樹海の静寂を引き裂き、二人の機兵が火花を散らす。その片方、テムジンを今支配しているのは戦慄だ。深都でも最新鋭の躯体を与えられ、最高峰の戦技を叩き込まれたこの自分が。今、全力で疾駆しているにも関わらず、獲物を仕留めきれないでいるのだ。彼女が構える弩から放たれる鏃は、不思議な水の礫と相殺して宙に消える。  テムジンは今、改めて日頃オランピアから聞かされてきた脅威を……フカビトの恐ろしさを思い知っていた。それが同胞たる機兵に宿った時、どのような力が迸るかは未知数。 「くっ、こうなればっ!」  苛立ちを載せた言葉を置き去りに、二人の機兵は距離を変え高さを変えて縦横無尽に激突する。相手の露と濡れた刃が己を擦過する度、テムジンはかろうじて互角な戦況が傾きつつあるのを感じた。  相手の機兵は躯体こそタイプの古いものだが、魔の力を宿したその身はまだまだスピードが上がる。  徐々に全感覚で、全センサーで拾いきれぬ斬撃が混じる中、テムジンは意を決して距離を置いた。 「全装甲、パージッ! ――特務っ、遂行ぉ!」  瞬間、テムジンを包む装甲が弾けて四散し、地金のフレームが剥き出しになる。それは彼女にとっての最終手段。腕、脚、そして頭……全ての機能を強制排除することで、瞬間的に爆発力を得る。だが、そうして加速するテムジンが引く雲を蒸発させながら、淵に墜した同胞の耳障りな駆動音が近付いて来る。すぐ背後まで迫り、今まさに手にした剣を握って手元を引き絞る。 「ばっ、化物めっ」  動力炉が燃えるように熱い。その熱が全身に伝播して、視界に目まぐるしく回るカウンターの表示を現出させる。テムジンが弩を捨て両手を前に突き出すと、その数字は加速度的にゼロへ向けて落ちていった。  テムジンの広げた掌の中に、眩い光球が現れ、そして膨らんでゆく。  自らの体力を犠牲にした最大の攻撃を、迷わず彼女は解き放った。光の奔流が荒れ狂い、迷宮内を煌々と照らす。照射の反動で分解寸前の軋音をあげながらも、その時テムジンは見た。 「ばっ、馬鹿な! この一撃を、曲げたっ!?」  眩しい光条が目標の目の前で、直角に曲がって天を衝く。今や魔そのものとなった敵は、全身から溢れる水で巨大なレンズを作り出した。それは蒸発しながらも熱線を容易く屈折させる。  周囲の空気を泡立て、水蒸気の煙を身に纏い……魔は兜の奥に暗い双眸を輝かせながら、近付いて来る。 「ほれ、あれが深都の機兵でも限られた者の持つ機能じゃ。命を削る光の矢」  不意にテムジンは気の抜けた声を聞いた。咄嗟に目配せしたが、子供達は駆逐対象を庇うように背にして一塊に震えている。では誰が?  ガクン、と目の前で突然迫る脅威が停止し、同時に返答の声があがった。 「ほほう、これはまた珍しいモノを見たのう。釣りも偶には遠出してみるものよなあ?」  見れば、一人の老人が立っていた。テムジンを目の前に剣を振り上げたままの、異形の機兵を片手で制している。恐らく全力で振り下ろされんとしているその切っ先は、粗末な釣竿で容易く押し返されていた。  白髭の老人は口元をニヤリと歪めて、クイと手首を返した。  遮二無二に猛り狂っていた魔の機兵は、その突進力をそのまま返されてその場に伏した。と、同時にまたも先ほどの声が響く。今度は、テムジンのすぐ背後から。 「機兵同士の戦いとはこれ、ちと穏やかでないのう……ふむう、これはなかなか」  突然、テムジンの胸を、輪郭を残す二房の膨らみを何者かが触れた。全く気配を感じなかったが、咄嗟に振り向けば……そこにも老人が一人。眼光鋭く睨んでも、気づかれても気にした様子もなく、手を離そうともしない。 「なっ、何者っ! てっ、てて、手を離せっ! 破廉恥な」 「なに、通りすがりの年寄りじゃて。ちとおせっかいじゃよ……ふむ、よくできとるのぉ」  禿げ上がった頭の、小さなモンクの老人だ。それが今、背後からテムジンに抱きつき、あろうことか胸を揉みしだいている。装甲を強制排除したため顕になったラインには、動力炉を収めた柔らかな生体金属が使われていた。 「これガイゼン、戯れもほどほどにせんと……お主ときたら本当に好きよのう」  もう一人の老人は風流に着流しを着込んで、震えながら立ち上がろうとする機兵……確かテルミナトルとかいう個体を覗き込んでいる。未だ殺気を漲らせる彼を老人は、ポカンと釣り竿で一打。それだけで黙らせてしまった。  訪れた静寂にテムジンはただ、呆気に取られて両者を交互に見比べる。  魔の領域に堕ちた旧型とはいえ、深都の機兵をこうも軽々と……そして今も、最新鋭である自分を。 