赤銅色に灼けた大地が、岩盤に覆われ延々と続く。  第三階層『光輝ノ石窟』……既に踏破された迷宮には、己を高めるために訪れた冒険者達の姿がアチコチに見られた。無論、ジェラヴリグ達も目的は同じだ。  もっとも、ここ最近は深都と海都の確執が根強く、その息抜きというのが本音だ。 「オゥ、リシュリーは今日もイイ調子ダナ! お調子者ナンダナ!」 「それほどでも、ありませんわっ!」  巨大な人食い蟻を前に、ふわりとリシュリーが軽やかに踏み込む。抜刀するその所作もあでやかに、豪奢なプリンセスの戦装束がかろやかにたなびいた。  もはや、右も左も解らず力任せに剣を振るっていたリシュリーではない。  ラスタチュカが放り投げたビットに目配せするや、彼女は鮮やかな手並みで昆虫の甲殻を鋭く切り裂く。本来非力なプリンセス達は軽い突剣を好むが、リシュリーが手にするのは広刃の長剣だ。親友のジェラヴリグから言わせれば、 「格好いいですわ、ね……確かに見た目も大事だけど。それに最近は、振り回されなくなった」  不似合いなチョイスはお姫様の趣味だ。冒険者に憧れるリシュリーには、宮殿で腰に下げてたような細身の剣よりも、ウォリアー達がはくような武骨で重い剣が魅力的だったのだ。  よくあの厳しく過保護な叔母にして姉が、エミットが許したものだとジェラヴリグは思う。  苦笑を零しながらも、ジェラヴリグは天空の星座に意識を集中して占星術を行使する。手馴れたもので、凍てつく冬の星座を呼び出せば自然と、彼女のふわふわとゆるい金髪が気圧の急激な低下に舞い上がる。 「今ですわ、ジェラ!」  二の太刀を浴びせてよろけた反動で、さっとリシュリーが身を翻す。  同時にジェラヴリグが励起させた氷の星術が、熱波渦巻く洞窟内を煌々と照らした。瞬く間に幻実の収集蟻は氷の結晶に圧縮され、そのエーテルに反応したラスタチュカのビットが鋭角的な機動でトドメの一撃を放った。  十代も半ばの少女達が、獰猛なるモンスターを退けた瞬間だった。 「やりましたわね、ジェラ! ラスタも。わたくし達、確実に強くなってますわ」 「モチロンダナ! 今の連携は完璧だったゾ」  手に手を取ってキャッキャと笑いあうリシュリーとラスタチュカに、ジェラヴリグも駆け寄る。出番はなかったがビーストの召喚に備えていた、ホロホロの手を引いて。四人の少女達は互いに輪になると、今しがたモンスターを撃退したコンビネーションを互いに讃え合った。  その時、不敵にして懐深い笑い声と共に拍手が響く。 「見事ぞ、姫君……皆もまっこと、見事! これはもう、この老骨めの教えることはないのう」  先程から最後列で成り行きを見守っていたシンデンが、ゆるりと一同の前で顎髭をさする。  今日のパーティ構成はジェラヴリグ達仲良し四人組に、そのお目付け役というか保護者のシンデンだった。だが、迷宮に降りてからずっとシンデンは剣を抜かず、今日の冒険をジェラヴリグ達の自主性に任せてくれている。 「姫君、随分と剣の腕を上げられましたなあ」 「はいですわ! わたくし、ちょっと思いましたの。剣は少し、王宮の舞踏会に似てます」 「ほう、してその心は」 「踊りに似てるのですわ。力で振り回すよりも、逆に相手に、剣の重さに身を任せますの」  リシュリーの得意満面な眩い笑みに、シンデンもカカカと高笑いで気持ちの良い声をあげる。ジェラヴリグは平素より刀剣の類には縁がないが、感心したように零れたシンデンの呟きを耳に拾った。 「ふむ……"武"は"舞"に通ずる。この娘っ子は、自然とその境地に辿り着いたか」  おもしろいと再度、シンデンは笑う。  首を傾げるジェラヴリグにも解るように、こっそりシンデンは教えてくれた。古来より武を嗜む者達は、同時に伝統芸能にも秀でたることが多い。それは、戦いのリズムを洗練させた型が、呼吸が歌や踊りに似通っているからだと。  確かにここ最近のリシュリーは、まさに剣舞という言葉がぴったりな立ち回りだった。剣を相手に踊るように、可憐に敵へと優雅に斬り込んでゆく。 「でも、これもシンデン様のお教えのお陰ですわ。前までのわたくしったら」 「ソダナ! リシュリーの剣は酷かったゾ。ポカポカ叩いてるだけだったからナ」 「まあラスタ、それは酷いですわ。わたくし、一生懸命でしたのに」  リシュリーに剣の手ほどきをしたのは、シンデンだった。