太古の文明も今は滅び去り、その残滓が漂う巨石群は静かに広がる。  元老院より大型帆船を入手したソラノカケラは、海都を起点に外海へと海原をも開拓していた。失われた海図を再度取り戻し、未知の遺跡で今剣を振るう。  ミラージュは今、頑強な岩石の巨人を見上げて二刀一心身構えた。 「ミラージュ様、後列の星詠み達を下がらせました。……また、二人きりですね」 「ああ。だが、構わぬ。立ちはだかる敵はただ斬り伏せるのみ」  元老院が手配する大洋でのクエストもまた、ギルドがこぞって挑む難関の一つだった。大航海クエストと呼ばれる一連の冒険は、冒険者達に等しく平等に脅威をもって迫る。船を与えられたギルドのみが挑むことの出来る、大いなる外の世界の神秘。  ミラージュは豪腕を振りかぶるゴーレムの一撃を避けるや、必殺の剣を振り上げた。 「――っ! この打ち込みを弾くか。流石は古代文明の遺産というところか」  疾風の如き左右の連撃は、続けて硬い岩肌に弾かれる。渾身の一撃を持ってしても、ゴーレムの圧倒的な防御力はミラージュに苦戦を強いた。  攻めあぐねつつも牽制の切っ先を繰り出せば、ゴーレムが僅かに身動ぎ後ずさる。 「ミラージュ様、一度距離を……足を、止めますっ!」  常に背後に寄り添う声が、僅かに弾んで気炎をあげた。  同時にヨタカの放ったクナイが驟雨と注いで、ゴーレムの影を縫いとめる。 「すまぬ、ヨタカ……勝機っ!」  瞬間、僅かに体勢を崩すゴーレムへとミラージュが斬り込む。  地を這う影のごとき低さ、疾さ、鋭さ。ミラージュは両手にそれぞれ握った太刀を水平に構えて、よろめくゴーレムへと飛び込んだ。苦し紛れに振るわれた拳をかいくぐるや、脇腹へと一太刀浴びせる。続いて間髪入れずに、二の太刀を全力で叩きこむ。  速攻で畳み掛けるミラージュの連続攻撃に、流石のゴーレムも膝をついて崩れ落ちた。  ……かに見えた。 「! ミラージュ様、お気をつけください。まだ奴は動きます」 「面妖な……確かに手応えはあったが」  ゴーレムは不思議な不協和音を奏でつつ、まるで再起動するかのように持ち直した。その巨躯を見上げれば自然と、ミラージュは先日の強敵を思い出す。弟達が、ギルドマスターたるメビウス達が相克した恐るべき機械じかけの守護神……ゲートキーパー。  深都の守り手に重なるゴーレムの巨体が、その大きさからは想像もつかぬ俊敏さでミラージュの脇をすり抜けた。暴風が舞い上がり砂塵が視界を覆う。 「くっ、ヨタカ! ……やらせんっ、やらせはせん。もう二度と」  背中を守る相棒にして相方へと、ゴーレムは遮二無二に腕を振り回して跳びかかる。その背へと気づけばミラージュは気勢を噛み締め飛びかかっていた。研鑽をつんだ剣の妙技が忘れ去られ、熱く焼けた想いに暴走する力が四肢を駆け巡る。  普段の冷静沈着な剣が今、左右一対の怒竜となって荒れ狂った。 「ミラージュ様っ、こちらは大丈夫です! 陽炎……忍っ!」  ヨタカの痩身が、その流麗な立ち姿が滲むや二つに割れる。その片方、幻影へとゴーレムは飛びかかっていった。そのがらあきの背中へと、ミラージュの二刀一刃が炸裂する。  ゴーレムは今度こそ断末魔をあげるや、轟音を響かせその場に伏した。 「お怪我はありませんか? ミラージュ様」 「それは私の台詞だ、ヨタカ。大事ないな?」 「……はい」  ミラージュは内心、ほっと胸を撫で下ろす。己の半身にして全て、最愛のヨタカは手傷もなく短刀を腰の鞘に収めていた。その姿を見て、呼吸を見だして心拍数を跳ね上げる自分を落ち着かせる。  大丈夫、また失う悲劇を回避できた……そう自分に言い聞かせて、ミラージュも剣を収めた。 「星詠みの三姉妹はどうか? ヨタカ、随分と消耗していたようだったが」 「すぐに下がらせましたので命に別状はないかと……二人でも充分なクエストでしたね」 「ふむ……まあ、古代文明が残した巨兵なれば、用心にこしたことはないが」  元にゴーレムは先程、致命打を受けた後に驚異的な回復力を見せた。それはミラージュが冷たい汗に不快感を感じながらも、必死に駆けるには充分な脅威だった。 