裂帛の意思を乗せてミラージュが馳せる。その鬼神の如き剣舞から迸る気迫……鬼迫。  荒れ狂う怒龍の如く妖刀を振るうその背に、メビウスは回復の術を向けつつ走った。既になずなは脱落して戦闘不能だが、ヨタカとコッペペも傍らを追走していた。 「なんだなんだっ!? あのアンチャン、どうしちまったんでい」 「わからない! ヨタカ、ミラージュは――あっ、ヨタカ!」  呼び止めるメビウスの声を置き去りに、加速するヨタカがミラージュへと吸い込まれてゆく。だが、吹き荒ぶ嵐を懐に招きながらも、真祖は恐るべき猛威を奮って人間達を翻弄した。至近距離で直撃を受けたミラージュは勿論、ヨタカもコッペペも吹き飛ばされる。煌めく蒼雷が走って、辛うじて避けたメビウスは帯電する空気に奥歯を噛む。 「おのれ人間っ、世界樹を奉じる愚かな民よ!」  真っ向から反論を叫んで、メビウスは拳を握るや跳躍する。 「ぼく達は決して、世界樹のために生きてるわけじゃない!」 「ぬかせ、小娘っ!」 「世界樹の意思なんて関係ない……多くのフカビトのためにも、真祖っ! きみを討つっ!」  メビウスの一撃が真祖を捉えた。  父にして母なる座、その膨れ上がった醜悪な異形へと渾身の突きが繰り出される。そこにありったけの氣を注いで圧縮しながら、メビウスは全力で我が身を押し出した。耳をつんざく金切り声は真祖の悲鳴か。  だが、流石にフカビトを統べる王の力は強大。 「くっ、まだ沈まないっ! なんて力だ、奴の生命力は無尽蔵かっ」 「無駄っ! 我は不死! 不退転! 我等が神の力が注ぐこの肉体、揺るがぬ! 滅びぬ! 朽ち果てぬ!」  着地と同時に反撃の触手をかいくぐるメビウス。  彼女はその時、ゆらりと視界の隅で立ち上がる影を見た。 「もう喋るな、下郎……いや、外道! この身を刃と変えて今……魔を断ち悪を斬る」  右手に妖刀ニヒル、左手になずなの胴太貫を構えたてミラージュが立った。血塗れた細面に今、激しい怒りの表情が燃えている。瞳は炯々と輝き、端正な顔を歪めて煮え滾る想いを吐き出すと……ミラージュは二刀一刃の奥義を解き放った。  メビウスは極限まで鍛えぬかれたショーグンの奥義、五輪の剣をはじめて目にする。  ミラージュは咲き乱れる刃を纏いながら、真正面から真祖の牙城を食い破った。 「ミラージュ様っ、もうおやめくださいっ! それ以上は」  悲痛な叫びを残してヨタカが追う。ミラージュの背中に縋りつくが、それでも彼は斬るのをやめない。真祖の触手と体液、臓物を散らかしながら暴れ狂うミラージュ。  ヨタカは泣いていた。ミラージュの中で自分を失う恐怖が、かつて全てを失った恐怖へと連鎖してしまったのだ。平素は屈強な精神力で支えられていたミラージュの自我は今、もろくも崩れ去っていた。あとにはただ、救いを求めて敵を斬るしかない、そうすることでしか何かを守れない亡国の王子。 「ヨタカちゃんっ、あんちゃんの心に呼びかけろ! そいつの暴走を止めれるのはヨタカちゃんだけだ!」 「コッペペ様!」  珍しく真面目な表情に顔を引き締め、コッペペがもどかしげにピストルへ弾を込めてゆく。口で実包の火薬を封切るや、弾丸と一緒に装填してゆく。その手慣れた手つきもしかし、吹き荒れる鏖殺の剣技を前にじれる。メビウスはしかし、ミラージュの背中にしがみつくヨタカに自分もと言葉を振り絞った。 「コッペペの言う通りだ、ヨタカ! ぼく達は人殺しじゃない、冒険者だって……そうだろ」  既に趨勢は決した。  その巨躯が轟音を響かせ崩れ落ち、血飛沫が無数にあがる中でミラージュは剣を振るい続ける。  もはや獣にまで落ちた王子の雄叫びは、どこか幼子が泣いているよう。 「ミラージュ様! わたしは無事です、ミラージュ様のお陰で……ミラージュ様っ、わたしはここです!」  悲痛な泣き声に、ようやくミラージュの剣がピタリと止まった。そのまま彼は、ゆっくりとヨタカに振り返る。 「ヨタカ……? 無事か。大事ないな?」 「はい……はいっ!」 「そうか、私は」 「もう大丈夫です、ミラージュ様。わたしがもう、何も失わせはしませんから。わたしが、皆様と」  ようやく止まったミラージュの手から、カランと二刀が転がった。ゆっくりと振り向く彼は、泣きじゃくるヨタカへと向き直る。慄える手で触れるヨタカの頬は、涙でしとどに濡れていた。 「私は……恐ろしかった。分身とはいえ、ヨタカが目の前で切り裂かれて……そこからは」  ゆっくりとミラージュが、ヨタカを抱きしめる。  メビウスは安堵に溜息を零し、コッペペは冷やかすような口笛を吹いた。  殺意が再び鋭く尖ったのは、その時だった。 「おのれ人間。よくもぉ……よくもよくもよくも、よくもぉぉぉぉっ!」 「あ、ああ……ミラージュ様っ!」  