――時は来た。  第六階層はついにその最下層へと冒険者を招き入れた。メビウス達の七難八苦の冒険は、常に最後の地へと到達したのだ。そこで待ち受けていたのは、固く閉ざされた中央の玄室に安置された禍神。フカビト達の創造神であり、世界樹と対をなすモノ。  玄室への道を切り開く活路は、周囲に点在する禍神の触手を全て切り倒すのみ。 「ジェラ、ごめん。後ろ、とめてくれるかい?」  新調した法衣の裏に、着込みをつけてその留め金をジェラヴリグに頼むメビウス。彼女の小さな仲間は、無言で背にパチパチと小さな音を紡いで留めた。その上からいつものモンクの装束を羽織って、メビウスは気合を入れなおした。  準備万端、いざ決戦の地へ……長らく逗留したアーマンの宿の一室を見渡す。  思えば随分と長い時間、この部屋で寝食を過ごした気がする。まだ、半年くらいしかたっていないのに。 「行こう、メビウス。みんなが、仲間が待ってる」 「うん。今日で全てにケリを付ける。取り戻すよ、ジェラ。ぼく達の未来、このアーモロードの明日を」  大きく頷くジェラヴリグを連れ、部屋を出る。廊下にはグリフィスやタリズマン、スカイアイといったお馴染みの面々が待ち構えていた。誰もが皆、持てる装備の中で最高の品を身に着けている。 「やあメビウス。もう、行くかい?」 「勿論、俺達も付きあわせてもらう……いいよね?」  双子の占星術師は交互に言葉を発して、腕組み寄りかかった壁から離れた。  見れば誰もが古くからの仲間で、既になにも言わずとも時期を察していた。だからこそ気負いもないし、気概だけは人一倍だ。気迫に満ちて気持ちを胸に、今こうしてメビウスに並び立とうと待ち構えていたのだ。  そんな仲間達の恐れ知らずな一面がメビウスには、この上なく頼もしい。 「今回ばかりは洒落ですまない相手さ。……戻ってこれない者が出るかもしれない」 「おやおや、無限の魔女殿が弱気なことですな。言ってやれよ、ネモ」  茶化すように肩を竦めて、クイと眼鏡のブリッジを指で押し上げるスカイアイ。その笑顔は唯一目元が笑ってなくて、その視線がネモに言葉を促した。 「メビウス、俺達は大丈夫だ、俺達は負けない。だから俺達を信じてくれ、頼む」 「……ああ、頼りにしてる。でも、きみ達の好奇心と探究心、そして義侠の気持ちはもしかしたら」  一度言葉を切って、メビウスは自分にも言い聞かせるように呟く。  そう、こんなにも素晴らしい仲間達の命を、これから死地で預かることになるのだから。 「もしかしたら、その生命を代価に払うハメになるかもしれないよ。ぼくは、恐いね」  誰も笑わなかったが、縮こまって震え竦む者もまたいない。 「隊長ぉ、こちとら伊達と酔狂で冒険者やってんだ! 構いやしませんぜ、行きましょう」 「僕も同感だ。自分が正しいと信じる道を躊躇ってはいけない。それは、命を賭す価値があるからね」  タリズマンは相変わらずで、根拠のない自信がメビウスに勇気を与えてくれる。グリフィスの年長者らしい一言も重みがあって、しっかりとメビウスの心を支えてくれる。そしてなにより、勝手知ったる竹馬の友はこんな時も緊張感を微塵も感じさせなかった。 「そういう訳だ、メビウス。それにね、みんなジェラヴリグ嬢とリシュリー嬢が好きなのさ」  だろ? と言う視線に誰もが頷く。  そうしてスカイアイは、メビウスの隣で静かに集中力を高める小さな娘に語りかけた。 「我々大人を信じてくれ。みんなでリシュリー嬢を迎えに行くとしよう」 「うん。わたし、皆様を頼ります。どうかわたしを、リシュのところに連れて行って」  誰もがにこやかに笑って頷く。  その光景を胸に刻んで、メビウスは歩き出した。 「よし、行こう! この地に永らく根ざした呪縛、今こそ断ち切るよ」  ひょっとしたらもう、この宿のあの部屋に戻ることはないかもしれない。こうして後に続く仲間達の何人かは、永遠に失われてしまうかもしれない。  それでも、やらなければいけないし、メビウスは躊躇わない。今がその時……この瞬間を全力で生きねば、一度失った仲間は二度と返らないから。それは、傍らの少女が心に負った傷が、永遠に膿んで流血することを意味していた。 「おはようございます、メビウスさん。全パーティ編成終了、いつでも出れます」 「おはよ、クフィール。早くからごめんね、首尾は?」  クフィールは疲れなど感じさせぬ溌剌とした表情でメビウスを出迎えた。食堂には今、簡単な朝食を済ませた仲間達がひしめき合っている。ある者は黙して腕組み瞑想に沈み、またある者は入念に武器を磨いている。老いも若くも男も女も、皆が皆決戦を前に静かに猛り高ぶっていた。  メビウスはクフィールが渡してくるサンドイッチの包を開いて、その半分をジェラヴリグに渡してやる。 「俺達で周辺のモンスターを掃討、同時に例の触手を全て排除します。その後、メビウスさん達が突入を」 「大仕事だね、できるかい?」  第六層、それも最下層に巣食うモンスターは強力に過ぎる。