「これで次はそうですね……恐らく弟君は次の大航海クエストを手配されるでしょうね」 「クフィールはよくやってくれている。メビウス殿も恩義を感じていよう」  倒れたゴーレムの一部、その未知なる岩石で構成された装甲の一部を拾いながらミラージュは頷く。  今、ソラノカケラのギルドマスター、メビウスは床に臥せっていた。先日のゲートキーパー攻略戦において重傷を負い、今は療養の身だ。その彼女に代わってギルドを取り仕切っているのは、ミラージュの弟のクフィールだった。  その手腕はなかなかのもので、実際ミラージュやヨタカ以外のメンバーにも好評だった。 「ふっ、あいつはあれで私に気を利かせたのやもしれぬな」 「? それは、ミラージュ様。どういう……なるほど、確かに順当な人選でしたね」  恐らく弟は兄に、許嫁との二人きりのクエストを手配してくれたのだろう。ゴーレム討伐を目論む星詠みの三姉妹が一緒とはいえ、ミラージュには数少ないヨタカとの時間。だが、肝心のヨタカがそのことに余りにも無頓着過ぎた。何やら彼女は合点がいったのかいかないのか、納得顔で言葉を続ける。 「ミラージュ様ほどの剣の腕でなくば、この敵は倒せなかったかと。弟君の慧眼は流石です」  生真面目な顔で頷くヨタカを前に、気づけばミラージュは苦笑をこぼしていた。 「ミラージュ様? 何かおかしなことでも?」 「いや、いい……仕事は済んだ。少し周囲を探索して引き上げるとしよう」 「それでしたらわたしが……ミラージュ様はどうか船でお休みを」  影と消えるヨタカが、しゅたっと地を蹴るより早く。咄嗟にミラージュはその華奢な手を握って抱き寄せた。ヨタカの顔が不思議そうに固まり、その精緻な評定が小首を傾げる。 「ミラージュ様?」 「少し歩かぬか? 急ぐ探索でもあるまい……滅びし太古の都、散策もよいだろう」  端的に言えば、二人でぶらりと蜜月の時を過ごそうというミラージュの提案だったが。何も蜜月とまではいわな、ただヨタカと二人で歩きたかった。静かで神秘的なこの古都を。  だが、ヨタカは相変わらす不思議そうに首を傾げて戸惑い気味にミラージュを見詰めてくる。  彼女の鈍さはいつものことなので、構わずミラージュは歩き出した。 「ふむ、しかし古代文明の遺跡か……なかなかに壮観なものだな」 「海図があった頃には、海都の冒険者が探索する場でもあったと元老院に記録が」 「であろうな……こういう時は我が師が、シンデン殿がいてくれれば助かるのだが」  ミラージュの剣の師にして、ヨタカの祖父、シンデン。老将は知識に長け機転がきき、何より柔軟性に富む将の中の将。冒険者としても一流で、免許皆伝を得た今でもミラージュは師に勝てる気がしない。  そのシンデンはと言えば…… 「祖父は子供達と第三層に出かけると申しておりました」 「第三層? たしかメビウス殿達がすでに地図を埋めた筈だが」 「何でも、蟻がどうとか……祖父の悪い癖です」  ヨタカは普段の怜悧な美貌を崩してクスリと笑った。 「祖父はあの娘を、ジェラヴリグを可愛がっております。実の孫のように」 「ヨタカも幼少のころはそうであったのか?」 「ええ……祖父は孫と遊ぶのが、孫で遊ぶのがなによりの道楽なのです」  ヨタカは淡々と喋り続ける。 「わたしも随分遊んで貰いました……鉄火場に放り込まれたり、敵陣に孤立させられたり」 「ん、んんっ、それは……ヨタカ、遊んで貰っているのか?」 「当然です。楽しい幼少期でした……いつ死ぬるとも解らぬ日々が、今は懐かしいです」  この時ミラージュは漠然とだが、許嫁がどうにも乙女心に致命的に欠けている理由を察した。聞けば幼少期よりヨタカは、一人前のシノビとして、一人の戦士として徹底的な英才教育を受けていたらしい。それを彼女自身は、祖父に遊んでもらった思い出として大事にしている。 「ま、まあ、我が師のことだ、第三層ごときで不覚は取るまいよ」 「だといいのですが……蟻、というのが気になります」  僅かに表情を曇らせるヨタカを、ミラージュは肩を抱いて寄り添い歩く。  大航海クエストも半分を折り返した、うららかな午後の一時だった。