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 仄暗い原初の森は濃密な空気をたたえて、深く深く奥へと続く。
 メビウスは今日も仲間達と、世界樹の迷宮の最下層を進む。その先にある僅かな光へ手を伸べるように、時に慎重に、時に大胆に。繊細さと豪胆さを併せ持つ彼女を持ってしても、第六階層はまだまだ先が見えてこない。この先に鎮座する禍神の御座まで、果たしてあとどれくらいだろうか? 迷宮は発する言葉に応える声を持たず、ただ回廊を連ねてメビウス達を待ち構えるだけ。
「メビウス、少し休憩しよう。大丈夫か? 顔色が優れないな、疲れが出たのだろうか」
 エミットの声に脚を止めて、先頭を歩いていたメビウスは地図から顔をあげる。気遣うエミットに弱々しい笑みを向けて、ジェラヴリグは尚も進もうとしてよろけた。すかさず側で支えたのは、寄り添う影のように後をついて歩くテルミナトルだ。この物言わぬ旧式のアンドロは、メビウスやエミットは勿論、ジェラヴリグにさえ言葉を向けることはない。だが、彼が人一倍ジェラヴリグを気にかけていることは明白で、それが温かく柔らかい感情であることを誰もが熟知していた。
 ――ただ一人の例外を除いて。
「おい貴様! 先程から気になっていたが、まだバージョンアップをしてなかったのか」
 テムジンだ。今も神経質そうな白磁の顔に眉根を寄せて、ツイとメガネをかけなおす。彼女は深都でも最新鋭の躯体を与えられたエリート機兵、特務機関の人間でオランピアの腹心だ。それゆえ、随分と前の世代の躯体で未だにへこへこジェラヴリグについて歩くテルミナトルが許せないのだろう。
 やれやれまた始まったと、メビウスとエミットは肩を竦める。
 だが、そんな周囲をものともせず、テムジンはジェラヴリグを挟んでテルミナトルを眇めた。
「ジェラヴリグの防衛こそ貴様の最優先の筈だ。故に性能の向上、改善は至上命題だと言わせてもらう」
「……」
「貴様の躯体は68%を最新のパーツに換装することで、動力性能や運動性、機動性が三割増しになる概算だ」
「…………」
「レスポンスの向上、情報処理能力の高速化は勿論、その、声帯機能の回復も……聞いているのか!」
 メビウスの目には、フルヘルムの下でうんざりしているテルミナトルの表情が見えるような気がした。実際に見えずとも、その顔が手に取るようにわかって、それはエミットも同様のようだ。
 だが、構わずテムジンは抑揚に欠く声で喋り続ける。
「貴様、誇り高き深都の機兵の自覚があるのか! 貴様の躯体はとうに活動限界を超えているっ!」
 テルミナトルは言葉の代わりに、大きく身を乗り出して傾けた耳に手を当ててみせる。はい? なんだって? と言いたげなそのジェスチャーにテムジンは真っ赤になったが、ジェラヴリグが静かにテムジンを見上げた。
「ありがとう、テムジンさん。チェルミのこと心配してくれてるんですね」
「否定だ、ジェラヴリグ。私達機兵は常にベストな機能を十全として備えるべきと考える。でなければ――」
 テムジンは先程の怒りとは別種の朱に頬を染め、メガネの反射する光で瞳の表情を覆って呟いた。
「でなければ、お前を守ってはやれない」
「テムジンさん……」
「一度はお前を混者と危険視し、排除に実力を行使した。その過ちは認めねばならない」
 ここ最近、テムジンが第六層の探索でメビウスに協力的だった理由が知れた。意外に殊勝なことで、思わずメビウスはおろかエミットまで頬が緩む。そのニヤニヤと生暖かい笑みを受けて、テムジンは一層顔を真赤にした。
「かっ、勘違いは困る! 私は深都と海都の融和を第一に考え、両都の尖兵にして防人としてだな」
「ふぅん、でも嬉しいよテムジン。きみのマッピングは正確無比だし。頼りにしていいんだよね?」
「肯定だ! ……この男も、パーツを交換すればあの力を使わずとも戦力になる。筈、なんだ」
 あの力とは、テルミナトルに宿る不思議な力。フカビトの魔法で蘇った死人だけが使う、代償の果てに得た魔性の力。
 テムジンの言葉に頷き、改めてペコリとジェラヴリグは頭を下げた。
「やっぱり、ありがとうテムジンさん。でも、チェルミがチェルミじゃなくなっちゃうのは、困ると思うの」
「ジェラヴリグ」
「チェルミの身体は確かに古いかもしれないし、壊れてるかもしれない。けど、これが彼なの」
「……了解した。性能差は私がフォローして補う、これなら問題はあるまい」
 変わったのはテムジンだけではない。深都では深王が去った後、オランピアが一つのアーモロードになった海都とを橋渡ししていた。トーネードが残してきた各種条例や法令の準備も万全で、今では深都院の議員達にとってオランピアは欠かせぬ存在だ。全てが調和に向けてゆるやかに、しかし確かに前進している。
 そのことを告げる者達が、メビウスやエミットの前に現れたのはそんなやりとりの後だった。
「おや、そこにいるのはリボンの魔女……ソラノカケラとトライマーチのパーティとお見受けする!」
 野太い声に振り向けば、フカビトの男達が五人程。誰もが皆、甲冑を身につけ手には武器を持っている。この迷宮で敵意を持たぬ生き物に出会うのは初めてで、慌ててメビウスもエミットも身を正した。


