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 ネイピア商店は大盛況で、出入りする冒険者達で賑わっていた。
 第六階層の発見は瞬く間に知れ渡り、一部の熟練冒険者達は我先にとソラノカケラやトライマーチに続く。その何割かが帰らぬ日々が続いても、挑む者の姿は絶えることがない。前後して、迷宮内を我が物顔で飛び回る三種のドラゴンや、異国から流れ着いた魔物等でクエストも大賑わいだった。
 今も混雑するネイピア商店で、つくねは未来の旦那様を待ち続ける。
 こうしてる間も気付けば、リュクス少年にいい防具はないかと店内を歩いてしまう自分が少しおかしい。
「まあ、ドヴェルグの魔剣がこのお値段……ふふ、でもリュクスさんには剣は必要ないの」
 つくねは棚に並んだ新商品を手にして、鞘から僅かに抜いて微笑む。いかな名刀であれ魔剣であれ、リュクスの持つ剣に勝る逸品にはそうそうお目にかかれない筈だ。何故なら彼の剣は、エトリアの聖騎士と謳われた英雄の剣だから。三竜の鱗より削りだされた刀身は、あらゆる物を両断し切り裂く。
 なにより大事なのはでも、携える武器の強さではないことをつくねは知っていた。
 そっと元の場所へドヴェルグの魔剣を戻して、さて防具はとつくねは周囲を見渡す。ネイピア商店はアーモロードの最前線、最先端の武器防具が並んでいたが、矮躯を気にするリュクスに合うサイズがあるかどうかはまた別の話だ。
「よぉ兄弟、景気はどうだい? 最後の氷竜も連中に先を越されちまったな!」
「おうよ、これで世界樹の迷宮に徘徊するドラゴンは全て片付いたって話さ」
 つくねの耳に、アイテムを物色しながらの情報交換を兼ねた世間話が耳に入ってくる。振り向けば筋骨隆々たる巨漢が二人、互いの筋肉を向け合うように話し込んでいた。ついつい視線を向けたつくねは、それに気付いて首を巡らせてくる男達から一歩下がる。自然とつい、いつも頭に載せている狐のお面を被って視線を遮った。
 どうも、自分は内気で内向的なところがあって、世間も知らないし世渡りが上手くない。
 リュクスも姑様も気にしなくていいと言ってくれるが、些細ながらコンプレックスだ。つくねはずっと、隠れ里でシノビの術を学んで心身を鍛える日々を送っていた。人の身を超え、獣を超え、神をも超える……シノビとは即ち、極限まで高めた可能性。その高みを目指すことを、生まれた時より宿命付けられていたし、疑問に思ったこともなかった。
 リュクスに出会うまでは。
「そうそう、聞けばソラノカケラの連中は随分奥へと進んでるらしい」
「トライマーチと連携しての探索だからな。このアーモロードの双璧が並ぶんだ、そりゃ進みもするさ」
 男達は口々に「違いねぇ」「違いねぇ」と頷き合っている。つくねは主にアイテムの在庫管理や素材採取で両ギルドに貢献していたが、まるで自分が褒められているようで内心嬉しかった。命のやり取りしかしらなかった自分が今、誇らしいと感じる気持ちを持てる。誉だと思える人がいる。それは幸せなことで、同じような境遇のヨタカにこっそりそのことを相談したことがある。
「ヨタカ先輩も言ってた、これが人としての幸せ。わたしはでも、もっと頑張らないと」
 最初は不安だった。シノビとして十全に完成された自分に、初めて湧いて出た感情。こんなことは、最愛の人に巡り会えた日以来の衝撃だった。任務を全うした時の充足感とも違うし、標的を抹殺した時の達成感とも違う。それはもっとじんわり温かく、確かな重みを感じる喜びだった。
 ヨタカはそれを正直に告白するつくねを、笑いもしなかったし、おかしいとも言わなかった。
 だから今でも密かに、つくねにとってヨタカは憧れの先輩だ。……時々、もっと器用であればと思うこともあるが、自分も人のことは言えないので口にしたことはない。でも、時々不思議に思うことがある。ヨタカがシノビの掟や作法にのっとって尽くしているのに、それを受けるミラージュが精一杯の笑顔を繕っている時がある。
