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 三竜の試練を乗り越えた冒険者達は、すぐさま第六層の最深部攻略へと着手した。深淵にも似た難解な迷宮は、毎日入れ替わり立ち代りの調査で少しずつだが解明されつつある。その隅々に敷き詰められた悪意を、メビウス達は注意深く探りながら下へ下へと降りた。
 そんな彼女達が再び大海原に漕ぎ出したのは、脳裏にまたあの声が響いてきたから。
『英雄の子等よ、遠方よりはるばるいたみいる。汝等は三竜の試練を超え、新たな力を掴み取った』
 揺れる船の頭上に今、メビウス達を優しくも厳しい瞳で睥睨するエルダードラゴンの巨躯があった。
 その圧倒的な存在感は、竜の中の竜、まさしく最古の王たる威厳。並の人間ならば、目を合わせただけで竦んで身体が言うことをきかなくなるだろう。数多の万物を統べる、もっとも神に近い存在……その声が今、メビウス達の頭に鳴り響いていた。
「エルダードラゴン、ぼく達を再びこの場所に呼んだということは」
『しかり、汝等にはさらなる試練を受ける権利がある。この我が自ら、汝等の勇気へと問いかけよう』
 それは神への挑戦にも等しい。
 一瞬躊躇する素振りをメビウスは見せたが、傍らの矮躯がぎゅっと手を握って声を張り上げた。
「エルダードラゴン、わたし達に試練を。わたしはリシュのために、もっと強くなりたい」
『小さき者よ、混者の子よ。しからば来るがいい……我が魂の聖座に!』
 瞬間、メビウス達の周囲が切り取られた。
 超常の力に思わず目を瞑ったメビウスが、再びまぶたを開いたその時。周囲の景色は一変していた。そこにはどこまでも蒼い空が広がり、見渡す限り草原が風に揺れている。そして、見たこともない動物や植物、鳥や虫で溢れかえっていた。
「こ、ここは……」
「メビウス、見て。あそこに森が……世界樹が」
 傍らに立ち上がったジェラヴリグの声に、メビウスは目を見張った。
 目の前の森にそそり立つ、それはまごうことなき世界樹。
「ここは空中樹海、失われし旧世紀を閉じ込めた最後の楽園。我が守りし、未来への希望」
 遠く見える世界樹の枝葉より、巨大な竜が飛来してくる。それは瞬く間に眼前へと迫り、白銀の翼を広げた。
 竜族の盟主エルダードラゴンの声は今、確かな肉声としてメビウス達の耳に響く。
「無限の魔女よ、そして小さき者よ。改めて問う……最後の試練に挑むやいなや!」
 ぎゅっとメビウスの手をジェラヴリグが握ってくる。答えはもう決まっていた。そしてそれを口に出すのも、言葉にするのもメビウス達二人だけではない。


 すぐ側で立ち上がる気配が無数に舞い降りた。
「共に戦うぞ、メビウス。エルダードラゴンよ! 我等に百難百苦を与え給え」
「エミット!」
 槍と盾とを携えて、エミットがメビウス達に並び立つ。同じ船にて航海に同行していた彼女もまた、エルダードラゴンの召喚に応じてこの空中樹海に呼び出されていたのだ。そして、頼もしい仲間は彼女だけではない。
「隊長ぉ! 毒を食らわば皿まで、最後までご一緒しますよ!」
「竜殺しは英雄のお約束、そういう詩って売れるんだよなあ。オイラも付き合うぜ!」
「タリズマンさん、コッペペさんも」
 驚くジェラヴリグの隣に、男達は悪びれず笑いながら並ぶ。その顔には微塵の恐怖もない。
 互いの目を見て頷き合うと、メビウスは皆を代表して答礼した。
「偉大なる竜の王、エルダードラゴン! あなたの試練、謹んでお受けする!」
「小気味よい返事ぞ、無限の魔女。……一撃にて一切合切は決着しよう。ただ一撃、耐えてみせるがいい!