それも、シンデン自らリシュリーに声をかけ、他のギルドのメンバーとは思えぬくらいに熱心に教えた。王族たるリシュリーにしか振るえぬ、優美なる舞いの剣……シンデンはただ、優しくリシュリーにヒントを与えただけだった。  そう、優しい。この老将は底なしにやさしいと、ジェラヴリグははにかみ見上げる。 「ん? どうした? ワシの顔に何かついておるか? ジェラや」 「ううん。でも、ありがとう。わたし、解るよ。リシュを元気づけてくれたの」  ジェラヴリグの一言に、シンデンは意外そうな表情を浮かべ、ついで切なげに目を細めて頭を撫でてくれる。わっしと髪をくしゃくしゃにされながらも、ジェラヴリグはシワだらけの大きな手を暖かく感じた。  敬愛してやまない叔母にして姉と今、リシュリーは離れて暮らしている。リシュリーの無事を願えばこその処置だし、今の冒険者達の情勢を考えれば妥当とも言えた。だが、自分より一つか二つ年上のお姫様には、その複雑な昨今の世情が解らないのだ。ただ、エミットの側に居場所がない今を寂しく思っている。それはジェラヴリグも常々気にかけてきたことだった。 「だから、リシュに剣を教えてくれたの。シンデンは優しい人。本当のお祖父様みたい」 「カカカッ! これは嬉しいことを言ってくれるのう。しかしジェラ、気にしすぎじゃ」  ひょいとジェラヴリグの矮躯が担ぎ上げられ、シンデンに肩車されてしまう。それだけで周囲のリシュリーやラスタチュカははしゃいで周囲をグルグルと回った。寡黙なホロホロでさえ、指を加えてシンデンを、その肩にまたがるジェラヴリグを見上げてくる。  子供達の相手をしながらシンデンは、ジェラヴリグにだけ聞こえる声をささやいた。 「よいかジェラ。お主は少し大人び過ぎておる……背伸びせずともよい」 「わたしは……そんな」 「確かに姫君は元気がなかったからのう。じゃが、お主が支えておった」 「……うん」 「ワシはのう、お主にも歳相応の子供でいて欲しい。ただそれだけじゃよ」  そういえばシンデンには孫がいて、同じギルドでシノビとして働いている。その面影を自分に重ねているのだろうか? 何かとジェラヴリグに、その周囲の小さな隣人達にシンデンは優しかった。  だからやっぱり、白髪頭を抱きながらジェラヴリグはありがとうを呟く。 「さて……そろそろ戻るかのう。ん? なんじゃホロホロ」  稼ぎはそこそこ、むしろ年少組としては大漁だった。だが、歩いてすぐの樹海磁軸へ振り返るシンデンの、その着物の裾をホロホロが掴んだ。彼女か彼かは不明だが、ホロホロは先程倒した蟻の向こうを指さし小さく唸る。 「シンデン様、あれを。蟻さんが列をなしてますわ。なんでしょう」 「壁の奥に消えてるナ! ラスタがスキャンするゾ……ムム、ムゥゥゥ、コレハ」 「ラスタ、何か解りまして? 蟻さん、壁の向こう側に消えてゆきますの」 「コレハ! 解ラナイ! 解らないってことが、ラスタには解るゾ」  見れば赤いやら黄色いやら、色とりどりの甲殻を輝かせる蟻達が、規則正しい列を作って迷宮の一角に消えてゆく。あの先は行き止まり、メビウス達が作った地図にもそう書いてある。  改めて懐から地図を取り出し開いて、ジェラヴリグはシンデンの上で頷いた。 「ほう、この地図……西側に不自然な空白地帯があるのう」 「え? あ……本当。でもシンデン、この先に進む通路はないわ。メビウス達が調べたもの」 「じゃがジェラ、お主が調べた訳ではなかろう?」 「それは、そうだけど」  ギルドマスターのメビウスが率いる、ソラノカケラの先遣隊にして一番槍。その五人が進んだ軌跡を記した地図は、今は海都側に加担するギルドが手本にするほど完成度が高いものだった。勿論ジェラヴリグはメビウスに全幅の信頼を寄せていたし、彼女達の地図が間違っていたことはなかった。  だが、冒険者とは己の目で見て、己の耳で聞いたことをこそ信じる。己が感じた直感に素直になることもまた、仲間を信頼するのと同じくらい冒険者にとっては大事だった。 「……シンデン。みんなも。少し、寄り道して帰ってもいいかな」  ジェラヴリグはひょいと身軽にシンデンから降りると、周囲に集まるリシュリーやラスタチュカ、ホロホロを見回し地図を広げた。  その地図の左半分、西側には不気味な空白地帯が広がっていた。