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 夜の(とばり)が静かに舞い降り、タルシスの街角に明かりが灯る。
 マルク統治院でのミッション完了が確認され、タルシスに集う冒険者達は活気に沸き立っていた。踊る孔雀亭に満ちる歌声はいつにもまして賑やかで騒がしく、冒険者を称える詩篇が生まれては夜風に吸い上げられる。
 その中心で居心地が悪そうな父親を見上げて、複雑な気持ちをグルージャは感じていた。
 ――感じてはいたが、説明ができないし納得もできないのだ。
「ガッハッハ、お前さんみたいなひょろっちい奴が? あの赤熊を?」
「なんてこった、こりゃ……愉快痛快そのものだな!」
「ちげえねえ! さあ、タルシスの、俺達の英雄に乾杯しよう!」
 大人達は皆、丸太のように太く毛むくじゃらな腕でジョッキを天井高くへと掲げる。
 促されるまま、グルージャの隣で戸惑(とまど)いがちにポラーレもグラスを手に取った。エールやワインの類は全然駄目なのだが、ポラーレの杯を満たすのは翡翠色の雫。瞳の色と同じ酒精の潤いが、父の手の中でゆらゆらと揺れていた。
 今宵何度目かの乾杯を終えた男達は、満足気にポラーレの肩をバシバシ叩いて店の奥に消える。
 だが、ポラーレを祝う人の行列は暫く途切れそうにない。
「どしたの、グルージャ。全然食べてないじゃん。ほら、チキンもトマトもあるよ」
「う、うん。ねえ、メテオーラ」
「チーズもあるし、ほら、パンなんか焼きたてだよ! バターのいいニホイが」


 自称友人を名乗る少女が、次から次と料理を取り分けてくれる。メテオーラの気まぐれプレートが目の前に置かれて、ずずいと勧められながらもグルージャはもじもじと手と指を遊ばせて落ち着かない。
「あれ、焼き飯の方がよかった? 煮込みもあるよ」
「ううん、ありがと。でも……その、笑わないでね。あたし……」
 思えば、このお節介でお人好しなメテオーラにこんなことを切り出す自分が不思議だ。
 でも、本当に不思議なのは隣の父親だ。グルージャの知っているポラーレはずっと、生活感がなく生活力に欠け、何より人との関わりを避ける人間だった。人間ですらない身だが、そういうヒトなのだ。話しかけられても「ああ」とか「うん」とかしか言えない不器用なイキモノ……それが今、サジタリオやコッペペに促されるまま、次から次へと乾杯を受け付けている。
 そして、その無表情を貼りつけたような白い顔は今、躊躇(ためら)いつつ不快感も忌避(きひ)も感じていない。
 誰が見ても普段通りの、赤みすらささないその表情から、グルージャだけが読み取れる僅かな感情。
「あんな父さん、初めて見るの。だって」
「だってもクソもあるかよ。お前の親父(オヤジ)さん、最高じゃねえか」
 グルージャの言葉尻を拾って現れたのはラミューだ。手にはグラスを四つ、背後のリシュリーが露に濡れた瓶を抱いている。挨拶もそこそこにグルージャは、メテオーラに渡されるまま配られたグラスを受け取ってしまった。たちまちなみなみと注がれる冷たい果実酒。ほのかな炭酸の泡が、薄い桃色の中に無数に弾けては消えてゆく。
「タルシスの新しい英雄に乾杯しようぜ? ヘイ、お姫さん! 音頭をとんな」
「はいですわっ! ではグルージャ、メテオーラも。乾杯いたしましょう。今日の勝利へ」
「明日の健康へ!」
「え、ええと……今夜の、パンへ?」
 馴染めぬ雰囲気につい、グルージャはえらくつまらない文句を(うた)ってしまった。だが、カチン! と薄い硝子(ガラス)同士がキスして、中身を飲み干す少女達の頬を薄紅色に染めてゆく。おずおずと口をつけるグルージャも、生まれて始めてお酒が美味しいことに驚いた。
 ぷはー、と一気に飲み干すや、周囲の大人達同様のテンションでラミューが笑う。
「凄かったぜ、オレが(すく)んじまったとこにこう、一撃を()じ込んできてよ」
「え、あ、うん……危ない真似しないって、約束したのに」
「いやいやいやいや、旦那にゃ楽勝だったぜ? 俺も命拾いさ、なあ旦那!」
 すっかり父にメロメロなラミューの声に、街の名士達との話を打ち切ったポラーレが曖昧に頷く。
 改めて父親の顔を見詰めて、なんだかこそばゆい感情にグルージャは頬が火照った。
「もともと、発見次第討伐するって依頼だった、から。それに……ラミュー君が、危なかった」
「はは、すっかり毒気が抜けたなあお前。ガキを助けるようなタマかっての」
 隣で茶化すのは、すっかり出来上がったサジタリオだ。彼は瓶から直接ウィスキーを飲みながら、景気よく骨付き肉を片手にポラーレの顔を覗き込む。僅かにのけぞるポラーレは眉を潜めたが、その目元がやわらかな光を中心に緩んでいた。
「ま、オレも迂闊(うかつ)だったけどよ。……いい親父さんじゃねえか」
「……え?」
「親子なんだろ? なんだよグルージャ、嬉しくねえのか?」
 ラミューのもっともな言葉に、思わずグルージャは首を傾げた。
 先ほどから違和感に胸がざわめくのは、味わい慣れぬ喜び……なのだろうか?
