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 その建物はかつて、元老院の中枢として多くの冒険者達が出入りを繰り返していた。今も人の往来は絶えないが、自然と街の商人や港の管理者達で賑わっている。そう、ここにはもう王家の末裔を守る元老院の老人達はいない。新しく民政アーモロード共和国の中心として、海都と深都より選りすぐられた有能な者達が働いている。誰もが皆、かつての体制では陽の目を見なかった己の力量を存分に振るっていた。
 活気に満ちた喧騒の中で、ミラージュはクジュラへいとまごいに来ていた。
 今日、ミラージュ達は旅立つ……クフィールが見つけた約束の地に。彼の弟はこのアーモロードの冒険で稼いだ金銭の全てを、なんの躊躇もなく辺境の片田舎へとなげうってしまった。誰も知らぬ場所だからこそいいと、未開の地に新たな生活圏を開くべく全てを投資してしまった。
 だが、ミラージュは弟が愚かだとは思わない。むしろ、その潔いとさえ思える英断に痺れた。
 遠く大陸の奥地、人の手が及ばぬ森が鬱蒼と茂る僻地……そこに村を開けば、安らかに毎日を暮らせるだろう。
「しかし驚いたな、ミラージュ。貴公程の腕の男が、こんな歳で隠遁生活とは」
 クジュラはしかし、口の割りには驚いた様子も見せず納得顔だ。彼は新たに生まれ変わったこの国でも、自治と平和を守る将として忙しく働いていたた。そんな彼にミラージュは挨拶と共に、詫びねばならぬ想いを解き放つ。
「クジュラ殿、申し訳ない。貴殿より拝借した太刀……妖刀ニヒルを」
「ああ、構わぬ。あれはこの土地に百年淀んだ血を吸い過ぎた。よい成仏になろう」
 しかし驚いたと笑ってクジュラは頬を緩める。あの怜悧な表情に凍っていた青年が今、ほがらかに笑っているのだ。
 そしてミラージュは、自分にもその穏やかな笑みが浮かんでいることを悟る。
「あの妖刀の力を全開まで引き出すとは……ミラージュ殿、流石は俺が見込んだだけの使い手」
「いえ、私ではありませんよ。私は鞘から解き放つのが精一杯でした。ですが彼女は」
 ミラージュはクジュラの視線を追って中庭を振り返る。
 そこには二人の女性が手に手をとって、別れを惜しむ余りに抱き合っていた。
「彼女は、なずな殿は妖刀ニヒルの限界を超えた力を振るった。恐るべき手練です」
「この土地に眠る英霊達の無念を力に変えたか……俺も見てみたいものだな、ブシドーの奥義を」
 互いにひしりと抱き合っているのは、なずなとヨタカだ。二人はしかし、感極まるも瞼を潤ませる涙を零すまいと笑顔を作る。そんな二人の声が耳に響いて、ミラージュはクジュラと共に黙ってその姿を見守った。
「なずなさん、良かったのですか? エルトリウス様は行ってしまわれました」
「ああ、デフィール殿の補佐が務まるのはエルだけだ。未開の土地ではエルの直感が役に立つ」
「なずなさんもご一緒すればよかったと思うのです。それをあの方は――」
「私はまだこの腕の調整が手間取ってて。あの時は急造の試作品だったけど、これからは長い付き合いだ」
 なずなは右手の義手をキュインと動かし、まだまだ深都での調整が必要だと語る。そういえば先日、メビウスが覚醒めた折の宴会で彼女は、敬愛してやまぬ公私の相方を圧殺しかけていた。調整が必要なのは明らかだったが、そのなずなの右腕は今は、人の姿に違和感のないサイズで自然な曲線を描いている。決戦のあの日にぶら下げていた、鬼の手かと見紛う異形の豪腕ではない。
 だが、その手が手を結ぶ相手はもう、エトリアの聖騎士と共に新たな冒険へと旅立っていた。
 そのことを我が身のようにヨタカは心配して切なく案じているのだとミラージュには知れる。


