「エミットさん、たぶん十五匹目! その後ろ、まだ来るっ――」  半ば悲鳴に近いその声が、パーティの生命線と共に事切れる。  またか、とも思ったが、エミットは自分達のパーティのヒーラー、モンクのまなびが悪いとは感じなかった。彼女はファーマーのアニッシュと一緒に、一生懸命やってくれている。むしろ、手堅いトライマーチの世界樹調査の、影の功労者と言ってもいいだろう。だからエミットは平然と、しかし内心労いつつも戦闘不能になった矮躯を肩に担ぐ。  同時に、狭い回廊内にできた隙間を埋めるように迫る古代魚へ槍を投擲した。 「休め、まなび。……すまんな、つい比べてしまう。ふっ、長く戦場にいた習い、か」  鋭い一撃を受けて尚、獰猛な牙が宙を泳ぎ来る。その迫る顎門を盾でいなしつつ、エミットは今日何匹目かの古代魚にトドメを放つ。その横っ腹に生えた己の槍を、渾身の力でねじ込む。  短い断末魔が響いて、自在に空中を泳いでいた獰魚が、また一匹大地に沈んだ。  これで何匹目かは解らない……数えるのをやめたのがいつだったかも覚えていない。  世界樹の迷宮、その第二層も最奥に来ると、襲い来るモンスターの勢いは苛烈を極めた。 「エミット! その娘をこっちに、蘇生するっ」  しばし呆けていたエミットは、もはや聞き馴染んだ声に振り向いた。同時に担いだ仲間を静かにゆっくり、優しく下ろしてやる。  腕まくりしてその傷ついた痩身へ手当を開始したのは、ソラノカケラのギルドマスターだった。  そう、エミットはつい比べてしまう……新米モンクとは思えぬ腕前のメビウスと。 「こっちも食い止めるので精一杯、正直来た道、後はちょっとヤバイかな。支えきれない」 「そうか。前も厳しいな……退くも進むもままならない、か」  今、二つのパーティが入り乱れての混戦で、世界樹の懐深く立ち往生していた。深海の奥底にて、進むもまた流血、退くもまた流血。迷宮のモンスターは無尽蔵に、後から後から尽きることがない。  ふと、目の前で懸命に処置を施すメビウスの横顔をぼんやり眺めて、エミットは疲労感を感じた。  思えば国を出て、随分と遠くに来た。噂に名高い世界樹の、今のところ前人未到のこの場所が、自分の最期か? 最期にすることもできるが、そうもいかない理由を探して首を巡らせる。  ソラノカケラの精鋭達が、臆することなく今来た道からのモンスターと相対しつつ、さりげなくリシュリーを守ってくれている。それだけでもう手一杯の様子で、もはや退路はない。とすれば、 「よしっ、蘇生完了っ! 日頃鍛えてるからかな、運の強い娘だ。うん、関心、関心っ」 「すまんな、メビウス。手間をかける。……思えばナルメルの時もそうだったな」 「困った時はお互い様。それに彼女、いつも頑張ってるしね。……よく戦闘不能になってるけど」 「これが不思議とな。……さて、前も後も駄目となれば……進むか、前に」  短く呻いて、まなびの命が灯火を再びしっかりと燃やし始める。そのぬくもりを再び担ぎ上げると、エミットは盾を捨てた代わりに死体から槍を引っこ抜いた。  数多の戦場を重装歩兵として渡り歩いてきたエミットには、本能的に察することができる……今、この瞬間こそが最大の危機。絶体絶命、逃げ場なし。そういう状況にあって尚、瞳に強い希望を灯すメビウスを横目に見ながらも、不思議とエミットは自分が生を渇望しても、死を拒絶してもいない事実に気付く。 「正面っ、ぼくが先制するっ! ――今度はっ、亀っ!」 「……ふっ、今日だけで新種をゴマンと見たぞ。もはや驚くに値せんな」  着慣れた鎧が今は嫌に重い。鍛えに鍛えた、己の身そのものが鉛のよう。使い込んだ槍でさえ、今や引きずる有様だ。それを片手で無理に持ち上げ、エミットは駆け出すメビウスの背に続いた。  通路の幅いっぱいに、刺々しい甲殻で立ち塞がる巨大な猛獣が踊り出る。その巨躯からは想像もできぬ俊敏さに、メビウスは身を盾にして正面から激突した。大きく開いた諸手を突き出せば、メビウスの膨れ上がった氣が光芒となって迸る。一拍の呼吸をおいて、トンと叩かれた甲羅に亀裂が走った。  その機を見逃さず、憔悴した身に鞭打ってエミットは体ごとぶち当たるように槍を突き出す。勢いでおいてかれそうになり、ずり落ちる仲間の体を担ぎ直す。怖気の走るような絶叫が響いて、そびえる爬虫綱亀目と思しきモンスターは音を立てて崩れ去った。 「――っふう! 今のはやばかった。あんなのがうろうろしてるようじゃ」 「ああ。