周囲の溶岩と熱風でさえ、清水と涼風に感じるほどの灼熱。それは眼前で荒ぶる巨大なドラゴンより発せられていた。  第三階層『光輝ノ石窟』に巣食った、偉大なる赤竜の咆吼が大気を揺さぶる。 「レッドドラゴン、エンゲージッ! 締めてかかりたまえよ、メビウス! みんなも!」  スカイアイの声と共に、仲間達は身構え次々と駆け抜けてゆく。  だが、ブレイズは動くに動けずハンマーを両手に立ち尽くして途方にくれていた。 「こ、怖いよぅ」 「びぇぇ……ぐすん」  ブレイズの両足には今、二人の幼子が抱きついていた。名はヒイラギとフルベ……このドラゴンを宝と勘違いして、この場に来てしまった子供達だ。だが、今はもう逃している暇もない。仲間達を蹴散らし、ドラゴンはこちらへと向かってくる。  ブレイズはすぐに二人の子供を小脇に抱えて持ち上げるや、ドラゴンが紅蓮のブレスを吐き出すと同時に飛び跳ねた。  今までブレイズ達が立っていた足場が、まるで飴細工のようにどろりと溶け消える。 「すげえ威力だ、食らえば骨も残らねえぜありゃ」 「なら即座に移動、足を止めちゃ駄目だよ。さあ……アイツを墜とす」  流石にタリズマンやグリフィスのフットワークは軽い。臆することなく諦めず、何度でも赤竜へと挑んでゆく。  だが、ブレイズは身の内から込み上げる震えが止まらなかった。今まで力こそ全てと自らに言い聞かせて生きてきた、だからこそわかる本物の恐怖。ただ圧倒的な力の差が、ブレイズの巨躯を震え上がらせていた。 「だっ、駄目だ……やられちまう。こんなの相手に戦えってんのかよ、エルダードラゴンはっ!」  立ち竦んでたたらを踏むブレイズの足元に、ズシャリと音を立ててメビウスが転がってきた。満身創痍の彼女は立ち上がると、切れた口元から流れる血を手の甲で拭った。そうして再び駆け出そうとするメビウスは、ふとブレイズの視線に気付いた。同時に、ブレイズが両脇に抱える子供達にもそっと微笑む。 「大丈夫だよ、ヒイラギ。フルベも。この大きなお姉ちゃんがきみ達を守ってくれるさ」 「お、おいおいメビウス! 何を言うんだよ、オレぁ……」 「じゃあ、この子達をほっぽって逃げるかい?」 「そんなことができるかよっ! できねえ、けど、その、よ……」  口篭るブレイズを見上げて、メビウスは腰に手を当て大きく息を吐き出した。  未だに向こうからは、暴れるドラゴンの遠吠えに仲間達の気勢と悲鳴が入り混じる。 「わ、笑うなよ? メビウス……あのな、あいつは……ドラゴンは強ぇ!」 「うん、知ってるさ。初めてじゃないからね」 「オレぁこんな気持ち初めてだ……今にも逃げ出してぇよ。怖いんだ」  ブレイズの告白をメビウスは笑わなかった。ただ真剣な表情で受け止め、真っ直ぐ見詰めてくる。  後ろめたさから目を逸らしたブレイズはしかし、メビウスの澄み切った声に耳を疑った。 「でも、きみは逃げなかった。今も、逃げてない。違うかい?」 「それは――」 「恐れを知らない奴は勝てないし、弱さを知らない奴は強くはなれないさ。そゆもんだよ」  それだけ言って、メビウスは言ってしまった。再びあの、凶乱極まりない暴君と戦うために。  残されたブレイズは、子供達を抱えたまま呆然と凝立していた。 「おねえちゃん、怖いの?」 「あたし達と同じだねー」  無邪気な声は今は、ブレイズを見上げて交互に言葉を投げかけてくる。この絶体絶命の中にあって、なにが彼女達を恐慌状態から救ったのだろうか? 先ほどまであんなに取り乱していたのに。  その時、ブレイズの脳裏に厳かな声が鳴り響いが。 『勇気を持たぬ者よ、立ち去れ! 三竜の試練は心の試練、力だけでは何も得られぬと知るがいい』 「なっ、なんだ!? 頭ん中に声が……誰だ、お前はっ!」 『我が名はエルダードラゴン、竜を統べる竜、竜の中の竜。人は呼ぶ、神竜と』 「……エルダードラゴン。あんたが」  どうやらブレイズだけに声は聞こえているらしい。両脇の子供達は疑問符を頭に浮かべながら、不思議そうにブレイズを見上げていた。だが、それにも構わずブレイズは脳裏に響く声へと言葉をぶつけてゆく。 「ラプター達が言ってた! この試練を乗り越えれば強くなれるって……本当なのか?」 『強さの定義は星の数。だが、限界の高みにある者はさらなる高みを手に入れるだろう』 「それってつまり……」 『自らを極める心を持たずば、試練に挑む価値はない! ……去るがいい、弱き者よ』  ブレイズは激昂した。頭に血が昇って呼吸が乱れ、鼻息も荒く見えないエルダードラゴンへと怒鳴り散らす。 「オレが弱いっていうのか!」 『その幼子を見捨てて逃げるがいい。