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 覚醒めたメビウスが見上げるのは、見慣れた宿の自室の天井。
 身を起こせば、解かれた髪がさらさらと吹き込む海風に揺れた。不思議と包帯だらけの傷は痛まなかったし、記憶の混濁もない。ただ、地の底深くへ禍神を封じてより、どれだけの時間が経ったかもわからなかった。
 身を起こしてメビウスは、自然と着替えて部屋を出る。
 一度だけ振り返れば、バルコニーの向こうに碧く広がる海は今日も凪いでいた。
「……お腹、減ったな」
 いまだメビウスには、偉業を成し遂げた実感はない。
 ただ、小さく鳴る腹の虫を片手で抑えて、階下の食堂へと向かう。漫然とだが、随分長いこと寝てたような気がする。そのことで今、我が身に宿る食欲が彼女へ猛抗議の声をあげていた。
 宿の食堂でメビウスはしかし、意外な程の歓迎を受けた。
「お、眠り姫のご帰還だ。これで全員揃ったんじゃねえか?」
 ニヤニヤと笑うのはコッペペで、見ればトライマーチの一同が全員集合している。デフィールもなずなもいるし、エミットも一緒だ。お馴染みの面々が並ぶのはソラノカケラも同じで、メビウスはすぐさま仲間達に囲まれる。
「体長ぉ! 目が覚めたんですね。俺ぁもう、どうしたものかと」
「やあメビウス、遅いお目覚めだね。悪いが雑事は君が寝ている間に全て片付けさせてもらったよ」
 手を取り感動に涙ぐむタリズマンに気圧されつつも、メビウスはスカイアイから事情を聞かせてもらった。
 あの決戦の日からもう、一週間が経過していた。
 メビウスが眠り続けていた七日間の間に、このアーモロードは二つの都が一つの国として統合されたのだ。勿論、フカビト達との融和政策を前提に、民政アーモロード共和国は新たな時代の荒波へと船出した。注釈を加えるグリフィスの話では、決して順風満帆とはいかずに問題は山積だが、これより後は全て人のなす歴史だ。後の世に豊かな時代だったと記されるため、誰もが努力を欠かさないだろう。海都の冒険者達も深都のアンドロ達も、勿論これから同胞として共に歩むフカビト達も。
「なるほど、それで? この集まりはなんの騒ぎだい?」
 呆気に取られつつも事情を飲み込み、それが好ましいことだとはしかし実感が伴わない。まだまだメビウスは夢うつつだが、徐々に頭が理解に働き出した。
 今、アーモロードに真の平和が訪れたのだ。
 百年の戦の後に訪れたこの幸せを、百年の平和となせるか……否、やらねばならない。そしてそれはもう、メビウス達のような異国からきた冒険者達の領分ではなかった。この国のことは、この土地の人間が守らなければいけない。その叡智を結集して絆を頼りに、時には我が身の血肉を刃へ変えてでも。
 だがもう、不思議と争いや諍いからはこの土地が開放されたほうな気がするメビウスだった。
 だから悟った……既にこの土地での、自分達の冒険が終わりを迎えつつあることを。
 その証拠に、集まった仲間達の何人かは、もう旅装に旅支度を整えている。
「さあメビウス、君が真ん中だ」
「ちょ、ちょっとスカイアイ。だからみんなも、いったい何を」
 ずらり並んだ椅子の真ん中へと、スカイアイがメビウスの背を押してゆく。
「メビウス、これだぞ、これ! 記念撮影だナ!」
 深都から持ってきたのだろうか、不思議な機械じかけの箱を手にラスタチュカが笑顔を輝かせている。もう片方の手には、見るも精緻な小さい絵画が、いやに写実的な彩りで握られていた。
「写真って言ってね、メビウス。見たままを瞬時に閉じ込める深都の技術さ」
「写真、か。そういえば遠く聞いたことがある」
「ああ。記憶を封じて記録とする、その中にこの瞬間を閉じ込める神秘の技って訳だ」
