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 風の街タルシスに、夕闇の足音が忍び寄る。遠く地平線の彼方へ沈んだ太陽は今、稜線を紫色に縁取っているだろう。代わって星明りが今、ほのかに柔らかく光る世界樹を照らしている筈だ。多分。
 ラミュー・デライトには今、それを確かめる術はない。
 ラミューは頭より手が先に動く方だし、頭で考えるよりも脚を使う事を好む。だから、育ての親が膨らませた借金には仰天したし、その利子分だといって財産を巻きあげられれば抗議にも飛び出す。そうして街でも一番の豪商の屋敷に飛び込んだのが一時間前。ずらり並んだ屈強な用心棒達にふん縛られて、蔵に放り込まれたのがつい先程だ。
 差し込む西日は既に、蒼く冷たい月明かりになろうとしていた。
「さて、デライトさんちのお嬢ちゃん。なにもワシだって、デライトの名に泥を塗ろうって訳じゃないんだがね」
 恰幅の良い男が、仕立てのよさそうなスーツに包まれた腹を揺すって喋る。その周囲にはずらりと腕っ節の強そうな男達。恐らく金で雇われた人間で、冒険者として迷宮に挑む覚悟も根性もない半端者だ。ラミューはその気になれば半分は沈められると踏んだが、彼女は自身にまっとうな冒険者としての生き方を戒めている。むやみに暴力に訴えてはいけない。
「ヘイ、ジジィ! オヤジの借金がそんなにデケェ訳ねえだろ!」
「最初は小さな額だったさ。でもねえ、お嬢ちゃん。借金には利子がついて膨らむのだよ」
「クソッ、だからって根こそぎ持ち出しやがって! ……それはいい、いいさ、しかたねえ」
 ラミューの育ての親、ワルター・デライトは死んだ。名うてのベテラン冒険者が、あろうことか初心者御用達の小迷宮でころっと死んだのだ。ラミューは親の財産が欲しい訳ではないし、借金は借金、利子は利子だ。取り立てには応じるが、それでも有無をいわさずというやり方には立腹している。
 なによりラミューは、彼女が一番大事にしている物を取り戻しに来たのだ。
「返せたぁ言わねえ……だがよ、ジジィ。オレにも少し、名残を惜しむ間くらいよこしやがれ!」
「そうかい? 育ての親でも親は親ということだねえ」
「……それとな。オレの大事な宝物まで勝手に持ち出すんじゃねえよ」
 それは、ラミューが常に肌身離さず身につけていたもの。迷宮で拾われた赤子の時から、自分と共にあった大事なマストアイテムだ。
 だが、老人を囲む男達はニヤニヤと柱に拘束されたラミューを値踏みするように見詰める。頭の上で両手を縛られたラミューは、身をよじって乱れるも(あらわ)な金髪を振りながら、邪な視線から逃れようともがいた。そのたびに豊かな胸の起伏が揺れて、豊満なヒップラインをくねらせる。その起伏を象る曲線の魔性に、持ち主本人は全く自覚がないのだ。
「よぉ旦那……無事に借金の取り立ても終わったことだし、よ」
「次は俺達が報酬を貰う番じゃねえかなあ? な?」
「あんた、このタルシスの名士なんだろ? 少し色をつけてくれよ……例えば」
 ――極上の女を一晩、とか。
 その下卑た呟きと共に、毛むくじゃらの腕が無数に伸びてくる。たちまちラミューのシャツは引き裂かれて下着が剥ぎ取られた。まろび出る乳房が口笛を浴びる。
「ああ、君達……あんまり派手にやらないでくれたまえ。街でも有名な爆弾娘(ピンキーボム)でね。それと」
 金貸しは止めるどころか、おお嫌だ嫌だと顔を背けて吐き捨てる。
 唇を噛んで必死の形相で男達を睨む、ラミューの視界があふれる雫で滲んで歪んだ。
 男達は容赦なくスカートも千切って、最後の一枚すら無慈悲に破り捨てた。
「それと、この娘は……あまり見てて面白いものじゃないねえ。おぞましい、迷宮生まれの呪われた子」
 乳臭いガキがなかなかどうしてと、顔を上気させていた男達の手が止まる。既に全裸に剥かれてしまったラミューは、持って生まれた異形の半陰陽(オトコトオンナ)を晒していた。そこには、少女を脱する女体の神秘と、荒々しく雄々しい男性自身が同居していた。
