煮え滾る溶岩の川を、幾度と無く渡り超えて。ラプターの追うメビウスの背中が、ようやく歩調を落として立ち止まった。同時に視界が開けて、その中央に距離感を食い潰す巨体がそびえ立つ。  部屋いっぱいにゲートキーパーの巨躯が無言で凝立して、その質量でラプターを圧してきた。  巨大なくろがねの魔神が見下ろす中、見覚えのある声が振り返る。 「追いついたか、ソラノカケラの。……共に戦え、あの連中を排して……先へ進むぞ」  既に大小を抜き放ったクジュラは、殺気にまなじりを吊り上げていた。その全身からは、常人とは思えぬ闘気が溢れて滲んでいる。陽炎が揺らいでいるのは、何も洞窟の熱気だけが原因ではない。 「待て、クジュラ! 性急過ぎる……ぼく達は、きみを止めに来た!」  メビウスの声が凛として響いて、クジュラは僅かにはなじろんだ。意外そうな顔は、ラプターには僅かに笑ったようにすら見える。だが、 「待てぬな……元老院の命、姫様の為でもある。この先に進む必要もできたのでな」 「姫様、の? それは、グートルーネ様のことかい?」 「無論。故にここは押し通る。……例え、あの者達を倒してでも」  にべもない、取り付く島もないクジュラの言葉。そのまま鋭い眼差しの矢を射る彼の目線を追って、ラプターはメビウス同様に絶句した。追いついてきたクフィールやイーグルも言葉を失い、最後にスカイアイが「ま、まさか」とポツリ呟いた。  ラプターはどこか心の隅で、今日の日を予見していた。それでいて、出来れば訪れぬよう祈ってきた。だが、彼女の願いは無残にも砕け散り、現実は無情にも対立という最悪の形で具現化していた。 「深王代理騎士として警告する……この先、何人たりとも通しはしない」  ゲートキーパーの真下に腕組み立ちふさがるのは、傍らに愛用の槍を突き立てたエミットだ。その周囲にはお馴染み、トライマーチの深都組が武器を構えている。普段から目立つプリンセスの少女の代わりに、今日は鎚を手にした長身の女ウォリアーが控えていた。  どう見ても歓迎されている雰囲気ではない……緊張にラプターは息を飲む。 「メビウス。この男を連れて退いてくれ。深王の命により、ここは通せない」 「無論ぼくもそのつもりだよ、エミット。ぼく達に戦う理由なんかないんだ」 「同感だ。私とてお前とは、友とは槍を交えたくなどない。だが――」  玲瓏なる鉄面皮に、うっそりと暗く輝く双眸が見開かれた。エミットは今、どこか脆く危うげな冷笑を浮かべて、自分自身に言い聞かせるように胸に手を当てる。その時、ラプターは一瞬彼女と目が合った。  エミットはラプターを一瞥して「ほう」と一言呟き、 「また腕を上げたようだな。……今ならこの私にも、お前の気持ちが、騎士の矜持が解るぞ」  傍らの槍へと手を伸べ引っこ抜くや、頭上でくるくると軽々振り回してピシリと構えた。その穂先は今、クジュラへと向けられている。クジュラを貫通してメビウスに、何よりラプターへと向けられている。 「主君を得てこそ騎士……私もまた得たのだ。そう、見つけた……王たりうる者の姿を」 「エミットッ! くっ、クジュラも! 槍を、剣を収めて。ぼく達にはまだ――」  切実さの入り交じるメビウスの、必死の呼び掛けを振り切り風が舞った。  先手を取ったのはクジュラだった。彼は筋を通そうとするメビウスを裏切るように、無言で両の太刀を振りかぶる。その一撃が銃声を呼んだ。  気付けば元詩人のパイレーツが、クジュラを牽制するように飛び出していた。トライマーチは皆、一斉に地を蹴っていた。エミット一人を除いて。エミットはただ、静かに槍を構えたまま歩を進めてくる。 「悪いねぇ、大将ぉ! オイラ、男相手にゃ手加減できねぇんだわ」  気付けばラプターも槍を小脇に、盾を構えて飛び出していた。躊躇して拳を握れずにいるメビウスを庇うように前に出る。背中で弟の抜剣の音を聞き、同時に主君の無事を叫んでいた。  あっという間にゲートキーパーが睥睨する広間は、両ギルド混戦の戦場と化した。 「くっ、待て、待って! トライマーチ! こんなんじゃ事態は悪化するばかりだっ」 「メビウスよう。オイラだって好き好んでこんな……どうしちまったんだ、ろう、なっ!」  阿修羅のごとく剣を繰り出すクジュラを中心に、トライマーチのモンクが、ファーマーが吹き飛ばされてゆく。まるで竜巻に触れたように。ただコッペペだけが銃に炸薬を装填するや身を翻す。  再び銃声、そして剣戟の金切り声。 