両手のみでは飽きたらず、ゲートキーパーとの死闘はメビウスの五体に多くの傷痕を残していった。それが原因で今も、彼女はこうしてベッドの中に身を横たえている。それでも起きてるうちは周囲に人が絶えることがなく、孤独に落ち込み塞ぎこむ暇もない。  昼下がりの午後、今日も見舞い客を迎えてメビウスの部屋は賑やかだった。 「それでわたくし、ふかおーさまに言ったのですわ。そしたらジェラが」 「……深王は底が知れない人。わたし、何か感じるの。あの人はきっと」  海風が運ぶ潮の香りと、暖かな日差しとが窓辺からたゆたう。上体を起こしたメビウスの側に椅子を並べて、ジェラヴリグとリシュリーは交互に口を開く。  どうやら深都組の連中はお咎めなしで済むらしい。 「深王には深王の考えがあるんだろうさ。……それがちょっと見えてこないんだけど」  深都の王が何を考えているのか、何が目的なのか……それはメビウスにも解らない。ただ、今のところ敵意は感じられないし、海都とも協調していける気がする。  ゲートキーパーの破壊という事件ですら、遺恨として残す気がないと知れれば正直メビウスはほっとする。だが、そんな深王の英断とも言える采配を他所に、冒険者達は今二つに割れて人間同士でいがみ合っていた。 「小競り合いで済んでるうちはまだいいんだけどね。そんなことしてる場合じゃないけど」  メビウスは枕元の果物かごから林檎を手に取る。真っ赤に熟したそれを、両の手で包んで力を込める。やはり激しい痛みが両腕を這い上ったが、林檎は真っ二つに割れた。それをジェラヴリグとリシュリーとに渡して、自身も二つ目にそのままかじりついた。 「失礼します、メビウスさん。一応報告に……いいですか?」  不意にコンコンとドアがノックされ、メビウスが「どうぞ」と声を放るや開け放たれた。  現れたのは、書類の束を手にしたクフィールだ。彼は相変わらずどこかうだつのあがらないぼんやりとした顔色だったが、今はソラノカケラをギルドマスター代理として取り仕切ってくれてる。 「お疲れ様、クフィール。今度はなんだい?」 「ええ、まず海都側の各ギルドの動きですが。連中、連携を取り始めました」 「元老院は?」 「態度を保留してます」  やや疲れた表情を見せながらも、書類をめくりながらクフィールは端的かつ簡潔に事実を述べる。その動きはメビウスもスカイアイと共に予測していたものだが、現実は彼女が思うよりも早く動いていた。  煙をあげだしたリシュリーには、隣のジェラヴリグが解り易く説明を始める。 「うちが、ソラノカケラが頭に担ぎ出されるのも時間の問題ですね」 「どうりで。最近見舞いの客やら品やら続く訳だ、困ったな……」 「問題ですね。確かに我々は元老院に筋を通して来ましたが」 「深都側は? やっぱり」 「同じです。深都に拠点を移すギルドは半数を超えました」  メビウスの脳裏にすぐ、顔なじみの元吟遊詩人が浮かんだ。もっとも、彼はギルドマスターとしての職務を放棄しているので、いい迷惑をこうむるのはエトリアの聖騎士あたりだろうが。向こうは向こうで、恐らく担ぎ出されるだろう。深王の信任厚い、由緒ある名門ギルドなのだから。 「それと、ですね……メビウスさん」 「ん?」 「あの、お客さんがみえてるんですが」  不意にクフィールの歯切れが悪くなった。彼は小首を傾げるメビウスから視線を反らすと、背後の扉へと首を巡らす。  そこには、意外な人物が立っていた。 「……クジュラ」 「元気そうだな、リボンの魔女。見舞いに来た」  元老院子飼いの将は、その凍れる緊張感に不釣り合いな花束を手にしていた。この地方の花々を束ねた極彩色が、余りにもクジュラの発する空気から浮いていて、しかしメビウスは笑うに笑えない。  空気を察したジェラヴリグが立ち上がると、クジュラから花束を受け取った。 