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 巨大な風車がゆっくり巡り、窓の外から長い影でポラーレ達を撫でてゆく。
 ここは辺境伯(へんきょうはく)の執務室、あの大風車があるタルシスの中枢だ。そして目の前には、質素だが仕立てのよい着こなしに身を包んだ壮年の紳士が立ち上がる。にこやかなその表情は愛嬌があって人懐っこいが、瞳の光は鋭く理知的に輝いている。
「ようこそ、マルク統治院へ! 歓迎するよ、冒険者の諸君」
 差し出される手をじっと見詰めて、にこやかな笑みを向けられ固まるポラーレ。
 横からコッペペに肘で突かれたが、どうにも要領を得ず無表情で首を傾げるしかない。
「ポラーレよう、こういう時は握手だろう。な? ほら、シェイクハンドだ、手と手を……こう!」
「ああ、うん。そうか……そういう意味か。ごめん」
 コッペペに促されるまま、男の手を握るポラーレ。悪い癖で、触れた側から相手の力量を察して観察の目を向けてしまう。長らく裏社会で鍛えられたポラーレの眼力は、瞬時に男の戦闘力を見抜き、敵意がないことを知る。警戒を緩めると、男もそれを察したのか嬉しそうに片眉を跳ね上げる。
「私はこの街では辺境伯などと呼ばれている。なに、移民達を統括する丁稚(でっち)のようなものだ」


「はじめまして、辺境伯。オイラ、コッペペってんだ。トライマーチのコッペペ。こっちは――」
「ヴィアラッテアのポラーレ、です」
 今日、このマルク統治院をポラーレ達が訪れた理由は一つ。
 辺境伯からのミッションを受領し、碧照ノ樹海(ヘキショウノジュカイ)の冒険を先へ進めるためだ。
 だが、単刀直入に切り出そうとするポラーレの低い声を、キャンキャンと甲高い鳴き声が制した。
「はっはっは、気に入られたみたいだね、二人共。この子はマルゲリータ、私の大事な友だ」
 腕に抱いた小型犬に頬擦りして見せ、屈託なく辺境伯は笑った。
 この辺境伯については、ポラーレは事前に調べていた。警戒心もあったが、今まで生きてきた習い性である。敵を知り己を知れば百戦危うからず、これは東洋の兵法(ひょうほう)だが言い得て妙だ。だから、自分が調べた通りの人物像が目の前にいるので、別段驚いた様子もなく手の内の刃を引っ込める。
 即ち辺境伯は、人柄もよく人望は厚い、名実共にこの街の指導者にして名士だ。
「君が噂のポラーレ君だね? ふむ、この間は随分と派手にやってくれたなあ。元気でよろしい!」
「この間……派手に、というと」
「なに、この街は最果ての辺境、移民にも色々とあるものだ。だから、構わん。誰もが生きるのに必死だよ」
「! ……それは」
 暗に辺境伯は、笑顔の下でカードを切ってくる。
 即ち、ポラーレが冒険者に身をやつした経緯を知っているのだ。
 自分が下調べを欠かさないように、彼もまた相手への注意を怠らないのだろう。
「確か娘さんがいるそうだが……そうだったね? ファルファラ」
 辺境伯が意外な人物の名前を口にした、その瞬間に背後で人の気配。
 音もなくドアの向こうから現れたのは、あのファルファラだ。今日もアルカイックスマイルを浮かべて、ポラーレとコッペペの間をすり抜け、辺境伯の隣に立つ。一瞬、鼻孔(びこう)を甘い匂いに絡む香水の芳香(かおり)が支配した。
「大変かわいらしいお嬢さんですわ、辺境伯。確か名前はそう……グルージャ」
「おお、そうだ。グルージャちゃんのためにも是非、頑張ってくれたまえ! ポラーレ君」
 隣で「なるほどねえ」と呟くコッペペの意図が、ポラーレにも伝わった。