さすれば命を我が保証しよう』 「……ざけんなよ、っざけんな! このブレイズ様がっ、子供見捨てて仲間見捨てて、逃げるかっ!」  それっきり頭の中で声は消えてしまった。だが、ブレイズはヒイラギとフルベを下ろすと、二人に屈み込む。 「いいかぁ、ヒイラギにフルベ。二人は逃げるんだ、いいな? 大丈夫、なにも怖いことはないさ」  二人は互いに顔を見合わせ、首を傾げて同時にブレイズへ面をあげた。 「ほんと?」 「逃げ切れるかなあ」  そんな二人の頭をもしゃもしゃと撫でながら、ブレイズは普段の剛気な笑顔ではにかむ。 「勿論だ。あのドラゴンはオレが、オレ達が倒す。お前達を必ず守る……約束だ」  そう言って小指を差し出すが、その手はやはり震えている。  子供達はにこりと微笑み、ブレイズへ小さな手を伸ばした。小指に小指をからめて、ゆびきりげんまん。 「おねえちゃん、怖いの? 震えてるよ? 」 「大丈夫、怖くない。だってあたし達、お姉ちゃんがいるもの。ヒイラギもフルベも、怖くないよ?」  ヒイラギとフルベは、互いに「ねー」と顔を見合わせて微笑んだ。  ブレイズは立ち上がると、己に立てかけていた巨大な鎚を手に構える。 「お姉ちゃんも怖くないさ。フルベにはヒイラギが、ヒイラギにはフルベがいるように――」  自分にも、仲間がいる。今も戦ってる……自分が二人の子供を逃すと信じて。  その期待に応えて、共に戦わなければいけない。そうすることでしかこの子供達を守れない、自分はそういう力でしかない。そう常々思っていたことを今、形にする時がきていた。 「じゃあ、行くね。怖くないよ、ちゃんと二人で逃げられる。だって」 「だって、お姉ちゃん達が守ってくれるもの」  二人は手に手をとってぽてぽてと逃げ出した。その背を励ますように見送って、ブレイズは一陣の風になる。身を炙るような周囲の熱風よりなお熱く、胸の内から込み上げるものが自身を焦がす。それは筋肉の隅々にまで行き渡り躍動させた。  すぐさま視界に入ってくるメビウスを、仲間達を追い抜き、追い越す。 「ブレイズ! みんな、ブレイズが戻ってきた。フォーメーションを立て直すよ!」 「了解だ、メビウス。ぼくが幻像で狙いをそらす。ブレイズ、決めてくれ」 「頭は任せなっ! ブレスも咆吼も封じてやるぜ……そこだっ!」 「では俺もとっておきをお見舞いするとしますか。高速徹甲弾だ、当たれば竜とてタダじゃすまないっ」  ブレイズは走った。降り注ぐ爪と牙をかいくぐり、竜の巨体を跳ねるように登ってゆく。その背を仲間達の援護が後押しした。タリズマンのハンギングがドラゴンの頭部を封じると同時に、脳裏にまたしても響く声。 『弱くも強い者よ、進め……汝の先にこそ強さの意味はある。進め――』 「ごちゃごちゃうるせえ! オレはオレ、オレこそが……力、だぁぁぁっ!」  振りかぶるハンマーに凍気を凝縮して跳躍、同時にスカイアイの放った高速徹甲弾が独特の発射音を引き連れドラゴンの脳天をえぐった。断末魔の声すら許されずに、巨体がびくりと痙攣して固まる。  ブレイズは迷わずフローズンブローで、まだ回転しながら突き刺さっている弾丸を撃ち抜いた。  瞬間、ドラゴンの身体が光を発して空気中に溶けてゆく。  着地したブレイズは乾坤一擲を放った余波で、立っていられず膝を突く。その目の前に、不思議な光を放つ宝玉が浮かんでいた。 「なんだ、これ……これを、オレに? え、なんでだ。だって――」 「それが強さだよ、ブレイズ」  気付けばメビウスが笑顔で頷いていた。仲間達も口々に、褒め称えてくれる。 「え、だってオレ……さっきまで竦んで……あれ? 手が、震えが、収まった?」 「きみはもう、ただ力を振り回すだけの冒険者じゃない。本当に強くて頼れる、ぼく達の仲間さ」  メビウスの言葉に背を押されて、ブレイズは宝玉を手に取る。瞬間、身の内から湧き上がる力が感じられた。さらなる限界が、高みがブレイズを強者の理で導く。それは、ただ力だけを求める者にはたどり着けない場所。  それがわかる自分がおかしくて、照れ隠しに笑いながらブレイズは振り返った。  瞬間、タリズマンは顔を赤くして目を背け、グリフィスが口笛を吹く。スカイアイですら意味深にニヤニヤと頬を崩した。 「なんだ、いい女じゃんかよ……でけえからつい、その……」 「うん、笑顔はいいね。心からの笑顔だ。ブレイズ、その気持を忘れないでくれたまえよ」 「まったく、男って現金だから……ん? ブレイズ、これをぼくに?」  ブレイズの笑顔に、どうやら男性陣は評価を改めたらしい。そんなことはつゆ知らず、彼女は黙ってメビウスへ宝玉を差し出す。それを手に取り、メビウスもまたブレイズを見上げて再度大きく頷いた。