星詠みの少年ヴェールクトは今、緊張感に身を固くしていた。思わず飲み込む呼気がゴクリと喉を鳴らす。なぜなら、普段から不真面目で不謹慎な師匠が、珍しく真剣な表情で腕組み黙っているから。  ここは冒険者ギルドの片隅、雑多な喧騒に包まれた昼下がり。ヴェールクトを含むギルド『スカーフェイス』の面々が、皆深刻な顔で勢揃いしている。その中心で煙草の紫煙を燻らしているのは、ギルドマスターのラファールだ。 「まあ、事情は今話した通りだ。悪ぃが解散……勿論、相応の代価は払うぜ?」  ふぅ、と天井へと煙の輪を解き放つや、ラファールはテーブルを囲む面々に切り出した。  彼女が……否、彼女にしか見えないが、言動から本質が知れる彼が言うにはこうだ。つまるところ、冒険者として名声を求めつつも、探していた一族の生き残りに偶然出会った。これを機にその者のギルドに希望者を伴い合流したい……無論、現ギルドを解体、解散するという前提での話だ。  一見して理不尽な話に聞こえるが、ヴェールクトはラファールが筋を通したいと思っているのは理解できた。そういう人柄が知れる程度には、日々の冒険で互いに気のおけない仲になっていたから。  だが、勿論それが当然のように、異を唱える者が声をあげる。 「おい待てぃ! それじゃ何か? 手前ぇはアタシ等をほっぽって出てくって話かよっ!」 「そうは言ってねぇ」  ダン! とテーブルに両手を突くや、バリスタの少女が目元も険しく立ち叫んだ。年の頃は十代を脱する頃か、バリスタ特有の軽装が見事な肢体の曲線を浮き立たせている。顔立ちも端正だが、その目付きはどこか粗野で野蛮な色を湛えていた。ヴェールクトが普段からヤンキーねーちゃんだと恐れ頼る、ラファールの左腕だ。  名はジョーディ、この海都のさる将家の一人娘で、現在は家出中というのが本人の談だ。 「若はそうは言ってはおらぬ。お主も共に来ればよい……俺としてもそれが好ましい」 「コノマシー! コノマシー! おお? ラスタもみんな一緒が好ましいゾ!」  ラファールの落ち着き払った、覚悟を滲ませた不敵な声に追従する言葉が響いた。深く低く、しかし強い声音だ。それがラファールの右腕、古くから仕えた重鎮の声。続いて楽器のように響く無邪気な声。  ヴェールクトは改めて、今まさに消え行く我がギルドの面々を省みた。ラファールの隣にあって不動の姿勢で立ち尽くす男が、臣下の礼で仕えるボートゥール。その強面を睨んでいるのがジョーディだ。更には周囲で卓を囲むのは、見るも逞しい長身、筋骨隆々とした大女のウォリアー。次いで先程からうたた寝のご老体は師匠と同じモンクで、その両者の間で黙って首を傾げてるのはビーストキングの少女か少年……未だに解らぬが、兎に角子供だ。最後に一人、最近加わったアンドロの少女。  なかなかの大所帯故に、ジョーディが声を荒げるのも無理はないとヴェールクトは思った。 「アッ、アタシは……べっ、べべ、別に構わねぇ。構わねぇ、けど、その、なんだ……」  ただ黙って静かな、しかし泰然とした笑みを浮かべるラファールを前にジョーディは口ごもった。勢いに任せて立ち上がったものの、ボートゥールの言葉に動揺して懐の煙草をまさぐる。細巻きを桜色の唇にくわえるも、その手はもどかしげに何度もマッチを折っては取り出す所作を繰り返した。  ヴェールクトは隣で、師匠がニヤニヤとゆるんだ笑みを浮かべる気配を察した。 「手前ぇはどうなんだ、ラファール……アタシは別に、手前ぇが言うなら――っ!」  返事の代わりにラファールは黙って立ち上がるや、煙草をくわえたままその端正な顔をジョーディへと寄せる。灰を僅かに零しながら、煙草から煙草へと火が灯った。その焼けた炎が乗り移ったかのように、ジョーディも不意の出来事に耳まで真っ赤になった。 「……一緒に来いよ。いてくれりゃあみんな助かるしよ。ま、無理にとは言わねぇが」 「ア、アア……アタシがいつ、一緒に行きたいつったよ! ええ? 馬鹿抜かすなっ!」 「ヘイヘイ、そいつは悪いなアバズレ娘。俺の見立て違いだったか?」 「あったりまえだ、この女装王子っ! 誰が手前ぇなんかに、手前ぇなんか、に……で、でも」  ヴェールクトならずとも皆、知っているのだ。ジョーディはラファールに惚れている。そして、幸か不幸かそのことにラファールは気付いていない。単にダチだとしか見ていないのだ。それもマブダチだ。 「そりゃ残念だぜ、糞ビッチ。お前みたいな腕利きがいりゃ、俺も助かるんだがな」 「若、少々口が汚すぎます。ビッチはともかく糞というのは」  ボートゥールが口を挟んで、ラファールは悪びれた様子もなく再び椅子に腰掛けた。そのまま身を沈めてふんぞり返り、組んだ両足をテーブルの上に投げ出す。だが、悪態を垂れるその顔には、ジョーディに向けた純粋な敬愛がありありと浮かんでいた。勿論、男女のそれではないのだが。 「おうこらゴリラ! 