《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ 暫定用語集へ 次へ》

 兜を小脇に抱えて頭を垂れ、片膝をついて床の一点をトーネードは見詰めた。その表情に沈痛な面持ちが見て取れるのは、何も深王の御前で思わしくない報告を待っているからではない。勿論、平素そのものの澄ました無表情の深王の脇に控えて、柳眉を寄せて額にしわを作っているオランピアが原因でもなかった。
 トーネードが心を痛めているのは、同じ深王代理騎士として隣に控える女性のことだった。
 エミットもまたトーネード同様の姿勢でピクリとも動かない。その顔を覗き見ることはできないが、トーネードが評価し賞賛して愛でる普段の美貌が損なわれているかと思うと、少しばかり気が重かった。
「双方とも面をあげよ。報告を聞こう」
 咎めるでもなく、責めるでもなく。深王の静かな声が天極殿星御座に響き渡る。
 咄嗟にトーネードは姿勢を正して立ち上がるや、エミットの機先を制して言葉を紡ぐ。その声は朗々と淀みなく、青白い顔をあげたエミットを驚かせた。
「ご報告申し上げます、深王。ゲートキーパーは不慮の事故によりやむを得ず破壊致しました」
「ふむ」
 オランピアの目元がことさら険しくなり、そこから射られる視線の矢は次々とトーネードに突き刺さる。だが、それでも平然とトーネードは喋り続ける。深王は激することもなく短く声を発して、彼の言葉の続きを促した。
「海都元老院の手の者が第四階層に侵入、その為にゲートキーパーが作動したのです」
「で、あろうな。して……」
 細いおとがいに手を当て、深王は真っ直ぐにトーネードを見詰めてきた。それはまるで深海の孤独を凝縮したかのような、どこか虚ろな光を吸い込む瞳だ。流石のトーネードも気圧され、そんな機能もないのに冷たい汗をかいた気がした。
 だが、深王は意外な言葉で僅かに表情を和らげた。
「トライマーチとソラノカケラ、両ギルドの者達は無事であろうな」
 トーネードが短く「はっ」と首肯を返すと、深王の視線はようやく逸らされ宙を彷徨う。それはどこかで無事に安堵しているようでありながら、同時に無事でなくてもよかったような態度にも見える。
 深王は情を表に現すことがない。故に王として十全の機能を百年間全うしてきたのだ。
「まあよい。あの娘は……メビウス、とか言ったか。まだ死んではおらぬか」
 笑った。深王が笑うのをトーネードは初めて見た。笑ったような気がした、とかではない。普段から見せる温和な指導者のそれでもない。薄い唇を吊り上げ、冷たい笑いを浮かべたのだ。
 その時ようやく、トーネードの隣から声があがった。
「深王、全ての責任は私にあります。私はあの場にいながら、ゲートキーパー破壊に加担しました」
 トーネードがクフィール達から聞いた話では、双方全滅の危機を辛うじて脱することができたのは、トライマーチの……エミットの協力があったかららしい。しかしそれは同時に、深都に重大な損失を招いたのと同義だった。
 それを誰より知っているかのように、エミットは裁きを待って唇を噛んだ。
「恐れながら深王、その件に関しましてワタシからさらに報告が――」
「控えよ、トーネード! ことは大事、深都の命運を左右する……深王、御裁量を」
 メビウスやエミット達に非のないことを言わんとして、トーネードの声は遮られた。一歩前へと踏みでたオランピアの目には、同じアンドロとは思えぬ憤怒が煮えたぎっていた。
 彼女はトーネードを黙らせるや、深王に対し自らも膝を折って身を屈める。
「深王代理騎士とはいえ罪は罪。それを罰せずば王の威信が問われます。深王よ」
 そうして、耳に痛い静寂が訪れた。
 トーネードはただ黙って、深王の言葉を待つ。深王は彫像のように動かないオランピアを一瞥して、対照的に小刻みに震えるエミットをもちらりと見た。
 この深都において、深王の言葉は絶対。そして、深都から見ればゲートキーパーの破壊は重罪である。フカビトの脅威を抑えてきたゲートキーパーの存在こそが、深都の安全そのものだからだ。
 耐えがたき沈黙も限界に感じて、トーネードがもう一言御注進をと思ったその時。
 人払いを済ませたこの天極殿星御座に、楽器が歌うような声がキンキンと響いた。
「ふかおーさま! ふかおーさま、おばねーさまをお許しくださいませ!」
 トーネードは慌てて兜を被り振り向いた。そこには二人の少女が立っていた。その片方、リシュリーが凄い剣幕で深王へと声を上げる。まるで恐れる様子も控える素振りも見せない大胆さに、思わずトーネードは「ほう」と感嘆の息を吐いた。
 ただお飾りのお姫様ではないらしいと思うと、なかなかに興味深く頼もしい。
「我は深王。ふかおーではないぞ、異国の姫よ」
 対する深王はと言えば、全く普段と変わらぬ冷静さで突如現れたリシュリーに向き直る。気分を害した素振りも見せない。
 泰然とした深王の代わりに、オランピアが再び怒りを爆発させ、エミットが慌てて二人の少女に駆け寄った。そう、闖入してきた少女は二人だった。
「リシュリー、私は大丈夫だ。騎士たる者は皆、王に命を預けて従わねばならない」
「おばねーさま頑張ってますわ! メビウスさま達もみんなです! 怒られることないです」
 確かに彼女達は最善を尽くしたとトーネードは思う。ゲートキーパーを良く知る者としては、その巨躯を前に生還したなど奇跡に近い。それを罪だと言うのなら、その場で死ぬべきだったと言っているようなものである。
 リシュリーはエミットに咎められながらも、尚も叔母にして姉の腕の中で声をあげた。
「ふかおーさま! わたくし難しい話はよく解りませんの。でもっ、解ることはできなくても、信じることはできますわ! みなさま、一生懸命海都と深都の為に冒険してますっ」
 根拠のない、しかしトーネードには実感の湧く一言だった。道を違えども両ギルドは、それぞれ奉じた都の為に、時には相手の都の為に心身を砕いてきた。それはソラノカケラにいるトーネードが一番良く知っている。監視の任を忘れ、気付けば仲間の一員になってしまったくらいだから。
 あの居心地のいい場所は、決して何者をも裏切らず、何物も傷付けない。
「リシュ、ときどき想いだけでは伝わらない人もいる。だからわたしに任せて、ね?」
 リシュリーに影のように連れ添っていた少女が、不意に前へ出て言葉を紡いだ。
 その声音は小さく静かだが、しっかりと深王を捉える。


