メビウスがクフィールに代理ギルドマスターを任せたのには、これはきちんとした訳がある。だからこうして、メビウスは悠長に床上げできているのだ。  クフィールは報告と連絡を怠らず、メビウスが思う意をくんでよく働いてくれていた。  例えば今、この瞬間も。 「姐御、メビウスの姐御! クフィールの奴、やったぜ! 蟻は一掃って訳だ」  不意に寝室のドアが開かれ、見目麗しいプリンセス……に見えるプリンスが押し入ってくる。ご丁寧に彼の家中の者、および懇意にしてる仲間達も一緒だ。その一人、あどけなさの残る顔を似合わぬ邪笑に歪めるモンクが言葉を続ける。 「トライマーチの小僧がまたかわいくてのう……これはカップリングに悩むのう!」  メビウスは髪を三つ編みに結いながら苦笑を零した。 「ニムロッド、悪趣味も度が過ぎるとろくな死に方しないよ?」 「ムフフ、いいのじゃよう。時にメビウス嬢……どっちが受けでどっちが攻めと思うかのう?」 「や、ぼくにはそういう趣味はないから。誰と誰かも考えたくないね」  久しぶりに結んだ髪を背の後ろに手で払って、クスリとメビウスは笑う。既にベッドからは抜け出ており、その身を覆っていた包帯の数々も取り払われた。ハイ・ラガートで鍛えた生粋の冒険者なれば、傷が完治するのも早い。メビウスは今、ゲートキーパーとの激戦で負った怪我がほぼ完治していた。 「もうすぐクフィール達が帰ってくる。ご飯とお風呂と、兎に角まあ労おうよ」 「ほほう? 我らが真のギルドマスター様はまた、随分とお優しいですなあ?」  茶化したようにニムロッドが脇へとサササとにじり寄って、肘でツンツンとメビウスを突っついてくる。言われなくてもメビウスは、必要なだけ誰にでも優しいつもりだ。強くなければ生きていけないと言われる冒険者の中で、自分にだけ『優しくなければ生きてゆく資格はない』と少し思うから。時と場合にもよるが、自分が便宜を図れる時、相手が信頼する仲間の時はためらう必要性を感じない。  激戦を勝ち抜き、重責を今まで担ってくれた同じギルドの仲間だ。それが今、戦いを終えて帰ってくるなら……せめて暖かい食事と湯船で迎えたい。これは言ってみれば、メビウス個人としての流儀だ。 「ぼくなら、一仕事終えたらのんびり心身を休めたいからね。クフィールには苦労をかけたし」 「ああ、いいんだよ姐御! あいつは昔から、こういう仕事は得意な性質でよ」  可憐な容姿を裏切るように、豪快にラファールが笑う。  確かにクフィールの仕事ぶりは徹底して緻密で、それでいて必要なだけ大胆だった。だから今日の今、この瞬間までメビウスは安心してベッドに沈んでいられたのだ。  だが、それも終わり――休暇は終わりぬ。 「それにしても、蟻かあ。連中、どこにでも出てくるなあ。……あ、ちょっと昔ね」 「まあでも、クフィールの奴ぁ上手く切り抜けた。トライマーチの連中も加勢してくれたしよ」 「そう、それだよラファール。大事なのは、そこだ」 「おう。海都側と深都側のギルド同士、アチコチ関係が悪化しているからな」  居並ぶ仲間達の中から、ラファールが腕組み一歩踏み出し語る。  蟻のモンスター大発生、そしてその首魁たる女王の降臨……この緊急事態に際してさえ、冒険者達のギルドが対立構造を解くことはなかった。それが今、メビウスには少し寂しい。いがみあう必要を感じないから。  だが、ソラノカケラの女王蟻退治は、トライマーチの加勢という形でいい方向を示す筈だ。  海都と深都の、それぞれの旗頭たる急先鋒ギルドが共闘する……それは自然な形だし、むしろいがみ合う他のギルドをこそおかしいと気づいて欲しい。そういう願いは少なからずメビウスにはあった。 「まあ、ぼく達はぼく達の仕事をするだけさ。ベストを尽くして、結果を受け入れる。それだけ」 「いいねえ、付き合うぜ姐御! で? 俺は次ぁ、なにをしたらいいんだ?」  ラファールの言葉に周囲の冒険者達も目を輝かせる。  クフィールにギルドの全権を一時移譲した際、メビウスはラファール達新規のメンバーに別件で個人的な依頼をしていた。それは、他のギルドが拾わないようなクエストをこそこなすこと。常に海都には冒険者を必要とする民がいて、その願いと祈りに応えることはやぶさかではない。むしろ、求めに応じてこそという気概もある。  ソラノカケラのように大所帯かつ大規模なギルドになれば、パーティの一つを報酬度外視のクエストに回しても他で採算が取れる。