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 ゲートキーパーの見下ろす広間は、至る所で剣戟と銃声を連鎖させていた。その中央でメビウスは、ただ呆然と立ち尽くす。理不尽と不条理を前に、思惟紡げども思考象れず。脳裏に閃きを求めるこの瞬間も、戦いの時間は続いてゆく。刻は無情にもただ流れてゆく。
 戦騒に沸き立つ中、ふと我に返ってメビウスはクジュラを探した。
 その戦装束に見を固めた背中は今、コッペペと対峙し退け蹴散らそうとしていた。
「くっ、兎に角っ! クジュラを止めなきゃ、じゃなきゃこの戦いは終わらな――」
 小さく叫んで一歩を踏み出す、その足取りに力が戻ってくる。やらなければという責任感と使命感、やるのだという自分への暗示にも似た勇気を総動員。そうしてメビウスは駈け出した、まさにその瞬間だった。
 不意に死角から襲う巨大な質量に、咄嗟にメビウスは身を翻した。


 零した決意の言葉は尻切れのまま置き去りに、彼女は素早く気配を察して身構える。もっとも、今まで自分が立っていた場所に巨大な鎚を突き立てる長身は、察知するまでもない闘気を全身から発散していた。
 筋肉で引き締められた肉体を律動させて、大柄な女のウォリアーがメビウスを見詰めてくる。
「ははっ、今のを避けるかあ。流石は音に聞こえたリボンの魔女だな」
 どこか弾んだ声が、騒がしい中嫌に鮮明にメビウスの耳朶を打つ。
 メビウスが視界の中心に捉えるウォリアーは今、大地を穿ったハンマーを軽々と引っこ抜いて、
「オレの名はブレイズ、ラーズグリーズのブレイズだ……会いたかったぜ、メビウス」
 名乗りを上げるや「おっと、今はトライマーチのブレイズだった」と、とぼけたことを平気で言う。その見事なまでに鍛え抜かれた体躯からは、不思議と殺気や害意を感じない。だが、どこかもっと純粋で無邪気な意思がメビウスへと伝わる。
 周囲の仲間達に気を配りつつも、メビウスは察した。目の前のウォリアーからは逃げられそうにないと。一目で相手の力量が知れる、それもまたメビウスの知識と経験がなせる技。
「会いたかった、か……どうも友好的には見えないけど? ぼく、今ちょっと急いでるんだっ」
「そいつは、その、なんだ……ゴメン。でもオレだって、だからハイドウゾとはいかないな」
 あくまで戦う構えを見せないメビウスとは対照的に、ブレイズは合金製のハンマーを軽々片手で肩に遊ばせ、次の瞬間には両手で握って身構える。両の足を踏ん張り今にも撃発せんとするその姿は、一分の隙も見当たらない。
 やはり逃げ切れないと思えば、自然とメビウスは溜息を零した。
「何でさ、訳くらい聞かせて貰えるかな? ぼく、何かきみの恨みでも買ってる?」
「恨み? 違うね……憧れと恐れと、まあそういう色々さ。な、いいだろ? ……やろうぜ」
「やろうぜ、じゃないだろ! 見ろっ、この惨状! きみも冒険者だろうにっ!」
 四方から押し寄せる戦いの旋律を見せつけるように、メビウスは両手を広げて声をあげる。それは戦う意思のない現れであり、同時に早急な善処を必要とする現状を訴えていた。
 だが、意外そうに一瞬表情を失ったブレイズは、困ったように呟いた。
「や、解る。解るけどさ……オレだって長年待ってたんだ。リボンの魔女に追いつく日を」
「時と場所と、選べないかって言ってるの。……あと、その呼び方」
「ハイ・ラガートの英雄、リボンの魔女……世界樹の神秘、その一端を知る勇者にして戦士」
 メビウスが持つ二つ名は今、世界のあらゆる所でひとり歩きをしている。それも、背ビレ尾ビレを増やしながら。それ自体は一種の有名税だと自分に言い聞かせて、メビウスは世の流れるままに放置していた。無論、本意ではないにしろ、そうするしかなかったから。
 確かにブレイズの言う通り、メビウスは北方に聳える世界樹の迷宮を制覇した。凍える北の大地へ屹立する世界樹を登り、天高く浮かぶ宮殿にまでその冒険は至り……ついに諸王の聖杯の謎は明らかにされた。そしてそれは、詩に聴こえた英雄譚などでななかった。少なくとも、メビウスには。
 だが、身を捩ってハンマーを振りかぶりながら、ブレイズは滔々と語り出す。
「ハイ・ラガート中のギルドがメビウスを、ソラノカケラを探した。無論、ラーズグリーズも」
 だが、と言葉を切って彼女は、メビウスの返事も待たずに語り続ける。
「オレはさ、メビウス……久々に血が滾ったよ。オレだってあの世界樹で戦ってたんだ」
 ブレイズは大柄な身を猛る気持ちでより一層大きくメビウスに見せつけてくる。今や壁となって立ちふさがる彼女はしかし、その笑顔はまるで童女のようにあどけなく無邪気だった。
 悪気がないのは尚悪い、何より性質が悪い……内心舌打ちを零すメビウス。
「それで? ブレイズ、きみはぼくに何を望む? 幻想を見るのは勝手だけど」
「オレはメビウス、あんたと闘いたい! リボンの魔女撃墜がオレの夢……お、おかしいかな」
