世界樹の迷宮、第二階層の冒険解禁を前日に控えた昼下がり。ある者は血気に逸り、またある者は静かに武器を研ぐ。誰もが明日を待ちわびる中、メビウスはギルドマスターとして忙しく過ごしていた。  うららかな午後の日差しが、アーマンの宿屋の大食堂へと優しく差し込む。 「それじゃ、契約は完了。今からぼく達はお仲間同士だ。よろしく頼むよ」  ソラノカケラに新たに加入したビーストキングへ、メビウスは書類片手に手を差し出した。異国を思わせる民族衣装と仮面の男は、黙ってその手を握ってくれる。  先日船でやってきたグリペンという男は酷く寡黙で、メビウスはまだその声を聞いたことがない。  だが、不自由はない。メビウスはギルドのより良い運営の為、グリペンは彼なりの目的の為。利害の一致があれば身を寄せ合うのが冒険者の常だ。何より言葉がなくとも、しっかりと握手を交わす手から伝わる力が、メビウスにグリペンの人柄を如実に語っていた。口だけの冒険者に辟易してたところでもある。 「何か必要があったら遠慮なく言って欲しい。あと、細かい会計とかはスカイアイがやってるから」  メビウスは隣に腕組み座る友を親指でさして、グリペンの大きな深い頷きを拾う。  不思議と愛想の悪さは感じない。 「後で他のメンバーにも紹介するよ。さてグリペン。俺とメビウスが最初に君に頼むことは――」  メビウスの横から身を乗り出したスカイアイが、既に脳裏にソロバンを弾いている。 「きみの相棒は、あと何匹くらいいるのかな? いや、財務を預かる身としては餌代とかがね」  スカイアイが顎をしゃくるその先に、少女と戯れる巨大な剣虎が伏していた。鮮やかなモノクロームに彩られた獣は、じゃれつくお姫様にされるがままにおとなしく鼻を鳴らしている。  グリペンは黙って指を三本立てて見せた。その後でさらに、もう片方の手で二本足す。 「凄いですわ、大きな猫さん。それに、こぉーんなに立派な牙。おばねーさま、見てください」  メビウス達が着実にギルドを拡充させてるその後では、トライマーチのリシュリーが剣虎の首に抱きついている。満面の笑みが陽光に眩しい。その保護者は今、静かにテーブルで武具の手入れの真っ最中。 「はは、リシュリーは怖くないのかい?」 「ぜんっぜん平気ですわ、メビウス様。寧ろ愛らしいです。なんて素敵なんでしょう」  獰猛な肉食獣もリシュリーを前に静かだ。その良く躾けられ人に懐く様は、グリペンのビーストキングとしての腕前を表すものだ。ほほえましい光景に二重の満足を抱くメビウス。 「リシュリー、よそ様のしもべ……いや、大事な仲間だ。あまり玩具にしてはいけない」 「まあ、おばねーさまも触ってみれば解りますのに。フワフワのモコモコです!」  エミットは丹念に鎧を磨きながらも、静かに小さく笑った。その笑みを向けられ、メビウスも肩を竦めて同意を返す。激戦の冒険を前に、静かで平和な時間。  それも、この瞬間までのことだった。 「まっ、まま、待て! 話せば解る、オイラだって忙しかったんだ! いやもうホント、待っ――」  突如としてその場に響く聞きなれた声が、悲鳴に変わって絶叫へと高まった。  同時に転がるように、一同の前にコッペペが吹き飛ばされてくる。彼は「イチチ」と頭をさすりながら身を起こすや……弾けたようにジャンピング土下座。床に額をつけて平伏した。 「すまん! すまねぇ! すまなかった! ……へへ、その、迷宮で可愛いコを見つけちまって」 「そう。そのオランピアとかって小娘に夢中でこの有様? 私達の名門、トライマーチが」  優雅さと気品に満ち溢れた、しかしドスのきいた声がコッペペの謝意を遮った。  そしてメビウスは懐かしい顔ぶれに再会する。  妙齢の、と言うにはやや年嵩のいった、しかし艶めくように旬な美女が腰に手をあて仁王立ち。メビウスはこの、端正な顔に釣り目がちな瞳を並べた貴婦人を知っていた。自然と蘇る過去の冒険、ハイ・ラガートでの日々。  旅装も解かぬマント姿の女は、背後の連れを僅かに振り返りながら詰問する。その言葉は重い。 「コッペペ、迷宮での魔物や素材の報告は? ちゃんとしてるんでしょうね」 「い、いやあ……今度まとめてやろうと思ってた。いやほんと! やろうと思ってたんだって!」 「ふぅん、じゃあこの帳簿は何? どうしてこんなに出費がかさんでるのかしら?」 「ま、まあ御婦人はお金のかかるもので……ローザにヨヨ、リノア、アリシアときて、まあ沢山」 「ギルドのお金を何だと思ってるの? ああやだ、手紙を貰った時はもしやと思ったけど」  秀でた額へ神経質そうに指を当てながら、ツインテールの女はコッペペに歩み寄る。  不意にその舌鋒鋭い追及の口撃がやんで、メビウスは彼女と目があった。 「あらメビウス、元気? ……ちょっと貴女、ダメじゃない。