死地を脱したメビウス達の足取りは重い。山場を越して容態が安定したとはいえ、グリペンの剣虎が乗せるアガタは、付き添い歩くカナエを先程から泣かせてばかりいる。  自然と気付けば、先頭をメビウスは大股で風切り歩いていた。 「メビウス様、わたくし許せませんわ! まかり間違えばわたくし達はおろかメビウス様達まで」  湯気を噴出さんばかりにプンスカと隣を歩くのはリシュリーだ。その怒りは相当な様子で、大きくブンブンと拳を振りながら、一生懸命メビウスに並ぼうと歩を進めている。顔はほのかに上気して、頬を膨らませていた。 「今度会ったら、絶対にわたくしが皆様にごめんなさいさせて差し上げますわ! プンプン!」 「解りやすいなあ、リシュリーは。……まだいると思うよ、さっきの場所に」  そう、だからこそ急いでいるのだとメビウスは心に結ぶ。彼女には妙な確信があった。  きっとまだ、先程出会った場所にオランピアはいる。必ずいる、筈。真偽の程は兎も角、あのコッペペが引っ付いているのだから。件のだらしないギルドマスターは、意中の人と見れば口説き落とすまでは食いついて離れない男だった。  はたしてメビウスの予想通り、半日程前と変わらぬ場所にオランピアはいた。  飽きもせず口説き文句の展覧会を開催中のコッペペも一緒で、その距離は先程より密着に近い。大の大人が目尻を下げて、いやに愛想よく少女と肩を並べていた。 「お? 戻ってきたな。どうだったい? その、深都とやらへの階段は見つかったかい?」  メビウス達に気付くなり、コッペペは上機嫌で両手を広げた。ヘラヘラとしたその笑顔を前に、メビウスは辛うじて平静を保つことができた。  同時に、コッペペの隣でにこやかに佇むオランピアを眇める。  一同に気付いたオランピアは、表面上は動揺を見せなかった。だがメビウスは目が合った瞬間、すぐに察した。まるで硝子細工のような大きな瞳には、明らかな驚嘆の色が映り込んでいた。 「……皆さん、無事だったんですね」 「おかげさまでね。でも何だろう? 不思議。ぼく達が無事じゃないのが普通のような口ぶりだ」  努めて冷静を自分に言い聞かせつつ、背後からあれこれあがる声を手で制するメビウス。  彼女の詰問の声を前に、オランピアは相変わらずの張り付いたような笑顔。だが、目だけが笑っていない。それはメビウスから見れば、陰謀を裏付けるのに十分な証拠だった。 「おじ様! その方から離れてくださいまし! わたくし、堪忍袋の緒が切れましたわ!」  メビウスに代わって気勢をあげるのは、やはり口を尖らせるリシュリーだ。彼女は激怒の中にも生まれ持った品のよさを漂わせつつ、堂々たる態度でピシリとオランピアを指差した。 「そこのあなた! 人を騙すのはいけないことですわ。わたくし、ははねーさまに教わりましたもの」 「……あたしが、騙した?」 「そうですわ。あなたの言う道の先には、危険が危ない古代魚の巣がありましたの!」 「そう……そうですね。今までは皆、逃げ帰ってくれた。蛮勇を尊ぶ愚者のみが――」 「おだまりなさいです!」  普段の不自然に明るい声が一変して、抑揚に欠く冷たい声で呟き始めたオランピア。  その声を聞くや、リシュリーは顔を真っ赤にして一喝した。その剣幕たるや、隣で見るメビウスが逆に平常心でいられるくらい。それくらい見ていて気持ちのいい声をリシュリーは張り上げていた。 「人を賢者と愚者に分ける者こそ……ええと、その、ようするにバカという方がバカなのですっ!」  怒りのあまり拙くなる口をもごつかせつつ、リシュリーは腰の剣をもどかしげに抜いた。その切っ先をオランピアに向ける。 「過ちを認めてお詫びなさい! でなければ、わたくしはあなたに決闘を申し込モゴ、モゴゴ!」  そろそろとメビウスが思った時にはもう、リシュリーはエミットに口を押さえられ、抱きかかえられて引っ込められていた。彼女がしなければやはり、メビウスもそうしただろう。  だが、明朗に全員の気持ちを代弁した少女をメビウスは心の中で賞賛した。 「……話がちょいと見えないんだがよ、メビウス。エミットさんもよ。何があった?」  ボリボリと髪をかくコッペペの声が真剣みを帯びた。しかし相変わらず、雰囲気の一変したオランピアにしっかりと寄り添っている。 