「それも半分ですわ、きっと。半分嬉しくて……もう半分、ちょっと寂しいんですの」
ほうひゃね(そうだね)! ふぁんか(なんか)……ゴックン! なんかグルージャって、お父さんっ子ぽいもん」
 ついとすましてふにふに笑うリシュリーに、巨大な焼き豚を頬張ったメテオーラが追従する。
「そう、かも。なんか、父さんが人にあんなに。確かに、嬉しくて……もやもやする」
 いつも自分だけを見てくれる父。いつでも自分のことだけを考えてくれる父。そんな父を束縛したつもりはないのに、なんだか寂しくて甘えん坊な自分がいた。けど、その指摘は立腹より安堵感を連れてくる。
「誇れよ、グルージャ。お前の親父さん、立派だぜ?」
「……うん。ありがと、ラミュー。メテオーラも、リシュも」
 笑顔が咲いた。微笑めた自分がなんだか気恥ずかしくて、はにかみ俯きながらも上目遣いに友人達へ視線で触れる。
 ああ、そうか。なんだか気不味い面倒臭い、友人付き合いがわずらわしい。そう感じていた自分が、一番尻込みしてたのだ。どうしていいかわからないのに、知ろうとしないで足踏みしてた。そういう己が踏み出す一歩が、同じ冒険に生きる者の輪へと自分を加えたんだと思う。それは、まだしっくりはこないけど、悪くはないと思うグルージャ。
 その時、楽器が競うように歌う酒場の喧騒に、静かにドアの開く音が入り混じる。
 友人達の笑い声と行き交う料理の皿の向こうに、グルージャは異様な人影を見た。
「あれは……? あの人は」
「ああン? 同業者だろ、ありゃフォートレスだな。なにせ今夜は無礼講だからよ」
「そそ、辺境伯のおごりだし? 夜通し騒ぐっきゃないってクチじゃないかなあ」
 ラミューが言う通り、恐らくは城塞騎士。メテオーラの推測通り、タルシス中の冒険者が集うこの宴会に馳せ参じたのだろう。
 それでもついグルージャの視線が釘付けになるのは、その常軌を逸したシルエット。
 マントのフードを目深く被った鎧の男は、背に己よりも巨大な盾を背負っていた。フォートレス、城塞騎士ならばそれは不思議ではない……頑強な盾は彼等彼女等の存在理由にして生命線だ。だが、男の背負う盾は大きく重そうに過ぎる。すぐ側であぐあぐと燻製を賞味してるリシュの、姉であり叔母でもある人は、もっと実用的な半身を覆う程度の物を使っていた。
 だが、どう見ても男の盾はその倍はある。
「よぉ、ご同輩! 遅いお付きじゃねえか、だが安心しな」
「酒も料理もたらふくあるぜ、兄弟! ささ、俺等の新しいダチに、ヴィアラッテアに挨拶しな」
 酒場を見渡すフォートレスへと、酔った冒険者達が近寄ってゆく。だが、それを手で制して、グルージャと目があった瞬間……騎士は真っ直ぐにこちらへ歩いてきた。一歩二歩と歩くほどに広がる歩幅は、三歩目で床を蹴って。瞬間、すぐ側でビクリと身を震わせたポラーレが手を伸べる。グルージャをひっつかんで引き寄せた腕はもう、ゆらゆらと人の身を解いて守るように巻き付いていた。
「と、父さん? ……え?」
「くっ、遅かったか。その娘を放し給え! いたいけな乙女をたぶらかすなど、言語道断」
 酷く明瞭な、実直さが空気に響くような声だった。
 フードを脱ぎ捨てた男は、背の盾をそっと下ろすや、腰の鎚を手に取った。襲われたのだと気付いた時には、そっとグルージャを背にかばってポラーレが立ち上がる。その目が先ほどまでの穏やかさを忘れていた。
「なるほど、確かにグルージャは僕の弱点とも言える。同時に……逆鱗(げきりん)だと、思うよ」
 ゆらりと立ち上がるポラーレを前に、騎士は武器を儀礼的に構えて声高に叫んだ。
「我が名はレオーネ! レオーネ・コラッジョーゾ! 義によって仁を説き、魔を滅する暁の、グッ!?」
 グルージャの父親は夜賊で、なにより人じゃなくて。だから、唐突な初撃が人でなしな不意打ちでもしかたがない。増して、伸びて鞭のように騎士を打ちのめした腕は、人ならぬリーチにまで伸びていた。
 なんだなんだと周囲が集まりだした輪の中心に吹っ飛びながらも、騎士はそのまま立ち上がる。
「おのれ、卑怯な! 不意打ちとは……話に聞いた通りの悪辣、非道!」
 突然、グルージャを抱き締めようと飛びかかってきた男の言うことだろうか? だが、不埒な城塞騎士は身構え直すと鎚を向ける。
 ……あらぬ方向に。アクシデントに身を乗り出していたコッペペの、リュートを抱えて座る方に。