 先日からずっと影に日向に暗躍していたファルファラは、マルク統治院の辺境伯と繋がっていたのだ。相変わらず褐色の肌も顕なファルファラは、そのいでたちとは裏腹に底が知れない。妖艶(ようえん)なその笑みの奥に潜む真意は、隣のコッペペにも計り知れないようだった。だが、黒幕がわかったと思った瞬間には、点と点を結ぶ線は仮初(かりそめ)のものへと変わってしまう。
「ファルファラ、君の言う通り彼等は頼もしく仕事もできそうだ。不思議なものだな」
「あら、辺境伯。私の言葉はいつも嘘偽りがないはずよ? 常にタルシスのためですもの」
「はっはっは、発する声に嘘はなく、秘する言葉を知る術はない。御婦人(レディ)とはいつも難しい」
 辺境伯とファルファラもまた、微妙な関係性の上に相互の損得をやり取りする仲のようだ。
 そうこうしていると、ファルファラにマルゲリータを預けた辺境伯の表情が一変した。
 にこやかな笑顔はなりを潜め、真剣みを帯びた男を風車の影が包んだ。
 一瞬の暗がりから発せられる声に、ポラーレも身を正して耳を傾ける。
「ミッションをこれより発動する! ……迷宮の下層に出た強敵モンスターを知ってるかね?」
「あのワールウィンドとかいう男が言ってた」
「そう! 重傷者が多数出た、痛ましい事件だった。その元凶を!」
 辺境伯は握った拳を逆の掌にパン! とぶつけて、
「叩いて欲しい。これは迷宮の探索で富を得るタルシスの、目下の至上命題だ」
 タルシスは移民の街であると同時に、冒険者達が世界樹を目指す橋頭堡でもある。迷宮からもたらされる素材は富みとなってタルシスを潤し、冒険者達の生きる糧となっていた。より高品質な武具のため、それを買う金のため……なにより、日々暮らすパンと寝床のため。
 だが、そんな冒険者を寄せ付けぬ難物が今、迷宮の奥に陣取っている。
 これを排除せぬ限り、何人足りとも深層への探索は許可されないだろう。
「勿論、この二人は……両ギルドは引き受けますわ、辺境伯。私にはわかりますもの……ふふ」
 胸にマルゲリータを抱くファルファラは、それだけ言って笑うと窓の外へと視線を投じる。
 相変わらず不気味で不可思議な雰囲気が、彼女の全体像をポラーレの中でぼかしてゆく。
「そういや辺境伯、ファルファラちゃんがアンタと繋がってたってのは、いいんだがね」
「ふむ、何かね? コッペペ君、だったかな」
「オイラ、もぉ一つ疑問なんだがよ……ワールウィンドってなあ、何者なんだ?」
 その質問の意味が最初、ポラーレには理解できなかった。
 ポラーレ自身が見ている目の前でワールウィンドは身分を名乗ったし、それはコッペペにも事前に説明した筈だが。
 そう、彼は同じタルシスの冒険者……だが、怪訝な表情で無精髭を撫でるコッペペに、ポラーレはこの世界の鉄則を思い出す。ワールウィンドはぼんやりとして頼りない印象だが、その手際は熟練とも言える一流冒険者だ。同時に、そういう印象の奥に言い知れぬ何かを隠しているような気もする。最も恐ろしい者こそ、その恐ろしさを常時隠しているものだ。
 例えば目下のところの相棒、サジタリオがそうであるように。
 そして恐らく、隣で考えこむフリをしてファルファラの尻を眺めてるコッペペも同様だ。
「ふむ、紹介がまだだったな。ポラーレ君は直接会っただろう。彼が来たのは何年前だったか……」
 辺境伯は当時を懐かしむように目元を細めて語り出した。
 ある日、この街にふらりと一人の男が現れた。その男は自らをワールウィンドと名乗り、文字通り停滞したタルシスの風になろうとしたのだ。自ら気球艇の開発を提唱し、進んでその推進機関の燃料となる物質を探しまわった。それが森の廃坑から発見された、虹翼の欠片だ。そしてそれはグルージャ達の手で交易所へと持ち込まれ、冒険者達は翼を得たのだ。
 こう聞くと、ポラーレには疑わいいところは感じられない。