 瞬間、エルダードラゴンの巨大な身体から闘気が発散された。それは恐るべき強さで肌をビリビリと震わせる。阿吽の呼吸で散らばり陣形を整えた仲間達にも、緊張感が漂った。メビウスはジェラヴリグをかばいながら拳を握る。
 エルダードラゴンは今まで、その力を封じていたのだ。それが今、解き放たれた……
 白銀の竜王は慧と輝く瞳を見開くと、その口に星々の煌めきを集め始めた。
「やべえ、ブレスだ……属性はっ! エミットさん!」
「くっ、間に合うか!? 私が一度に守りきれるのは一人だけだ、これでは――」
 タリズマンの声音が跳ね上がり、逆にエミットの口調は重く沈んでゆく。
 絶対的な力の前にメビウスは、それでも諦めずに仲間を叱咤した。熟練の冒険者が、アーモロードでも随一と言われた者達が情けない。……とは思わない。ともすればメビウス自身、心が折れて挫けそうになる。目の前のエルダードラゴンが突きつけてくるのは、いかな強者であれ人間でしかないという現実、そして竜との間に厳然として存在する超えられない壁の絶望だった。
 だが、弱い自分に打ち勝つ強さがメビウスにはあったし、それは仲間達も同じだ。
「タリズマン、頭だ! ブレスが放たれる前に。エミット、きみはジェラを守ってくれ」
 言うが早いか、吹き抜ける風に乗ってメビウスは駆け出す。その背後に弟分のようなパイレーツの声が追従した。
「頭を封じるっ……間に合うか? いいや、間に合わせるっ!」
「メビウス、オイラの銃弾をなぞれ! 速攻で畳み掛けようぜっ」
 銃声が火花を鱗に踊らせた。だが、傷ひとつつかない輝きがうねるエルダードラゴンの身体を覆っている。メビウスは正確にコッペペの鉛の道標をたどって跳躍する。同時に一足早く宙を舞ったタリズマンの剣がしかし、無常にも眼光の一睨みで叩き落された。
 あまりに次元が違う、勝負にすらならない。
 エルダードラゴンはブレスの力を蓄えながらも、なにもせずメビウス達を受け止める。非力な人間の力では、偉大なる竜の眷属、その頂点に君臨する王の力に及ばない。全身から這い登る虚無感と闘いながらも、メビウスは握った拳に光を集めて引き絞った。
「無駄と知りながら足掻くか、無限の魔女よ。その拳でなにが掴み取れるか、確かめてみるがいい」
「もちろんっ! ぼくの全てをこの一撃に乗せるっ! ……勝負っ、エルダードラゴン!」
 刹那、天高く舞い上がったメビウスの拳がエルダードラゴンの眉間を捉える。
 だが、発した力に倍する威力で弾き返されたメビウスは、奥歯を噛んで着地した。
「……汝等に裁定を下す。星の海に燃える焔を見るがいい!」
 その声が静かに響いて、同時にエルダードラゴンの口から眩い光が迸る。閃光の洪水は瞬く間にメビウスを飲み込み、コッペペやタリズマンを包み込み、地面でジェラヴリグを守るエミットをも覆い潰した。
 超新星の爆発にも似た光の奔流が荒れ狂い、空中樹海が破壊の力に揺れた。
「我の勝ちだな、小さき者よ」
 最後に残されたのは、エミットに庇われたジェラヴリグだった。だが、彼女の無事を背中で感じたのか、エミットはその場に膝をついて動かなくなった。そしてジェラヴリグは見る……エルダードラゴンの前に折り重なって倒れる仲間達の姿を。
「決着はついた、定命の者よ。いかに英雄の子等とはいえ、その力は人間。我が試練に耐え切れずとも――」
「……まだです。まだ、わたし達は負けてない。エルダードラゴン、試練の続きを!」
