その音は小さく鈍く、メビウスの鼓膜を僅かに震わせた。  殺意を込めた撃鉄が跳ね上がる、嫌に冷たい銃の鼓動。 「コッペペさんっ!」 「コッペペの旦那ぁ!? なっ、なにやってんですか!」  ソラノカケラとトライマーチ、両方から声が上がって視線が集中する。その先へと首を巡らせ、メビウスは背筋が凍る感触に身を震わせた。  そこには普段のにやけたしまらない笑顔はなかった。  深王へと銃口を向けるコッペペの表情は、いつになく真剣で険しいものだった。 「よう王様。あんた王だろ? 深王なんだろう? そういう話はいけねえぜ。王様でなくてもだ」 「よせコッペペ、馬鹿な真似はやめるんだ」 「だーってろ、メビウス! ……許せねぇな、誰が許したってオイラが許すもんかよ」  コッペペは銃を深王へと突きつけたまま、一歩、また一歩と歩み寄る。  深王の顔にはどこか諦観の念さえ感じる静かな微笑があった。 「冒険者よ、我を許しがたいという気持ちは理解できる」 「いいや、あんたはわかっちゃいねえ。違うな……感じてねえ」 「我が捨てた責任の重圧はわかる。遺憾にも感じているのだ。だがもう、我は疲れた――」 「……黙れよ、王様」  引き金が銃声を呼んだ。  深王の足元に弾着の土煙があがる。  同時に再び撃鉄が跳ね上がる音がして、硝煙の匂いを連れてコッペペが歩み寄った。その驚くべき早撃ちは、普段の彼が見せぬ熟練の冒険者の技だ。メビウスは身動きすらできなかったことに改めて驚愕に凍える。そう、普段はなんの役にも立たない男だが、コッペペは生粋の冒険者なのだ。 「王様、あんたはオイラを怒らせた。どうだ? 十分な理由だと思わねぇか?」 「コッペペおじさま! いけませんわ」 「駄目、この人を許してあげて。もう、深王もただの人なの」  リシュリーやジェラヴリグの懇願に、コッペペは僅かに苦笑を零してチラリと横目に子供達を見やる。その顔は普段の面倒見がいいそれだが、再び彼は鋭い視線で深王を射抜いた。  銃はまだ、まっすぐ深王を……グートルーネを抱きしめるサイフリートに向いている。 「そうさな、ジェラちゃん。リシュちゃんも。こいつぁもう機械じゃねえ……人、だ」 「なら!」 「だがな、オイラ達は、こいつは大人だ。大人ってのは自分の尻は自分で拭かにゃなんねえ!」  再び銃声。  深王の頬を銃弾が切り裂いた。真っ白な肌を今、真っ赤な血が濡らす。  メビウスは慌てて駆け寄ろうとしたが、握る拳の内側が無意識に汗をかく。自分でも意外だが、鍛えた我が身は警鐘を鳴らしていた。この男は危険だと。自分と同等の力を持った、恐るべき冒険者だったのだと。 「冒険者よ、深都のことなら心配はいらぬ。オランピアがおる」  深王の言葉に、ことさら激昂にコッペペは声を荒げた。 「オランピアちゃんは手前の丁稚か!? あんましオイラを怒らせるんじゃねえぜ」 「かの者は忠実なしもべにして右腕。……そして、我を一時慰めるグートルーネの生き写し」 「本物が手に入ったから、もういらないってか。そういうのはオイラは好かねえ。好かねえな」 「……好き好みの問題もそうだが、警告するぞ冒険者よ。我に敵意を向けるな」  その時メビウスは、鋭利な刃が擦過するような感覚に振り向いた。  そこには、肘から輝く刀身もあらわに身を引き絞る、オランピアの姿があった。 「冒険者よ、我に害意ある物をオランピアは駆逐する。なんの躊躇いもなく……そうできてるのだ」  わなわなと身を震わせ、オランピアが右手を振りかぶった。翻る刃が光を集めて、次の瞬間にはコッペペの首をはねる……そういう気配がメビウスにも伝わった。  だが、その時最後の奇跡が起きた。 「……いいぜ、オランピアちゃん。やんな」  振り向き一瞥して、寂寥にあふるる笑みを零しながら。再度コッペペは深王へ銃を向ける。 「深王、いやサイフリート。手前ぇは人として、大人として……男として許せねえ」 「それもまた正論だ。我もまた自分が許せぬ身。されど――」 「黙れよ! いいか、男が一つだけしちゃいけねえことがある。それは」  それは、女を泣かせること。  コッペペは大真面目に真摯に、そのことで怒りをあらわにしているのだった。 