 なるほどと感心していたメビウスはしかし、ラスタチュカが手にしてる写真を見て仰天した。
 そこに写っているのは、メビウスだった。
「ちょ、ちょっとラスタ! これ、ぼくだろう? い、いつの間に……」
「メビウス、ずっとお寝坊だったゾ! みんなでお見舞い、毎日行ったナ。その時の写真なんだナ!」
 思わずメビウスは、ラスタチュカの手から写真を受け取るなり真っ赤になった。
 それで周囲の仲間達から、朗らかな笑いの声があがる。
 写真はどれも、ベッドで眠るメビウスと訪問客を写していた。そこにはフローディアやオランピア、クジュラの姿も見える。
 大勢の人達に囲まれ眠る自分が、そこにはありありと写っていた。
「参ったよな、しかし。オイラが毎日訪ねても、うんともすんとも言わずに寝てやがる」
「そうそう、旦那が目覚めのキスをと毎回言うもんだから、そろそろ本気で必要なのかと思ったよ」
 冗談じゃない、そんなことで唇を奪われてたまるものかとメビウスはコッペペを睨む。
 だが、写真には毎日欠かさず何組もの見舞い客が訪れ、その誰もがメビウスを心配してくれたことが写り込んでいた。戦いを終えた後でさえ、自分が一人ではなかったことを知らされ胸の奥が熱くなる。
「メビウス! 早くみんなの真ん中に行くんだナ」
「ふふ、ラスタはずっと写真撮りたがってたもんね、みんなで」
「メビウスさま、こっちですわ。わたくしとジェラの間に」
 ジェラヴリグとリシュリーの声に誘われ、メビウスは居並ぶ冒険者達の真ん中で椅子に腰掛けた。ラスタは待ちきれない様子でカメラとかいう不思議な箱を三脚に載せる。そうして暗幕をかけてその中でガサゴソと機械をいじり、飛び出すや急いでホロホロが手招きする隣に収まった。
 そうして皆、丸いレンズを静かに見詰める。
「や、やっぱり私は遠慮しますわ。遠く噂に聞いたことありますもの。……魂を抜かれるって」
「馬鹿馬鹿しい。光学による画像の焼き付きを用いた科学だ。非論理的な話はよせ」
 いそいそとマント姿のデフィールが、沈黙に耐えかねて一同から笑いを引っ張りだす。
 メビウスも笑ったし、子供達も皆笑顔だ。あのミラージュやテルミナトルでさえ、その表情は柔らかい。
「いいからお前は俺の隣にいろ」
 ヨルンが口数少なげに、あたふたと落ち着かない妻の手を握った。
 そうして誰もが、最高の笑顔を用意してフラッシュの光を浴びる。


 カメラは内蔵されたフィルムに、このアーモロードを救った勇者達の姿を刻みつけた。このラスタが撮った一枚が、彼女のデビュー作として永遠にこの土地に残るとは、まだ誰も思いもしない。ただ、焼き増しされた同じ物を、誰もが等しく大事な一枚として肌身離さず持ち歩くことになる。このアーモロードを訪れる旅人は皆、羽ばたく蝶亭やアーマンの宿、元は元老院の中枢だった行政府で見るだろう。控えめな額縁に修められた写真ではにかむ、リボンの魔女とその勇敢な仲間達の姿を。
「さて、それじゃようやく主賓も揃ったことだし……ぱーっと宴会といきますか!」
「へへ、ようやく酒と飯にありつけるってね。今夜はオイラのおごりだ! じゃんじゃん騒ごうぜ!」
 驚いたことにコッペペのお大尽だ。待ってましたとタリズマンが合いの手を入れて、誰かがリュートを投げ込む。愛用の楽器を受け取るコッペペは、それを奏でて酒と料理とを呼び込んだ。たちまち周囲は一般の客も入り乱れての大宴会となる。
 メビウスはスカイアイ達に言われるまま、上座の大上段、いわゆるお誕生日席へと座らされた。
 なんだか気恥ずかしくも、ちょこちょこと運ばれてくる料理をつまんで果実酒をちびちび舐める。海都や深都、フカビトの里の名士達が次々と挨拶に訪れては、酒を注いでくれるので飲まない訳にもいかない。
