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 戻り着いたメビウスを待っていたのは、騒然とした空気だった。押しかけた元老院の警護兵達が、表情の読み取れぬ兜の向こう側から眼光を光らせ居並ぶ。その険しい視線は今、アーマンの宿から普段の賑やかな喧騒を奪い、一人の女性に注がれていた。
 だが、静かに腕組み俯いたまま、エトリアの聖騎士は泰然と揺るがない。
「トライマーチ、元老院反逆の罪で身柄を拘束させてもらう! 即刻武装解除せよ!」
「……という訳なの、メビウス。悪いわね、疲れてるとこ騒がしくて」
 メビウスもそうだが、他の仲間達もこの命令には驚いた。同時に当然とも思うし、やけに手際がいいとさえ感じる。今やトライマーチは、元老院が秘める聖域を犯した反逆者だった。
 動揺が広がる中、メビウスは衛兵達とデフィールの間に割って入った。
「待ってくれ、その命令はフローディア様が?」
「元老院評議会の総意である! ……おお、リボンの魔女。我等海都の英雄、メビウス殿」
 隊長と思しき衛兵の一人が、兜を取るや恭しくメビウスに頭を垂れてきた。
 だが、望まぬ名声と栄誉よりも今は、メビウスには元老院の老人達が気にかかる。保身が第一の元老院重鎮達にしては、あまりに決定が早い。脳裏に最悪の事態を思い浮かべながらも、メビウスは確認を試みる。
「きみが隊を仕切っているんだね? 冒険者ギルドがこんなことを許すものか」
「既に元老院は、トライマーチのギルド登録抹消を決定しました。メビウス殿、貴殿にはこれを」
 衛兵の長がにべもない言葉とは裏腹に、畏まってメビウスに手を伸べた。そこには小箱が握られており、開けるよう促してくる。
 事態が一向に好転しない中、冒険者達が集まる宿の食堂はざわめきを積み重ねてゆく。メビウスは周囲を見渡し仲間達の頷きを拾って、それを手に取りそっと開いた。
「これは……」
「フローディア様からです。海都十字章……貴女にこそ相応しい」
 白金の勲章が光り輝いていた。それこそが、海都で最も栄えある勇者に与えられるという伝説の勲章だ。だが、メビウスは僅かに首を横に振って、その小箱をそっと閉じる。
 周囲の冒険者達からは喝采と罵声が同時に飛んだ。
「見ろ、ソラノカケラこそ俺等海都側の旗頭だ!」
「そうさ、あの連中に俺達も続かねば……深都討つべし! 聖域を守れ!」
「深都についた連中はみんな出てった! 名門トライマーチも落ちたもんだな」
「そこにいるのはもう冒険者じゃねえ、海都に仇為す反逆者だろぉがよ!」
 メビウスの一番忌避する空気が、二重に周囲を取り巻いていた。自分を持ち上げ他者を貶めるその声には、今さらながら辟易するが。だが、それも時流の常と思えばこそ、その中で何が最善かを探す。
 冷静さを言い聞かせて小さく深呼吸を一つ。それでメビウスは落ち着いて一言。
「トライマーチと話がしたい。ぼくが海都随一の冒険者なら、叶う筈だね?」
 意外な言葉に隊長は鼻白んで、短く「それはそうですが」と言葉を濁す。
 構わずメビウスは、先程から事態を見守るデフィールへと相対した。
「デフィール、元老院に応じるかい? 突然のことでぼくもまだ……でも」
「迷宮で何かあったのね? 大方、深都のコッペペ達がやらかしたってとこかしらネ」
 デフィールは酷く落ち着き払っている。その背後に控えるトライマーチの面々には、特に子供達に動揺は顕だったが。そしてそれは、メビウスの背後に控えるソラノカケラの皆も同じだった。
「隊長ぉ、俺等で元老院に掛けあいましょう! こんなの、冒険者の扱いじゃないですよ」
「だが、トライマーチの一部が反旗を翻したのも事実だよ。……どうする、メビウス?」
 タリズマンの声に被さるように、グリフィスの言葉が重くのしかかる。
 ギルドの長として、メビウスは決断した。
「デフィール、事態は急を要する。ぼく達はすぐにでも、王家の森へ追い駆けなきゃいけない」
「……そう。やっぱり貴女、メビウスね。止めてくれる? うちのバカと、あと……あの娘を」
「勿論だ。それがぼくなりの、冒険者としての流儀だから」
 迷いを振り切るように断言するメビウスに、初めてデフィールは弱々しい笑みを一瞬見せた。周囲が騒然とする中、二人の視線が紡がれ結びついて、一本の線へと収斂されてゆく。そして複雑で雑多な想いが交錯して、メビウスは確かに何かを受け取った。