「ファック、見るんじゃねえ! ブッ殺すぞ、やめろ手前ェ等……みっ、見るんじゃねえ」
 ラミューは虚勢を張って叫ぶが、その声は尖りながらも震えていた。
 そして、言葉を取り戻した男達の中から失笑の声が巻き上がる。
「おいおい、こいつぁ誰の趣味だ? こいつ、男じゃねえか!」
「ガキの癖に立派なモノぶら下げやがって!」
「いやいや、よく見ろ。両方ついてるぜ、本当に人間か?」
 ラミューは顔から火が出るほどに恥ずかしく、恥辱の極みに身悶え震えた。なんの考えもなしに飛び出し、危険へと飛び込んでしまった。後悔……だがしかし、もう遅い。これから自分はこの男達にさらなる辱めを受け陵辱(りょうじょく)され、その後で……
 想像したくもない惨劇の中で、自分が滑稽な悲劇のヒロインとして像を結ぶ。恐怖が込み上げ、ガクガクと膝が笑った。
 誰か、誰でもいいから助けて。滅多(めった)に湧き上がらぬ感情が救いを求めて胸中に満ちる。いつでも強気で勝気、男勝りが服を着て歩いてるとさえ言われたお転婆(てんば)娘のラミュー。それが今、無力に凍えて助けを求めている。もう、厳しくも優しかった養父も、都会から戻ってきてくれた大好きな義兄(おにいちゃん)もいない。一人敵地に孤立した恐怖が、ラミューの思考と理性をじわじわ削ってくる。
 それでも折れそうな心を支えて男達を涙目で睨んだ、その時だった。
「悪趣味、というんじゃないかな。こういうのを人間は。……やめてもらってもいいだろうか」
 酷く平坦な、抑揚に欠く声。冷たく暗い響きは、おおよそ感情というものの作用が感じられない。それでも男達は、ラミューへと伸ばしていた手を揃って即座に引っ込めた。
 ラミューも異変に気付いたし、男達の表情が汗を浮かべてる理由を察する。


 先程の声は、極上の殺気を練り上げた、殺意そのものとして男達に伝わったのだ。
「な、なんでぇ新入り。ノリが悪いじゃねえか。な、なあ?」
「そ、そそっ、そうだぜ? なぁ若いの、一緒に楽しもうぜ?」
 媚びへつらうようにへりくだった男達の態度は、生への執着がそうさせているのだとラミューに伝えてくる。そう、男達の肉の壁が視界で左右に割れると、最後尾にひょろりと頼りない青年が立っている。全く彩りを感じさせぬ、モノクロームの影……そう、まさしく闇が淀んだ影そのものという存在感だ。真っ白く血色の感じられない顔に、黒髪と黒衣(ダークネス)。なにより一番恐ろしいのは、その青年は静かに殺意を突きつけているのに、その存在すらラミューに今まで察知させなかったのだ。男達とて忘れていただろう。
 幽鬼の如く冷たい視線を巡らせて、もう一度だけ男は口を開いた。
 全く感情の灯らぬ表情は、やや眠たげに開かれた半目が翡翠(ヒスイ)色の鈍い輝きを放っている。
「僕にも娘がいる。丁度同じ年頃のね……もう一度言うよ、やめてもらってもいいだろうか」
 有無を言わさぬ響きだった。それは形ばかりは提案の体裁を繕って、お願いするという形式を繕っている。だが、否定を許さぬ強い響きがあった。まるでそう、言の葉に忍ばせた見えないナイフのようなものだ。
 男達は萎縮してしまったが、その中で一人だけ蛮勇を示す愚か者が前に出た。
 一際逞しい体躯を誇る巨漢で、拳の指をバキボキ鳴らしながら青年の前に歩み出る。
「おうおうに兄ちゃん、用心棒家業が正義感面かあ? 夜賊風情が」
 夜賊……どうやら青年はナイトシーカーのようだ。影から影へ、闇から闇へと生きる夜の住人(ダークストーカー)。迷宮内では優れたスカウターでもあり、頼れる遊撃手としてパーティの要になることもある。だが、平素の暮らしにおいてはアウトローの代名詞だし、冒険者達の中でもナイトシーカーを嫌う者達は少なくない。
 ラミューの視線は、この一見して貧弱そうな青年に釘付けになった。