「コッペペの旦那ぁ、俺等そこのオランピアって娘にはめられたんだ」 「ぼく達は危うく命を落とすところだった」 「アガタも一命は取り留めたが……貴公、知ってて足止めをしていたのではないのか?」  ソラノカケラの面々が、めいめいに事情を説明する。最後にジタバタするリシュリーを小脇に抱えて、エミットが訝しげに眉をひそめた。  その話を聞くコッペペは、半分納得したような、半分驚いたような顔で呑気に相槌をうっていた。 「まてまて、じゃあ話を整理すると……オランピアちゃんの言ってたことは嘘だった、と」 「嘘なだけならまだいいけどね。コッペペ、ぼく達は嘘を吐かれたんじゃない」  罠にはめられたんだ、とメビウスは真っ直ぐオランピアを見詰めて断言した。  もはや疑う余地はどこにもない。 「あー、なぁんかあるなとは思ったけどよ。なぁオランピアちゃん」  全てを理解したのか、つるりと顔を掌でなでるやコッペペが真顔になった。 「何か訳アリと見たがどうだい? オジサンにちょっぴり話してみないかい? な?」  相変わらずの笑顔でコッペペはオランピアの俯く顔を覗きこむ。  だが、次の瞬間状況は一変した。 「動くな、冒険者達よ!」  突然オランピアは、青いローブの下から手を伸べるやコッペペを吊るし上げた。まがいなりにも熟練冒険者の首筋を、いとも簡単に片手でくびるその胆力。余りにも咄嗟の出来事に、メビウスは身動き一つできずに固まった。他の一同もそろって息を飲む。 「まさか、最奥より生還する冒険者が出てこようとは。なんたる誤算……やはり侮れぬか」  声音はおろか、口調までが激変していた。オランピアは今、細腕一本で軽々とコッペペを宙へ晒し首にし、その上で平然とメビウスへ暗い視線を投じてくる。  メビウスはその時、すぐ背後でスカイアイが囁く違和感に気付いていた。  オランピアの異様に細い腕は、鎧か何かを着込んでいるのか鈍い光沢を放っている。しかし、たとえ着込みをつけていようにも、その腕はあまりに細過ぎた。それが今、大の男を持ち上げている。 「一つだけ……ぼくが言いたいのは一つだけだ、オランピア」 「私に応える言葉はない、冒険者よ」 「黙れっ! 君はこうして、何人の冒険者を犠牲にしてきた!? なぜこんなことをする」 「それが私に与えられた使命だからだ」  苦しげに呻くコッペペを高々と掲げながらも、オランピアの声は平坦に響く。  対するメビウスは熱くなるのを抑えられずに、握る拳のうちに爪が食い込んだ。 「使命、だって? 誰に命じられてのことだい」 「応える言葉はないと言っている。そして警告する……これ以上、進むことは許さない」  とりつくしまもない言葉に、吐き捨てるような断言。  同時に、オランピアがさして力を入れた様子もないのにコッペペが悲鳴をあげた。 「冒険者よ、もしこれ以上世界樹を進むなら。進むなら、その時は――」  ちらりと苦しげなコッペペを見上げた、オランピアの瞳が一瞬曇った。その些細な変化をメビウスは見逃さなかった。いまや敵意の塊となった少女は、確かにその時躊躇を見せた。  手が緩められたのか、コッペペが大きく息を吸い込んだ。  その瞬間、オランピアはその場にドサリとコッペペを落とす。そうして間髪いれずに背後の壁へと手を突き出した。やはり何かしらの力を込めた形跡はない。ないのに、古い貝殻等が堆積して出来た壁は簡単に崩れ去った。木っ端微塵に砕けて、天井の海が埃を吸い上げる。 「その時は、お前達もこうなる。覚悟しておくことだ。元老院にも伝えろ……これ以上、進むな」  それはどこか、懇願にも似た恫喝だった。  オランピアはそれだけ言うと、身を翻して自ら穿った穴の奥へと消えた。 「くっ、待てオランピア! ……せめて、何か事情があるなら話せっ!」 「駄目だぁ、メビウス。追うんじゃ、ねぇ……悪ぃ、いかせてやってくれ。な? 頼むぜ」  後を追おうとしたメビウスは不意に、足元をつかまれた。コッペペは呼吸を貪るように荒い息を全身で刻みながらも、何故かオランピアの擁護にまわる。それがメビウスには解らない。  もっと最も他のメンバーには全て、いつものコッペペの病気だと……御婦人と見ればすぐこれだという解釈がなされた。ただメビウスはほぞを噛みながら、人ならざる力で叩き割られた壁を、その奥に続く通路を凝視するしかなかった。