表面上、タリズマンには深都は落ち着いて見えた。  真なる世界樹を中心に、今も街灯りは電気の光をたたえている。深王の失踪に前後して、多少は混乱もあったらしいが……深王代理騎士たるトーネードの努力は実を結んでいた。  そう、表面上は落ち着いて見える。それは、タリズマン達の前を歩く男も一緒だ。 「そろそろいらっしゃる頃だと思っておりましたよ、コッペペ氏」  天極殿星御座で一同を出迎えたのは、いつも通りヘルムの奥から優しげな瞳を向けてくるトーネードだ。彼と気安い挨拶を交わすコッペペは、タリズマンにはやはり平静でいつも通りに見える。  それは一緒についてきたガイゼンやニムロッドも同じようだった。 「よおトーネード、悪いな……忙しいんだろ? 今やお前さんが深都のまつりごとを――」 「そのことでワタシはコッペペ氏、あなたにお詫びせねばなりません。ワタシは」 「いいってことよ、深都のためなんだろ? ……誰よりあの娘が望む筈さ」  タリズマンには話が見えてこない。  だが、コッペペが「あの娘」と呼ぶのは、このアーモロードでただ一人だ。 「かの者は深王の側近にして右腕……行政の全データを持ってます故」  表情のない無骨な兜の向こう側で、沈痛な面持ちをタリズマンは察知した。この深都の騎士は、同じギルドに轡を並べる仲間。それが今、悔やんでも悔やみきれないというような顔をしている。  表情無きその顔から感情が読み取れるほどに、タリズマンもまた親しい仲だった。 「いいさ。あの娘は蘇った、だからオイラは顔を見に来た。それだけだ」 「ですがコッペペ氏、全てが元通りにという訳には……」  その者は自らが生まれた際に心身へと刻まれた、己を縛る理へ抗った。ゆえに自己崩壊を起こしたのだ。そう、その者の名は―― 「トーネード卿、書類の決裁が終わりました。海都との合併までは……失礼、来客でしたか?」  タリズマンはその時、目を見開いて驚いた。  逆にコッペペは、ただ眩しげに目を細める。  互いに顔を見合わせるガイゼンとニムロッドをよそに、オランピアは蒼いローブをまとって一同の前に現れた。その手には光の文字が浮かぶ不思議な板を持っている。 「オランピア殿。お手をわずらわせて申し訳ない。これで深都の民も安心して暮らせます」 「我が身は深都のためにあるのです。トーネード卿、存分に手腕を発揮し私を使ってください」  あの日、海都と深都が百年前の古き血を失ったあの瞬間。オランピアは深王を守るという自身の枷に抗った。深王へと銃口を向けたコッペペを殺すばかりか、殺めようとする己の存在理由に抵抗したのだ。結果、彼女という存在は誰の前からも消えてしまった。  だが、深王を失った深都の民への生活を保証するためには、彼女がどうしても不可欠だった。 「なんじゃあ、機兵とは便利じゃのう。の、タリズマン。ピンピンしとるわい」 「これこれ、ニムロットばあさんや。アンドロとて人間、失ったモノは全ては――ゲフォ!」 「誰がばあさんじゃーっ!」  射抜くようなドロップキックで吹っ飛ぶガイゼンを余所に、コッペペは静かにオランピアへと歩み寄る。この詩人あがりのパイレーツが、どれだけ彼女に入れ込んでるかはタリズマンもよく知っていた。  だが今、目の前に歩み出たコッペペをオランピアは不思議そうに見上げている。 「まあ、冒険者の方ですね。サブクラスの習得はもうお済みのようですが」  まるで初めてコッペペに会うかのような反応に、トーネードの肩が大きく上下した。 「コッペペ氏、再生は完璧でした。データも無事に……ただ、彼女は記憶だけが」 「もうしわけありません、冒険者の方。もしやあなたも、以前の私と親しかったのでしょうか」  そこにはもう、以前のオランピアの面影はなかった。迷宮内に跳梁して百年、冒険者を過酷な真実から遠ざけてきた不思議な少女……深王の親愛なる下僕にして右腕はもう、永久にその存在を失ったのだ。  コッペペは動じなかったようにも見えたが、その手がギュムと握られる。  ガイゼンに完璧なコブラツイストを極めていたニムロッドも、ようやく事態を悟り表情を暗くした。 「……全てが元通りとはいかぬよな。大事なモノはいつも、失うことでしかその意味を知れぬ」 「そういうことじゃ、ニムロッド。