたんだがよ」
 じゃあ、と当然の提案がクフィールから述べられ、ラファールときたら考えもせず二つ返事た。そんなとこも幼い頃と変わらないなと思いつつ、クフィールは元気なその姿に安堵した。
 トーネードとコッペペは話が纏まった後も、まだ凍りついたままだった。

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