地獄の業火に我が身を閉ざされ、ただひたすらに待った久遠の百年。  その長きに渡る雌伏の時は今、終わろうとしていた。 「……来たか。人にして魔なる乙女よ。王子にして王女たる姫君よ」  大地のにらぐ音以外何物も響かぬ、轟と鳴る静寂を引き裂いて。今、断罪の間を封じた扉が重々しく開かれた。続いて矮躯の四人が、外からの光に長い影を落とす。  魔の一柱、フカビトの真祖はすかさず試すように力を振るう。  たちまち無より、名状しがたき男女一対の悪意が受肉と同時に吠えた。 「あぶないですわ、ジェラ!」 「大丈夫。わたし達、守られてるもの。さあ、敵意はいらないわ。言葉を交わしましょう」  真祖が差し向けたフカビト達が、子供達の前に立ちはだかる機械音へと吸い込まれてゆく。キュイン、と小気味良いモーター音が僅かに響いて、次の瞬間には水圧の刃が二人の迎撃者を両断していた。  振れば露散る両刃の剣を携えて、機兵の男が敵を斬り伏せる。 「ほう、また一人混じ者か。躯体に魔を宿し機兵。おもしろき面ばかりよう並んだものよな」  真祖はそのあどけなさがのこる顔を老獪に歪めた。つりあがる唇の端には、醜悪な下卑た見下す笑みがありありと浮かんでいる。  それでも少女達の中から臆することなく、一人の小さな星詠みが歩み出た。 「怯えているのね、王様。だからいたずらに力を振りまく。怨嗟と憎悪を身に纏う」  真祖の目が見開かれた。  その少女はまだまだ子供で、ヒトならずとも両親に甘えたいざかりの年頃なのに。それが今、真祖の胸の奥へ直接言葉で触れてくる。奥底に沈殿した心を鷲掴みにしてくるのだ。 「ククク……フハハハハ! 面白い、この僕を恐れぬか」 「怖くはないよ。みんながいてくれるし、それだけじゃないもの」  少女が肩越しに振り返ると、絢爛たる戦衣に鎧を纏った姫君が並んで手を結ぶ。他の少女達も同様に一つになって、その後で剣を地に突き機兵の男は沈黙した。無言で語りかけるようなその長身に頷き、半人半魔の少女は尚も言の葉を重ねる。 「そもそも、どうして人と魔は相反するのか。その前提を質しに来ました」 「ほう? 深王を名乗る哀れながらんどうの言葉では不服か? 僕は魔の眷属、人の怨敵だ」 「それは深王が百年前に作った理……そうでしょう? わたしは、わたし達は、違う」  静かに浸透してくる声が、鼓膜の隅々にまで染み渡る。  自分を恐れぬ者をこそ真祖は恐れ、それが引き金となって新たなフカビトを呼ぶ。が―― 「ジェラのお話に耳を傾けてくださいませ! 怖がる必要はありませんわっ」  抜剣の煌きと同時に、舞うような剣が再び真祖の下僕を切り裂いた。機兵の少女もビットを巡らし、獣使いの娘もまた毒アゲハを呼ぶ。だが、その純真な瞳に敵意はない。 「……何が聞き出したい、混じ者達よ」 「真実を……アーモロード百年の空白時代を埋める、ただ一つの真実を」  淀みのない、迷いのない声が響いた。 「名は、その方……そこの人にして魔なる乙女と、王子にして王女たる姫君とだ」  二人の少女が互いに顔をあわせて、順に丁寧にスカートを摘むと頭をさげる。 「わたしはジェラヴリグ」 「わたくしはリシュリー・ミルタ・ミル・ファフナントですわ」  真祖は奇妙な取り合わせの二人に鼻を鳴らす。  片やその血に同じ魔を感じる、名前以外に何も持ち合わせていない子供だ。その片割れも同様に、遠い国の王子にして王女たる二つの名を冠している。ともにヒトならぬ者……同時に、ヒトの欲と想いが紡いだ数奇な血筋。  それが今、真祖を前に恐れず崇めず、ただ真実を求めて言葉を交わそうと言うのだ。  よく見れば二人共震えている……真祖の残忍な気持ちを、好奇心が僅かに上回った。 「真実を知ってなんとする? お前達に何ができるというのだ?」  その問いに答えるように、ジェラヴリグがそっと手を伸べる。その手にリシュリーも手を重ねた。指を絡めて手と手を結び、二人は互いに頷き合って天の星座に呼び掛ける。  エーテルを圧縮する強力な磁場と、あらゆる咒いを消し去る王族の力が同時に爆ぜた。