 フカビト達のパーティは一同を見渡し、ジェラヴリグに目を止めるや顔を見合わせ何事かを囁き出した。自然とテルミナトルが前に出て少女を庇ったが、意外なことに屈強な男達は我先にとジェラヴリグに向かって来る。
「この娘がもしや! おお……確かに一族の血を感じる」
「人との交わり、契の証。お嬢さん、お名前を聞かせてくれないかね?」
「これ、怖がっておるわい! お主ときたらまるで鯱の唸り声かと思ったぞよ」
 精悍なフカビトのますらお達は、ジェラヴリグに目を細めてガハハと豪快に笑う。
 何事かと思ったメビウスは、すぐ側に年長のリーダーらしきフカビトが腕組み立っているのに気付いた。気配を拾わせずにこの距離に……それにも驚いたが、その男の眼は優しげに細められて小さく頷いていた。
「メビウス殿、今までよくぞあの子を……フカビトを代表して感謝しますぞ」
「よしてください、ジェラは一人でちゃんと生きてきたんですよ。だからもう、一人にしない。決して」
「その言葉だけで救われます……我等フカビトもまだ迷うておりますが、こうして戦士だけでもと」
 その男の話では、フカビト達はまだ混乱が完璧に収まってはいないという。それでも有志を募り、こうして第六層の探索に乗り出したのだ。その理由を男は声をひそめて呟いた。
「我等が神は永らく、ヒトこそ天敵と我等に仰った。真祖様を通じて我等をそう導いてきた」
「ええ。ですが、あなた達の信仰を排除しようという旅ではないのです」
「わかっておる。ワシは確かめたいのだ……直接創造神に会って」
 そこまで語って、男は一度言葉を切った。その視線の先では、フカビトの男達がうれしそうに交互にジェラヴリグを抱き締め、まるで待ち望んだ赤子のように高々と掲げている。そればかりかテルミナトルと肩を組む者までいて、一時探索の中に安らぎと憩いが行き交っていた。
 だが、その雰囲気を引き裂く声。
「なにやってんだよ、オヤジ! そいつらが俺等に何をしたか忘れたのかよ!」
 一人の若いフカビトがメビウスの前に踊りでた。その目には憎悪が燃えて、口には剥き出しの牙が光っている。
「リボンの魔女! 俺ぁ忘れねえ……手前ぇが真祖様を殺したんだ! それに……そっちの女!」
 若者はエミットをも指差し、ことさら目元を険しくする。先ほどまでジェラヴリグを囲んで歓声をあげていた一団も、なにごとかと振り返った。
「この女は深王の騎士だった。そしてあっちのは特務の機兵だ……俺ぁ認めねえ! 認めねえぞ!」
 若者はツバを吐き捨てると、エミットとテムジンを、そして最後にメビウスを睨んで去っていった。
 頭目の男はやれやれと深い溜息を零す。
「気を悪くされんで欲しい。あの子は過去の深王の大侵征で家族を亡くしておるのです」
「……そうか。いや、非礼を詫びるのは私の方だ。確かに私は王を求めその騎士に望んでなったのだから」
 エミットの言葉に、自分もまた立場は同じであるとテムジンが頷く。気まずい沈黙が続いた中、意を決してエミットはフカビトへと歩み寄った。その一人一人を見渡し、手に手を取って礼を尽くす。
「許せとは言わない、私はいつか裁きを受ける日を迎えるだろう。だが、少しだけ待って欲しい」
「待って欲しい、とは……お嬢さん、ワシ等はなにも」
「そうじゃ、若者の中にはまだ人間を信じられない者も多い。じゃが――」
 それでもエミットは首を横に振ると言葉を続ける。
「我が妹にして姪、リシュリーを救うまで待って欲しい。その後、罰を甘んじて受けよう」
 そう、先ほどの若者にも伝えて欲しい……それだけ言って、エミットは探索を再開しようとする。
 だが、このフカビトのますらお達は皆が皆、気骨にあふれた武人でもあった。
「お嬢さんや、事情は魔女の婆さんから多少聞いておる」
「そうか、お嬢さんの身内が……あいわかった! この年寄りめも協力させてもらおう」
「ただし、さっきの言葉……あれはお嬢さんから氏族の若者達に話して欲しい。償いを求めるなら、どうかフカビトの里に来てくだされ。全てが終わった後、里をあげて歓迎しよう。その場で人間として、言葉を尽くして欲しいのじゃ」
 呆気に取られるエミットは、静かに微笑み「約束しよう」と頷く。
 メビウスは、未だ二つの種族の間には大きな溝があることを知った。その溝はぱっくりと暗い口を空けて、その底は計り知れない。だが、フカビトと言わずヒトと言わず、両岸から小石を落とす者が絶えることはないと信じている。誰もが向かいにいる者との対話を望み、共存を模索しているとしたら。永らく零した小石はやがて、巨大な渓谷をも埋めてゆくだろう。
 まだ少しの時間が必要で、新たな国となったアーモロードには余裕も少ない。
 それでも、そんな新たな世界の枠組みのためにメビウスは最奥を、禍神を目指すのだ。
「行こう、メビウス。私達は進まねばならない」
「ああ。進もう、エミット。それとね……きみももう一人じゃない。一人にはさせないさ」
 そう言ってポンと友の背を叩くと、再び地図を広げてメビウスは歩き出した。

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