この者はオランピアであってオランピアではない」  そう、コッペペの愛した少女はもういない。  あの日、己を取り戻した深王の代償であるかのように、失われてしまった。誰の前からも姿を消し、その機能だけが今も生かされている。近い将来、二つの都を一つに生まれ変わらせるためだけに。 「そっかあ、もうオイラのことは覚えてないんだなあ」 「……ごめんなさい、もしやあなたは」 「いいって! いいんだよぉ、ちょいとオイラがお前さんの尻を追い回してただけさ」  コッペペは寂しそうに視線を逸らして俯くオランピアの頭に手を載せた。  タリズマンが知る限り、オランピアはこんな表情を見せる娘ではなかった。常に感情を現さぬ鉄面皮には、ただただ深王への忠誠心だけが燃えていた。操り人形だった頃にくらべてしかし、今の彼女は情緒に富んで美しい。以前の工芸品を思わせる冷たい美しさではない、生きる人間としての美しさがおだやかに溢れ滲んでいた。  ただただ静かにオランピアの髪を撫でて、コッペペはニコリと少年のように微笑んだ。 「……お別れだ、オランピアちゃん」 「冒険者さん」 「深都のため、アーモロードのため……もう少しだけ頑張ってくれよん?」  そっとコッペペはオランピアから離れる。 「オイラ達も命をかける、アーモロードの敵を叩いて潰す。徹底的にだ。だから」  それだけ言ってそっとコッペペは離れるや、見守るタリズマンやガイゼン、ニムロッドの脇をすり抜けてゆく。振り返りもせず、この天極殿星御座を出てゆく。  思わずタリズマンは、気付けば叫んでいた。 「コッペペの旦那ぁ! 諦めちまうんですかい? そんな、どうして!」 「そうじゃ、コッペペ。確かにあの娘はもういない。でも、いやだからこそ」 「うむ、ニムロッドの言う通りじゃあ。やりなおせると思うがのう」  ガイゼンが諭すように零す言葉に、コッペペは脚を止めて肩越しに振り返った。  そこには、いつになく真面目な表情に目元を引き締めた男の顔があった。 「コッペペ氏、ワタシからも……オランピア殿、あの方は以前――」 「よそうぜ、トーネード。オランピアちゃん、困ってるじゃねえか」 「しかし! 我々機兵とて人です。であれば必定、人との縁を失ったままでは」 「……そうさ、みんなただの人さ。でよ、死んだ人は二度と戻っちゃなんねえ」  タリズマンは直感した。  コッペペは別れを告げに来たのだ。今も瞳を潤ませ見詰めるオランピアは、確かに事情を話してコッペペが言い寄れば、いい関係が築けるかもしれない。それも、以前よりも素晴らしいものが。  だが、コッペペはそれを選ばなかった。彼にとってもう、オランピアはこの世界にいないのだ。 「トーネード、ありがとな。オイラ、嬉しかったぜ」 「いえ、これもお務めゆえ。なにも面倒はありませんよ」 「そっかあ? じゃ、面倒ついでに一つ頼まれてくんねえか? ……エミットさんのことをよ」 「……承知」  それだけ言ってコッペペは去った。出てった直後に首だけのぞかせ、一度オランピアを見詰めて。同じく見詰めて見送るオランピアと、行き交う眼差しを一本の線へ収斂しながら。なにかを納得したように微笑して、それっきりコッペペは行ってしまった。 「旦那ぁ、あんた馬鹿だ……大馬鹿野郎だよ」 「私は改めて大事な方を失った気がします。深王が去られた時より、大きな喪失感」 「そりゃそうさ、オランピアさん。あんたは今、好いてくれた男を失ったんだ」  タリズマンはその時、オランピアの頬を光の雫が伝うのを見た。 「……あら? おかしいですね、このような機能があっただなんて。……世界樹が?」  あのオランピアが、不思議そうに目元を指で擦る。しかしとめどなく溢れる涙は、双眸の海よりさざなみのように頬を濡らしてゆく。 「不思議。私、泣いてます。トーネード卿、すみません……どうして、こんなにも胸が」  一同にそろって頭を下げると、涙の雫を零しながらオランピアは奥へと駆けていった。見送るタリズマンの胸に、悪友の恋の終焉が去来する。それは切なく悲しげで、しかし強がった男らしさの溢れた、いかにもコッペペらしい幕引きだった。  だから頷く一同と一緒に、タリズマンはなにも言わず海都へとコッペペを追いかけた。