「おいおい、兄ちゃん。オイラじゃないだろ、相手は」
「むむ……おお! 失礼した詩人殿。く、やはり眼鏡をかけるべきか。しかし人相が知れては」
「だいたいなんだ、見ない顔だが? レオーネちゃんよう、なんでまた物騒な」
「魔物にたぶらかされた乙女を救って欲しい……そうご老人に、依頼人に請われたのです!」
 ん? と、皆が首を捻って踊る孔雀亭の女主人を向く。勿論、肩を竦めての否定が帰ってきた。
 だが、レオーネと名乗った騎士は言葉を続ける。
「行き倒れて困り果ててる親子を老人は助け、職を与えて慈悲深く雇った! それを魔物は」
 グルージャの中で、一人の年寄りが浮かび上がる。もしかして……
「あろうことか、悪徳錬金術師と結託して蔵を破り、財産を掠めとったと聞く! その悪行、正さねば」
 話が見えてこない周囲とは違って、ポラーレにもピンと来たようだ。
 そう、恐らくこのマヌケな騎士に縋って頼ったのは、以前ポラーレを用心棒に雇った豪商に違いない。
「嗚呼、この魔物はいたいけな老人を」
 ごうつくばりで欲深いクソジジイを。
「騙したばかりか、さらった子供を盾に金品を強奪」
 懲らしめたばかりに、子供を養う報酬金をもらいそびれ。
「今また勇猛果敢な誇り高き冒険者を騙っている!」
 当面の生活のために、渋々冒険者をやらされている。……そう、最初は渋々だったのだ。でも、今日の父には仕事の充足感があって、それを感じて戸惑う姿が嬉しかったのだ。そのグルージャの気持ちが木っ端微塵で、思わず潜めた眉の間に深いシワが刻まれる。じとりと(すが)めたグルージャへしかし、レオーネは安心させるように白い歯を零して微笑みかけた。
「いざいざ、成敗っ! そこへなおりなさい……罪を悔いて共に償う術を探すならば、私が責任もっ、グア!?」
 拳を握ってグルージャが一歩を踏み出した瞬間……隣で旋風が一足飛びに鉄拳を放った。
 少女の打撃で倒れこそしなかったが、よけもしなかったレオーネ。彼は鼻息も荒いハードパンチャーを見下ろし、目が悪いのか顔をぐいと近付ける。
 だが、迫力の胸を堂々と逸らして、ラミューは威勢よく啖呵(たんか)を切った。
「ヘイヘイ、騎士様。言いたいことはそれだけか? 旦那が魔物だ、悪だって話だが……そりゃ本当かよ」
「おお……レディがそのような言葉を。いけませんよ、はしたない」
「うるせぇ、黙れっ! そして聞け! いいかあ、旦那はオレの恩人で、オレ達の仲間だ! そいつを成敗ってんならおもしれえ……ここにいる全員が身内だぜ? それでいいんだな? ええ、おいッ」
 レオーネはぐるり周囲を見渡し、輪を成す冒険者達が事情を察しているのに気付いた。
 グルージャ自身驚いた、父のために人が動くなんて始めての経験だ。
「……馬鹿な。なにかのまやかし……否! レディの目は濁っては……で、では」
「相手を疑う前に自分を疑いな。世の中バカが多いんだぜ? 例えば、ごうつくばりの泣き落としに落ちる城塞騎士とかな」
 そこからは話は早かった。あっという間に戦意を喪失したレオーネは、宴会を再開すべく冒険者達の手で叩き出された。往来へと放り投げられたレオーネは茫然自失で、気の毒なほど無様に転がる。
「おっと騎士様、忘れ物だぜ? ……なんだこの盾、クソ重いぜ」
「ハッ、使い物になるのかよ! それ、ブン投げ、ちま……え……?」
 リシュリーが肩を抱いてくれて、メテオーラが鴨の香草焼きをくれた……半分だけ。それも、割った挙句迷って、やや惜しそうに大きい方を。それでもグルージャは、周囲が気遣ってくれる中で父をこそ気遣った。
 ポラーレの顔は文字通り色を失っていたが、グルージャの視線に泣きそうな笑みを浮かべた。
「はは、逃げていきやがった! 災難だったな、旦那。ま、気にすんなよ」
「でも、変……あの盾。みんなの扱いを見た瞬間……あの目。あ、サジタリオさん」
 グルージャはポラーレの手を取り手を重ねて、小さく大丈夫だと呟いた。
 始めて味わう人の温もりは、すぐに砕かれ、それが普通だと言われた気がした。
 それでも、サジタリオが場の沈んだ空気を払拭してくれて、その実一番おもしろくなさそうな顔を見せたのが意外だった。

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