「――メビウス、またオイラと……いつか、冒険の話をしようぜ。落ち着いたらよ……また」  それがラプターの耳に聞こえた最後だった。  敵味方が入り乱れる中、ラプターは既に他者へ気を回している余裕がなくなっていた。情けないことに、クフィールの無事を第一に考えることもできない。吹き荒れる嵐のごときクジュラをすり抜けて、今目の前に……圧倒的な威圧感が立ち塞がっていたから。周囲の喧騒と狂乱から、切り離されたように。その人物とラプターとだけが、静かに必殺必中の距離で相克していた。  眼前に今、完全武装のエミットが立ちはだかっていた。 「クッ、クソォ! ――やるしかない、メビウスッ! 目標トライマーチ、エンゲージッ!」  スカイアイのかすれた声が、誰のものとも知れぬ気勢と悲鳴に飲み込まれていった。  ラプターは目の前の気迫に飲み込まれぬよう、深呼吸して武具を構え直す。 「ラプター・マーティン、だったな。いつぞやの約束を果たそう。……来い」  そう言えば以前、手合わせを約束していた。海都の麗らかな午後、互いにファランクスとしての技を競い、槍の腕を試し合おうと。それ以前にはちょっとした因縁もあったし、ラプターはラプターなりに同じ職業として気にもかけていた。  だが、それは最悪の形で決着を今、迫ってくる。 「それがあんたの騎士道か? 深王は確かに立派さ、わたしだってそれは解る。解るけど」  こみ上げる震えは恐懼と恐慌か、はたまた武者震いか。  理不尽で不条理な対決をしかし、心のどこかでラプターが歓迎しているのも事実だ。純粋にあの時からずっと望んでいた……エミットと戦ってみたいと。自分を制した上で力量を瞬時に読み取り認めてくれた、あの人と槍を合わせてみたいと。 「もはや多くは語るまい。……悲しくなるからな」 「悲しくなる? あんたみたいな強い騎士でもか」 「ああ、悲しくなる。悲しくなって……強者を前にする喜びが陰ってしまう」 「……わたし達は、少し似てるな。決定的に違うのに、少し似てるよ……まったく」  瞬間、ラプターはドン! と大地を踏みしめ突貫していた。まっすぐエミットへと向けて。もはやエミットしか見えず聞こえず、他に配る気を持てば、その隙に致命打を貰うであろう闘い。その中で先手を取ったラプターの槍が、甲高い金属音と共にエミットの盾を擦過する。  同時にエミットが身を捩って繰り出した刺突を、ラプターもまた盾で正面から受けた。 「やはりっ! また腕を上げたなっ! 主君と冒険とがお前を鍛え磨いたのだ!」 「それはエミット殿、あんただって同じ! 同じ、なのに……なのにっ」  それは自身の体重に匹敵する重装甲を纏った、ファランクス同士の重々しい一騎打ちではなかった。互いに繰り出す槍は空気を引き裂き、遅れる音を連れて相手の残像を切り裂く。鎧の質量を感じさせぬ機動で両者は、付かず離れずの距離で激しい応酬を繰り広げていた。 「ほう、ショーグンの技を使うか。疾いなっ!」  長柄の戦斧を翻して、ラプターが容赦なくエミットの首を薙ぐ。だが、それを紙一重で避けたエミットは感嘆の声と同時に、稲妻を纏った突きを繰り出してきた。それを鎧の肩で流せば痺れが全身を駆け巡る。一瞬たりとも気の抜けない限界の闘舞で、ラプターは不思議な充足感を感じていた。  同時に、意識が自然と研ぎ澄まされてゆく。 「わたしは負けないっ! 例え望まざる闘いでも……望まざる敵でも! 我が君の名にかけて!」 「不本意はお互い様だ……だが、この勝負だけは別だ。雌雄を決するこの時、待ちわびたぞ」  凍れる無表情のエミットから、殺気と害意が抜けてゆくのがラプターには感じられた。  ラプター自身も、己の身が妙な気負いやしがらみから脱して軽くなるのが感じられる。どこまでも軽く、軽やかに……無限に手元は加速し、槍捌きは際限なく鋭く疾く行き交った。 「ならば私も深王の名を賭して……己を捨てて戦える王こそっ!」 「自分を大事にできない、自分のない者なんて……わたしは認めない、認められないっ!」 「あの方は器と自分を定義された。ならば私は、民が満ちた器を守る騎士となるっ!」 「それが深王代理騎士か? わたしにはその器、がらんどうに見えなくも、ないんだよ!」  一手の誤りが即死につながる、極限の命のやり取り。その生死の狭間で言葉が走った。気付けばラプターは、心に敬愛する主を念じて、無心にただその無事だけを祈って槍を繰り出していた。  ただゲートキーパーだけが、それぞれの想いを胸に戦う人間達を静かに見下ろしていた。