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 アンドロは夢を見る。深都の機兵達は皆、鋼の肉体に魂を灯した、もう一種の人間だから。そして当然のように、まどろみに浮かぶ夢を選ぶことも出来ない。
 だから今日も、テルミナトルを苛むのはあの夜の悪夢。
 ほら、聞こえてくる……地獄の撤退戦を彩る、かつての同胞達の叫びと悲鳴が。
『オランピア様! ゲートキーパー再起動まで300秒を切りました。誤差修整、+-0.5秒です!』
 あの日、テルミナトル達は戦っていた。世界樹の迷宮奥深く……第四階層の静けさを切り裂いて。太古の神殿を思わせる薄暗い廃墟に、敵味方を問わず大量の屍を積み上げて。
『退くぞ、総員撤退。己の生還を最優先、必ず生きて深都に戻るのだ』
『了解っ! ……テム姉様? 再びこの階層が封印されます。脱出を』
『私がしんがりに立つ。テンパチ、先に行け』
 百年の昔より延々と続く、世界樹とフカビトの果てなき闘争。
 そう、確か第三十七次神殿攻略戦……その終焉だったと思う。テルミナトルは全壊して死にゆく我が身を乗り越え、退却してゆく同胞の影がかげろうのように揺れるのをただ眺めていた。その目に既に光はなく、まぶたを閉じる余力すら残されていなかった。ただもう、死への秒読みを刻む己の動力の、その細く小さくなってゆく鼓動だけが耳に痛い。
『おのれ人間、おのれ深都……忌むべきかな、深王』
『我らが聖地を幾度となく脅かす、呪われし機械のしもべ達よ』
『失せよ! 対なる存在、世界樹の尖兵よ! 急いて失せるがいい!』
 静寂が澱んで沈殿したかのような神殿に、怨嗟と憎悪が満ちる。テルミナトルと同じく、この場に我が身を晒して死を待つばかりの、血に濡れたフカビト達だ。彼等彼女等は、テルミナトルがそうであったように勇敢に戦い、立派に義務を果たして、戦の掟に従いこうして死を待っている。
(馬鹿くせぇ……ああ、もう声も。いや、違うな。ええと……)
 回廊を埋め尽くす死体の一角で、声にならない呻きがテルミナトルから漏れでた。それはその時、実際に過去にそうつぶやこうとしたのか。それとも、こうして忌まわしい悪夢を睥睨して俯瞰する、今の自分がそう言わせているのか。
 どちらにしろ、テルミナトルの思惟が言の葉に乗って空気を震わせることはなかった。
 やがて巨大な装置が起動するような轟音が響き、続いて真の静寂が訪れた。そう、生あるモノの存在しない、死ばかりが満ちた深海の寺院。さならがフカビトの神へ捧げられる供物になったかのように、テルミナトルは沈黙に機能の停止を待っていた。そんな、静かな終わりの夜だった。
『おや、まだ死にきれないのかい? おにいさん』
 濃い潮の香りを纏って、細い矮躯がぼんやりと視界に浮かんだ。
 しゃがれた声が唐突に投げかけられて、感覚の既に失せたテルミナトルの体がピクリと震える。
『しかしまた、今回も派手に暴れてくれたねえ』
(好きでやってるわけじゃ……あ、ああ、そうか。俺、嫌だったんじゃねえか? ……そうだ)
 独り言を呟くのは、フカビトの老婆だ。薄暗い中、ぼんやりと光る長杖の先端を揺らして近付いて来る。道中、時々足を止めては、フカビトと言わず機兵と言わず、その顔を覗き込んでは首を横に振る。そうして謎の老婆は、大の字に伏したテルミナトルの前に立った。


『やれやれ、お前さんだけかい……まだ望みがありそうなのは』
(望み? 俺だけ……望み)
『何、ちょいとした実験だよ。趣味だねぇ……で、どうするんだい?』
(は? 趣味って、おいババァ。そりゃどういう意味だ)
 老婆は意味深な表情に頬を緩めて笑うと、ゆっくりと節くれだった手を伸べてくる。
『あの男に……深王に殉じて死ぬか、それとも』
(それとも? いや、そりゃ確かに……こんな馬鹿げた殺し合いで死にたくはねぇ、けど、よ)
 瞬間、光が戻ってきた。周囲を埋め尽くす喧騒も。
 気付けばテルミナトルは、一時のうたた寝から目覚めて太陽を見上げていた。ジリジリと装甲表面を焼く陽光は熱く、今日も海都は真夏日の晴天だった。
 思わず目を手で庇えば、膝の上に載せていたヘルムががらんと転がった。
「おや、お目覚めだねえ。またあの夢かい? 随分うなされてたよ」
 喉を僅かに上下させて笑うのは、あの夢に現れた老婆だ。その声も潮の香りも、どこかぼんやりとした存在感も変わらない。間違いなく、あの日死んだ自分の前に現れたフカビトだった。それが今、テルミナトルと一緒に海都の大通りに露店を広げている。
 改めてテルミナトルは思い出した……死んだ自分と、生まれなおした自分を。
