宵闇を迎えた世界樹の迷宮は暗く、奈落の深淵よりなお影は色濃い。  肌寒い闇に染まる第四階層を今、メビウス達は息を荒げて疾駆していた。 「ラファール、きみ達のパーティは西側を! この神殿は複合構造になっているから!」 「へへ、任しときな! 上がったり下がったりだからな……おう野郎共、いっくぜえ」  メビウスの指示を得てまた一団、分かれ道の片方へとギルドの仲間達が駆けてゆく。その逆方向を睨んで、メビウスは先頭で地図を広げていた。  ソラノカケラを総動員の大所帯だったが、混乱は少なく統制が整っている。 「メビウス殿、私達は東側を探りましょう。ヨタカ、獣使いの彼と前衛に立ってくれ」 「すまない、ミラージュ。そっち側を預ける! 何かあったら人をよこしてくれっ」 「メビウスさん、じゃあ俺は残った者達で北側を。ラプターとイーグルはメビウスさんを守れ」 「うん、任せる。スカイアイ、パーティを再編成だ。……急げ、時間がないっ」  亡国の王子兄弟が、揃って隊伍を率いて暗がりに消えてゆく。  丁度メビウスの側に残ったのは、マーティン姉弟とスカイアイ、そして―― 「急いだほうがよさそうですな。して、例の転送装置とやらはこの先……ですな? クジュラ殿」  メビウスの隣に立つ青年へと、その声は吸い込まれる。深王代理騎士たるトーネードの声音は普段といささかも変わることはないが、今は僅かにおどけた口調が影を潜めている。ただただ機械の電気騎士は言葉少なげに、フルヘルムの奥から鋭い眼光を放っていた。  尋常ならざる目付きで睨み返すクジュラもまた、その口数は少ない。 「とにかくっ、全員で深都サイドの冒険者達を保護。続いて転送装置の確保、いいね?」  鋭い眼差しを一本の線に収斂させる、二人の間に分け入ってメビウスが小さく叫ぶ。  今は仲間割れをしている時ではないし、自分が海都サイドの人間だと断じて立ち振る舞う訳にもいかない。メビウスはどちらの側にも肩入れしない、強いていうなら冒険者の側の人間だ。立場上、元老院に筋は通しているが、それは完全なる恭順を示している訳ではないのだ。  無限の魔女はいかなる力にも従わず、諂わず、媚びる必要すら持ち合わせていない。  ただ彼女を突き動かすのは、古くからの冒険者としての矜持だった。 「……転送装置はこの先、下り階段を降りてすぐだ。急げ、連中に先を越されては」 「越されたればどうするおつもりですかな? よもや斬り捨てるとは言いますまいなあ」  クジュラの言葉にトーネードが言葉を重ねて絡み、両者はまたも視線を結ぶ。  元より深都の機兵なれば、メビウスにもトーネードがこだわる理由は解る。まして彼は、あの深王より全権を委任された栄えある騎士……深王代理騎士なのだから。 「クジュラ、トーネードも。今は不用意なテンションを作ってる場合じゃない」 「メビウスの言う通りだ。さて、進もう……ここから先はまだ地図にない迷宮だ」  諌めるメビウスの声を聞いて、先に剣の柄から手を放したのはトーネードだ。彼はスカイアイが促す通り、黙ってマーティン姉弟と共に先に立つ。メビウスが小さく溜息を逃していると、 「クジュラの旦那は最後尾ってことでいいかな? さ、メビウス。地図をよく見ててくれ」  ポンと肩を叩いて、スカイアイもメビウスを追い越してゆく。  メビウスも意を決すると、クジュラの気配を連れて歩みを進め始めた。 「ミラージュ達なら大丈夫だと思うけど……子供達はおいてきて正解だったな」 「かの者達は元老院の客将、百戦錬磨の剣士だ。深都の者達に遅れは取らぬ。……筈だ」  急いて疾く足を運ぶメビウスに、並んで歩くクジュラが珍しく弱気だ。この、抜き身の刀のような男でさえ、先程の庭園では白亜の姫君を前に焦りを見せた。それは今、並んで歩けば誰の目にも明らかだった。  メビウスはスカイアイや他の仲間達がそうするように、クジュラの憔悴を気遣い急ぐ。  その時、向かう回廊の先に紫電が走って稲光がスパークした。  闇を喰らい飲み込む暴力的な光と共に、ゆらりと見知った声が姿を現す。 「息災か、メビウス。久しいな……怪我の完治、嬉しく思うぞ」  その声は以前にも増して凍てつき冷たく、以前のような小さな親しみが欠片もない。  メビウス達最後のパーティの前に今、いななく雷獣にまたがり手綱を握った女性が立ち塞がった。 「くっ、ありゃあ……キリンじゃねえかっ」 「空想上の幻獣だと思っていたが、実在したのか!? それより、メビウスッ!」  