「なずなさんっ、エルトリウス様のことをしっかりつかまえててくださいね」
「うん、大丈夫だ。私には――」
「大丈夫でもですっ! あの方は、その、多分ですけど、かなりの、その、あれです」
「……うん。私も時々、そう思う」
 勿論、ミラージュも感づいている。でも、自分と少し似ているのであえて口には出さなかったが。好いてくれる女性に報いる術が不器用な、そういう人間同士だからミラージュもエルトリウスとは気があった。酒を交わしてチェスをたしなみ、共に迷宮を闊歩する日々は楽しかった。そしてそれは今、大事なアーモロードでの思い出として胸に今も暖かい。
 そう、全ては今、思い出へと結晶化して化石となり、胸の奥で眠りにつこうとしている。
「でもヨタカさん、ヨタカさんもしっかりとミラージュ殿のことをつかまえてなければ駄目だ」
「わたしは、その、ずっと添い遂げるつもりです。あの方の影となって支えます。いつもいつでも、いつまでも」
「遠く異国へ行くと聞いた。でも、忘れないで欲しい。私はいつでも、ヨタカさんの友として駆けつける」
「ふふ、わかってます。わたしがそうだから……なずなさんが困ってる時、わたしが必ずお助けします」
 このアーモロードに来て、ミラージュが得たものの中で最も尊いもの。それは救国の英雄という名声でも名誉でもなく、旧元老院の老人達から支払われた莫大な恩賞金でもない。世界樹の迷宮で得られた武具でもなく、さらなる研鑽で鍛えあげられた己の身さえも余録に過ぎない。クジュラとの友情ですら、本人には悪いが喜ばしくも最上足り得ぬのは贅沢なことだ。
 ミラージュがこの地で得たのは、未来の伴侶の眩い笑顔だ。
 このアーモロードに来てから、ヨタカは本当の笑顔をミラージュに見せるようになっていた。
「私も誓うぞ、ヨタカさん。ヨタカさんが助けを必要とする時、私が全てを賭して力になる」
「わたしもです。だから、その証にこれを……お祖父様から頂いた守り刀ですが」
 ヨタカが一振りの短刀を取り出した。それを受けてなずなもまた、懐から同じように短刀を取り出す。東洋の武家に生まれた女は皆、守り刀として短刀を肌身離さず持ち歩く風習がある。それは嫁ぐ日まで純血を守り操を立てる証であり、有事の際には虜囚を恥として自害するためのものだ。だが、ミラージュは知っている。ヨタカはもう、己を律する術を知っているし心得ている。だから、守り刀を友情の証として交換できるのだ。彼女はもう、自分のために生きてくれるのだとミラージュは思う。だから、その逆もしかりで、自らにその生き方を強く誓った。
 その内心の決心を見透かすように、不意に背後で声があがる。
「カカカッ、我が孫娘ながらよき友を得たものよなあ。それはミラージュ、お主も同じであろう」
「我が師シンデン……お体の方は」
「なに、掠り傷よ。死に損ねたはしかし、若き者達を見守り生きるさだめと知ったわ」
 シンデンは包帯姿も痛々しかったが、レヴ達ファーマーの一団と共に現れた。師もまた、ミラージュやヨタカと共に旅立つのだ。クフィールがその手で勝ち取りもぎ取った、まだ見ぬ新天地へ。雑事に忙殺されるクフィールに先んじて、まだまだ未開の秘境、人智の及ばぬ辺境へと赴く。暗い森を切り開き、人の生存圏を開いて村を作る。クフィールの器を考えればミラージュにも容易に想像できる話だ。村はやがて発展して街となり、周囲に生活の場を広げて国へと育つだろう。
 だが、あの弟はその中心にして頂点に君臨することを望まぬのだ。
 そこが一族の安住の地であること意外を望まぬ、そういう優しい男なのだ。
「ミラージュさん、これを……丸腰で旅立たせるのはとメビウスさんから言われてるんです」