「手前ぇは三人の女を泣かせた! エミットさん、フローディアのばあさん。そして」  エミットは呆然と我を失い、ただ地に伏していた。逆にフローディアは今、どこか清々しささえ感じる表情で、憑き物が落ちたかのよう。二人共泣いてはいない。だが、メビウスにはコッペペの言わんとしてることがわかった。この男は、涙も流せぬ女のために怒っているのだ。 「そして、オランピアちゃん! 手前ぇは女を泣かせる最低のクズ野郎さ」 「愚かな……かの者にそのような機能を授けた覚えはねえ」  事実、オランピアは右腕を振り上げ素っ首をはねようとにじりよっている。その刃の射程範囲にもう、コッペペは入っていた。だが、彼は身じろぎもせず深王に対峙している。  その時、異変が起こった。最後の奇跡の残滓が、深王の操り人形を運命の糸で絡めとる。 「……私は、嫌だ! もう、冒険者を殺したくはない。なのに、なのにこの身が止まらぬのだ!」  涙も流さずオランピアは泣いていた。哭いていたのだ。自らの左手で右腕を掴んで、震えながら己を制しようとする。だが哀しいかな、白亜の姫君の模倣品は精密な機械でしかなかった。その身に一欠片の感情が宿っていても、深王と世界樹が施した枷の方が強い。  だが、明らかに相反する二つの意思と感情を宿して、オランピアは震えながら煙を巻き上げた。 「ば、馬鹿な……我を守るはかの者の最優先事項。それに反するなど、自己崩壊を起こす」 「コッペペ様! どうか兄様をお許し下さい! ……許してなどとは申しませぬが、どうか!」  コッペペは普段はどうしようもない男だが、一流の冒険者だった。その唯一の弱点が今、深王の腕を逃れて大の字に立ちふさがる。グートルーネは身を盾にして射線上に両手を広げた。 「……ずるいぜ、オイラに女が撃てるかよ」  くるくると銃を回してしまい、コッペペは暴走寸前のオランピアに振り返った。  その華奢な身を抱きしめれば、ジュウと熱の焼ける音が響く。だが構わず、コッペペはガクガクと震えるオランピアを優しく抱きしめる。オランピアは電子音を響かせた後、沈黙してしまった。誰の目にも明らかで、長らく冒険者達を惑わせてきた深王の操り人形は息絶えたのだ。  これで全ての事態は決着したかに見えた。  だが、コッペペの想いを受け止め受け入れ、メビウスは勝手に体が動いた。 「コッペペ、女を泣かすのは駄目だって……ちゃんとぼくも勘定に入れてる?」 「メビウス、お前ぇ……」 「きみが踏みとどまってくれてよかった。詩人の手を汚すに値しない男だ、サイフリート!」  握った拳が触れて殴った、その感触は間違いなく血肉の通う人間の体だった。  メビウスの鉄拳を顔面に食らって、サイフリートは大きく吹き飛んだ。悲鳴をあげるグートルーネが慌てて駆け寄り、フローディアもその背に続く。 「これがぼくなりのけじめ。深王……いやサイフリート! 姫様も……お達者で」  メビウスが背を向けると、同道していた仲間達もやれやれとその後を追う。  一度だけ肩越しに振り向くメビウスは、決意を新たに静かに宣言した。 「フローディア様。二つの都を今一つに……その敵は、ぼく達が打ち砕く。必ずだ」  そうだろ、コッペペ……それだけ言って背中で頷きを拾うと、メビウスは部屋を出た。後ろ手に扉を閉めると、数歩進んでその場に崩れ落ちる。苔むす大地を拳で叩きながら、彼女は奥歯を噛み締めた。  仲間達は続いて退出するトライマーチの面々と一緒に、そんな彼女を囲む。 「ありがとよ、メビウス。いいパンチだったぜ……さて、忙しくなるぜ? なあエミットさん」  普段のほがらかで呑気な顔を取り戻したコッペペは、わしわしと子供達の頭を撫でながらニヤリと笑う。だが、そうして見やる彼の仲間は表情を失っていた。ただ促されて歩いただけで、身動きひとつしない。 「エミット……」 「メビウス、これはどういうことだ? 深王こそ真に王たる者では……違ったのだな」  アーモロードの女達は、悲しい時ほど涙を見せない。港町に生きる者達は皆そうだ。フローディアがそうであるように、またその世界樹の奥に生きたオランピアがそうであるように。エミットもまた、涙も流さず泣きながらその場に崩れ落ちた。