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 未だ未開の地として広がる、風馳ノ草原(カゼハセノソウゲン)……その北の外れ、大地の尽きる果てに見出された巨大な風の回廊。多くの冒険者が挑むも、吹き(すさ)ぶ突風は全ての気球艇を拒み押し返す。一方で、そのすぐ側に発見された碧照ノ樹海(ヘキショウノジュカイ)は、明日の英雄を夢見る者達で溢れかえっていた。
 だが、強力な魔物が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する迷宮(ダンジョン)は、人間の侵入を頑なに拒み続けていた。
 そしてそれはどうやら、ポラーレのような人外(バケモノ)でも区別なく同じようだった。
「おっし、今日も絶好調! 次行くよっ! ……っと、ボールアニマル発見っ。いただきっ」
「ったく、はしゃいじまって。おうい、メテオーラ! 先走って怪我すんじゃねーぞ」
「大丈夫だよ、パッセロさん! ウフフー、ワタシヲツカマエテゴラーン♪」
「……棒読みになってんぞ、お嬢さん」
 地図を娘と覗き込んでいたポラーレは、ふと顔をあげて二人の影を緑の奥へ見送る。探索の疲れも見せず、メテオーラは元気に次の標的に走り出していた。やれやれと肩を(すく)めつつ、その後をパッセロが追う。概ね迷宮は複雑に入り組んでいるものの、まだ危険な罠等は出迎えてくれない。注意すべき魔物もいくつか見られたが、先日肩慣らしに訪れた森の廃坑と大して変わらなかった。
 そう思って再び愛娘(まなむすめ)の白い指を眼で追い、地図の中の空白地帯を頭のなかで思い描いていると。
 ポラーレは意外にも、優しげに瞳を細める表情を隣に見て、思わず言葉を失ってしまう。
 元気いっぱいなメテオーラに向けられるサジタリオの眼差しは、狩場で見せる戦慄(せんりつ)の眼光ではない。どこか温かな気持ちが灯って、まるでどこにでもいる青年のようににこやかだ。そんなことをポラーレが思っていると、そのぼんやり見詰める視線に気付いてサジタリオがムッと顔をしかめる。
「……なに見てんだよ」
「いや、別に」
「昨日の夜、コッペペから聞いてんだ。迷宮をあんま舐めねぇほうがいい、ってな」
 ポラーレは自然と脳裏に、しまらない笑顔のスナイパーを思い出す。本業は吟遊詩人(ぎんゆうしじん)だとうそぶき、昨夜も酒場でリュートを歌わせていた。そのコッペペだが、確かにサジタリオと並んで熱心に話し込んでいたのを思い出す。一応ポラーレはギルドマスターなので、情報収集等も必要だとこなしていたつもりだが。冒険者ギルドや酒場の主人に話しかけるだけでは得られない情報も、タルシスには多く埋まっているということだろう。
 無駄に目と目の加圧を強めていると、その間で地図を畳みながらグルージャが声をあげた。
「えっと、ぐるっと回りこんでるみたい。今度は南に」
 ポラーレ達は道標である樹海磁軸(じゅかいじじく)から北上、突き当たって東進し、道なりに歩いてきた。道中は冒険者同士が相互扶助(ギブ&テイク)のために設けた道具箱や、大きく実った果実などが出迎えてくれたが。メテオーラが早速果物に手を出し、酸っぱさに悶絶して以来大きな事件は訪れていない。
 今、この瞬間までは。
「ほうぁあああああああああっ! どーしてこうなった!」
「ばっ、馬鹿野郎っ! 言わんこっちゃねぇ、逃げるぞ!」
 あられもない絶叫が響いて、その音が空気を震わす方へとポラーレは首を巡らせる。


 見れば、必死の形相で走ってくるメテオーラとパッセロの背後に……巨大な球体が唸りをあげていた。通路狭しと周囲の木々を押しのけて薙ぎ倒し、遠近感を無視したボールアニマルが転がってくる。その前で逃げ惑う二人は、こちらへと全力ダッシュで迫っていた。
「あれは……」
「ちっ、ビッグボールだ! おい、ありゃヤベェぞ……やるか」
 うん、と小さく応えたポラーレが風になる。瞬く間にメテオーラ達とすれ違い、二人を南の方へと見送る間もなく。目の前に、轟音を響かせ回転する大質量が迫った。ビッグボールは、突然変異で際限なく成長した巨体のボールアニマル。ただ回廊を転がるだけで、その先にある全てを粉砕する。
 ゆらりとかざしたポラーレの手に、雌雄一対(しゆういっついく)の剣が生えてくる。
 それを握った瞬間、後方から風鳴(かざな)りを引き連れ矢が飛来した。それは転がり迫る巨球獣(ビッグボール)に突き立った。完全な球体に突起物が生じて、バウンドと共に巨躯(きょく)が跳ね上がる。
 ポラーレは迷わず跳躍と同時に、全身を捻って真横に一閃。
 ビッグボールは中空で真っ二つに割れて、あまりに鋭利な切っ先に血すら流さず落下音を二つ奏でた。
「……ええと、解体してお金に変えられる素材を持ち帰る、のかな」
「おう、やるじゃねぇか。まあ、軽いもんか? 野の獣を斬るくらい、造作もねぇと」
 茶化すようなおちょくるような、その実皮肉たっぷりのサジタリオ。彼はしかし、ポラーレの横に来ると「下がってな」と腰のナイフを抜き放つ。手際よく彼は、狩人らしい手慣れた手つきでビッグボールの成れの果てをばらしにかかった。
 言われた意味が、その意図(いと)がよくわからなくて、剣を消すやポラーレは首をかしげる。
「軽い仕事、という言葉はそぐわない。僕はいつだって、本気だから」
