怒声と悲鳴に満ちた回廊内は今、真祖に煽られ憎悪を燃やすフカビトの群れで埋め尽くされていた。玉座への階段に続く一角を守る二つのギルドは、絶えることのない消耗戦を強いられながらも、未だ大挙する暴力に抗い続けていた。  だが、それもそろそろ限界が見えてきたとデフィールは舌打ちを噛み殺す。  それでも彼女は最前線で襲い来る敵をさばきつづけながら、腹の奥から声を張り上げた。 「前列交代っ! 後ろはどう? 消耗する前に回転率あげて、押し返しますわよっ!」  言うと同時に、突出してきたフカビトの胸甲兵と切り結ぶ。繰り出される槍に槍で応じつつ、僅かな間隙の刹那へとデフィールは踏み出していった。見上げるようなフカビトの巨躯の懐に潜り込んで、手にした巨大な盾で一撃を繰り出す。パラディンだった頃より身に染み付いた、本来は防御に使用する盾での痛撃……それは鈍い音を立てて、押し合いむらがる敵陣へと相手を吹き飛ばした。  同時に呼吸を落ち着けながらも、叫ぶ声を荒げる。 「前列交代って言いましてよっ! なにやってるの、お下がりなさいな。ブレイズ!」 「オレぁまだやれる! やれるんだ……やる、オレがやるんだよ!」  デフィールの声に応える返事は、空気を貪るように途切れ途切れに響いた。左翼を守って戦鎚を振るっていた大柄な女が、よろけて膝に手を突く。目立った外傷こそないが、細かな無数の傷を出血させる姿は消耗していた。  だが、ブレイズは頑固に自分のポジションを後列に譲らず身を起こす。 「後ろはニムロッドとガイゼン爺さんでてんやわんやだ。まなびがまた、のびちまったから、なっ!」  フカビトと共に雪崩のように押し寄せる魔物達へと、言葉を噛み締めるようにブレイズがハンマーを振り上げる。その血と汗に濡れた筋肉はデフィールにはもう、限界に見えた。気概だけでは戦線は維持できない……冒険者が迷宮で遭遇する戦闘と、多数対多数の集団戦では訳が違う。  そう思えば毎度とはいえ、戦闘開始直後にヒーラーが一人戦闘不能になったのは痛かった。 「そこなおなご、気張りすぎるでないぞ? どれ、そろそろワシもまぜてもらおうかの」 「爺さん、オレはまだやれるんだ。オレは約束したんだ、エミットと――」 「続きは生き残ってから言えい。ほれ、どかすぞ」  老獪な声はどこか笑うようで、この血みどろの戦場に嬉々と胸を踊らせているかのようでもある。たちまち後方へとブレイズの逞しい長駆がすっ飛び、代わってゆらりと老人が歩み出た。  シンデンは手にした太刀を静かに抜き放つと、もろ肌脱いで身構える。老いてなお隆々と漲る筋肉の節々に、刻み込まれた無数の戦傷をデフィールは見た。長らくいくさばを駆け抜けてきた、いくさにんの勲章とも言える肉体だ。 「かかかっ、それでは一太刀馳走してくれるかのう」 「シンデン翁、お身体はもうよろしいのですか?」  入れ替わり立ち替わり前衛のメンバーを交代しながら、デフィール達が今の場所から徐々に下がり続けてもう随分経つ。シンデンは幾度と無く突出してデフィールの両翼を右に左にと支え、傷付き下がっても治療を終えるや前線に戻ってきた。この卓越した戦技と戦作法をわきまえた、百戦錬磨の老将がデフィールにはこの上なく頼もしい。  だが、その痛快に笑い飛ばす横顔にも疲労は色濃い。限界は近いと知れば、あたら命を散らすことはできない。それは、大事なギルドの仲間を預かったデフィールとしては、ギルドマスターであるメビウスやコッペペに顔向けが出来ないから。 「なにを言うか、聖騎士殿。ワシから見ればエトリアの聖騎士とてまだまだ若輩、おぼこのようなものよのう」 「言ってくれますわね。……左翼の守りを任せますわ」 「委細承知」  申し訳ないと思う反面、左翼の形勢が揺らぐ心配が失せてデフィールは内心安堵の溜息。