 なずなとヨタカの姿に見とれていたミラージュは、レヴの言葉に振り返った。
 レヴ達ファーマーの一団も、故郷へ帰るべく旅装に身を固めている。聞けばレヴ達は、あのフローディアから直々にこのアーモロードの政治の中心へと招かれたらしい。ミラージュも知っている、この農民あがりの少年少女は皆、実務的な事務処理能力に長けているのだ。ソラノカケラの誰もが不自由なく迷宮の探索に専心できたのは、彼等彼女等の尽力があったからにほかならない。アイテムの在庫管理から装備品の補充、各種法令の手続きに酒場を通じたクエストの受注管理……全て、縁の下の力持ちとしてレヴとその仲間が働いてくれたおかげだ。
「レグ、ルスラーンも、シェルパもチェブラシカも。ありがとう、本当に助かった」
「やだなあ、ミラージュさん! そんな改まった挨拶はなしだよ」
「そうですよ、わたし達はできることをしただけですから」
 にこやかに笑う農夫達の中心で、レヴは穏やかな笑みで別れを告げてくる。
「僕達は村に帰ります。この国で役人というのも考えましたが、僕等は百姓……土をいじり作物を育ててこそです」
「ああ、お前達が選ぶ道を誰もが祝福するはずだ。故郷でもしっかりな」
「はい。それで、ミラージュ様……これを」
 レヴは手にした一振りの太刀を、ミラージュへと突き出す。
 それは、荘厳な鞘に収まり宝石で飾られた、とても華美だが実戦的な作りの打刀だ。
「これは……」
「なずなさんの腕を切り落とした真祖の組織より、一振りの斬神刀が打たれたのは御存知ですね」
「羽々斬か、だがこれは」
「禍神の組織より精錬され、先日深都より届きました。真に斬神刀たる、全てを断つ剣です」
 ――その名は天羽々斬。
 手にしたミラージュは抜き放たずとも、その手の内の力に総身を震わせた。傍らのシンデンはその様子を悟って、満足気に頷く。ミラージュは既に、数多の死闘を乗り越えて将の境地へと己を高めていた。もはやクジュラを超え、師であるシンデンをも超えた。ただ剣を振るって全てを切り裂く、ブシドーを極めたなずなとも違う場所に登り詰めた。守るべき者を得てこそ将……だから今、ミラージュにはわかる。手の内で静かに鞘に収まる剣の圧倒的な存在感が。
「先の決戦で使われた通り、斬神刀である羽々斬は神のみを斬り、その威力は一度の限界」
「されど、この太刀は違う。万物万象を切り裂き、神をも断ち魔を滅する……その鋭さは永遠」
 レヴの言葉をシンデンが拾った。
 言われるまでもなくミラージュは、己が握る恐るべき神器に言葉を失った。
「……フッ、お前にこそふさわしい剣だ。ミラージュ、その剣を持って挑め。新たな日々に」
 クジュラの言葉が、ミラージュの畏怖と畏敬にこわばり戦慄した緊張を溶きほぐした。海都随一の将が言ってくれたのだ……この世にただ一振り、最強の刃に釣り合うだけの男だと自分を。身震いにミラージュも決意を固める。
「この剣、未来を切り開くためだけに振るおう……抜かれることのない明日を祈りながら」
 そうして頷くミラージュを、師の笑顔が讃えていた。そして、別れの時が訪れた。
 ミラージュは世話になったクジュラやレヴ達ファーマーと別れを惜しみつつも旅立ちの一歩を記す。見送るなずなに何度も振り返るヨタカの姿は、そんなミラージュからつかずはなれず傍らにある。
 このアーモロードに歴史を刻んだ栄えある勇者は今、その名を残すことなく旅立った。
 この地で最後に生まれた、絶対無敵の聖剣を手に。その抜き放たれることを知らぬ刃が求める未来へ向けて。

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