「さて……おうおう、皆無事よなあ? ならばよし、よしよし、すぐに海都に帰ろうぞ」 「シンデン、もう戻るか? ではワシは……どうしようかのう、悩むのう」  己を拘束する腕が解けるや否や、テムジンの周囲から老人達の気配が消えた。目の前にはただ、不規則な金切り声を上げて再起動しようとする先程までの敵……魔を宿した同胞。すぐに首を巡らせれば、シンデンと呼ばれた好々爺は子供達の輪に加わり、その一人一人の無事を確認している。  なにより、自分を先程まで辱めていた老人もにこやかに目を細めて一団に加わっていた。 「待て! 貴様等は何者だ……海都の手の物か! はたまた鬼か邪か……待てと言っている!」  既に視界に浮かぶ数字は四桁まで落ち込み、さらに速度を増して減り続けている。  それでもテムジンは我が身に鞭打って立ち上がると、双方を交互に睨みつけた。 「……聞け、深都の機兵よ。うぬが子等に害なさば、ワシは鬼にもなろう。ちっくとだけ、の」 「まあ、そういう訳じゃ。そこの小僧も、もちっと力を使う術を学ばねばのう」  二人の老人はどこか怒りを秘めているような、それでいて楽しげなようでもあり、切なげにテムジンの問答を避けてゆく。そうしてのらりくらりと喋る二人は、同時に察したように、 「来たか」 「来たな」 「では、後は」 「若い者に任せるとせねば」  そう言ったっきり黙ってしまった。  そして、ようやく敵意と害意に満ちたこの広間が静まった頃、子供達が声をあげて新たな来訪者を迎える。 「あっ、おばねーさまっ!」 「……メビウス」  その時、駆逐対象たる混者、忌むべき穢れた少女が笑顔を咲かせた。本当に邪気のない、テムジンに戦意を忘れさせるような笑み。  テムジンは視界の隅で、三つ編みを翻してリボンの魔女が駆けてくるのを察知した。が、目の前が真っ赤に染まって身体が言うことを聞かない。彼女もまた動作不能に陥り崩れかけた時、重厚な鎧を纏った腕に抱きとめられた。 「ジェラヴリグ、リシュリーも! みんなも無事だね? 何が……何があった、シンデン」 「さてさて、此方が聞きたいくらいでしてな。いや、なかなかの見物でしたがの」  リボンの魔女メビウスを前にしても、例の御老体は懐手に顎をなでつけるばかり。だが、メビウスはそれを咎めるでも責めるでもなく、ただ子供達を背に守って拳を握る。 「機兵同士が何故……答えろ、テムジン。汝が主、深王の代理騎士として問う……何があった!」  口調こそ厳しいが、テムジンを今支えてくれているエミットは、繰り返し「何があったと聞いている」と彼女を肩に担いだ。 「私は……特務……オランピア、様の。混者の、処理を……穢れた、フカビ、ト」 「馬鹿な! 深王がそう命じたか? そんなことがある筈ない」  再度、そんな筈がないと呟き、エミットは立ち上がった。 「またあの女の、オランピアの姦計か。だがな、テムジン。それは深王の命にあらずっ!」 「オランピア様……深王の、深王だけの……もう、ただ一人の。私は、その命を……それは」 「フカビトが魔だと言うのなら、その血が混じった者も悪だと? 深王はそうは思わぬ筈」  テムジンはその時、徐々にゆっくりゼロへ近づく数字が三桁を切るのを見た。自身を背負って身を起こすエミットは、静かに、しかし僅かに頬を崩して不器用に微笑んだ。 「リシュリー、しばらく見ない内に……友を得たのか? あのお前が、宮殿しか知らぬお前が」 「は、はいっ! ジェラはわたくしのお友達なのです。ジェラも、みんなもお友達ですの!」  メビウスの後ろでぴょんぴょん跳ねる妹兼姪を見やって、より一層エミットは頬を崩した。 「そうか……メビウス! リシュリーを、頼む。私には使命がある。ようやく見つけた王がいる」 「あなたの代わりにはなれないけど、あなたと友人は共有できる。彼女、ぼくの友達でもあるんだ」  メビウスはジェラヴリグとリシュリーの頭をなで、順々に子供達を抱くと力強く頷いた。 「老師、テムジンを頼む。海都でデフィール殿が最後は取り持ってくれよう」 「主はまた深都に戻るか? それもよかろ、悔いのないようにのう、フォフォフォ」  エミットは同じギルドの老モンクにテムジンを預けると、未だ縛鎖に紡がれた獣のように荒ぶテルミナトルをも抱き起こして託す。両者を背負ったガイゼンは、ひょこひょことシンデンと共に階段を上へ消えた。 「リシュリー、友を大切にな。メビウス、お前にも感謝を……また会おう」 「うん、エミット……またいずれ。道を違えても、同じ場所を向いてる、そう信じてるよ」  メビウスは子供達を、何より別れの言葉と再会の約束を紡ぐリシュリーを連れて上り階段を海都へ戻る。その姿を見送り、エミットもまた下り階段の方向へ、深都へと帰っていった。  それが、二人が互いに友と認め合える最後の日になった。