帯電するたてがみを青白く染める駿馬が、蹄を鳴らしてその背に主を迎えている。額より飛び出た角からは、迸る蒼雷がバチバチと音を立てていた。そんな太古の伝説、神話の幻獣に騎乗しているのは、 「ああ……解ってる。ぼく達がどうしてこの場に来たか解るか、エミットッ!」  放電ににらぐ空気に切りそろえた髪を棚引かせて、エミットが騎上で槍を構えていた。  その顔は普段の鉄面皮だが、一切の感情が読み取れない。ただ、得るべきものを得たというような多幸感だけが浮かび、同時に使命に燃える瞳が炎と並んでいる。凍える熱さを湛えたその表情には、恍惚とした歓喜さえ見て取れた。  そのエミットが再び口を開く。 「解っているとも。だからこそ尚、重ねて言い渡す。……私達の邪魔を、するな」 「ぼくの話を聞いて、エミット! ぼく達は誤ちを犯しつつある」 「ほう? 誤ちとは」 「冒険者同士が潰し合う、不毛で不要な闘いっ! ぼく達は争うべきではない」  メビウスは声を張り上げ思いのたけをぶちまける。その声を吸い込む玲瓏な女騎士は、フムと頷き一言零した。同時にその目はトーネードに向けられ、左右に降られる首を見て眉根を寄せる。 「私も同感だ。私達は闘うべきではない」 「なら、エミット」 「だからメビウス、退いてくれ。大恩ある友を私は斬りたくはない」  にべもない言葉と共に、長大な槍の穂先がメビウスの鼻先に突き付けられた。  エミットは巧みな手綱さばきでキリンを操りながら、メビウスに選択肢を突きつけてくる。 「……エミット、何がきみをそうさせる?」 「私があのお方の……深王の代理たる騎士だからだ」 「それは前にも聞いた! だけどっ」 「あの方は先のゲートキーパー戦での、私の誤ちを赦してくださった。そればかりか――」  エミットはうっそりと胸元に手を当て瞳を潤ませる。 「この私に再度、生きる意味を教えてくれた。メビウス、やはり私は真に王を得たのだ」 「それはっ! それは……エミット、だがきみが本当に守らなければいけないのはっ!」 「メビウス、先程誤ちと言ったな。その誤ちを犯しているのは誰だ? 誰か解っているのか?」 「ぼくの話を聞けっ、エミット! 頼む、聞いてくれ」 「貴公こそ自分に問うたらどうなのだ? フカビトとの禁忌を犯したのは……誰だと言っている!」  不意にメビウスの眼前に浮かぶ刃が翻った。次の瞬間には、二人の間に戦斧が割って入る。  繰り出された神速の突きを盾でいなして、ラプターがメビウスの前に立っていた。 「メビウス殿、ここはわたしが引き受けたっ! 転送装置を……イーグル、お前も行けっ!」 「ラプターか。手出し無用っ! 王家が隠蔽するフカビトとの交わり、この私が断つ」 「もう喋るな……いいや、わたしが黙らせる」  力に力で抗うと、ラプターは片手で無理矢理に槍をさばいた。それた力は大地を穿って、不思議な輝度の床を削る。同時に後ろ足で立つキリンの上から、無数の刃が襲った。  メビウスをも狙った攻撃が全て、ラプターによって防がれる。 「失望したよ……あんたの目はがらんどうか? も一度刃を交えなきゃ、解らないってか」 「それはこっちの台詞だ。深王が見据える大局、真に人が対峙すべきモノが見えぬなら――」 「黙れと言ってる! ……わたしは今、怒ってるんだ。楽して酔ってる、あんたに!」  メビウス達の進路を指し示すように、その行き先を譲るようにラプターが地を蹴った。エミットもまた、騎首を翻して迎え撃つ。  かつて刃を交えた後に解り合い、一時肩を並べた二人が。今はもう、音を切り裂き槍を交わしている。 「行ってくれ、メビウス殿っ! こんな姿が騎士である筈が……わたしの理想である筈がっ!」 「阻むならば容赦はしない。万難を排して王家の森を暴き、フカビトの陰謀を挫くっ!」  躊躇するメビウスの隣で、クジュラもまた大刀を抜き放った。  言葉は既に尽きたか? そう自問するも自答できず、メビウスは唇を噛む。 「姉貴、付き合うぜっ!」 「ラプターにイーグル、ここを預ける! 行こうメビウス。俺達が進まなければ!」  呆然と立ち尽くすメビウスは、二の腕をグイとスカイアイに引っ張られる。連れ去られるように走りだす彼女は、一瞬剣戟に躍るエミットと目があった。  僅か数瞬の刹那、互いの目と目に相手が映る。  先に目を逸らしたのはエミットだった。  そしてその僅かに見せた躊躇いにかける言葉を飲み込み、メビウスは迷宮の奥へと走った。