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「待てクジュラ手前ぇ! そっちはオランピアちゃんが駄目だって言って――」
 悲鳴にも似た声が走った。
 その響きが光を呼んだ。
 悲痛に尖った絶叫を放ったのは、普段ならおどけたバリトンボイスを奏でているのに。銃声を連れて反響する声が喧騒を突き抜け、一人の男を見送った。
 クジュラは悠々とコッペペの追撃を振り切るや、聳える巨体の脇をすり抜けてゆく。その姿が階段の向こうへ消えると同時に、呆気に取られるメビウスを激震が、閃光が襲う。
「っ! これは……このっ、ばかっ! ぼくなんか庇うから」
 白い闇に染められた視界が、ようやく色彩を取り戻すと同時に。己を覆うように四肢を伸ばしていた影が、メビウスの胸へと崩れ落ちてきた。
 誰であろう、先程まで後で弩を構えていたスカイアイだ。
 彼は力なくズルリと、メビウスの身体にそって倒れこんだ。
「やあ……無事かい?」
「無事かい、じゃないっ! どうして……」
 即座にスカイアイを抱き起こし、その血まみれの手を握ってやる。その手を取る己の手もまた傷んだが、構わず強く握り締める。零れ落ちる命を繋ぎとめるように。
「我らがギルドマスター様、だ……はは、これくらいは、ねえ?」
「待ってろ、今手当を」
「後でいい、よ……ほら、お怒りらしいよ? どうやら、ハメられた、らし、い」
 スカイアイが震える指で指す先に、冷たい巨躯を震わせ駆動する守護神の姿があった。何者も通ることを禁じた門を、地獄の入口を守る巨神。こちら側とあちら側の境界線に立つ、世界樹の叡智の結晶。
 冷たくなってゆく友の身を抱きしめながら、メビウスは呆然とゲートキーパーを見上げた。
「イーグル、無理は駄目だ。危険過ぎる。今は体勢を立て直して……大丈夫ですか、メビウスさん」
 不意に声がして、背後をメビウスは首だけで振り向く。肩越しに見たクフィールも焦燥色濃い表情だが、瞳にはまだ僅かに力がある。彼の横で剣を構えるイーグルも、出血こそ派手だが五体満足なようだった。
 再び轟くような機械音が腹の底を震わせてくる……ゲートキーパーは再度、その巨大な両手をかざして光を集め始めた。圧倒的な、絶対的な神の如き力が集束してゆく。
 だが、絶望に折れかけたメビウスの心は、現実に耐えた。現状を認識する理性がまだ、怒りに燃えるメビウスの身体に力となって満ちる。その確認を取るように、クフィールは大きく頷くと、


「もはや人間同士で戦ってる場合では! メビウスさん、彼女に――」
「うん。聞こえてるか! エミット、もはや戦いは無駄だ! ぼく達はここでは死ねない」
 誰も死なせないと心に結ぶメビウス。その目が再びゲートキーパーに向けられると、その足元で折り重なった瓦礫と土砂の山が弾けた。
「……っ、何がおきた? これは……ゲートキーパーが起動しているだと?」
 現れたエミットは、普段の無表情な鉄面皮を嫌な冷たさに凍らせた。信じられないモノを見るかのように首を巡らしながらも、傍らから同じ重装甲の痩身を担ぎ上げた。肩を貸されて出土したのはラプターだ。彼女の意識はあるのか、息をしているのか……それも気になったが、メビウスは珍しく取り乱したエミットの横顔に戦慄を覚える。
「ゲートキーパーよ、鎮まれ! 私達は敵ではない! 私は深王代理騎士、エミットだ!」
 声を張り上げるエミットは、ふらり倒れそうになるラプターの肩を抱いて腕を取ると、そのままゲートキーパーの真正面で光を見上げる。
「深王代理騎士……深王ノ全権代理人ニシテ、深都ノ騎士」
 それは見た目通りの無機質で重い、冷たい声だった。
 ゲートキーパーが一瞬動きを止めた、その間隙にエミットは身を声に叫ぶ。
「そうだ、お前もまた共に深都を、何より海都と両方の民を守る守護者! それが――」
「警告、侵入者……排除。深王代理騎士ヨリ侵入者ノ排除ヲ優先」
「私達は敵ではない! クジュラは私が、私達が連れ戻す。だからっ!」
「……排除、開始! 排除、開始!」
 再び苛烈な光が迸り、メビウスは咄嗟に今度はスカイアイを庇って身を伏せる。
 ソラノカケラの誰かとも、トライマーチの誰かとも解らぬ悲鳴が響いた。同時に部屋の形状が原型を留めぬレベルまで歪み、破壊の力が荒れ狂う。