ヨタカをその胸に抱いていたミラージュから、ヨタカを貫通して一対の刃が生えてきた。二人を背後から刺し貫いたそれは、血に濡れずるりと引き抜かれる。  二人が互いに互いを庇うように崩れ落ちる。その影から這い出るように浮き出たのは、真祖だった。  人間サイズまで小さくなった、しかし断罪の間で見た子供の頃より成長した姿が立ち上がる。 「ここまでやるとは思わなかったぞ、人間……」  弱っているのは傍目にも明らかで、しかしその足元に倒れるミラージュとヨタカが気になるメビウス。それはコッペペも同じようで、 「やばいぜメビウス、あの出血……急いで処置しねえと」 「わかってる! 真祖、勝負はついた。きみの負けだ……どう? 少し考えなおしては――」  だが、メビウスの優しい希望は儚く淡く消え失せる。  真祖はその腕から鋭利な刃を生やすと、威風堂々メビウス達へと近付いてくる。 「メビウス、やるしかねぇ……悔しいけどやるしかねえし、オイラぁやるぜ」  コッペペの言葉がメビウスに拳を握らせる。最後の最後まで対話を諦めない彼女はしかし、断固たる態度と決断をも持ち得ていた。それが今、悲しいほどにメビウスの中で強固な意思を形作る。 「真祖っ、勝負……この一撃に全てを乗せるっ! 仲間の想いも、アーモロードの未来も!」  ――そして、今まで百年の刻を世界樹と真祖に踊らされて生きた人達の気持ちも。  最後の一撃と思えば、今まで長らく使わなかった奥義が脳裏に浮かび上がる。それは同じギルドのニムロットが得意とする、モンクの取れるスキルの中でも最上級の拳技。自然と呼吸を深く長く、拳を構えて腰を低く。両足は大地を掴んで、左手は狙いを定めるように前へかざして真祖へ向ける。  固く握った右の拳に、紅蓮の炎が浮かび上がる。  それを察して後ろでコッペペが身構える気配を拾った、次の瞬間にメビウスは地を蹴った。 「生かしては帰さんぞ人間っ! 貴様だけはこの手で八つ裂きにしてやるっ!」  真祖の右腕が振るわれ、その切っ先がメビウスをかすめる。髪留めが切られて、三つ編みに結んだメビウスのくすんだ髪が舞った。  だが、それだけ。  メビウスの踏み込みは振るわれた斬撃の内側へかいくぐり、真芯で真祖の中心線をとらえていた。そのまま静かに、炎の連撃を浴びせる。短い悲鳴を断続的に噛み潰しながら、踊るように真祖の痩身が拳に翻弄された。だが、メビウスは渾身の力を込めて左右の拳を浴びせ続けた。  同時に背後で撃鉄の上がる音を聞いて、フィニッシュブローを振りかぶる。 「これでっ!」 「終わりだぜ? あばよ王様……ったく、ろくな王様がいねえぜ、この世界はよ」  ありったけの氣を練りこんだオーバーハンドの一撃が、一際燃えさかる業火をまとって真祖の顔面をぶち抜いだ。そしてコッペペは寸分たがわぬタイミングで、その焔の拳をチェイスする。宙高くバウンドした真祖は、銃弾に撃ち抜かれて床に突っ伏した。  決着……正しく激闘だった。  だが、メビウスに勝利を喜ぶ気持ちは微塵もない。それを察するからコッペペも、銃をしまうやミラージュとヨタカに駆け寄る。応急処置は任せろと背中で語ってくれるので、メビウスは息も絶え絶えの真祖を抱き起こした。  腕の中に今、フカビトを扇動した邪悪な王の身体が軽い。 「かはっ! ……はっ、はあ……にっ、人間! どうした? この我を倒したというのに」 「義理は果たすし筋は通す、それでもやりきれないことってあるんだ」  メビウスの言葉に真祖は、ククッと喉を鳴らす。 「貴様は言うたか? 世界樹のために生きている訳ではないと」  強く頷くメビウスをみて、やはり真祖は笑った。そこには先程の冷笑も哄笑もなく、驕りや傲慢はない。ただ、全てをやり終えた王の顔があった。 「いいなあ、人間……貴様は己を縛る神を持たぬ。我と違ってな」 「その、神とは?」 「貴様達人間でいう世界樹……だが、貴様はその意思とは無関係に存在し、行動し、自らの証を立てている」  苦しそうに呻く真祖の身体が、抱き上げるメビウスから零れてゆく。ボロボロと崩壊して灰と炭になってゆく。 「心しろ人間……貴様達はやがて我が神の前に立たされるだろう。贄となるか、それとも――」  もはや言葉も失い、空気を貪るヒューという細い音も途絶えた。最後に唇が動いた言葉をメビウスは拾う。 「我もフカビト達も、そう生きたかった……か。ならさ、真祖。ぼくが誓うよ」  フカビトを縛るなら真祖をも倒す、そしてその真祖をも縛る存在なら……たとえ神でも許しはしない。人の尊厳と意地をかけて、メビウスは百年の時代を最後に駆け抜けた真祖に敬意を表し、その安らかな眠りを祈った。  ここにアーモロードの冒険者達の戦いは終わりを告げた。