 あの娘を……エミットを止めなければ。
 何より、フカビトは全て悪と盲信する深王を止めなければ。
 真なる道に中庸はない。今こそ我が身を斧に変えて、百年続く悲劇の鎖を断ち切る時。その為ならば冒険者として、メビウスは何物も厭わない。無論、その気持に応える仲間達が支えてくれる。
「ぼくは友人として、親しい人の誤ちを正してやらなきゃいけない。と、思う。ブン殴ってでもね」
「ありがとう、メビウス。こんなことになるなら、私が深都に降りるんだったわ」
「それじゃ、海都残留組のトライマーチを仕切る人間がいなくなる。そうだろ、デフィール?」
「そう思ってここまでやってきたけど……まあ、正直失敗したわ。駄目ね、歳を取ると臆病で」
 それだけ言ってデフィールは肩越しに振り向き、トライマーチの面々へと大きく頷く、ガチャガチャと武具が鳴って、誰しも剣や銃を手に取った。
「武装解除に応じ、元老院に従いますわ。トライマーチに反抗の意思はなくてよ」
「母上! 性急過ぎます、これでは咎人の如き扱いではないですか。僕達は何も――」
「私達が何もしてなくても、仲間がしたことは私達がしたことと同じよ? さ、リュクス」
 デフィールもまた、息子から剣を取り上げるとそれを隊長へと差し出す。恭順を指し示す行為は淀みなく、礼節を弁えた聖騎士ならではの所作だった。それが高名なエトリアの聖騎士であれば、どれほど屈辱なことかとメビウスは思う。思うがしかし、その英断で防がれた無用な流血に安堵。懸命な年長者に心の中で感謝を呟いた。
「よ、よし! トライマーチのメンバーを拘束する! ひったてぇい!」
 伝説の竜鱗の剣を筆頭に、名だたる武器を抱えて隊長が命ずる。衛兵達は周囲の無責任な冒険者達の声に後押しされて、トライマーチのメンバーを取り囲んだ。
 既にもう、メビウスには今できることはない。今は。これから、彼女達の分も為すべきを為すだけ。そう、確かに託されたから……デフィールをはじめとするトライマーチのメンバーに、同じギルドの仲間達を。その誤ちを正して欲しいと。
 だが、昨日まで親しく付き合っていた人間が罪人のように扱われるのは直視に耐えない。
「お待ちを……なずな、あの二人を連れてきてくれるかしら?」
 メビウスが悔しさに奥歯を噛み締めながら目を逸らした、その時だった。デフィールの声に応じて、ショーグンの少女がずいと進み出た。相変わらず殺伐とした無表情だが、その両手が二人の矮躯を吊るし上げている。
「まあ。あら……なずな様、下ろしてくださいまし。わたくしもホロホロも、一緒に行きますわ」
 話が解っているのかいないのか、不思議そうな顔でリシュリーが襟首を吊るされている。ホロホロも一緒で、二人を軽々となずなはメビウスへと放ってきた。受け止めるメビウスへと、デフィールの笑みが向けられる。続いて一言。
「現時点でリシュリーとホロホロをトライマーチより除名します。よくて?」
「……ほへ? あっ、あの、デフィール様。わたくし、よくお話が解りませんの。で、でもっ!」
「メビウス、子供達のことだけお願いね。……さて、参りましょう」
 僅かに気圧されながらも、衛兵達がトライマーチの面々に縄をかけてゆく。手首を縛り上げられたデフィールは、それでも堂々と胸を張って出ていった。
「なずなさんっ!」
 泣きつくホロホロをひっぺがしていたなずなに、ヨタカが感極まって声をかける。そういえばこの二人は、常日頃から仲がいいような……ちょっとよくメビウスには解らないが、二人にしか感じぬ連帯感を共有している節がある。そしてそれは、ソラノカケラとトライマーチの誰もがそうだったのだ。
「ヨタカさん……これをお願いしてもいいだろうか」
 なずなは腰の二刀を揃って外すと、ヨタカへと「ん」とぶっきらぼうに突き出す。
 それは、ハイ・ラガートやエトリアで多くの強敵を切り伏せてきた逸刀だ。
「……解りました、お預かりします。なずなさん、無事のお勤めを」
「うん。メビウス! お姫様と、この子とを頼む。……平和な日常に返してやって欲しい」
 相変わらず不器用な娘で、なずなはそれだけ言うと縛についた。トライマーチの主だったメンバーが、揃いも揃っておとなしく連れて行かれる。
 メビウスは半べそのリシュリーを抱きしめながら、その背中が見えなくなるまで見送った。

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