「でもミラージュ様、なにが困るのかしら。ヨタカ先輩はあんなに尽くしているのに」
 シノビにとって、主と崇めた人間への献身は当然だ。それはヨタカにとってのミラージュであり、つくねにとってはリュクスだ。でも、つくねは思うのだ。どうしてミラージュ様は、ヤモリの姿煮を召し上がらないのでしょう……ヨタカ先輩お手製の良薬なのに。どうしてミラージュ様は、ヨタカ先輩の鍵開け術を褒めないのでしょう……宿屋の金庫とて一発なのに。
「どうしてミラージュ様は、ヨタカ先輩の分身を枕に立たせて寝ないのでしょう。不思議です」
 自分もリュクスに申し出たら断られた、本当に不思議だ。お二人は自身の身分や立場をわかっているのだろうか? まるで、その心配が皆無であるかのように遠慮してくる。つくねは、リュクスが寝る時などは自分本人が枕元で寝ずの番をしたいくらいなのだ。
 そんなことをお面の裏で考えていると、男達の話題は意外なものへと変わっていった。
「ドラゴンといやぁ……馬鹿な騎士もいたもんだな。あいつ、やられちまったらしいぜ?」
「ああ、ええと、ウェアウルフだっけか? 馬鹿だなあ、竜に一騎打ちを挑むなんざ」
 あ、と思わずつくねは小さな呟きを叫ぶ。ついついお面の下からのぞかせた顔が、熱を帯びるのを感じた。
「馬鹿な騎士だ、ドラゴンスレイヤー一族の面目丸潰れって訳だ!」
「だいたい、ドラゴンキラーが槍な訳ねぇだろ! よそもんがでしゃばるから」
 ゲラゲラと男達は、互いを指さし笑っている。
 だが、思わずつくねは飛び出していた。こんなことは昔の自分では考えられない。他者に関心を持つことも、他者への侮蔑や冒涜に気持ちが動くなんて。だが、それに驚くよりも早くつくねは二人の間に割って入っていた。
 見上げる岩のような巨漢の大人を交互に見詰めて、つくねは震える言葉を絞り出す。
「あの方を悪く言わないで……ウェアルフさんだって、一生懸命だったんです!」
 その女騎士の名はウェアルフ。遠く異国よりきた凄腕の戦士だ。代々竜殺しの系譜に名を連ねる、由緒正しきドラゴンスレイヤー。彼女が父と母と一族の誇りを賭けて、堂々と氷竜に挑んだ事実を知る者はしかし少ない。アーモロードの冒険者達は二大ギルド、すなわちソラノカケラとトライマーチを同胞として誇らしく思う一方で、一部の者が外様の余所者を軽く見ていた。冒険者達にも鬱憤や鬱積はあって、それをぶつけるはけ口はいつだって求められていたのだ。


 だが、まだまだ多感な十代の少女だったつくねには、それが大人の傲慢さに思えてならない。
「ああん? お嬢ちゃん、あいつの身内かい?」
「世界樹の迷宮は弱肉強食、敗者はすなわち弱いもんさ。そしてあいつは負けた、違うか?」
 反論の余地はない。だが、それを悪し様に言うことを許す道理もなかった。
 だが、大人達を前に臆してしまったつくねの言葉は尽きた。こんな時、自分が慕って好意を寄せるあの少年なら、毅然とした言動で人の道を示すだろう。暗殺人形だった自分にしてくれたように。だが、つくねにはそれができない。言葉が出てこない。精一杯絞り出した一言は、
「ウェアルフさんはいい人でした。死んでしまった人を、必要以上に悪く言わないでください……」
 震える声が上ずる。
 そんなつくねを見下ろし、大人達はニヤニヤと締まらない笑みを浮かべ……そして表情を凍りつかせる。
「やあ、お二人さん。ドラゴンキラーが槍じゃおかしいかい? わたしの槍は雷竜の首をはねたんだけどな」
 ずい、と両者の間に鋼鉄の穂先が伸びてきて、つくねから男達をひっぺがす。
 ざわざわと周囲が騒がしくなる中、つくねを助けてくれたのは猛禽の騎士ラプターだった。
「あ、あんたは……」