手前ぇ、ビッチはともかくって何だコラァ! ……いい機会だぜ」 「お互いバリスタ同士……別れる前に雌雄を決しておくもよいが」  赤面を上気させて、鼻息も荒くジョーディは身を乗り出す。対するボートゥールは平静そのもの。  どうなることやらとヴェールクトはハラハラ落ち着かないが、チラリと目を合わせたラファールは嫌にどっしりと構えていた。ただ伝えるべきは伝えたとばかりに、煙草の煙を宙へと浮かべている。 「おいこら、変態王子っ! 手前ぇ、ちょ、ちょっと美形で格好よくて、その、男前で気風がよくて……そ、そりゃアタシもイイ男だなって……違うっ! そうじゃねぇ、兎に角、だ! 兎に角――」 「兎に角、ラファールはソラノカケラに行こうってんだろ? 違うか?」  不意に動揺も露なジョーディに変わって、妙に飄々とした緊張感に欠ける声が挟まれた。その声の主は腰にハンマーをぶらさげたウォリアーで、片手をテーブルに付いて長身を傾けた。女性とは思えぬ見事な筋肉は、鍛え抜かれた一流の戦士を彷彿とさせる。  先程から黙って聞いてた彼女、ブレイズの声にラファールはただ「ああ」と短く返す。 「ソラノカケラってのは確か、あのリボンの魔女のギルドだな?」 「そういや、そうだったな。なんだブレイズ、ちょうどいいじゃねぇか」  ラファールは足を組み替えると、手に持つ煙草をトントンと揺らして灰を落とす。その顔を覗き込むブレイズの顔は真剣そのものだった。もはやあうあうと表情を失うジョーディとは対照的だ。 「そう、オレはリボンの魔女を……メビウスを追っている」  ブレイズはこのギルドの中核をなすアタッカーで、ラファールに並んで立つ前衛の要だった。その人物評はというと、ジョーディがヤンキーねーちゃんなら、彼女はなんというか、世話好きでおせっかいなおっかさんだ。皆と同年代なのに、そういう雰囲気でボートゥールと並んで、細かい雑務なんかも面倒をみてくれていた。ラスタチュカやホロホロもよく懐いている。  そのブレイズの冒険の目的が実は、リボンの魔女を追うことだというのは、ヴェールクトは今初めて聞いた。だがラファールは初耳ではないようで、 「そうさ、都合いいだろ? ブレイズも行こうぜ。勿論、ジョーディも、みんなもよ」  ラファールは何の不都合があるものかと、度量の広さを見せつけてくる。その隣ではボートゥールがうんうんと頷いていた。既に先方に話は通っているらしく、それならとヴェールクトは少し安心もするのだが。  だが、ブレイズは難色を示して身を起こすと、黒い三つ編みを手でいらう。 「ラファール、オレは抜けるぜ。オレは……メビウスと戦う為にこの海都に来たんだからな」  そう言ってボリボリと頭を欠けば、豊満に過ぎるブレイズの胸の双丘が僅かに揺れた。  同時にラファールも、最初から知ってたかのように「おう」と一言目を細めて、懐から金貨の入った革袋を取り出す。それが放られれば、ブレイズは受け取り中身も確かめず胸元にしまった。 「オレはリボンの魔女を倒す……ハイ・ラガートの名門『ラーズグリーズ』の名の下に。だから」 「別のギルドを探すってか。オーケェ、せいぜい気張んな。……だが、死ぬんじゃねぇぞ」 「ああ。メビウスはオレの目標だからな。同じ場所にいちゃいけねえんだ」 「そういうとこ、嫌いじゃねぇぜ? ……で、ジョーディ。他も。どーすんだ?」  ラファールは大きく弾みをつけて立ち上がるや、無造作にガシリとジョーディの肩を抱いた。 「アッ、アタシは……いっ、行けるか馬鹿っ! そ、そりゃ……クソッ、察しろアホォ!」 「あん? 何怒ってんだよ。ま、しゃーねぇか。じーさんは? ホロホロとラスタチュカは」  ビーストキングの童子は、ひっしとブレイズの足にしがみついた。それを真似てか、アンドロの少女もラファールにじゃれついてくる。モンクの老人ガイゼンは、 「ワシはおなごの多い方に行くとしようかのう……フォッフォッフォ。若い若い、若いのう」  既に決めていたようで、ツルリと尻を撫でて、気の立っているジョーディに肘鉄を食らっていた。  ここが今までの仲間達のターニングポイント……ヴェールクトは黙って傍らの師匠の言葉を待った。彼の師であるニムロッドは、先程から眉根を寄せて腕組み悩んだ表情に顔を歪めている。  あの師ですら真剣に考える……そう、冒険者にとって身の振り方は生死を分かつから。  師匠を見直していたヴェールクトはしかし、次の一言で椅子から転げ落ちた。 「ボインとツンデレ、ロリだかショタだかと……女装イケメンにむっつり紳士、かわいこ機兵。くわーっ、悩むっ! これは選べないのう、トホホ。さてさて、どっちも美味しいが、どうしたもんかのう」  ジュルリとニムロッドが手の甲で口元を拭うので、ヴェールクトは流石に呆れて立ち上がることもできなかった。ともあれこの日、亡国の王子を中心にささやかな名を馳せたギルド、『スカーフェイス』は解散と相成った。それは同時に、ヴェールクトの新たな試練と冒険のはじまりでもあった。