 先程の発言と殺気から知れる……否、感じるのだ。この青年は強い。少なくとも、威勢よく吠える大男よりも確実に。
「君達はさっき言ったね。本当に人間か、って。……もし、本当に人間(おまえたち)でなければ?」
「あぁん? 古来からなあ、俺等荒くれ家業のやり方は一つよ! 男は殺して女は犯す。違うか? おい!」
 野蛮な原理主義(ポリシー)を露呈した大男の視線を無視して、不意に青年は横を向いた。土蔵作りの壁をじっと見詰めて、その目元が僅かに険しくなる。その方向へと目線を滑らせるラミューは、蔵の中の室温が急激に低下していることに気付いた。
手前(テメェ)、俺を相手に余所見たぁいい度胸じゃねえか。新入り! 名乗れよ、墓碑に刻む名を」
「僕はポラーレ、ポラーレ・メルクーリオと言う名前、らしい」
「らしい? おうこら、なめてンのか? おいい?」
「……敵が、来る」
 大男は気炎をあげつつ白い息を吐いて、ようやく不自然な冷え込みに気付いたようだ。全裸のラミューも寒かったが、ポラーレと名乗った青年の言葉が白く煙ることはない。彼は一度だけちらりとラミューを見て、瞳だけで小さく頷いた。
 その瞬間、轟音と共に土壁が吹き飛び、激震に蔵が揺れて悲鳴を連鎖させる。
「なっ、ななな、なんの騒ぎだっ! ワワワ、ワシの財産が。お、おいっ、お前達っ!」
「この衝撃っ、印術か……ルーンマスターがいるぞ、散れっ! 固まってるとやられちま――」
 騒がしく慌てる男達は、烏合の衆という言葉がぴったりの連中だった。荒事や鉄火場に慣れてるとはいえ、統制の取れた行動ができない個と個の集まり。それが奇襲を受けて、ラミューの目にも明らかな程に狼狽していた。
 そして氷の結晶(ダイヤモンドダスト)を室内に振り撒きながら、一人の男がブチ開けた穴から現れた。
 その鋭い眼光が周囲を一瞥しただけで、並み居る悪漢を黙らせてしまう。
 なんていう日だろう、今日は……義理の父を、超一流の冒険者を失ったというのに。このタルシスで、ラミューが強さに震えて畏怖を感じる男がもう現れた。それも二人も。凍気を纏う金髪の美丈夫は、静かな怒りと共に無表情で手にプラズマをスパークさせている。その影から見慣れた白衣姿が飛び出てきて、ラミューの瞳はついに涙を決壊させた。
「ラミュー、無事かい! 助けに、来たっ!」
「クアン! ばっ、馬鹿野郎! あ、ありが、とう……でもっ、見るな! 見るんじゃねえ!」
 内股気味に腿へ腿をこすりあわせて、なんとか股間の茂みにぶらさがる息子を隠そうとするラミュー。
 その時、一筋の光が闇を裂いて腕のロープを切断した。投刃だと気付いた時にはもう、蜘蛛の子を散らすように逃げる荒くれ達に逆行して影が動く。まるで這うようにぬるりと、ポラーレは無防備に術士の前に歩み出た。自殺志願者と思われてもしかたがない、それくらいに無策に見える。家屋の破壊すら容易にこなす……それも単純な破壊力の火属性ではなく、高度な術式制御が要求される氷属性で。それくらい凄腕の術士を前に、だらりと両手を空にしたままポラーレは近付いた。
 ラミューは開放された手首をさすりつつ、駆け寄るクアンに白衣を被せられる。
「……礼は言わんぞ。退けば追いはしない。……どうだ?」
「ごめん、仕事なんだ。今日の糧、明日への寝床のために。僕は退けないよ、氷雷(オーロラ)錬金術師(アルケミスト)……ヨルン」
 ほう、とヨルンは片眉をあげた。ヨルン……確か養父ワルターの一番弟子。世界樹と生きる冒険者達の中で、彼を知らぬ者は少ない。エトリアで伝説を築いた、音に聞こえし氷雷の錬金術師とは彼のことだ。
 そのヨルンもまた、懐から一枚の紙切れを取り出し、ポラーレへと突きつける。
「最後に聞こう。……この女を見たことは――」
 その声に空気の裂かれる音がかぶさった。
 ヨルンの手にした小さな絵が真っ二つになった瞬間、二人の男は同時に地を蹴った。

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