 本人を前に、何の悪びれもなくブレイズは言ってのけた。
 思わずメビウスは頬を崩し、気付けば苦笑していた。自然と笑みが溢れるのは、こんなさなかにおいても……海都と深都の存亡がかかった窮地でも、ブレイズの眼が子供のようにキラキラ輝いているから。
「おかしい? いいや、ちっとも……どうして笑えるのさ、心からの言葉が」
 そう言いつつも苦笑いを噛み殺して口元を手で覆うと、再度メビウスは深く嘆息。
 昔からこの種の手合いは存在し、定期的にメビウスを悩ませる。有名税も重税が続くと、少しは免除を申請してみたくもなるもので。この場合においてメビウスが腕前を無言で見せつけるのはやぶさかではない。勿論、望めるのなら避けたいけれども。でも、振りかかる火の粉から逃げはしない。
「おっ、じゃあ本気の勝負な? なっ! オレ、嬉しいよ。やっと念願が叶っ――」
「……一撃だ、ブレイズ。一発勝負。今は一秒でも惜しいから。それでいいね?」
 いいね、と問いつつ、有無は言わせない。メビウスは即座に半身に構えて地を踏みしめる。拳を固く握って腰元に引き絞り、狙い定めて差し出す左手の指でクイとブレイズを挑発。
「一撃必殺かあ! いいな、オレも嫌いじゃない……それやろう、すぐ! いくぞぉ!」
 メビウスと比べて頭二つほど長身のブレイズが、その筋骨隆々たる身体が僅かに沈んだ。瞬間、メビウスも思い切り一撃を踏み込む。振り下ろされる鉄槌を前に、真正面からぶつかってゆく。
「真っ向勝負っ! どっちが強いか……オレは、オレより強い奴に勝つ! 強く、なるっ!」
「ふぅ……きみみたいな奴が今まで、何人ぼくの前に現れたと思う?」
「百や二百じゃないだろ? でも、オレみたいに強い奴は、いない筈っ」
「旅してるとね、数えるのも馬鹿らしくなるから……もう覚えちゃ、いない、よっ!」
 インパクト。
 メビウスが下から射ぬくような拳を繰り出す。その空気を切り裂く上突きは、鈍い音を立てて鉄塊と正面衝突した。両者は瞬間、ピタリと静止画のように身を固める。次の刹那には、メビウスは顔に熱い飛沫を感じていた。
 数拍の間を置いて、メビウスの拳が悲鳴のように血飛沫を吹き出したのだ。強烈な衝撃が突き抜け、肉を断ち腱を裂き、血管という血管が破裂した。拳を握る五指の骨すら、確実にヒビが入ったか、最悪砕けて折れたか。だが、メビウスは無言でそのまま正拳に力を込める。
「やった!? オレの勝ちだ、リボンの魔女にオレは……あ、ああっ!?」
 メビウスの痩身にのしかかるように鎚を浴びせたブレイズの、その緊迫した表情が笑みに変わる。しかしそれも僅かな時間だけだった。
「覚えておくといいよ……強さと力は違うんだって。伊達に看板、背負って、ないっ!」
 ブレイズの顔が驚愕に歪んだ。ピシリ、ピシリと音が響く。メビウスの拳を砕いた筈のハンマーに、その重厚な硬い表面にヒビが走る。ブレイズが「あっ」と零したその瞬間、まるで硝子細工のように鉄槌は粉々に消し飛んだ。
「……どうする? まだやるの? ぼくは……嫌だね」
 メビウスは激痛にも表情ひとつ変えず、再度構え直しもしない。愛用の武器を砕かれた……というよりは粉々に消滅させられたブレイズは、呆然とその場に膝をつく。信じられないというような顔もしかし、メビウスを見上げれば自然と柔らかくなった。
「は、はは……これが、リボンの魔女。この強さが、メビウスか。凄い、凄いなあ!」
「そりゃどうも。っと、イチチ……それよりクジュラを止めないと、うっ、痛っ!」
 急いで回復の術を施すも、応急手当にしか過ぎない。もう利き手は使えない。少なくとも街に戻っての本格的な治療が必要だった。だが、それでも拳を握って歯を食いしばるメビウス。血まみれの拳はぼんわりと氣の光に輝きしっかりと握られていた。
「オレの負けだ、メビウス。あんた、やっぱ本当に強いな! ……そっか、これが強さかあ」
「そゆこと。じゃあぼくは忙しいから。物分りいいなあ……みんなこうだと楽なんだけど」
 ふと踵を返して事態の収集に振り向くメビウス。その横に並んで立つ影があった。
「さて、オレ個人の話は終わりさ。あとはこの乱痴気騒ぎを止める。そうだろ? メビウス」
 柄だけになったハンマーを手に、ニッコリとブレイズが笑った。さっきの今で、流石にメビウスも呆れてしまう。勝負をふっかけてくる手合いには慣れっこだが、ここまでサバサバとした人間は初めてだった。
「……兎に角っ、きみもトライマーチの一員なら、コッペペ達を止めて。ぼくはクジュラを」
「おう! オレだって冒険者の端くれ、引き際くらい解ってるぜ。いい勝負だったしな……ん?」
 その時メビウスは、重々しい機械音が高まり腹に響いてゆく不気味な鳴動に身震いした。
 深都を百年守り続けた鋼の巨神が今、動き出そうとしていた。

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