強力なリセットウェポンが断罪の魔に巡らせた呪縛を解き、更にその隣にこの場のエーテルを凝縮してゆく。 「星降る夜の理、天の星座に願い奉る!」 「星仰ぐ人の理、地の星詠みが願い奉る……」 「煉獄の息吹よ、凍てつき凍れる輝きよ」 「いざいざ、我等がともがらの敵を撃ち砕け!」  二人の少女が詠唱する太古の占星術に、断罪の魔の気圧が急激に低下してゆく。強力な力が作用して今、百年の頸城が打ち砕かれようとしていた。 「原子よ止まれ、その動きを封ぜよ」「分子よ眠れ、その営みを忘れよ――」「「絶対零度!」」  術式が走る視界が白く染まって、思わず真祖も目を覆う。それでも瞼を庇った手の、その指の隙間から見る……それは、百年ぶりの外の景色。  あろうことか目の前の少女達は、リミットスキルで断罪の間自体を吹き飛ばしてしまった。  呆気にとられる真祖の前で、深呼吸を一つしてジェラヴリグが一言。 「わたし達になにができるかじゃないの。わたし達がどうしたいか」 「……フン、どうしたいというのだ」 「秘められた真実を持って、二つに隔てられた冒険者達の気持ちを一つに……」  胸に手を当て俯くジェラヴリグの隣で、リシュリーも声を張り上げる。 「兎に角、ほんとーに悪い人はいないと解りたいのですわっ!」  二人の純真無垢な気持ちは、行動で真祖に示された。  ならばそれを疑う必要はない。必要はないのだが、真祖は込み上げる笑みに腹を抱えた。再度哄笑が場を包みこむ。 「愚か者め! この僕を縛から解いて、それでまだ未来を望むか! 真に取るべき道があると?」 「ないとは言わせないわ、なければわたし達で作るだけ」 「笑わせる! 呪われた混じ者と何度虐げられた? うぬを貶めた者達を忘れたか」 「ううん、一度も忘れたことはないよ。虐げ貶めるだけの人だけじゃないってこと、覚えてる」  真祖は気付けば声を荒らげていた。自由の身になったのに、真っ先にその身を深海深くへ逃すことさえ忘れて激昂する。 「お前達のどうにかできる話でもあるまいっ! どうするのだ、どうにもならぬであろうっ!」 「……どうにもならなかったら、わたし達は今頃ここにいないよ、王様」  即答、曇なきまなこが見詰めてきて、真祖の中に返事が無限に反射した。  同時に先程の嘲る笑いとは別種の微笑が僅かに浮かぶ。 「……よかろう。後悔することになろうがな。……これを受け取るがいい」  真祖は身の内に封じて百年抱いてきた、世界樹の奇跡の残滓を取り出した。それをジェラヴリグの手に握らせる。 「これぞ、神話に謳われる白亜の供物。我等が神と対を成す世界樹の、奇跡の業の残りカスよ」 「こ、これが……」 「白亜の供物。これがあればもしや、ジェラ……」  リシュリーの言葉に黙ってジェラヴリグは頷いた。  だが、真祖の悪意が満ち満ちて、それは言葉を伝って少女達を汚す。 「白亜の供物はあらゆる事象を乗り越える。それがあればお前達もヒトになれるのだぞ? ん?」  ジェラヴリグに宿る半身、魔の血を払拭して本当の人間になることもできる。リシュリーの両性併せ持つ不完全な肉体を、どちらかに産み直すことすら可能だ。それだけではない、あらゆる富も名誉も思うまま。だが、少女達は揃って柔らかく微笑んだ。 「わたくし、この身体は気に入ってますの。ははねーさまから頂いた命ですもの」 「わたしも同じ。この身こそ、ヒトとフカビトが結ばれ契った証だから」  愚かしくも潔い、私心無き純粋無垢な想いだった。 「ふっ、ならば真実を求め続けるがいい……その鍵を今、貴様に刻んでやろう! フハハハハ!」  真祖は確信した。この娘達こそが、百年続く人と魔の争い……そして、宇宙開闢より続く世界樹と我等が神の戦いを終焉に導くと。それを真祖もまた望むからこそ、呪いを授ける。 「……痛っ! こ、これは」 「ジェラヴリグとか申したな……その刻印こそ鍵。呪われたその身に刻んで引きずるがいい」  ジェラヴリグとリシュリーが解き放った真祖は、それだけ言い残して白亜の供物を残すと、迷宮の奥深くへと消えていった。ジェラヴリグの手の甲には焼けるような痛みと共に、禍々しい痣が刻まれていた。