……しかしもう、私達には進むしかないだろう」  先程の大物で一段落したのか、脱力して座り込むエミットとメビウス、二人の間隙に割り込んでくるモンスターはいなかった。後ろから聞こえる剣戟の音も、次第にまばらに、静かになってゆく。  エミットは何より重く感じる仲間をそっと横たえると、そのままメビウスの背に寄りかかった。同時に向こうから感じるいやに軽い体重を支える。そうして互いに背を合わせながら、ひとごこちついて天を仰いだ。  深海の蒼を湛えたソラは高く、そのカケラがきらきらと雪のように舞い落ちる。 「……ラプターとかいったな、あの娘。約束してたのだが、これは無理だな」 「はは、確かに。なんか彼女、張り切ってたけど? エミットも意外に人がいいよね」 「私がか?」 「そう。鉄面皮を気取ってても、親切で面倒見がいい、世話焼きのおねーさんってとこかな」  意外なメビウスの評価に、一瞬エミットは面食らった。故郷を捨て、生まれを忘れてから今まで、力だけが全ての渡世を生きてきた、そんな自分がそう評されたのだ。思わず込み上げる笑みを噛み殺しつつ、へらりと笑う気配を肩越しに振り返る。 「あの娘、腕は確かだ。……少々危なっかしいがな。いい拾い物をしたな、メビウス」 「まかしてよ。伊達に長年ギルドマスターやってないって」 「手合わせ願うと言ってきたんだぞ? この私に。騎士になりたいんだそうだ」 「うん、ぼくが勧めたんだ、実は……炊きつけた。少しくらいエミットから聞きかじれば、って」  冒険者達は皆、ギルド単位で互いの資産を持ち寄り共有する。そしてそれは、何も金銭やアイテム、武具だけに限らない。貴重な経験もまた、後進に伝え語ることで生かされるのだ。  だが、騎士を目指す件の娘は、言葉よりも刃を交えることで学ぼうとしたらしい。 「……騎士、か。どうしてそんなものになりたいのだろうな、あの娘は」 「人には思うところがあるさ。そこんとこどうなの? 元お姫様としては、さ」 「! ……そうだな」  素性を見抜かれたところで、不思議と訝しく思うところがない。メビウスとはそういうふうにできた人物だった。だから驚きこそすれ、エミットは忘れて久しい本当の自分を、本来あるべき自分を思い出すだけでいられる。 「主君を得てこそ騎士。だがな、メビウス……」  気づけば妙に多弁な自分がおかしくて、エミットは膝に手を当て立ち上がった。  同時に、心の奥に沈殿した本心を……己が絶望と共に得た真理を打ち明かす。 「――この世に、真の王たる者などいない。いなかったのだ。王など皆、恐らく……いや、絶対」  エミットの父が、祖国の王がそうだったように。誇り高き騎士達が仕えるに値しない最低の人間が、自分の父親であったという現実は、今もエミットを苛んでいる。二十代も半ばをとうに過ぎた彼女の中に、まだ小娘だった頃の自分を縛り付けている。  父王は、ケダモノだった。  人の道を外れた、狂人だったのだ。  それが王の子というだけで王冠を戴き、表向きは国を動かし繁栄させている。しかし、その裏では実の娘に、エミットの双子の姉にすら手をだし、あろうことか……  その不義の結果が突然、後方の戦いが収まると同時にあっけらかんと声をあげた。 「まあ! 皆様、あちらに扉が……なんでしょう? ええと、地図にないということは――」  その時エミットは見た。視界の隅で、愛しい姪にして妹が、一際荘厳な扉を開け放ってしまうのを。その中から圧倒的な威圧感と共に、空気が渦巻き彼女を……リシュリーを引きずり込むのを。  疲れも忘れて息を飲んだエミットは、暗く汚れた追憶を振り払った。それは、背後で同じく立ち上がったメビウスが声をあげると同時だった。 「何人動ける? リシュリーが! あの奥、何かいる……大丈夫だったらぼくについてきて!」  血相を変えて馳せるメビウスを、慌ててエミットも追いかける。 「おっといけねぇ。メビウスも一応ご婦人だからな。エスコートしてやらにゃあ」 「ってことはコッペペの旦那、まだいけるんですか? やっぱ生え抜きの冒険者は違いますね」 「ふっふっふ、コツがあるのだよタリズマン君。さて、それじゃ――」 「またまた二人、デュエットと行きますか。この雰囲気、やべぇ……どえれぇ詩が書けそうだ!」  メビウスに続くエミットは、二人のパイレーツが互いに競いあうように追従してくる足音を連れて走る。  慌ててリシュリーを追ったエミットは、背後で扉の閉まる音と共に……初めて味わう真の恐怖に絶句した。それは、自分が今まで否定し続けていた、王たるモノの威厳だった。  蛍光にも似た白い輝きが舞い落ちる中、巨大な海の王が五人を睥睨していた。