言ってみればボランティアだが、ラファール達は嫌な顔ひとつせずに引き受けてくれた。 「まあでも、そろそろ浮気調査や迷子の子犬探しは飽きたぜ……剣が振りてえ」 「フヒヒ、そうじゃのう! ボートゥールもさぞかし退屈だったじゃろて」 「私は構わぬ……ラファール様が無事であれば、健やかであればそれでいい」  ラファール臣下の重鎮がうんうんと大きく頷く。その姿にメビウスは忠臣を感じるが、ラファールが健やかかどうかはまた別の話だ。むしろ疑問にさえ思うのだが、口に出さないのが冒険者の流儀だ。  そう、喋らなければ絶世の美女に見えるこの王子には、ツッコミは無粋というものだ。 「さて、そういう訳で……ぼくも復帰するよ。元老院から急ぎの依頼がきてるんだろう?」 「っと、そうだった! 姐御、俺に、俺達にやらせてくれよ」 「パーティ構成は臨機応変、必要なら声をかけるさ。第四階層、先ずは進まないとね」  先日珍しく見舞いに来たコッペペの話が、メビウスの脳裏をよぎる。しおらしく花束なんぞ手にしたコッペペは、自分でも対象外だとしりながら満身創痍のメビウスを慰め、口説いてみせて、その上で歌まで歌ってくれた。もっとも、旧知の仲として様子が気になったというのが本音だろう。  それともう一つ……トライマーチは既に、第四階層『深洋祭祀殿』を先へと進んでいる。未知の領域に踏み出し地図を埋め、随分と探索は進んでいるという。さして興味もない様子で語るコッペペの言葉にしかし、刺激されないメビウスではなかった。 「ぼく達第一パーティを主軸に、必要があればメンバーを入れ替えて……進むよ」 「おうっ! そうこなくっちゃあなあ、姐御。いつでも声をかけてくれよ!」  からからと気持ちのいい笑いを響かせるラファール。その笑顔の横から、懐刀とも言える古くからの右腕が静かに口を挟んだ。 「しかし、元老院の依頼は急ぎの様子。なんでも、薬の素材を取ってきて欲しいとか」 「白亜の姫君、グートルーネ様のご病気に関する依頼かな? まあ、そんなとこだろうね」  メビウスは久しぶりに編んだ三つ編みをいらいながら、床へと視線を落とす。  海都の元老院が奉じる古き血の末裔……白亜の姫君。その身は病に侵され、命を紡ぐには世界樹の奥深くより持ち帰る薬が必要だという。確かにクジュラはそう言ったし、それが原因でゲートキーパー攻防戦は死闘になった。その傷はふさがった今も、触れれば小さな痛みを返してくるのだ。 「まあ、ぼく達は元老院に筋を通すだけさ。その依頼、もう受けてるんだろう?」  ラファールが、次いでニムロッドとボートゥールが大きく頷く。  何が正しいか、何が適切かは正直解らない……ただ、そんなことは後世の歴史家やらなにやらが決めればいいと思う。メビウスは今、仲間と依頼者の為にベストを尽くすだけ。今、最良と思えることを、できる範囲でこなすだけだ。 「さて、じゃあ早速世界樹に潜るとするかな……着替えたいんだけど?」  メビウスの視線を察して、ボートゥールが慌てて頬を赤らめながら背を向けた。この朴訥とした男は、こう見えても繊細な所がある。それがまた気をよく回して、ラファール達のパーティ最後の良心として機能しているのだが。今もまた、場の空気を一番先に読んだようだ。 「おう、ボートゥール。ちょっと席外せや。姐御が着替えるってのに、男がいちゃまず――」 「ラファールも男の娘、もとい男じゃろう!」  これまた気を利かせたつもりのラファールの一言に、ニムロッドが絶妙なツッコミを入れる。  それでラファールは、自分の本当の性別を思い出したようだった。 「っと、そうだったぜ! 俺も男だ、着替えが済むまで外にいるぜ」 「そういう訳じゃ、行った行った。……ニシシ、生着替えじゃあ、眼福じゃあ」  ことさら邪な笑みを浮かべて、口をMの字にしてニムロッドが笑う。 「……ゴメン、同じ女でもニムロッド、君には出て行って欲しい気がするな。個人的に」  そうして一同を部屋から追い出しつつ、メビウスは肩越しに振り返って窓辺を見る。  そこには、モンクとして普段着こなし、最近は気慣れた法衣があった。動きやすさを重視した簡素な上着とズボンは、東洋の修験者が功夫を修める際に着るものだ。  久々に袖を通すべく、メビウスは色気もなにもあったもんじゃない寝間着を脱ぎ捨てる。  無限の魔女と呼ばれた冒険者が、世界樹の迷宮に再び足を踏み入れようとしていた。