シンデンに寄せる信頼は絶大なもので、それは自分を生娘扱いする老人が示してくれる気持ちと同じものだ。互いに信頼しあう冒険者同士でなければ、この地獄のような遅滞戦闘で戦線は維持できない。薄皮一枚、デフィールを先頭に持ちこたえてる前線はいつ決壊してもおかしくないのだ。  さて右翼はと、やりぶすまに槍をしごいて突き返し、間髪入れず突撃からのシールドスマイトで数メートルほど押し返してデフィールは首を巡らす。そこには鎧に無数の剣や槍、矢を突き立て血だらけになった猛禽の騎士が笑っていた。 「おおう、これが異国の聖騎士の技か。……こうか? うーん、なんか違うな。デフィール殿はもっと、こう」  シンデンにブレイズ、イーグルに我が子リュクス。頻繁に人が出入りを繰り返す中、長時間ずっと一人の女性ファランクスが隣を死守していた。今のデフィールがそうであるように、傍らの重装騎士もそう……己の装甲を頼りに、全ての攻撃を一手に引き受けるファランクス。あまねく全ての攻撃を受け切り、耐え切ってこそ華という剛の者だ。  そのラプターだが、見様見真似でデフィールのシールドスマイトを真似たらしい。見様見真似で、シールドバッシュを繰り出し敵兵をまとめて二、三人程吹き飛ばす。傷付き疲れ果てて尚の胆力に、思わずデフィールは関心を通り越して呆れてしまう。 「違うわよ、騎士ラプター。もっと手首を使って。盾の重さを乗せるの……こうっ!」 「おうっ、こうか! はは、こりゃいい」  二人並んで、纏う重装甲の甲冑に物を言わせる。着込んだ質量をそのまま、瞬発力に上乗せして押し返す。  デフィールはできれば、隣のラプターをこそ真っ先に休ませてやりたかった。今、後列に下がってアムリタ等を飲み、癒しの術でモンクに手当されるべきは彼女なのだ。だが、ラプターは断固として退こうとはしない。デフィールがそうであるように。  二人が僅かに攻勢にでてフカビトの荒波を押し返えせば、阿吽の呼吸でシンデンも戦列乱さず歩調を合わせる。  既にもう、こうして随分長い時間が経った気がする。だが、懐中時計に視線を落とす時間すら惜しんで、デフィールは気迫を叫びながら槍を繰り出した。既に後方から援護の射撃や占星術が飛んでこない。後は、我が身一つで戦う前衛で削り合うしかない。 「母上っ! ラプターさん、シンデン殿もっ! 僕がイーグルさんと前衛に立ちます! お下がりを!」  息子の声がした。随分と久々に聞く気がするし、酷く懐かしい。  だが、怒鳴り返す余裕すら持てずにデフィールは、大上段から降ってきた戦斧を弾き返した。 「悪いな、お坊ちゃん! ここはわたしの特等席だ。……デフィール殿、よもやわたしに退けとは言いますまい?」  不敵な笑みを浮かべるラプターに、感謝の言葉を述べる余裕もない。ただ頷いて、続いて響く泣き言にも等しい声を一喝する。 「では母上だけでも! 交代なしでは、持ちませんっ!」 「あのなあ、お坊ちゃん。わたしとデフィール殿はファランクスだ。これがわたし達の、見せ場なんだよっ!」  ラプターの言は言い得て妙で、なるほどこの娘が言いそうなことだと笑みが込み上げる。今、仲間達の生命をその双肩に背負って、ひたすらに敵意と害意に真っ向勝負を挑むパーティの盾……ラプターは若い頃の自分に似ていた。今の自分も似てると思いたい、それくらいデフィールは親近感を覚える。  思えばエトリアで、ハイ・ラガートで……数多の魔物達を踏破してきたデフィールだ。気付けばエトリアの聖騎士などと、ご大層な名で呼ばれるまで昇り詰めた。それはしかし、何時でも如何なる時でも、仲間の為に我が身を削ってこそ。そうでなければ、背負った名に意味など持てないのだ。  デフィールは尚も「母上っ!」と呼びかける声に応えた。 