メビウス達が急襲され窮地に陥ってる同時刻、冒険者達の戦いもまた苛烈を極めていた。 「ミラージュ様、触手はわたしが!」 「すまん、頼む」  既に妖刀ニヒルを抜き放ったミラージュは、ヨタカにも目に見えて疲労しているのがわかった。海都の将クジュラより譲られたあの太刀は、まさしく魔をもって邪を断つ血塗れの妖刀。時に抜けず主に逆らうかと思えば、一度その刃が解き放たれるや振るい手を吸い喰らう。だが、そんな魔性の一振りをミラージュは頼りにしていた。  ヨタカはしかし、時々不安になる。嫉妬もあるのかもしれないが、あの剣はいつか自分の愛しい人を吸い尽くしてしまうような気がするからだ。だが、今はそんな気持ちを胸に沈めて触手へと馳せる。 「もう逃がしません、観念なさい……散っ」  ヨタカは四つ身分身で周囲の魔物達をすり抜けるや、その奥へ奥へと逃げようとする触手へ舞い降りる。連続しての奥義、抜刀霞斬りで切り刻むと同時に着地して、再び一つになった手練のシノビは背の長刀を抜いた。ミラージュの剣が妖刀ならば、ヨタカの剣は戦の剣。友が数々の武功を築きあげてきた逸刀だが、なんてことはない店でよく売られている胴太貫だ。  だが、抜けば露咲く鋼の刃は、とても量販品とは思えぬ存在感でヨタカの身体の一部となる。 「終りです!」  既に息も絶え絶えの触手へと、身構えヨタカは地を蹴った。  この一撃に全てを乗せる、自分の想いも、仲間の気持ちも……今、この場にいない人の心も。  光の筋を引いてヨタカが払い抜けるや、一閃でずるりと触手が崩れ落ちる。確かな手応えと共に納刀したヨタカは、ようやく一息ついて冷たい汗に凍えた。その肩にそっと手を置き、ミラージュもまた紫煙くゆる妖刀を鞘へと戻す。 「やったゾ、これで触手はあと一本だナ! ラスト、デフィール達を手伝うゾ」  周囲で魔物達を追い払った仲間達も、皆安堵の顔を浮かべていた。ラスタチュカは無言のホロホロと手に手をとって喜び、それを見守るブレイズも表情はにこやかだ。  果てなく続くかに思われた戦いも、その先にようやく小さな光が見え始めた。だとすればもはや、ためらうことなく進むのみ。たとえそれが那由多の彼方に瞬く灯火でも、ヨタカ達には十全に過ぎる。  周囲に漂うむせるような血と獣の臭いが強さを増したのは、そんな時だった。 「……どうやらすんなりと合流させてはもらえないようだな」 「ミラージュ、ヨタカも! 危険が危ないゾ、ちょと待てな、今ラスタが――!?」  周囲の音と気配を拾うべく、ラスタチュカが無数にアンテナを広げたその時だった。彼女は珍しく真剣な表情で耳に手を当て、砂の落ちる音すら聞き逃さぬような顔で神妙にうつむく。その顔色はアンドロ特有の白磁にも似た涼やかなものだったが、ヨタカにはどこか凍りついて見えた。  やがてラスタチュカは、心配そうに腕を抱くホロホロに頷くと、 「囲まれたゾ、ずらり並んだ大軍団だナ……デフィール達には合流無理っぽいゾ」 「なぁに、デフィール達なら大丈夫だろ。むしろ、このまま魔物達をオレ等で引きつけるっ!」  ブレイズは剛気に笑うが、ヨタカの胸中へ満ち始めた黒い霧は晴れない。嫌な予感に先程から頭の奥がズキズキと痛むのだ。こういうのは祖国では虫の知らせというのだが、この手の胸騒ぎが吉報をもたらした前例をヨタカは知らない。  そして予想通り、ラスタチュカはアンテナを再び格納しながらぽつりと呟いた。 「メビウス達も禍神に襲われたみたいだゾ。さっきから、ジェラの音が聞こえない……鼓動も、呼吸も」  俯くラスタチュカの肩を抱いて、しがみつくホロホロも抱き寄せながらブレイズがミラージュを見た。パーティをまとめる将は今、静かに腕組み黙考に沈むや、即決の決断力で目を見開いた。 「ブレイズ、子供達を連れて囲みを突破しろ」 「ってことは、オレはメビウス達を助けに行く。……訳じゃなくて、子供達を守れってことだな」 「そうだ。メビウス達の元へは私が行こう。連れとなら突破口も開けるやもしれん」  ヨタカは、ミラージュの言葉に素直に従うブレイズを意外に思った。