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 静謐なる空気を満たした森は今、深くどこまでも続く。世界樹の奥底より転送された先は、不可思議な術で外界から途絶された、正に聖域……現し世にあって現し世にあらず、はてしなく広くまた、かぎりなく狭い。
 メビウスは澄んだ木々のいぶきを風に感じながら、慎重に歩を進めた。
「いやあ隊長、見ましたか? 久々に危険な花びらが……コッペペの旦那の言う通りだ」
「俺は嫌な思い出しかないけどね、あれ。ただ、ハイ・ラガートの迷宮よりおとなしいみたい」
 先程のエンカウントと戦闘を振り返って、タリズマンはしきりに額の汗を拭っている。彼ならずとも、一際危険度の高くなったモンスターを相手にメビウスも背筋を冷やしていた。それはネモも同じなようで、
「ネモ、だよね? 今日は。兎に角、厳重に周囲を警戒。無用な戦闘は避けよう」
「正解だね、メビウス」
 中性的な星詠みの奥から、気配を殺したシノビの声。今日のメンバーはハイ・ラガートからお馴染みの最古参の四人。タリズマンにネモとくれば、その後に続くのはグリフィスとスカイアイだ。
 これが、ここに今いる四人が、ソラノカケラの言わば最精鋭とも言えた。
 勿論、戦闘だけならばミラージュやシンデンのような腕利きはいるし、索敵や探索にはグリペンやレヴのような者達がいれば便利だ。子供達だって侮れない実力をつけてきているし、ソラノカケラは今や名実ともに海都で一番のギルド。あのギルドが深都で一番と言われるのと同じ理由でだ。
 そんな中、メビウスは総合的な判断で人選を決めた。一戦も辞さない覚悟と、未知なる聖域への冒険がそうさせたのだった。
「そっか、やっぱりネモだね。ぼくも最近はようやく見分けがつくようになってきた――」
「そういう意味じゃないよ、メビウス。無益な戦闘を避ける、それがイェスだという意味さ」
 腰の短刀に手を添えながらも、グリフィスは嫌に落ち着いた声で気配を飛ばしている。彼は今、シノビの技を用いて通路の先の先、隅々にまで気を配っていた。そこかしこをうろつく強力なモンスターを避け、小物の相手もしない……今日の冒険は終着点への最短ルート。一秒でも早く、一歩でも速く。
 だが、不思議とメビウスに緊張はなかった。
「できればマッピングもしたいし、手頃な新種は一通り狩りたいけどね。今は、急ぐ」
「うん、それがいい。……メビウス、吹っ切れたのかい? 少し肩の力が、ねえ?」
 グリフィスの声に誰もが頷き、最後尾のバリスタが言葉を返してきた。
「ああ、気負いもないし気張った様子もない。いつものメビウスさ」
 言葉だけで不思議と余分な力が抜ける、そういう仲だった。後詰を他の者達に託して、共に並んで進むはやはりこのメンツ……はじまりがそうであったように、冒険の終わりを手繰り寄せるように進む。
「うん、なんか……ここまできたらベストを尽くすしかないなって。自分なりにね」
 一同の先を歩きながら、メビウスは自分に言い聞かせるように呟く。
「みんなそうだって思うことにした。みんな良かれと思ってる」
 そして、誰もがどこかで間違えている。かも、しれない。それがメビウスには今、解らない。だが、このアーモロードを百年支配した空白の時代が終わりを告げようとしているのだ。こんな激動のさなか、冒険者にできることは少ない。とすれば、どこまでも冒険者であることこそが、メビウスの選ぶ最良だった。
 道を違えて、王を見つけて騎士になった者もいる。
 伊達と酔狂で惚れた女に、何も言わずについていった者もいる。
 そうかと思えば、幼いなりに団結しあう者達だっているのだから。
「なにが正しいか、それは後世の歴史家に委ねればいいさ。ぼくは今、最善を尽くしたいんだ」
 誰もが皆、メビウスの言葉に笑って頷いた。
 もう言葉はいらない。ただ、共に歩む時。進む時だ。
「オッケー、メビウス。我が友よ……付き合おう。最後まで」
「ああ、いいんじゃないかな。ぼくも勿論、付き合う。この馬鹿騒ぎの結末にね」
「そりゃもう、隊長と一緒なら俺ぁどこでも行きますよ!」
「俺も、俺達も。俺だけじゃない、エイビスも他の連中も……ソラノカケラのみんながそうさ」
 急いて歩くメビウスの背中を、優しい声が包んで撫でる。なにより、そっと後押ししてくれる。
