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 深都が発見された今となっては、第一階層はほぼ全てが冒険者達の手によって探索し尽くされていた。元老院に提出された地図に空白地はなく、そこで遭遇するモンスターや得られる素材も網羅されたに等しい。だから子供達が四人で小さなクエストを受けても、全く問題はなかった。
 勿論、その後ろを僅かに気後れしながらついてゆくテルミナトルの存在も大きい。もっとも、彼が率先して働かなくても、子供達はテキパキと手際よくモンスター達を時に避け、時に倒しながら迷宮を進んだ。
「ジェラ、皆様も。あそこに生えているのが薬草ではないでしょうか」
 地下四階、点在する湿地を指さしプリンセスの少女が声をあげる。テルミナトルは確認を求めるように見上げてくる半目の星詠みに、つい曖昧な頷きを返してしまった。
「そうみたい。それを摘んで帰ればお仕事は終わり」
「ヨシ、ここはラスタ達にオマカセだナ!」
「あっ、まってくださいまし! わたくしも手伝いますわ」
 無防備に、全く警戒心を持たずに少女達が駆けてゆく。その小さな背中がさらに小さくなるのを、テルミナトルはぼんやりと見守っていた。同時に周囲の気配を拾いながら、剣の柄にそっと手を置く。浅い階層なれば既に脅威と呼べるモンスターも少ないが、それでも注意しないにこしたことはない。
 何より今日は、一人じゃないから。
「……ありがとうございます。守って、くれてるんですよね」
 ゆるりと流れる風に髪を抑えながら、星詠みの少女は大きな眼を細めて微笑んだ。そんな彼女、確かジェラヴリグと名乗った少女もまた、無邪気に歓声をあげる仲間達の背を与っている。
 何だか居心地が悪くて、その実嫌いじゃない空気にテルミナトルは兜を深くかぶり直した。
 誰かを守る……忘れて久しい感触だ。かつて深都の為にと煽られ戦っていた頃とは、まるで違う不思議な充足感がある。何より、深海の魔女に指図されてとはいえ、自ら承知した冒険だから。
「チェルミさんは、不思議な方ですね。ふふ、おかしいの……何だか少し、懐かしい」
 どこか寂しげにはにかんで、ジェラヴリグは笑みを湛えた桜色の唇を両手で覆った。
 勿論返す言葉を持たないテルミナトルだが、妙に落ち着かなくてつい目を逸らしてしまう。背を向け、視界から金髪の赤い影を逃してしまう。
「どうしてでしょう。あなたは、わたしに……ううん、わたしの母に、似てる気がします」
 ちらりと肩越しに盗み見れば、ジェラヴリグもまた背を向け俯いていた。その声はどこか平坦なのに、先程魔女とのやり取りで見せた利発さよりも、どこか儚さを感じさせる。そんな己に自分でも戸惑うかのように、ジェラヴリグもまた華奢な肩の向こう側から見上げてきた。
「雰囲気が、匂いが……ごめんなさい、なんだか懐かしくて。本当に不思議、どうして」
 ジェラヴリグは「本当はよく覚えてないのに」と、また小さく笑った。気付けばテルミナトルもまた、無骨なヘルムの下で表情を崩していた。
 嬉々として響く少女達の声を背景に、時間はゆっくりと二人の間をたゆたった。
 だが、それも無慈悲な冷たい殺意と共に奪われてゆく。テルミナトルは不意に敵意を感じて身を翻す。小さくキュインと関節が歌って、機兵の身がジェラヴリグの矮躯を小脇に抱えるや跳躍した。全回路をせわしく電流が駆け抜け、テルミナトルの半壊して別物に生まれ変わった電脳が演算処理を数千数万と走らせる。
「――っ! な、何が……!? こ、これは?」
 驚きの声を抱えたままテルミナトルは着地するや、開いたもう片方の手で剣を鞘走らせた。
 つい先ほどまで二人が和やかに過ごしていた場所に、鋼鉄の矢が突き立っていた。
「教えてやろう、忌むべき混者よ……何故貴様がそこの反逆者に郷愁を感じるかを」
 抑揚に欠いた無感情の、酷く冷たい声。同時に無機質な撃鉄が跳ね上がる音がして、ジェラヴリグを突如襲った射手が迷宮の奥から姿を現した。
 薬草の採取に夢中だった少女達も、何事かとテルミナトル達に駆け寄り取り巻く。
 巨大な弩を構えたアンドロの女性が一人、目元も険しくテルミナトル達を……何より、テルミナトルが抱えるジェラヴリグを睨んでいた。突然の暗殺者がクイとメガネのブリッジを指で押し上げると、たちまち端正な顔をバイザーが変形して覆う。
「まあ……テムジンさんではありませんか。危ないですわ、どうしてジェラを――」
「全員、その混者より離れろ。離れぬ場合は既に術中に陥ったとみなして……処理する」