その圧倒的な戦力は、未だ最下層のマッピングを全く冒険者達に許していなかった。苦戦は必至の邪龍は当然、今まで各フロアでメビウス達を苦しめてきた魔物が勢ぞろい。恐るべき殺意と敵意が跳梁跋扈する中で、件の触手は冒険者達を嘲笑うかのように逃げるのだった。  だが、それも今日で終わらせる……クフィールの返答は極めて簡潔だった。 「やります、俺達の手で。やってみせなければ……メビウスさんだって気持ちは同じでは?」 「違いない。ま、無理せず適度に適当にね。気負って気張ってもいいことないし」 「俺はメビウスさんが羨ましい。こんな日の朝でも、まるで普段通りみたいだ」 「ぼくも正直びびってるけどね。きみ達がいてくれるから、こうして見栄の一つも張ってみせるのさ」  それで納得してもらえたかはさておき、飾らぬメビウスの本心だ。  できれば裸足ででも逃げ出したい、そういう気持ちは今も心の片隅にある。でも、ギルドを率いる者の責任だってあるし、子供達に誇れるとまでは言わずとも合格点の大人でいたい気持ちもある。それだけの本当に些細で小さな想いが、重圧に耐えるメビウスを支えていた。 「いいのよ、この娘は昔からこうなんですもの。ねえメビウス? 私達もご一緒させてもらうわ」 「まあ、そう言われると返す言葉もない。感謝を、デフィール。きみ達の力をまた借りるよ」  トライマーチの面々も既に深都より到着して、今にも飛び出しそうに逸る気持ちで並んでいる。  その中から、うだつのあがらなさはいつも通りの男が飄々と歩み寄ってきた。 「よぉメビウス。下着は新品に代えたか? へへ、男の最後の着衣は、いつ死んでもいいようにしておかなきゃな」 「ぼくはこれでも女だい。まあ、とっておきの一枚だけど?」 「そうかい、ちょっとオイラだけに見せろよ」 「生きて帰ったら考えてもいいよ。前向きに検討する方向で考えとく」  一同、固く緊張した中に笑いが走った。そうして強張る若者達の悲壮感を払拭しながら、メビウスはコッペペにも感謝の言葉を伝えた。今伝えておかなければ、次はないかもしれないから。 「よし、じゃあお仕事といきますかねえ! デフィール、あとは頼まぁ」 「はいはい、心得てましてよ? コッペペ、あなたは普段通り歌でも歌ってどーんと構えてて頂戴」 「任せなって! やっぱりオイラの存在感ってば特別だろう?」 「素人に毛が生えた程度でうろちょろされても危ないですもの。おとなしくいい子にしてて? いいこと?」 「……ハイ」  先ほどよりさらに大きな笑いが響いて、デフィールがテキパキとパーティを編成して指示し、送り出してゆく。それはクフィールが予め作っておいた編成で、両ギルドの人員を最大限に活かすための組み合わせだ。誰もが今日の命を明日へと繋ぐ友を得て、我先にと迷宮へ向かってゆく。  その中の一人を呼び止め、メビウスは声をかけた。 「エミット、気をつけて。すまない、できればきみも突入班に」 「気にするな、メビウス。お前に託す……そして安心しろ。お前の道は私達で切り開く。なければ作る、こじ開ける」  そう言ってエミットは、いつもの怜悧な無表情を僅かに崩した。微笑んだのだとわかった時には、メビウスの伸べた腕に、コツンと篭手で包まれた厳つい手が触れていた。そうして彼女は、先陣を務めるパーティの先頭に立って行ってしまった。 「……さて、ぼく達もいこうか。ジェラ、準備はいいかい?」 「うん。ええと、わたし達と一緒なのは」  気付けばそこにテルミナトルが立っていた。終始無言のこの男は、今日もフルヘルムの奥から無機質な光でジェラヴリグを見詰めている。だが、その眼差しは今日も温かい。そして、 「安心しろ、ジェラヴリグ。深都の特務の名に賭けてお前を私が守ろう。この男に遅れは取らぬ」  テムジンも新調した弩を構えて傍らに佇んでいた。  前衛としては理想的な二人に加えて、複雑怪奇な迷宮内での頼もしいスカウターも一緒だ。 「メビウス、私もご一緒させていただきます」  微笑むエルトリウスの瞳はもう、恐らくほとんど光を感じてはいまい。それでも彼は、メビウスのパーティに加わるとショーグンの戦衣を羽織って襟元を正す。その姿を心配そうにジェラヴリグは見上げていた。 「エルトリウスさん、目は」 「不思議なものです。見えなくなる程に感覚が鋭くなってゆく……それに大丈夫、医者にも見てもらってますから」  どうもニムロットの診察では、薬と長い静養でどうにか生活に困らない程度の視力が回復するらしい。それでも、邪龍の疫病を直接受けたダメージは、天性のレンジャー育ちから視力を奪っていた。 「エル、今はきみの力が必要だ。でも忘れないで、きみにはこの戦いを生き残る義務があるって」 「義務、ですね。了解してますよ、無限の魔女。私はまだ死ねません……あの娘を迎えに行くんですから」 「うん、わかっててくれて嬉しい。捨て身と捨て鉢は違うからね」  そうしてメビウスはアーマンの宿を出た。頼もしい仲間達と共に。  こうして冒険者達の、アーモロードの世界樹にまつわる最後の戦いが幕を開けた。