「そういう意味じゃねえよ。……人を斬るのと較べてどうだって話だ」
 やはり言葉の意味がわからなくて、ポラーレは沈黙をもって応えるしかない。
 わかることがあるとすれば、今の彼には一つだけだ。
「仲間の援護があるというのは、極めて有利な状況だとは思ったよ」
「ああそうかい、そうですかい。……ったく、これだから。お、よしよし、剥げたぜ」
 綺麗に甲殻の一部を切り取り、それをサジタリオは手持ちのバックパックに詰め込んだ。
 それをぼんやりと眺めながら、ポラーレは今しがた自分で発音した言葉を反芻(はんすう)して、意外な気持ちに感情がざわめくのを感じる。仲間……それは望んでも得られぬのに、不可思議な現状がただ「稼いで、暮らして、生きる」という毎日の中で自然とそばに発現している。それは状況が生んだ、誰かの利害が与えた関係かもしれない。
 だが、これが仲間なんだと知れれば、不思議と不快ではない。
 しかしそれを実感ではなく知識でしか得られないのがポラーレだった。
「あ、あのぉ……エヘヘ」
「怪我なんかはしてねえかな、って……ハ、ハハハ」
 乾いた笑いを並べて、通路の向こう側からメテオーラとパッセロが顔を出した。ひどく気まずそうな顔をしているが、ポラーレはただ無表情に「問題はないよ」と平坦な言葉。そして、自分と同じ表情を娘に見る。グルージャもまた、なんの感慨もない様子で苦笑いに固まる二人へ歩み出した。
 だが、メテオーラとパッセロは通路の向こうで互いに顔を見合わせながら、頭をかきつつ言葉を続ける。
「それで、そのぉ……なんか階段? 見つけちゃったんだけども」
「あっ、先生! だめだよー、こういう時は『フッ、狙ってやったんだぜ』って顔しないと!」
「そ、そうなのかメテオーラ……ま、まああれだ。階段を見つけたぜ! ……なんだかなあ」
「そういう訳なんだよっ、グルージャ! はやくはやくっ」
 怪我の功名、という言葉がポラーレの語彙から引っ張りだされたが、結果オーライだと笑いを噛み潰すサジタリオにポンと背中を叩かれる。奇妙な連帯感があることが今、ポラーレの心に不思議な波紋を広げていた。
 だが、サジタリオに促されるまま、全員で揃って通路の奥へと並んで向かう。
 そこには、永らく使われていなかったらしい階段が下層の暗がりへと伸びていた。
「ふむ、この迷宮は随分と広く大きいみたいだね。小迷宮とは訳が違うみたいだ」
「だな。さてどうするよ、相棒。行くかい? 荷物にゃ多少は余裕があるが、この分だと夜になっちまう」
「……相棒?」
 隣で手早く持ち物を確認するサジタリオに、疑問符で(つづ)られた言葉を返す。
 当然のようにサジタリオは、「ああ?」と片眉をしかめて怪訝な顔をした。
「お前のことだよ、ったく。不本意だが、状況が状況だ。だが、慣れ合いはしねぇ、覚えとけ」
「それで、相棒って? この、僕が?」
「お前意外に誰がいんだよ。……仕事の仲間をバケモノ呼ばわりするのは、俺の流儀(ポリシー)が許さねえ」
 そう、過去に何度もこの男は、狩るべきバケモノとして自分に矢を射掛(いか)けてきた。ポラーレの中でも、過去最強の天敵だった。それが今、隣にいて、同じ場所を向いている。やっぱり不思議なのだが、それがどういう事象かを説明できないし感じ取れない。
 そうしていると、目の前の階段から流れ出る湿った空気が、嗅ぎ分け慣れた臭いに染まった。
 それは、赤錆びた鉄の臭い……ただ、冷たい金属ではなく、生命(いのち)の溢れ落ちる温度を持っている。
「……血の臭いが、する。サジタリオ」
「ああ。だが早まるなよ、ここは鉄火場じゃねえ。鬼が出るか蛇が出るか……」
 メテオーラとパッセロは、ポラーレ達の異様か緊張感に身を固くしている。その一方で、冷静に地図を書き込んでいたグルージャが、現れた人影に第一声をあげた。
「あ……ワールウィンドさん」
 現れたのは、同業者と思しき男だ。その背には大きなバックパックを背負い、その上に負傷者を載せている。強烈な血の臭いの元凶は今、彼の背でうめき声を上げながら震えていた。ぼんやりと印象の薄い、無精髭の男……そう言えば以前、グルージャが森の廃坑でワールウィンドと呼ばれる男から地図をもらったと言っていた。
「やあ、お嬢さん。こちらはお仲間さんかい? 地図は役に立っているようだね」
 腰の低い態度で、ポラーレ達にワールウィンドは挨拶をよこした。
 瀕死の重傷者を背負っているのに、嫌に落ち着いている……ポラーレがそう直感した時、隣でサジタリオが探るような言葉を放つ。
「そいつはどうした、酷いありさまじゃねえか。下でなにかあったのか?」
「あ、ああ、そうだった。君達に会って安心したんだね、俺も。随分動転しているみたいだけども」
 そういってワールウィンドは、すかさず駆け寄るパッセロに怪我人を任せる。
 パッセロの表情と無言が、なによりも容態を克明(こくめい)に語っていた。
「この先に、とんでもない魔物が暴れているんだ。先に辺境伯に報告を」
 ――これ以上、死人を出してはいけない。
 そう語るワールウィンドの眠たげな瞳は、その奥に不吉な光を輝かせていた。
 ポラーレはサジタリオやグルージャと相談し、パッセロが施す応急処置が終わると同時に、来た道を引き返すことになった。

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