 ジェラヴリグは一人、小さな身を震わせながらエーテルを圧縮してゆく。彼女自身、恐ろしさにろれつが回らず、上ずる声は何度も言葉を噛んだ。それでも、ともすれば崩れ落ちそうな身体を奮い立たせ、星々へと術の行使を呼びかける。
「メビウスは、メビウス達は立つ。何度でも立ち上がるわ。だから……わたし、諦めない」
「ほう。小さき者よ、まっことよい気迫……このエルダー、汝の勇気を記憶しよう。永遠に」
「いいえ、その必要はないわ。わたし達が生きる一瞬一瞬に、永遠なんていらないもの」
「……で、あろうな」
 ゆっくりと、身震い苦しげに呻きながら。僅かな命の灯火を燃やして、歯を食いしばり立ち上がる者達がいる。気丈にもエルダードラゴンに真っ向から反論するジェラヴリグの前に、大人達は満身創痍の身を立ち上がらせた。
 メビウスは真っ先に立ち上がると、その傷付いた拳を再び構える。
「エルダードラゴン、ぼく達は、まだ、負けてない……今度は、ぼくからだ」
「よかろう、打ってくるがいい。試練の証、その拳に聞くがいい」
 誰もが見守る中、よろよろとメビウスは踏み込んだ。そのまま突き出された拳は、ゆっくりと弱々しくエルダードラゴンへと吸い込まれてゆく。メビウス本人にはもう、その拳が触れた感触すらなかった。
 だが、メビウスの拳がトンと触れた瞬間、エルダードラゴンは満足気に頷いた。
「見事! 我の一撃を耐え、さらには己の意を力に乗せて伝える。真の勇者と我が認める!」
「……エルダードラゴン、ぼくは」
「我は至高、ゆえに孤高。嬉しいぞ、無限の魔女。我への挑戦者は久方ぶり……試練の代価を選ぶがいい!」
 エルダードラゴンは高らかにメビウス達の勝利を宣言すると、不思議な力で皆を包んだ。その温かな癒しの光が、メビウス達の傷を嘘のように消し去ってゆく。そして告げられる、試練の先に待つもの。それは――
「選ぶがいい。さらなる力をもって、外界の災いを除くか。この空中樹海の民となるか」
 エルダードラゴンは詠う。この空中樹海こそが楽園、神話の時代より守られてきた聖地だと。この場所こそがあらゆる生物の魂が安らげる場所であり、尊き気高さだけが存在を許される。故に、この空中樹海とエルダードラゴンに選ばれることは多分な名誉とも言えた。そのことはメビウスにもおぼろげにわかる。草花は萌えて季節を歌い、鳥や蝶も大自然を讃えて踊っている。ここはそう、人間がいないことで完成された楽土だった。
「エルダードラゴン、ありがとう。ぼくを、ぼく達を元の世界へ……ここには人間はいてはいけない」
「……どこまでも気高い英雄よ。その生き様は我には、清冽なまでに哀しい」
「それは心外だな。ぼく達はぼく達の世界で、やるべきことをやる。いつかぼくの命が尽きたら――」
 一度言いかけて、やはりメビウスは首を振る。そうして仲間達と共にエルダードラゴンに頷いた。
「例えぼく達の魂が高潔であっても、この場所はやはりふさわしくない。ぼく達は人の眠る土に還るだけだから」
『あいわかった! では受け取るがいい……我が力の一部を託す。かの地に燻る災いに再び永き眠りを!』
 気付けばメビウス達は、先程のように船の上に戻されていた。脳裏に響くエルダードラゴンの声が遠ざかっていく。
 どっと疲れてその場にへたり込んだメビウスは、傍らで白銀竜が去る空を見上げるジェラヴリグの手に目が止まる。その小さな掌には、輝く竜鱗が握られていた。それこそが奇跡の一滴、僅か一枚で世界中の国が買えると言われた、エルダードラゴンの逆鱗だった。

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