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 明けない夜など存在せず、飽くることなく太陽は昇る。
 深海の底、フカビト達の神殿に陣を張った二つのギルド、ソラノカケラとトライマーチを弱々しい朝日が照らす。その暁の光に血塗れた鎧を鈍く光らせ、デフィールはいまだ最前線に立っていた。
 その傍らでは今、ニムロッドが忙しく癒しの術を行使して仲間の手当に奔走している。
 フカビト達の猛攻も一時収まり、今は睨み合いの小康状態。だが、手勢が増える気配にデフィールは油断なく目を凝らす。着慣れた鎧も苦楽を共にしてきた剣も、酷く重い。それでも彼女達は仲間が奥へと消えた迷宮の門を死守し、少数でよく戦っていた。
「……っ、痛い。ここは……わたしは」
「痛いのは生きてる証拠よのう。止血は終わった、ほんに運の太い娘っ子じゃムヒョヒョ」
 若い娘には目がないニムロッドの軽口が、重く沈滞した空気を僅かに明るくしていた。こういう人間が集うギルドは粘り強く、そうそう簡単にはクエストもミッションも放棄したりはしない。だが、今回ばかりは別だった。
 傷口を鎧で覆いながら身を起こす重装騎士を、デフィールは片膝をついて覗き込む。
「騎士ラプター、お下がりなさいな」
「デフィール殿、わたしはっ」
「よく今まで私を支えてくれました。騎士ラプター、貴女は私の誇りです」
 悔しそうに唇を噛むラプターが、ままならぬ身を震わせ傷口を押さえる。そのまま彼女は俯き、悔しさを滲ませ僅かに一滴零した。
 そんな彼女の頭を撫でて、惜しみない賞賛にデフィールは微笑む。
「貴女が真に命を賭けるべきは、貴女の主君を守る時です。よくて? ……下がって、もしもの時はあとをお願い」
 後列の方にもかなり被害が出ていると思う。夜明け前の数時間は乱戦で、ラプターと共に堅持していた防衛戦は容易く数に押されて切り裂かれた。その何割かは叩いたが、前衛は抜かれてはならないのが鉄則だ。
 それでもデフィールはラプターを責めはしないし、自分を責めたりもしない。
 持てる死力を尽くして、ここにいる誰もが最善を尽くしているのだと思うから。
「さて、それじゃ下がるかの。デフィール殿、年甲斐もなくあまり張り切るでないぞ?」
「ニムロッド、貴女もね。ほんと、嫌ですわ……歳は取りたくないものよね」
 にっこり笑ってニムロッドは、ひょいとラプターを担いで後ろへと下がる。
「デフィール殿! 必ず生きてご帰還を! わたしはデフィール殿の代わりに壁役なんてやりませんから!」
「勿論そのつもりよ。さて……そろそろ時間ね。来るっ」
 敵側が慌ただしくなってきた。いよいよ大挙して総攻撃、こちらを押し潰す気配が感じ取れる。
「デフィール殿、犬死無用ぞ。黄泉路ゆかば老骨が先じゃ」
「左様、美しい御婦人を一人ゆかせては面子も丸潰れじゃてのう」
 いくら場慣れしているとはいえ、休まず夜通し戦っていたのだ。微笑むシンデンやガイゼンの顔には疲労も濃く、その身は肩で息を貪っている。それでも彼等はデフィールが止めるより先に並んで武器を構えた。
「エトリアの聖騎士と轡を並べる、これは末代までの語り草よな」
「うむ。後は臥所を共に一夜を過ごせれば、これは言うことないのう」
 悲壮感を払拭してゆく不敵で大胆な老人の声に、デフィールも剣を握り直して盾を構えた。
「そうね、生き残ったら……」
「生き残ったら? この爺めにすこぉし、極楽浄土を見せてくれんかの。ホッホッホ」
「ええ、旦那様に相談してみましてよ」
「こりゃ手厳しい」
 刃毀れした太刀を手にシンデンもカカカと笑う。
 いざ、最期の戦いへ。
 ――踏み出すデフィール達はしかし、押し寄せるフカビト達が足並みを乱すのを見た。同時に目の前の空間がぼんやりと歪んで、陽炎のように人の像が浮かび上がる。同時に走る声。


「益荒男達よ、剣を収めたまえ。これ以上の流血は無益。……真祖様がみまかられた。その死を血で汚すなかれ」
 迷宮を揺るがすフカビト達の怒号と雄叫びが、その静かな声に静まってゆく。
 デフィール達もまた、目の前に恭しく頭を垂れて出現した老婆に武器を下ろす。
「真祖が……じゃあ、メビウスは」
「騎士殿、人間の騎士殿。そなた等の勝ちじゃ」
 老婆はそう零すや、自らのはらからに振り返り声を張り上げる。そのしわがれた叫びが回廊に響き渡った。
「我等が同胞より選りすぐられた勇者達よ! 戦いは終わった……それでも尚、その血の滾り鎮められぬなら――」
 杖をつく老婆が、一度切った言葉を絞り出す。
「この老骨めの命で慰めるがよい。既に我等が時代は終わり、フカビトの歴史は新しく開かれようぞ」
 フカビト達もまた同じ人間だと、メビウスが時折言っていたのをデフィールは思い出す。フカビトだけではない、世界樹の迷宮に息づく民はみな、人間とは違う可能性を持ったもう一つのヒトなのだ。