この長身のウォリアーは、ひたすら強さを求めて自分を高める人間で、自ら戦いを求めて強敵に飢えている印象があったからだ。その心の声が顔に出ていたのだろうか、ブレイズは照れくさそうに鼻の下を擦りながら笑った。 「オレがこの子達を守る、必ず地上まで生きて返す。へへ、意外か? ヨタカ」 「ええ。でも、貴女なら信頼できます。わたしはミラージュ様のお側に……」 「うん、間違っても死なすなよ。オレはお前やミラージュとも戦ってみたいからな」  それだけ言ってブレイズはハンマーを背負うと、小脇にヒョイと二人の子供を軽々と抱えた。 「オオウ!? 待て待て、待つんだナ! ラスタも戦うゾ、ホロホロだってその気だゾ」 「はは、気持ちだけもらうよ。お前達二人が無事なら、ミラージュもヨタカも全力で戦える」  ブレイズは去り際に、尚も暴れるラスタチュカとホロホロに言い聞かせるように、諭すようにそっと優しく呟いた。 「お前達の無事はオレが保証するさ。強さを知ったらもう、その使い方がわかる……感じるんだよな」  大柄な背中が全速力で去ると同時に、背に背を合わせてヨタカとミラージュは再び抜剣した。  そして近づく、有象無象の荒ぶる殺気。既に守るべき触手を絶たれたことで、逆に周囲の魔物達は自由な攻撃が可能になったのだ。そしてその牙と爪は今、囲みを逆側に破りつつ注意を引きつけんとする、二人へと向けられ輝いている。 「完全に囲まれました、ミラージュ様。ですが、大半を引きつけ留めておけましょう」 「うむ、では……始めるか」  頷きと同時にヨタカは、弾かれたように駆け出した。ミラージュもまた、逆方向へと猛然と走り出す。二人を囲みの中に閉じ込めた魔物達が、一斉に絶叫を迸らせ咆哮で迎え撃つ。  かくして戦端が開かれた。ヨタカは次々とモンスターを斬り伏せながら、背中で感じるミラージュに気を配る。  縦横無尽に円の動きで大群を撹乱しつつも、徐々に動ける範囲を狭められながらもヨタカは戦った。その背を振り向く必要がないほどに、背後からは魔物達の悲鳴しか聞こえない。だが、徐々に包囲網を狭める魔の手は、着実に迷宮の奥よりその数を呼び込んでいる。二体三体と斬って捨てる度に、二十三十という獣や異形が我先にと群がってきた。  ミラージュが言った通りにメビウス達の元へたどり着けるかどうか、それ以前に生き残れるかどうかも怪しくなってきた。  そんな中でもヨタカはシノビの術で遠く去りゆく気配が囲みを突破して消えていったのを察知した。 「ブレイズ様が離脱に成功しました、ミラージュ様」  気付けば既に、ヨタカは肩で息をしていた。そして、半刻前ほど前に二手に別れたその片方、ミラージュがいつのまにかすぐ近くにいる。見渡せば四方は敵、敵、また敵。既に退路はなく、徐々に身体中の筋肉へ乳酸が溜まってゆく。疲労物質でパンパンになった手足を酷使して、尚も凄絶にヨタカは剣舞に踊る。いよいよその刃は冴え冴えとして、合わせるように二刀を振るうミラージュもまた加速していった。二人の呼吸が一つに重なり、無数の命が華と散ってゆく。  死へと向かうこの瞬間でさえ、ヨタカは幸福だった。愛しい人といくさ場を馳せ、いくさ場に散る。その瞬間まで、愛しい人を生かすべく全てを賭ける。そうすればきっと、自分の想い人は自分の代わりに仲間を救ってくれるから。  だが、現実にはその男はヨタカの死角を巧妙に庇ってフォローしながら、倍する運動量の中で剣を振るっていた。 「ミラージュ様! 離脱を!」 「冗談はよせ、ヨタカ。一人ではさばききれぬぞ」 「シノビの技なら分身で……これ以上は持ちません、決壊します。お早く!」 「……断る。生きるも死ぬも二人で共に。だが、もし死ぬなら私だけで充分だ」  既に二人の消耗はピークを過ぎ、その冴え渡る剣技にも陰りが見えてきた。一方でモンスター達の中には、初めて見る種もちらほらと現れる。勢いは一向に衰えず、そればかりか何倍にも膨れ上がってヨタカ達を飲み込もうとしていた。  今や荒れ狂う濁流の中に孤立した二人はしかし、折れそうになる心を互いに支えて懸命に抗う。  