「リュクス、前線指揮官が一番前に立たなくてどうするの? それに――」  丁度目の前に、一際巨漢の筋骨隆々たるフカビトの闘士が剣を振り上げる。ギロチンの刃にも等しい、両手で振り上げるは重々しく輝く巨大な剣。それを真正面から受けた盾が、甲高い金切り声を歌った。  同時に熟練の技でいなして相手の体勢を崩すや、その隙に裂帛の一撃をねじ込む。 「それに、この紋章が最前線にある。そのことが大事でしてよ? さあっ、もう一踏ん張り! 持ちこたえますわよ!」  仲間達を鼓舞して叫ぶデフィールの手に、高々と掲げられた荘厳な盾が光る。アーモロードの紋章を刻んで金銀と宝石で飾られたそれは、実践的な造りとは言いがたいのに不思議な力をデフィールに与えてくれる。この紋章が輝く限り、この場で戦い続けなければいけないとデフィールは胸に刻んだ。そう、仲間達が……自分達が信じたメビウスが真祖を討ち倒すまで。例えこの生命燃え尽きても、一歩も退かぬ……文字通り死守する構えにデフィールの身は燃え上がる。  デフィールの呼びかけにまだ、仲間達は気持ちの篭った声を返してくれた。 「かかかっ、よき将よな。流石はエトリアの聖騎士。これでワシも存分に剣が振るえるわい」 「ようやく身体も暖まってきたしな。……!? くっ、こいつぁ――デフィール殿っ!」  珍しくラプターが血相を変えて、逼迫した声を張り上げる。  だが、デフィールはその元凶をゆっくり見定めて踏み込んだ。  着慣れた鎧も、槍も盾も酷く重い。己に蓄積したダメージと疲労が、今になって総身を蝕み動きを絡め取ろうとする。だが、その流れに逆らいながらも、周囲の景色がスローモーションになる中……デフィールは轟音と共に巨大な獣が繰り出す牙を受け止めた。  すかさず横からラプターやシンデンも支えてくれる。だが、荒ぶる獰猛な牙と爪は、容赦なく前衛の三人に襲いかかった。 「わたしが抑えるっ! シンデン殿っ、斬ってくれ!」 「いかんっ、間合いが取れぬっ! ……デフィール殿っ! このばかもん、老骨なんぞ庇うから」  質量にものを言わせて、咆哮と共に猛獣がのしかかってきた。咄嗟にシンデンを突き飛ばし、デフィールは力に力で勝負を挑む。元老院のフローディアより託された盾はびくともしないが、それを支える左手が篭手の中で血に塗れた。肉は裂け腱は割れ、恐らく骨は砕けたかもしれない。それでもと床を抉る爪先に力を込めて、反撃を振りかぶったその時。 「……ちぃ! 槍がっ」  デフィールが振り上げた槍は、先ほどの攻撃で真ん中から綺麗に両断されていた。  万策尽きたかに思われたその時、ラプターの声だけが諦めを感じさせずはっきりと響く。 「そうだお坊ちゃん、そいつをよこせ……デフィール殿っ! 剣を、あなたの剣をっ!」  ラプターの声が飛来する刃を連れてきた。見もせずにデフィールが伸べた手に、吸い付くように一振りの剣が舞い降りる。抜刀の暇も惜しんで、デフィールはその一振りを鞘ごとモンスターへと叩きつけた。  刹那、眠れるドラゴンの力が本来の主を思い出し、刃は内側から鞘を食い破って煌々と光を放つ。  音に聞こえし伝説の武器……真竜の剣はその刀身を露わにするや、デフィールの覇気に呼応して妖しく輝く。 「まだまだっ!」  デフィールは渾身の力で久方ぶりの愛刀を引き絞るや、全力で敵へと振り下ろす。偉大なる三竜の鱗より削りだした剣は、羽のような軽さで容易く巨大な獣を両断した。吹き上がる血飛沫に、流石のフカビト達もたたらを踏む。 「お聞きなさい、フカビト達! これより先は死地……生命捨てる覚悟あらば、かかってらっしゃい!」  濡れた切っ先を向けつつ、怯むフカビトへとデフィールは大見得を切る。すかさず両側をフォローしてくれるラプターやシンデンと共に、彼女は一時ためらうフカビト達と睨み合いながら唸り声をあげる真竜の剣を突き付けた。