年頃の娘が化粧っ気ない」  再会は数年ぶりだが、まるで最近ずっと一緒だったような口ぶりだ。メビウスにとっては相変わらずの仕切り癖、世話焼き、小姑っぷり……いささかも年月を感じさせぬ相手に、ただ乾いた笑みが引きつった。 「や、やあデフィール。懐かしいなあ、ハイ・ラガート以来だね。旦那や息子さんは元気?」 「まあ、ぼちぼちよ。それにしても、貴女変わらないわね。スカイアイも。何? 不甲斐なくてよ」  今度は、笑いを噛み殺していたスカイアイが息を飲む番だった。メビウスはこめかみをただ押さえる。  デフィールというのがこの女傑の名だ。彼女がどういう存在かというと、 「兎に角っ! 私が来たからにはだらしない運営はダメよ。いいこと、コッペペ。さて……なずなはエルと一緒に経理を見て頂戴。リュクスはつくねちゃんと資料を纏めて元老院に報告。私はヨルンと冒険者ギルドに出向いて……あら、新顔? 苦労をかけたわね、もう大丈夫よ。私に任せて」  てきぱきと古参の仲間達に指示を飛ばしつつ、呆気に取られるエミットやリシュリーに笑顔を向ける。デフィールこそがトライマーチの影のギルドマスター。実質、昔からこの名門ギルドを仕切っているのは彼女なのだった。その歴史は初めて冒険者として剣を取ってから、伴侶を得て子をなし、その子が一人前になった今も終ろうとはしない。コッペペのだらしなさが終らせてくれないのだった。 「さて、それじゃ早速。メビウス、つもる話は後で。いいこと? 少しは女の子らしくなさい?」 「はーい。……まったく、調子狂うなあ。あ、彼女ね、トライマーチの初代メンバーなのさ」  颯爽ときびすを返すデフィールを尻目に、やれやれとメビウスはエミットやリシュリーに語りかける。  そうして鬱陶しくも尊敬する背中を見送ると、いよいよ賑やかになってきた海都での冒険に胸が踊った。 「おじさま、大丈夫ですか? あの方、グーで叩きましたわ……なんて猛烈なんでしょ」 「リシュリー、そっとしておいてやれ。このギルド、何かおかしいと思ったら……これか」  どうやら心当たりがあるらしく、エミットは溜息でやれやれと首を振った。ぐうの音も出ないほどへこまされたコッペペを、あらあらと呑気にリシュリーが抱き起こす。  メビウスはスカイアイやグリペンと顔を見合わせ、同時に立ち上がった。  その時ふと、自分でも意外な言葉が走った。 「エミット、リシュリーも。エトリアの聖騎士って知ってるかい?」  突然の言葉に二人は顔を見合わせ、その片方が嬉々としてハイハイと手を元気にあげる。 「知ってますわ、わたくし物語で読みましたもの。西方の世界樹を制した、伝説の騎士様ですわね」  リシュリー曰く、辺境の町エトリアに颯爽と現れた眉目秀麗なるイケメン騎士で、華麗にして流麗なる剣技で迷宮を踏破し、その後また颯爽と姿を消したという。メビウスも旅の先々で吟遊詩人達から聞かされた、最もスタンダードな逸話だ。 「エトリアの聖騎士様は、悪いドラゴンをやっつけた証に宝剣を手に入れたのですわ、それで」 「うん、まあそういう話も聞いたかな……本人から。ほら、意外とみえっぱりだし、あの人」 「まあメビウス様! お会いしたことがあるのですか? 流石はリボンの魔女ですわ。尊敬します!」  両手を合わせて指に指を絡め、リシュリーがまた目に星空を散りばめ始めた。  その背後からしかし、エミットが訂正を挟む。これもまた一例という話を。 「リシュリー、それは詩人達が詠う叙事詩の物語だ。真実は違う……そうだな、メビウス?」  おっ、とメビウスが思ったのも束の間。エミットが訳知り顔で語りだした内容に、今度はスカイアイと笑撃に腹を痛めるハメになる。グリペンだけが相棒の剣虎を隣に招いて首をかしげた。 「エトリアの聖騎士は屈強な大男で、熊も片手で捻るような豪傑だったらしい。正に英雄譚だな」  エミット曰く、辺境の町エトリアに威風堂々と現れた厳つい筋骨隆々たる武人で、豪快にして豪放なる剣技で迷宮を制覇し、その後また堂々と去っていったという。エミット本人が固く信じてる様子で真面目に語らうので、ついにメビウスは笑い出すスカイアイを小突くハメになった。 「? 違うのか? 貴公、会ったのであろう。メビウス、どうなのだ?」 「そうですわ、メビウス様。エトリアの聖騎士様はどんなお方なのでしょう」  完全に全面降伏で三つ指ついてたコッペペが、のっそり起き上がるや呟いた。 「昔はよ、生真面目でお堅いけど、可愛いオデコチャンだったんだよなあ。それが今じゃあれよ」  リュートが手にないので、コッペペは自分が詠う最古の冒険絵巻を胸にしまった。  だがメビウスは忘れない……かつてハイ・ラガートの地で共に戦い助け合った、エトリアの聖騎士を。おせっかいで口うるさいデフィールのことを。  そんな日々がまた始まるかと思うと、溜息を零すコッペペにメビウスは朗らかに笑いかけた。