決死の抵抗をすればするほど、周囲の迷宮からモンスターを引き寄せているということに気付いた時、自然と微笑みが浮かぶ自分にヨタカは驚いた。そして、この絶体絶命の中でミラージュもまた微笑んでいた。 「……わたし達の勝ちです。ミラージュ様、既に迷宮内の大半の魔物をここに集めました」 「ああ、これならばあとはデフィール殿が首尾よくまとめてくれよう。メビウス殿達も無事であればいいが――」  ミラージュの背後で、巨大な羽虫が手の鎌を振り上げた。肩越しに振り向くミラージュの横顔が血で濡れる。真正面から一撃を浴びて尚、彼はしかしよろけながらも反撃で敵を両断した。だがもう、剣を極めたショーグンは、その命である機動力を奪われ膝をつく。  慌てて駆け寄るヨタカは分身を絞り出したが、既に余力もなく現れた姿見は煙のように霧散してしまった。 「ここまでか。ヨタカ、離脱しろ。弟が、クフィールが目指す土地へ共にゆけ」 「ミラージュ様!」 「お前はこんな地の底で死なせていい女ではない。シンデン殿にも顔向けが……ヨタカ?」 「……わたし、怒りますっ! どうしてそんなことを仰るのです。共に死んでくれと、何故仰ってくださらないのですか」  友の剣を両手に構えて、ミラージュを庇いながら周囲の魔物達を睨むヨタカ。 「わたし、ミラージュ様を置いて逃げたりしません! この命に代えても、お守りしますっ!」  その声が呼び水となって、巨大な邪竜がヨタカの前に立ちはだかった。強烈な異臭を引き連れた醜悪な七つ首が、それぞれ別の軌道で襲いかかる。一つ二つと切り落とし、三つ四つと食らいながらも相打ちに掻っ捌く。そうして次の首を二つ落としたところで、ヨタカは身を走る激痛に絶叫した。邪竜の牙が身体に食い込み、鮮血が高々と舞い上がった。  ――だが、その血はヨタカのものではなかった。 「……ラスタさん? 違う、これは」  薄暗い迷宮内の僅かな光に、合金製の隻腕が輝いていた。その白銀に光る腕が伸びて今、邪竜の最後の頭を握り潰している。ギリギリと骨の軋む音と共に、脳漿が飛び散り巨体が崩れ落ちた。魔物達は皆、その腕がケーブルをたぐる音と共に戻る先へと振り返る。  そこにフードを目深にかぶったボロ着姿のシルエットを認めた瞬間、ヨタカは叫んでいた。 「なずなさんっ! あなたの剣を……お返ししますっ!」  力いっぱいヨタカは胴太貫を放った。宙を舞う剣を目で追いながら、現れたマント姿に野獣が殺到する。その時、フードの奥の暗がりから光る眼光がカッと目を見開いた。剣を受け取るなり、周囲の空気がつむじを巻いて剣気を迸らせる。周囲の空気すら奪い真空が渦巻く、恐るべきはその切っ先。  自ら纏うボロを散り散りに切り裂き舞わせて塵と化した、その中から現れたのは……なずなだった。 「遅くなってすまない、ヨタカさん。ミラージュ殿も。無事でよかった」 「なずな殿……その腕は」 「うん、深都の技術で作ってもらった。私はまた戦える……皆のため、なにより自分のために!」  ゆっくりと歩み寄るなずなの右腕は、無骨な義手がぶら下がっていた。僅かに左右が非対称のシルエットが通り過ぎた側から、先程の竜巻のような疾風を浴びたモンスター達が一体、また一体と血飛沫を立ち上らせて絶命する。その断末魔すら許さぬ達人の神業は、生身の頃よりもむしろ洗練されたかのような恐ろしささえ感じる。 「なずなさん……わたし達は大丈夫です。それよりメビウス様が」 「なぞな殿、いつぞやの借りをお返し申す。メビウス殿の側にはエルトリウス殿も……お急ぎを!」  ヨタカは、妖刀ニヒルを差し出そうとしてよろけるミラージュを支えた。その手からしっかりと魔を断つ刃を受け取り、なずなは大きく頷く。彼女が軽く右手を振ると、ジャコン! という音と共に白煙が舞い上がって空薬莢が肘先から飛び出した。 「じゃあ、ちょっと神を斬ってくる。ミラージュ殿、お借り致します……二人の魂と共に」  それだけ言うと、なずなは二刀を腰に下げて走り出した。その背には一振り、厳重に無数の札で封印された太刀があった。  その背を見送るヨタカの祈りと願いは、既になずなの中に昔からあって、より強いものになるのが二人にははっきりとわかった。