 必死で地面にしがみつくメビウスは、自分をまたも守ってくれる影を光の渦に見た。
 怒涛の光条が逆巻いた後に、訪れる静寂。
「……メビウスさんはやらせないっ。もう、誰も……兄上と約束したんだ。もう誰も!」
 よろめきながらもクフィールが左手で銃を抜く。同時に右手が指をピンと立て、タクトのように振るわれた。その号令に呼応するように、イーグルが荒地と化した中で怪我人を担いで走った。お馴染みトライマーチのモンクが戦闘不能で、小さな矮躯がイーグルの肩で僅かに息をしている。
 メビウスは先程まで戦っていたブレイズにスカイアイごと抱き起こされながら、クフィールの逼迫した、それでいて僅かにささやかに頼もしい声を聞く。
「エミットさん! 今は生き残ることを優先しましょう! 無駄死にだけは駄目だっ!」
「しかし……私は深都の騎士だ。騎士なのだ……それがどうして、ゲートキーパーを」
 弱々しく槍を突いて立ち上がるエミットは、よろけて今度は逆にラプターに支えられた。ラプターはふらりと膝を付きそうになる。二人は先程までの激闘が嘘のように、互いの肩で荒い息を零していた。
 そんな二人にクフィールは言葉を続ける。
「エミットさん、貴女が騎士なら……こんな場所では死ねない筈だ。何より――」
 クフィールは震えながらも銃口をゲートキーパーへ向け、
「王に、民に……何より、あの幼く小さな姫君の為に。リシュリーちゃんの為に死ねない筈っ!」
「……リシュリー。そうだ、私は」
「何故貴女は、彼女を海都へ? 何より愛しく大切だからでしょう。ならもう、答は出ている」
 クフィールの膝は笑っている。総身が震えている、恐れを抱いているのはメビウスの眼にも明らかだ。恐らくブレイズやエミット、イーグル達にもそう見えるだろう。
 だが、恐怖に包まれながらも彼は、恐惶に陥ることなく生き残る術を選んだ。
 ――前衛がいる、そう思った時にはもうメビウスは立ち上がっていた。拳はもはや痛みを忘れて感覚がないし、スカイアイを背負ってはできることも少ない。それでも、小さな勇気を胸に生存者を鼓舞するクフィールを、彼一人を捨ておけはしなかった。
「……勝負、預けた。わたしは、盾になるんだ……あの方の、盾に……騎士になるんだ」
 ふいに過細い声が響いて、メビウスは信じられない光景を眼にした。あのゲートキーパーですら、一瞬固まったかのような錯覚を覚える。
 ラプターはエミットから離れると、クフィールの前に仁王立ちで槍を構えた。その顔は血に濡れていたが、不思議と凛として涼やかに笑みをはらんでいる。死地においてラプターだけが、静かに微笑んでいた。
「我が君、この身にかえてお守りします。……ゲートキーパー、相手に不足なしっ!」
「体勢を立て直す、ラプター。三分、いや一分しのいで。イーグル、怪我人を外に」
 クフィールの声はかすれて震えていたが、しかし落ち着いてもいた。気付けばメビウスは、肩を叩くイーグルの手を振り払い、スカイアイを預けて一歩を踏み出す。
「コッペペの旦那、やっぱりリボンの魔女は凄いな! オレも武器があればなあ」
「おお、いちち……痛い、痛いってばよ! ブレイズちゃん、もっと優しく運んで――」
「怪我人、あとは? ええと、全員かな。あんたはどうする! エミットさん!」
 部屋の出口でブレイズが振り返り、ゲートキーパーの前に呆然と立ち尽くす人影に声をかけた。エミットは今一人、我に返ったように面をあげる。
「私、か……? 私が、ゲートキーパーと……そんなことが。だが、ここでは死ねない……でも」
 メビウスはクフィールを下げて前に出ると、戻ってきたイーグルと共にラプターを挟んで立つ。もはや戦力外だが、治癒の術を振るうくらいはまだできる。プリンスであるクフィールの存在が、背中から前衛の精神力を支えてくれる。
 メビウスは自分のモノではないような手をかざして伸ばし、声を張り上げた。
「迷うことはない! エミット、来いっ! みんなで生き残る……きみが必要だ!」
 ゲートキーパーは金切り声をあげて豪腕を振りかぶる。その鉄拳を見上げながら、エミットは身を翻した。ソラノカケラの残った面々は、エミットを迎えて絶望的な生存を勝ち取る為に戦い始めた。

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