 金髪のプリンセスが言うには、問答無用の彼女はトライマーチなるギルドで女中をしているらしい。しかし、テルミナトルにはその複雑なラインで構成されたフレームや外装に見覚えがあった。そして少女の一人が彼の奥歯を噛むような唸りを代弁してくれる。
「ちょっぴり凄くやばいゾ! あれ、オランピアの手下……特務の最新鋭!」
 幼いアンドロの少女はブルリと震えるや、ビーストキングの女の子と抱き合った。
 そう、彼女が説明する通り、眼前で弩を構えるのはオランピアの私兵、いわば深都の親衛隊のようなものだ。常に最新鋭の身体を与えられ、ただオランピアの命令にのみ従う機械人形。
「テムジンさん、どうしてこんなことをなさるのです!」
「警告は与えた。……特務、遂行。汚らわしい混者を排除する」
 キィキィと眉根を吊り上げ叫ぶリシュリーの語尾に、テムジンという名の害意が声をかぶせてくる。その凍てつく呟きを置き去りに、すらりと細い機体が突出してきた。
 咄嗟にテルミナトルはジェラヴリグを抱いたまま……同じように前に踏み込んだ。
 英断とも言える判断が、周囲でうろたえ足踏みに震える少女達を引き剥がす。そうして巻き込むのを避けつつも、テルミナトルは口の奥に舌打ちを噛み殺した。まだ己の腕はジェラヴリグを抱えていたし、彼女を逃がすタイミングを逸してしまった。同時に脳裏に首をもたげる疑問……何故特務の犬が? ただ一人の冒険者を、それも幼い少女を狙う? 自分なら……深都と深王に背を向けた自分なら兎も角。
「ほう? 抗うか……いいだろう、貴様もまた同じ混者。速やかに排撃、撃滅する!」
 テムジンはその痩身からは想像もできぬ腕力で、重さも感じさせず巨大な砲身を振り回す。バリスタ用の弩がスイッチと同時に、音を置き去りにする鋭い一撃を放ってきた。真っ直ぐに襲い来る鏃を捉えて、テルミナトルの利き腕が雲を引く。咄嗟に振るった剣で、放たれた矢を切り払う。
 同時に距離を食いつぶして肉薄した両者は、小さな声があがるその瞬間まで最大戦速で疾駆していた。
「チェルミさん、降ろして……わたしを降ろしてください」
 小さな呟きと同時に、ストンとジェラヴリグは地に降り立った。心配を叫ぶ仲間達を安心させるように一瞥してから、しっかりとテムジンを正面に見据えて両手を開く。全くの無防備を晒しつつ、言葉を選んで紡ぐ。
「あなたも、わたしを混者と。それは、いけないことなの?」
 静かに、ただ穏やかに流れ落ちる声は、僅かに震えていた。その声の主を庇うように、テルミナトルは身を盾にして剣を構える。
 テムジンは鼻を鳴らして撃鉄を再度引き上げると、銃口を向けて朗々と語り出した。
「フカビトと交わったばかりか、子をなす……それは忌むべき罪、決して償えない咎」
「……そう、やっぱり。やっぱり、わたしのお母さんはフカビトだったの」
「前例は少数だが報告されている。勿論処理済みだ。穢れなるかな、混者……そこのお前も」
 チラリとテムジンの視線がテルミナトルを捉えた。ヘルムの奥から睨み返すテルミナトルは、気付けば自分の表情が怒りに強ばっていることを自覚する。
 ――俺が、腹を立ててる? 何に……ああ、そうだ。
 テルミナトルもまた傍らの少女同様、真正面から理不尽を睨み返した。
「ふむ、忌まわしき混者同士で庇い合うか……汚らわしい! 即、殲滅するっ!」
 トン、と地を蹴るテムジンの輪郭がぼやけて消えた。瞬間、背筋を凍らせる敵意と共に声が、次いで矢が雨と降り注ぐ。テルミナトルは咄嗟にジェラヴリグを庇いつつ、少女達の悲鳴の輪唱を背に剣を引き絞った。
 瞬時に上を取って宙で身を翻したテムジンが、あらん限りの矢を放ってくる。
「だめっ、逃げて……わたしを置いて逃げてっ!」
「終わりだっ、禁忌を犯した混者よ! 機兵の誇りを忘れた出来損ないよっ!」
 瞬間、テルミナトルの中で何かがスパークした。今の今まで眠っていた、ただ壊れてしまった自分を生き長らえさせていただけの力が、目覚める。深都が恐れし、世界樹と対なるそのチカラ……混沌より生まれて我が身に宿った何かが、テルミナトルの四肢の隅々にまで行き渡った。
 カッと目を見開くテルミナトルは、ただ無造作に剣を振るう。その斬撃をなぞる光の弧を追うように、全身から湧き出た深海の蒼が舞い上がった。どこからともなく迸る海水の礫が、互いに結びついて膜をなし、降り注ぐ矢をすべて飲み込んだ。


 テルミナトルは驚きの表情に顔を歪めつつ落ちてくるテムジンへと、濡れて冴え冴えと輝く切っ先を全力で押し出し突貫した。

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