 老婆に言葉を返そうとして口を開くも、新たな生を得た代償が思い出される。声が、出ない。
 ――そう、テルミナトルが渇望した生の代償は声。そして、居場所すら奪われた。それに関してはむしろ、自分から捨てたと言ってもいいだろう。一度深王と深都に、百年の戦に疑問を持ってしまったその瞬間から、テルミナトルはアンドロにしてアンドロにあらず、機兵ながら機兵ならざる存在になってしまった。
「もうすぐギルドに手配を頼んだ冒険者が来る。解っているんだろうねえ?」
 長身を覗き込んでくる老婆の、その不思議な色を湛えた瞳が細められる。どこまでも澄んでいるかのようで、それでいて深く濁っているような。そんな光がぼんやりとテルミナトルを見詰めてきた。
 声が出ないので、無造作に切りそろえた髪をかきつつ頷くテルミナトル。
「まあ、薬草を集める簡単な仕事だ。もっとも、ここまで来るのは簡単じゃないけどさ」
 老婆はニヒヒと顔をしわだらけにして笑った。
 フカビトが実は、意外にも頻繁に海都に出没している。この事実を深都は知っているのだろうか? だが、それも今のテルミナトルにはどうでもいいことだった。それに老婆の言う通り、フカビト達がこうして人間の領域へと出てくるには、それ相応の苦労もあるらしい。
 改めて身を正し、今はもう不快とさえ言える強烈な日差しにテルミナトルは立ち尽くして見上げた。かつて深海にあって深都に暮らしていたころ、海の蒼を湛えたソラにゆらめく太陽は小さかった。陽の光も穏やかで、しかし今は激しくテルミナトルを炙る。
 弾んだ声がテルミナトルの視線を下げさせたのは、そんな追想にふけりかけたころだった。
「ジェラ、あちらの方が今日の依頼主様じゃないでしょうか」
「ダナ! ばー様、ラスタ達が今日のクエストを受けた冒険者ダゾ!」
 何やら賑やかな一団がテルミナトルの前に現れた。その先頭に立つ半目の少女がスカートをつまんで慎ましく礼をすれば、隣のプリンセス達もそれに倣った。可愛らしい少女達は皆、十代前半か半ばといった感じで、かしましくはしゃぎながらも熱心な視線を注いでくる。
 と、ゾディアックの少女がじとりとした視線を落として、地に転がっていたヘルムを拾い上げた。
「これ、あなたの? 機兵さん」
 小首をかしげて見上げてくる少女に、ついテルミナトルは言葉を脳裏に探してしまう。既に声を失っているにもかかわらず。だが、空気を震わせる発声以前に、眼前の可憐な少女を前に言葉が見つからない。
 かろうじてテルミナトルは、コクンと頷きヘルムを受け取った。
 僅かに触れ合う手と手、交わる指と指を同じ体温が行き来した。
「おやおや、可愛い冒険者さん達だねえ。じゃあ、頼めるかい?」
「うけたまわりますわ、おばあ様。わたくしはリシュリー、こちらがお友達のジェラ、ジェラヴリグとラスタチュカさん、それにホロホロさんですわ」
 見るからにプリンセスといった様相の少女が、優雅に無邪気に微笑んだ。居並ぶ面々は皆が皆、年頃を目前に控えた少女……まだ子供だ。だが、テルミナトルが見た目で判断しかけた直後、ヘルムを拾ってくれた少女、たしかジェラヴリグと紹介された女の子が滔々と喋りだした。
「ご依頼の薬草は迷宮の第一階層、四階の湿地に生えてます。報酬はご依頼通りで構いません」
「おや、もう調べもついてるのかい? 賢い子はあたしゃ好きだよ……一つ、頼めるかねえ」
 明朗な説明を終えた少女は、周囲の仲間達と目配せを交わし合い、はっきりと頷く。
 同時にドン、とテルミナトルは腰のあたりを後ろから押されて一歩前に突き出された。
「こいつをこき使っておくれ。ちっとは役に立つだろうよ」
 思わずテルミナトルは自分を指差し、困惑の表情を浮かべてしまった。端正だがどこか朴訥とした、しかし覇気のない顔に疑問符がよぎる。同時に察する……このババァはこの為にわざわざ、自分を連れてきたのだと。だがテルミナトルは、即座に差し出される白く小さな手と共に歓迎の声を聞いた。
「よろしくお願いします、機兵さん。……お名前は?」
「こいつはテルミナトルってんだ。チェルミでいいよ」
「はい。……じゃあ行きましょ、チェルミさん」
 言われるままにテルミナトルは、ジェラヴリグの手を取り歩き出した。先程刹那の瞬間感じた体温が、今は無骨なテルミナトルの手の中にある。その握れば壊れてしまいそうな柔らかさの中に、何か自分と似たものを感じて、テルミナトルは往来を世界樹の迷宮へ向かった。

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