「そちは……ふむ、オランピアの報告にあった混者の少女か」
「深王、非は勿論海都にもある。でも、深都にも責任の一端はあると思います」
 何たる豪胆な言葉か。トーネードは同じギルドの仲間、ジェラヴリグが語る声に舌を巻いた。深王を前に今、小さな少女が平然と対等に言葉を紡いでいる。臆することなく、敵意を向けることもなく。
 そんな彼女をかばうように、あうあうとリシュリーが前に出る。その広げた手に手をとって、ジェラヴリグは僅かに語気を強めた。
「深都が海都にもう少し歩み寄れば、今回の悲劇は防げた……と、思います」
「すると、ことの発端は深都にも責任があると申すのだな」
「はい」
 明らかにオランピアが殺気をむき出しにするのが感じられた。肘から鋭い刃を広げる彼女を牽制するように、気付けばトーネードは剣の柄に手を添えていた。
「ふむ、面白い。混者の娘が我に意見し、深都の落ち度を指摘し、深都の騎士までも動かすか」
 抑揚に欠く深王の声は、トーネードの僅か数瞬の所作をも見抜いて響いた。
 そう、事と次第によってはトーネードは、王の御前でオランピアに剣を抜きかけていたのだった。それを察してか深王が手を伸べ制すると、オランピアは渋々刃を納める。
「では裁を下す。何人たりとも、この件に関して当事者への一切の言及を禁ず」
 深王は意外にも、誰も罰することなくマントを翻して背を向けた。彼は肩越しに一度だけ一同を振り返り、その中で気丈に立つジェラヴリグを眇めた。睨んだと言ってもいい。
「これにて本日の謁見を了とする。……これでよかろう、混者の少女よ」
「賢明な判断に感謝を、深王。それともう一つ、わたしにはジェラヴリグという名があります」
「これは礼を失した、ジェラヴリグ嬢。ゲートキーパーは所詮は機械、また作ることもできよう」
 深王の淀んだ瞳がジェラヴリグを捉える。そこには、またしても珍しい生の感情が見て取れた。明らかな敵意を受けてもしかし、ジェラヴリグはいささかもたじろがない。トーネードは気付けば、彼女を守ろうと子犬のように唸るリシュリーごと、背に庇って立ち上がっていた。
「エミット、トーネード、両騎士もその働きを労おう。汝等に罪なし、今後も期待させて貰う」
 それだけ言うと、不満も顕なオランピアを連れて深王は天極殿星御座の奥へと消えていった。
 トーネードに更なるソラノカケラの監視、エミットに第四階層への冒険者侵入の阻止が言い渡されたのもこの日だった。

《前へ 戻る TEXT表示 登場人物紹介へ 暫定用語集へ 次へ》