白亜の森をより白く染め抜いて。今、死の銀世界と化した周囲に、生けるものの気配は存在しない。急激に低下した気温は、全てを死ぬ前に凍りつかせた。  その元凶たる氷嵐の支配者の咆吼だけが、時さえも凍てつく世界を震わせる。 「クソッタレ! 野郎、砲弾を弾きやがるっ」  その声を再確認するように、ボートゥールの放った一撃も厚い氷壁に阻まれる。まだまだ悪態を叫びつつ銃爪を引き絞るジョーディと違って、彼は冷静に弾倉を交換しながら注意深く敵を観察した。  怒れる氷のドラゴンは、その三つ首をしならせ吠え荒ぶ。その表面には、極めて透明度の高い氷の盾が形成されていた。それがあらゆる攻撃を無効化しているのだ。そして、既に半日を超えた長期戦の原因は、それだけではなかった。 「なんじゃあ、また回復しよる! けったくそ悪いのぅ、こっちも回復じゃあ」  蒼い三つ首竜は、自らの支配域である氷河の力を現出させ、無限の回復力を得ていた。冒険者達が必死で叩き出したダメージを、たやすく回復させてしまう。かろうじてアイスシールドを抜けた攻撃も、その傷を瞬く間に癒されてしまうのだ。  その瞬間を目視して確認しながら、ニムロッドのヒールでこちらも傷を治癒する。裂傷に加えて低体温症、凍傷の心配も出てきた。さらには、パーティの生命線であるニムロッドの精神力も今や危うい。この妙齢のおとなげないモンクは、弱音こそ吐かないが消耗は明らかだった。一進一退の攻防はしかし、長引けば長引くほどに人間を追い詰めてゆく。 「手詰まりか……さりとて退ける戦いでもない。若、どうされますか?」 「あぁ? 決まってんだろうが! 回復するなら、その倍は傷めつける! 壁があればブチ破る!」  パーティの先頭に立って皆を鼓舞しながら、ラファールが太刀の切っ先をピシリと氷竜に向ける。その顔にはまだ、絶望の色は浮かんではいない。その根拠なき自信と蛮勇が、ボートゥールや他の仲間達を支えていた。  だが、現実問題として限界は近い。 「よぉ、変態王子! どうすんだ、こっちの攻撃が通らねえ。下手すりゃオレ等は全滅だ」 「わめくなよビッチ、泣き言なら聞かねえぜ。それと……ニムロッド、こいつを起こしてやれ」  ラファールは降り積もる足元の雪から、小柄な一人の少女を担ぎあげた。既に息絶えて戦闘不能で、処置を急がねば本当に命が危うい。ニムロッドは「おやおや、またかのう」と笑いつつも、氣を練り上げ息吹を吹き込む。 「かはっ! げほ、げほげほっ! ……あ、あれ? あたし、ひょっとして」 「またhageてたぜ、火の玉ガール。命が幾つあっても足りねえな、おい」  咎めるでもなく笑って、ラファールが赤毛の雪を払ってやる。この小さな少女は、たまたま今回人数が足りなかったのでトライマーチから借りてきたモンクだ。名はまなび、エミット達トライマーチの1stパーティのメンバーでもある。  だが、ボートゥールもそうだが冒険者達にとっては、不名誉極まる印象で彼女は有名なのだ。  ナルメルの討伐時にも伸びていたし、ゲートキーパーでの一件でも真っ先に戦闘不能になっていた。真祖を討つべく旅だったメビウスを待つ、地獄の一夜を過ごした防衛戦でも真っ先に死んでいた。  誰もが笑った、名門トライマーチのお荷物だと。 「ごめんっ、また死んでた。ちょっと川の向こうにお花畑が……でも大丈夫っ、まだやれるよっ!」  だが、ボートゥールは知っていた。コッペペ達は決してこの少女を除籍しなかったし、パーティからも外さなかった。そして彼女は、まなびは何度でも立ち上がり、その都度死ぬまで懸命に戦っていた。血を吐き骨は砕けて、肉が裂け腱が断たれても。何度でも立ち上がったし今もそう、彼女の目は死んではいない。 「おっし、野郎共。勝負に出るぞ。やっこさん、無敵モードで調子くれてやがる……チャンスだ」  ほう、と思わずボートゥールは感心してしまう。長らく仕えて一番近くでラファールを見てきたが、彼は見た目に反して立派に育った。どう見てもガラが悪い美女にしか見えないが、彼はれっきとした男で、王家の男子として恥ずかしくない気骨の持ち主だった。 「作戦を伺いましょう、若」 「おう、俺が血路をこじ開ける。そこを全員でブッ叩け」 「……それだけですか?」 「おう、そんだけだ。どうだ、簡単だろう?」  これが軍の幼年学校なら零点だ。だが、不思議とラファールの言葉には力が感じられる。そして、この場の誰もがそれを信じて疑わない。ボートゥール自身と同じように。 