 そうしてほろ酔いに頬を染めていると、その人物もやはり酒を手にそっとメビウスの側に現れた。
「あらメビウス、結構いける口じゃなくて?」
「デフィール……ぼくは初耳だよ? あれ、本当に魂を抜かれるのかい?」
 デフィールはその頬を酒気とは別の気恥ずかしさで朱に染めた。バツが悪そうに彼女は「そういう話を聞いたのよ」と視線を外す。だが、魂を抜かれたというよりも、魂を複写したような気分だ。早速現像した写真をラスタが皆に配ってる。ちらりと見たが、そこに映る冒険者達は両ギルドあわせて三十人程だ。たったこれだけの人数が、この地に根付いた百年の戦へ終止符を打ち、遥かな太古の昔から続く世界樹と闇の闘争から、その久遠の軛からアーモロードを救ったのだ。
 コッペペの歌声が聞こえる。演目は新たなリボンの魔女の伝説だ。
 タリズマンの歌声が響く。讃えるはアーモロードの冒険者達の英雄譚だ。
 メビウスは黙ってデフィールの酌を受けて、同時に彼女へ返杯の酒を差し出す。
「……もう行くのかい?」
 デフィールは既に旅支度を整えてマントを羽織っている。
「ええ。こう見えても私、色々と忙しくてよ? ……本国からちょっと、ね」
 エトリアの聖騎士、デフィール・オンディーヌ。彼女を讃える千の詩篇と万の伝承が、稀代の英雄の全てだった。遥か遠くに今も根付く、始まりの迷宮……エトリアの世界樹を征した女傑。パラディンの誉と勲に満ちた勇者。メビウスにとっては姑のような口うるさくやかましくも、優しくて頼れる仲間。彼女はしかし、一介の冒険者であると同時に、大陸の列強であるネの国の騎士なのだ。辺境貴族としてオンディーヌ伯の地位を息子に譲った後も、王室からの信任は厚い。
「大陸の奥、未開の空白地帯に不穏な動きがあるらしいの」
「なるほど、それでネ王はきみを? 随分とまた急な話じゃないか」
「私は騎士、主君に仕えてこそよ。ま、なずなにはちょっと悪いかなと思ったんだけども」
 ちらりと二人は宴会で盛り上がる仲間達へと視線を巡らせる。やいのやいのと囃し立てる友の中央には、愛するものを新造した義手でミシミシと抱きしめてるなずなの真っ赤な顔があった。新しく深都で眼鏡を買ったらしく、エルトリウスはしかしなんだか顔色が悪い。無理もない、万力のような怪力でその身を締めあげられているのだ。
 だが、コッペペ達がキスしろと煽るままに、二人は別れのくちづけを交わしていた。
「目の方はね、まだちょっと……でも、腕の立つレンジャーが必要なの。なにせ未開の地だから」
「まだ世界は、ぼく等の知らない場所の方が多い。世界樹だって、本当は何本あるかわからないしね」
 この星に根ざした世界樹は七本という話もあるが、真偽の程は定かではない。そもそも、世界中の探検家と冒険家が長い歳月をかけて津生み出した世界地図でさえ、その大半がまだ空白地帯なのだ。人は船を漕ぎ出して外の大陸を回り、その輪郭を拾って世界地図を描くまでに至っている。だが、そこに記された新天地の奥へは、まだ誰も足を踏み入れていない場所が多いのだ。
「じゃあメビウス、いつかの再会を約束して。ほら、そんな顔しないで? 美人が台無しでしてよ?」
「ああ。友の門出に祝福を。そうか、もうこの馬鹿騒ぎも最後なんだね」
 掲げたグラスとグラスとが、チンと小さく硝子を奏でる。乾杯を交わしたメビウスの胸中には、既に冒険の終焉が去来していた。僅かな期間だったが、多くの出来事をその身に刻んで心に沈めた、それは今はもう思い出へと結晶しつつある。
 だが、同時にメビウスは感じていた……終わりは始まり、新たな冒険の門出だと。

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