「ソラノカケラの、あのマーティン姉弟の」
 ラプターは不用意で不必要なテンションを作ることはしなかった。あるいは、少し前の血気盛んな彼女だったら、この場で男達は手痛いお仕置きを受けたかもしれない。だが、既に騎士の貫禄をもって場を収めた彼女の言葉は落ち着いていた。
「騎士ウェアルフを知る者として、これはお願いさ。よければ彼女の安らかな眠りを祈って欲しい」
「あ、ああ……いや、俺達も言い過ぎたさ。その、なんだ、なあ?」
「第六階層は酷過ぎる、なかなか進めないんだ……あんた達みたいに。それでつい、苛ついて」
 男達は非礼を詫びて、つくねにも頭を下げると去ってゆく。このアーモロードに集う冒険者には、弱い者もいれば卑屈な者もいるし、弱くて卑屈な者もいる。だが、卑怯者はいない。それはつくねが尊敬するヨタカの言葉だった。
 胸をなでおろすつくねに、ニッカリとラプターは涼やかな笑みを向けてきた。
「大丈夫かい? あいつらも悪気はないんだ、許してやりなよ。……およ、坊ちゃんは?」
「リュクスさんなら、奥の工房で剣を打ち直してます。マーティン卿、ありがとうございました」
「ラプターでいいさ。ほら、噂をすれば」
 ラプターが親指を向ける先に、一振りの剣を携えたプリンスが現れた。その綺羅びやかな戦衣は人一倍目立つ。見目麗しい少年はしかし、いくぶん幼く見える小柄な身体で、混雑する店内をこちらへ向かってきた。
「つくねさん、お待たせしました。あ、マーティン卿。お疲れ様ですっ!」
「はは、だからラプターでいいって。で……その様子だと上手くいったんだな」
 頷くリュクスは、精緻な金細工と宝石で飾られた鞘から剣を抜き放った。不思議な光沢で七色に輝く刀身は、三竜の鱗より削りだされた最強の刃。それは今、このアーモロードに降り立った三竜の鱗で更に強化されている。
 その鋭さは、見守るつくねが呼吸も忘れるほどに美しく、同時におぞましい。
「でも、母の剣を鍛えるのに逆鱗を使ってしまいました。よかったんでしょうか」
「ああ、うちのイーグルはカラドボルグが気に入ってるしな。……そんな剣は、二振りもあっちゃいけないさ」
 ラプターが言うには、それは自分の愚弟には過ぎたる力だという。同時に、龍鱗の剣が選ぶ人間にはそれなりの責任が伴うとも言った。その言葉にリュクスもつくねも大きく頷く。
「それにな、坊ちゃん。その剣は今度こそもう、お前さんの物さ。デフィール殿が一人前と認めた証、そうだろ?」
「そうであればいいのですが……先の戦い、この剣の力を引き出したのはやはり母でした」
「年の功ってもんさ。それともなにか、自信がないか?」
 鞘に剣を収めて、曖昧に頷くリュクス。その腕を気付けば、そっとつくねは抱いていた。
「安心しな、坊ちゃん。その剣は英雄の証、同時に誰の物にもならない」
「と、言いますと」
「竜は人を記憶し、剣は英雄を渡る。お前さんもいつか、その剣を誰かに託す……そんな気がするよ」
 ――自らの想いを込めて。ラプターはそれだけ言うと、ガラにもないことをと豪快に笑った。
 だが、つくねはこの単純故に真っ直ぐで一本気な女騎士を好きになり始めていた。
「ならば僕は、いつか現れる真の使い手へ残すための歴史を歩みましょう。恥じることのないように」
「ああ、それでいいさ。世界各地に三竜の伝承はある。次なる三竜に挑む者へと、その剣は受け継がれるさ」
 それだけ言うと、ラプターはリュクスとつくねの肩をポンと抱いた。そして二人を密着させると、買い物を済ませるべく店内の人混みに消えてゆく。その背を見送る二人の手と手は、気付けば求め合うように結ばれていた。
 つくねはその時、まるで返事をするようにリュクスの剣がリンとなる音を微かに聞いた。

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