「メビウス、頂戴した花を生けてくるわね。リシュ、いこう」 「はいですわっ! 確かわたくしの荷物に、宮殿から持ちだした花瓶がありますわ」  少女達は華やいだ声を残して部屋を出ていった。  クフィールが勧めるままに、クジュラは空いた椅子の一つに腰掛ける。相変わらず仏頂面の無表情だが、この男は無駄というものを知らない。とすればこの訪問にも、見舞い以上の意味があるとメビウスは身構えた。 「そう見を硬くするな、メビウス」  言葉は流暢だが冷たく低く、何よりクジュラが緊張を解かない。  メビウスが目配せすると、クフィールも「お茶を今お出ししましょう」と部屋を出ていった。二人だけになればと思ったが、やはりクジュラの雰囲気は変わらない。重い沈黙が二人の間を漂った。 「……礼を、言いに来た」 「礼?」  ようやく口を開いたクジュラは、静かにメビウスへ頭を垂れた。何が何やら、メビウスには詫びられる筋こそあれ、礼を言われるようなことに心当たりがなくて困惑する。 「あのさ、礼な訳? その、お詫びとかじゃなくて」 「あのタイミングで俺がゲートキーパーを抜くことができた。これもお前達のお陰だ」 「……そのせいで今、冒険者達がどうなってるかは知ってるかい? クジュラ」  元を正せば、元老院強硬派より使わされたクジュラの暴走が一連の悲劇を呼んだのだ。先ずはそのことに対する言葉がメビウスは欲しかったが、こうして頭を下げられると居心地が酷く悪い。  クジュラはようやく頭をあげるや、ぽつりぽつりと喋りだした。 「元老院の年寄り達は、フローディア様が抑えつけてくださる」 「是非そうして欲しいね。まあ、フローディア様に何かあったら、ぼく達も駆けつけるけど」 「それともう一つ。これは別件だが……お前達のお陰で、姫様はまた少し生き長らえられた」  クジュラが姫と崇める者は、この海都に一人しかいない。  白亜の姫君、グートルーネだ。 「お体が弱くてな、姫様は。どうしても薬が必要なのだ。その材料はフカビト達の神殿にある」 「それじゃ、今までは……」 「少ない薬をやりくりして、だましだまし生きてこられたのだ、あの方は」 「なら何故、そのことを深都に、深王に言わない? 話せば通じることじゃないか」  思わず握った拳に痛みが走る。だが、メビウスは構わずクジュラを真っ直ぐ見詰めた。クジュラもまた目を逸らさず視線を受け止め、微動だにしない。 「一刻を争う事態でもあった。それに……深王は恐らく、許しはしない」 「何故?」 「彼等は百年間、フカビトとの戦を戦い抜くべく海中に没した民だからだ」  つまり、クジュラの言い分はこうだ。  海都の王族の末裔、白亜の姫君グートルーネが病に臥せっている。その生命をつなぎとめる薬は、フカビト達の地より材料を得なければいけない……つまり、海都の姫はフカビト達の地を必要としているのだ。元よりあった薬が尽きた今、それはさらに切実なものだった。  それを深都が簡単に許さないことは、メビウスにも朧げながらにも感じ取れた。 「皮肉なものだな……深都に協調を求めつつ、海都は隠し事をしている」 「クジュラ……」 「だが、俺が仕えるは姫様ただ一人。姫様の為ならこのクジュラ、いかなる汚名にも臆さぬ」  決然とした冷たい炎がクジュラの瞳に燃えていた。  メビウスは鼻から溜息を零すと、やれやれと肩を竦める。 「大した決意だけどね、クジュラ。もう少しやり方を考えてくれると嬉しいね」 「俺は武人だ。他に道を知らん」 「知らない道なら聞いて欲しいな。ぼく達、いくらでも相談にのれるのに」  僅かにクジュラは鼻白んで、頬を赤らめ視線を逸した。  実直なクジュラを責めるわけにもいかず、かといって現実は見過ごせない。そのことに頭を悩ませながらも、メビウスは頭の後で腕を組んでベッドに身を投げ出した。