 強いて言えば、疑わしいところが感じられないことこそが疑わしいが。
 常に誰からも距離を置く者特有の空気を、あの男はまとっていた。それは、自分が娘と放浪していた時代に酷似している。
「いけないな、何もかもが疑わしく見えてくる。コッペペ、いいかい? もう仕事に戻らないと」
「まあ待てよ、ポラーレ。辺境伯、もう一つ、最後にもう一度だけ確認、いいか?」
 なんなりと、と辺境伯の顔が笑顔になって、風車の影が通り過ぎる。陽の光を浴びた男の顔は、人懐っこい先程のものへと戻っていた。その瞳をまっすぐ覗き込みながら、コッペペはもう一度、一字一句を噛み締めるように問うた。
「間違いねえかな? ()()()()()()()、という名前の男が冒険者だと言ったんだな?」
「うむ、間違いはない。本名かどうかは知らんが、それは冒険者の常だろうしな」
 冒険者が名乗る名前、ギルドに登録する名称は多岐に渡る。あだ名、通り名、コードネーム……恐らくワールウィンドというのも偽名だろう。それのどこが不思議なのだろうか? 妙な部分に拘るコッペペは、とりあえずは納得したらしくそれ以上の詮索をやめる。
「では諸君! 頼んだぞ……敵は巨大な人喰い熊の怪物だ」
 辺境伯はポラーレとコッペペ、両名の肩に手を置きポンポンと叩く。
 そう、人喰い熊が出たのだ。迷宮の地下二階に、その魔物は居座っているという。辛うじて生きて帰った者達の言葉によれば、通常の熊とは異なり真っ赤な毛並みがまるで血のようだったという。恐らくそれは、餌食となった者達の返り血なのかもしれない。朱に濡れた血の裂断者は、その爪と牙を研ぎながらポラーレ達を待ち受けている。
 だが、危険なミッションは多額の報酬とイコールだ。
 冒険者としてのモチベーションが特に高いわけではないポラーレにとって、これはなによりの話だ。年頃の娘が周囲に増えたので、グルージャにも新しい服を何着か買ってやりたい。何も云わないで辛抱して暮らしているが、きっと下着の替えだってもう多くはない筈だ。
 愛娘にまっとうな暮らしをさせてやりたい……それだけがポラーレの確かな願望。
「ああ、そうそう。辺境伯、この女を知らないかしら? ふふ、勝手に拝借してきちゃったのだけど」
 胸から逃げ出したマルゲリータを追って、ファルファラが辺境伯の隣に戻ってくる。
 その手に小さな写真があって、ポラーレとコッペペは同時に目を丸くした。
「コッペペ、あれは」
「あ、ああ。ファルファラちゃん、そいつぁ。あの野郎が手放す筈ねぇ、それ以前にくすねるなんてできねえ筈だが」
 ファルファラに手には、南国の地で取られた一枚の記念写真が握られていた。彼女はそれを辺境伯に見せて、一人の女性を指さす。氷雷(オーロラ)錬金術師(アルケミスト)と並び称される英雄、世界樹の迷宮を初めて制した聖騎士が笑っていた。
「ええと、なんて言ったかしら……そう、デフィール。デフィール・オンディーヌよ」
「ふむ、名前だけは。確か、エトリアの聖騎士。……噂には聞いていたが、美しい御婦人であるな」
 だが、暫く凝視して辺境伯は首を横に振る。
 最後に、呆気にとられるコッペペの手に写真を握らせると、「ですって、返しといてくださる?」とだけ言い残し、ファルファラは執務室を出て行った。その背を視線で追うポラーレは、肩越しに投げかけられるファルファラの微笑を正面から受け止めた。それは、どこか試すように挑発的で、誘うように蠱惑的(こわくてき)。だが、目も逸らさず視線を跳ね返すポラーレを笑って、その姿は扉の向こうに消えた。
 こうして冒険者達の間に、凶暴な人喰い熊の討伐ミッションが発令された。

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