「いいのう、単純明快、愉快痛快ってやつじゃなあ」 「いいぜ、オレが援護してやる。ヘイ、ボートゥール! 弾薬を再分配だ、次のチャンスに賭けるぜ?」  冒険者達は息を吹き返した。手持ちの中の残り少なくなった弾倉を、ボートゥールはポーチごとジョーディに放ってやる。そして自身は、胸の奥からとっておきの切り札を取り出した。弾頭を真っ赤に塗られた特殊弾を、全弾丁寧に弾倉へと詰めてゆく。  その間にも、トドメの一撃を放つべく氷竜は周囲の空気を吸い込み始めた。  キンと耳が鳴るほどに気圧が急激低下で圧縮され、ますます寒さが厳しく手がかじかむ。 「こいつはあれだな、あのお嬢ちゃんが……リシュリーが得意なんだけどな。ま、人並みにはいけらぁ」 「若、奴が再生を始めました。次は恐らく、ブレスが来ます」  撃鉄を引き上げるや、ボートゥールは最前線のラファールに並ぶ。その背後では、援護に矢の雨を降らせるべくジョーディが仰角に弩を構えて天を睨んでいた。そして、 「ニムロットさん、あの技を使いますっ!」 「ええ、よくってよ……なんての! ホントは雷が効くんじゃが、よかろ。愛のパワァで溶かしてくれちゃる」  震脚に大地を踏み締め、二人のモンクが氣を練り出した。その拳が僅かに光を帯びる。  そして再び、氷竜の傷が再生し始めた、その瞬間に冒険者達は地を蹴った。 「っしゃあ、いっくぜぇ……消し飛べっ!」  ラファールがかざした手から、不思議な光が収束して敵を射抜いた。同時にバリン! と音を立てて、氷竜を厚く守っていた氷壁が砕け散る。プリンスやプリンセスが使う、敵の防御や守護を無効化する術、リセットウェポン。その光はしかし、ラファールのレベルでは無敵の防壁を崩すだけのとどまる。氷河の再生は止まらない。  だが、ダメージが通るようになると同時に、ボートゥールは身を低くして疾風になる。 「出し惜しみはナシだっ! 全弾ブチ込むっ。手前ぇ等、オレの弾に当たるんじゃねえぞ!」  山なりに空で重力に掴まった援護の矢が、鏃の雨となって凍土に降り注いだ。その何割かが、的確に氷竜を牽制してボートゥールを導いてゆく。ニムロットとまなびも、当たれば致命打な味方の援護射撃を、その合間を縫うようにして突貫していった。  軽装のモンク達が、重い弩を持つボートゥールを追い越してゆく。  同時にボートゥールは、足元の氷を削りながら急停止するや跳躍した。 「この距離、いけるっ……メビウスさんみたいに、やってみる!」 「気合のP連打じゃあ、お見舞いしちゃるぞう!」  二人のモンクは赤熱化して燃え盛る拳を振り絞るや、周囲の雪を白く巻き上げ流星になった。そのまま肉薄、入り乱れる三本の首をいなして連撃を浴びせる。その拳は一撃のたびに爆ぜて燃え盛り、より疾い打突となって氷竜を削った。  流石に回復が追いつかず、悲鳴をあげる氷嵐の支配者。 「いいのう、いい調子じゃのう! おしきたぁ、これでっ――フィニッシュじゃあ!」 「気合一撃、一発入魂! ブチッ、抜けぇぇぇぇっ!」  極限まで肉体を酷使した壊炎拳が、二人の拳から放たれた。弾ける火と火は、互いに結び合って巨大な炎となる。轟! と爆ぜて荒れ狂う紅蓮の業火に、氷竜の巨体が燃え上がった。  その瞬間の隙を逃さず、懐へと飛び込むボートゥールが砲口を密着させた。 「零距離、取ったぞ。一発一発が特注の炸裂弾だ……全弾持ってけっ!」  ボートゥールが装填した深紅の弾丸が、トリガーと同時にドラゴンをえぐる。耳をつんざく悲鳴にも動じず、淡々とボートゥールは銃爪を絞り続けた。吐き出されるは、ボートゥール自身が時間と手間をかけて作った特別な砲弾。その威力は、発射する弩に負担をかけるほど。加熱して溶け出した砲身にも構わず、ボートゥールは最後の一発を三つ首の中央へと向ける。 「切り札、切らせてもらった」  ドン! 発射と同時に雪をえぐって後ずさるボートゥールから、必殺の砲弾が放たれた。 『見事! 豪腕の射手とその仲間達よ……これにて三竜の試練、了なり!』  白煙を巻き上げスクラップとなった弩を抱えるボートゥールは、脳裏に響く声を聞いた。それが仲間達の言っていたエルダードラゴンの声だと気づいた時には、もう倒れて動けなくなっていた。だが、薄れゆく意識が無自覚に伸べた手が、なにか眩しく温かいものをつかむ。  ボートゥールは氷竜より生まれ出た不思議な宝玉を握ったまま、気を失った。 「おっし、急いで撤収だ! ……悪ぃな、いつも苦労ばかりかけちまう。許せよ」  そんな彼を介抱したのは仲間達で、背負って帰ったのはラファールだった。