 だからメビウスは今はもう、後悔しないことだけを考えればよくなっていた。そんな彼女がパーティの仲間と、蔓で覆われた扉を掘り出すように開いた時。開けた広間の向こう側に、見知った痩身が佇んでいた。
「……やはり来たか、リボンの魔女。ソラノカケラの者達よ」
 もはや機械で象られた歪に細いその身を隠そうともしない。オランピアはただ眼光鋭く一同をねめつけ眇めると、腕組み次への扉へと立ちはだかった。彼女が背負う扉の先へと、この王家の聖地『白亜ノ森』はまだまだ続いている。
「オランピア、どいてくれ。ぼくはどうしても、深王の前に立たなければいけない」
「まだ言葉を重ねようというのか? リボンの魔女よ。深王百年の大計がまだ解らぬか」
「言葉尽きるまで語る覚悟も、尽きて後の決意もある! ……言わせないでよ、もう」
 苦笑してみせるほどメビウスには余裕があった。ここにきて、大きな事件のうねりが一つに収束されていこうとしている。その気配を察知すれば、自然となにを為すべきかが胸にこみ上げてくる。
 覚悟も決意も確かにこの胸に。それが解るから今、長々と言葉にする必要はない。
「……お前達もまた、相応の覚悟を胸に挑んでくるということか」
 一瞬、陶磁器のような白い顔をオランピアは歪めた。そこには、僅かに憂いが見て取れる。
「ぼく達も、と言うと」
「トライマーチ。かの者達は仲間を元老院に囚われたと聞いているが」
「それで引き下がる連中じゃない、それはぼくが一番よく知ってるさ」
「……そうだな。冒険者というのはいつもそうだ」
 不意にオランピアの伸べた手が光る。一瞬の眩しさに目を庇ったメビウス達は、指と指の隙間から見た。不意にオランピアの周囲に恐るべき螳螂のモンスターが現れたのだ。
「! ……二匹、いや三匹か。メビウス、こいつぁ」
「避けて通れぬ戦いか? どうする、メビウス」
 仲間達は即座に臨戦態勢で武器を構える。
 だが、メビウスは一瞬作った拳をゆっくり解いた。そのまま、確かめるように手を握っては開き、深呼吸を一つ。
 オランピアのいつになく悲しげな、感情の色に濡れる瞳がメビウスに平静さを呼んだ。
「薄々気付いてたけどね、オランピア。きみだって不本意なんだろう?」
「深王はこの百年、冒険者を殺せとは言わなかった。ただ私は真実を秘匿する為に――」
「迷うな、オランピア。きみもまた選べ。自分が信じる道をいく、走るんだ。全力で!」
 それだけ言ってメビウスは、一歩無防備に踏み出した。
 その動きに呼応するように動き出す……這いよるように、全てを狩るものが。鋭利な鎌を両手に光らせ、メビウスの一歩に同じ歩幅を寄せてくる。仲間達の驚く声をしかし、メビウスは敵意ではなく微笑で連れ去った。
 触れるか触れないかの距離で、モンスターの中をメビウスがすり抜けてゆく。


「私が……迷っていると? メビウス、この私がか」
「そうさ。きみは何故、百年間テントを配り続けた? なぜまどろっこしい真似を?」
 その答えはもう、言うまでもないから。
 メビウスは鎌の風切り音が背後で振り返るのを聞いて、仲間達の悲鳴を拾って、それでも真っ直ぐオランピアだけを見詰めて歩む。
 メビウスはただ静かに、オランピアの前に立った。
「百年の悲劇、ぼくが断ち切る。その為に来た。それがぼくが目指す最善、ベストさ」
 きみは? そう無言で問いかけると、オランピアは意外そうに笑った。そう、僅かに口元を崩して、深王の操り人形が微笑んだのだ。ひどくぎこちない、おおよそ感情とは思えぬモノが突き動かした笑顔。
「解った。リボンの魔女……いや、メビウス。お前を少し理解した。……ならば進むがいい」
 すっとオランピアの影が背後の扉を透過して消えてゆく。
 ただ、姿の見えなくなった彼女の声だけが最後に一同を包み込んだ。
「急ぐがいい……決着は近い。フカビトにかどわかされし姫は、この奥だ」
 背後ではメビウスだけを獲物と捉えて、しかしその隙のない、迷いのない姿に凝立してしまったモンスター。その合間を縫うように歩いて、仲間達が追いついてくる。
「行こう、みんな」
 メビウスはオランピアの消えた扉へと両手を突き出し、静かに道を切り開いた。

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