 デフィールは気付けば、傍らのシンデンが拾ってくれた鞘を受け取ると、真竜の剣を納める。
「仲裁に感謝を。こちらから剣を引きましょう。この戦い、勝者などおりませんわ」
「いたみいる、人間の騎士殿」
「真祖は討たれた、ということは」
「ほんに馬鹿な子じゃった。我等を縛る神の呪詛を、一身に受けて一人で背負ったのじゃ」
 そう言って涙する老婆は、さらに言葉を続ける。
「真祖様の魂は、勇敢なるリボンの魔女が救ってくださった」
 老婆が顔を向ける先へ、デフィールやシンデン、ガイゼンといった未だ立っていた面々が視線を向ける。
 陽光が差し込む巨大な門の奥、深い深い闇の中からその女性は姿を現した。
「ぼくがやったことは、フカビトの王を倒したという事実だけさ。それを有意義にするのはこれから」
 メビウスはほどけた髪を朝の潮風に揺らしながら、視線で仲間達をねぎらうとゆっくり歩いてくる。
 誰もが口々にその名を呼ぶ中、しっかりとした足取りでメビウスは魔女の前に立った。
「真祖の命を奪ったのはこのぼくだ。全責任がぼくにあることを記憶して欲しい」
「我等は復讐に未来を見出すことなく、ヒトと共に歩むことを望みますじゃ」
「真祖は言っていた。きみ達を縛る神が存在すると」
「いかにも。我等を創りたもうた神、世界樹と対となる存在――」
 メビウスの帰還に、ギルドの誰もが英気を取り戻す。その顔を順々に見て生存を確認すると、メビウスは最後にデフィールをまっすぐと見詰めてきた。
 相変わらず澄んだ少年のような瞳が、世界中の名だたる宝石すら霞む輝きで燃えている。
「ぼく達の戦いは、冒険はもう少し先に終着点をみることになるかもしれない。いいかな?」
 仲間達から口々に、メビウスを後押しする声があがる。そして不思議なことに、
「フカビト達も! ぼく達は今日より昨日の遺恨を忘れ、明日の絆を結びたい!」
 勿論、すぐには無理でも構わないとメビウスは言葉を選ぶ。ああ、これだ……デフィールは先の世界樹でも感じた不思議な安堵感を得ていた。メビウスは特別な人間ではない。その、誰もが持ってる気持ちを少しだけ躊躇なく表現できるだけ。この娘が素直で一途で実直なことが、今もデフィールには嬉しく思う。誇れる仲間は彼女やラプターだけではない、このアーモロードで縁を持った誰もがそうなのだ。
「お気遣いに感謝を、リボンの魔女。この老骨めが責任持って、全氏族に言葉を伝えましょうぞ」
「お願いします、お婆さん。ぼくはもう、フカビトの血を望まない。その血を供物に蠢く邪がいるから」
 ならばとデフィールは思う。
 これより先も――
「ま、オイラ達の仕事はまだまだあるみてぇだしよ。な、あんちゃん?」
「ああ……再び剣を取ろう。己の大切なもののために。牙なき者の牙となる」
「わたしも共に戦います、ミラージュ様。いつもお側に……いつも、いつまでも」
 なずなを肩に背負ったまま、コッペペが現れた。その背後では互いに肩を貸して歩くミラージュとヨタカも無事で、生還した五人は改めて歓声を持って迎えられる。
 その声が不意に遠ざかって、デフィールの視界が大きく揺れた。
「あら? やだわ、私ったら」
「大丈夫かい、デフィール。無理をさせたね。ありがとう、おかげでぼく達は真祖に向き合えた」
「いいのよ、メビウス。やっぱり貴女、メビウスね。悔しいくらいに期待を裏切らないわ」
 倒れかけたデフィールは、しっかりとメビウスに抱きとめられた。
 だが、メビウスは微笑み黙って手を離す。彼女の手が遠ざかった次の瞬間、デフィールは姫君のように抱きかかえられていた。
「メビウス、首魁との決戦でお前も消耗は激しい筈。……また、世界樹でお前に助けられたな」
「いいや、ぼくだけの力じゃない。いつだって冒険者達全員の力さ。そうだろ、ヨルン」
 気付けば夫がデフィールを抱き上げていた。
 その仏頂面の鉄面皮は血に濡れているが、今日は少しだけ柔らかい気がする。
「ちょ、ちょっとヨルン? は、恥ずかしいじゃない。子供達も見ててよ?」
「もうあいつ等を子供扱いしないと言わなかったか?」
「それは……それに私、あ、あれよ、今は鎧を着てるし……お、重くなくて?」
「いつも重い、気にするな」
 耳まで真っ赤になったデフィールはしかし、屈託なく笑うメビウスや仲間達に囲まれる。同時に、僅かな混乱を引き連れながらもフカビト達は波が引くようにさがっていった。
「お前の重み、己の命より重い。このアーモロードの未来と等価で、俺には同義だ」
 それだけ聞いてデフィールは、口笛を吹く仲間達と共に海都への道を帰路についた。

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