《前へ戻るTEXT表示登場人物紹介へ用語集へ次へ》

 タルシスの街は水面下で動揺にざわめいていた。ウロビトの里から戻ったポラーレ達の報告を、辺境伯は緘口令(かんこうれい)で関係者の間にだけ留めたが……秘密という名の一滴は僅かな隙間も逃さず滲み出て冒険者達の間を行き来し、あっという間に蔓延してしまった。
 こうして踊る孔雀亭で遅めのランチをとるグルージャの耳にも、あちこちのテーブルで囁かれるウロビトへの猜疑(さいぎ)と好奇心が聞こえてきた。良識ある冒険者達は互いの意見を交わすに留め、酔っていても口調に偏見が入り混じることは少ない。だが、そうでない者の声が酒場に大げさに響き渡る。
 無理もない、彼等は……彼は冒険者ではなく、ならず者の傭兵なのだから。
「しっかし胡散臭(うさんくせ)ぇ連中だよな、ウロビトってのはよ! その、巫女? ってのを閉じ込めてんだろぉが」
 行儀悪くテーブルの上に両足を投げ出し、身を預けた椅子をゆらゆら揺らしながら少年は酒をあおっていた。彼の名はクラッツ。ヨルンが郷里より呼び寄せた、少年少女だけの傭兵団シャドウリンクスの頭目だ。傍らでは周囲の視線を気にしつつ「昼から飲み過ぎだよぉ、クラッツ」と眼鏡のメディックがおろおろ落ち着かない。
 クラッツは周囲を見渡し反応が薄いと察するや、ことさら大きな声で独り言を張り上げた。
 こういう馬鹿は悪目立ちしてしまうのが辛いところで、しかしグルージャは眉を潜めつつも静観の構えだ。
「要するに連中はあれだろ? その巫女とかいう女の子を幽閉してんだぜ。利用するためにな」
「もぉ、クラッツってば声が大きいよぅ」
「だってよ、お前もそう思うだろ、フミヲ。まあ飲めって……俺ぁ、気に入らねえ。気に入らねえよ」
「クラッツ……」
 クラッツは杯を乾かすと、胸に燻る怒りと苛立ちをぶつけるように、ドン! とジョッキでテーブルを叩く。その目には年頃の少年らしからぬ暗い情念が燃えているようにグルージャには感じた。
 彼等シャドウリンクスの少年少女は皆、戦災等で親を失い路上に溢れた孤児だ。
 憤りを隠さぬその態度の裏に、グルージャは自分にはない感情を敏感に読み取る。それをおとなげないと断じたが口には出さず、彼女は黙ってナプキンで口元を拭う。子供じみた横柄で緩慢な振る舞いに干渉すれば、自分もまた同レベルに落ちることを免れない。そうしたことへも頭が回ったが、それよりも興味がないという気持ちが僅かに勝る。
 そして、自分が見聞きしてきた事実だけが真実だと心に結んだ。
 あの少女はウロビト達の巫女という重責の中で、グルージャを友と慕って懐いてくれたから。
 だが、向かいの席で先ほどから苛立ちを隠せぬ友人は、放り出すようにナイフとフォークを置くや腰を浮かす。
「うるせえんだよ、田舎者が……知りもしねぇでベラベラ喋りやがる」
 先ほどまで一方的にグルージャにファッションやスイーツの話を聞かせつつ、今度シウアンにみんなで差し入れに行こうぜと言っていたラミューだ。そう、巫女の名はシウアン……小さな小さな女の子は、そっと二人の耳にその秘められた名を吹き込んでくれた。たとえ大人達が(とが)めて止めても、友人付き合いの礼節をシウアンは心得ていた。それが、ただ閉じ込められて祭り上げられているだけの巫女ではないと、グルージャとラミューには知れたのだ。
 だから怒りに眉根を寄せて立ち上がるラミューを、静かにその手を握ってグルージャは瞳で頷く。
「……チッ、わーったよ。ったく、クールだよな、グルージャは。よくそう、涼しい顔でいられるぜ」
「まさか。ただ、手段は選んだほうがいいと思う。馬鹿のために馬鹿になる必要、ないもの」
 静かに平坦な声でそう言って、グルージャはテーブル中央に並ぶ調味料の小瓶へ手を伸ばす。タバスコを握った彼女にラミューは首を捻ったが、続いて追加注文で麦酒を頼む声を聞いて察したように表情を明るくする。
「シウアンと話してみて、わかった。少なくともあたしは感じた……シウアンはウロビト達に大事にされてる」
 運ばれてきた泡立つ豊穣の金へと、躊躇なくグルージャはタバスコの瓶をひっくり返した。
「ああ、なんかよ……ガキの頃のオレと同じだ。大事にされてるから、毎日笑って暮らしてらあ」
 続けてラミューが胡椒と唐辛子を手に取り、交互にふりかけて麦酒をおどろおどろしい色に変えてゆく。
「少なくともあたしは、ええと、友達? への下世話な誤解は……許せないもの?」
「……はン、何で疑問形なんだよグルージャ。でも、同感だぜ。ヘイ! クラッツ!」
 見るもおぞましい呪いのカクテルができたところで、煮えたように泡立つジョッキを手にラミューがクラッツ達のテーブルに歩み寄った。振り向くクラッツはラミューを見るなり、襟元を質して背筋を伸ばす。そうして咳払いに己の顔をキリリ引き締め、黙っていれば整っていなくもない面構えにイケメンな表情を作る。
 グルージャの目にも、悪巧みに歩み寄るラミューの笑顔は、美少女っぷり120%の愛らしい笑顔だった。
 だが、彼女は心の底でチロリと舌を出している。小悪魔の真っ赤な舌を。
「おごるぜ、クラッツ。飲めよ!」
「お、おう……へっ、見たかフミヲ? 辛ぇよな、黙ってても女が寄ってきやがる」
 グルージャもまた胸の内に毒を吐いた。黙って欲しくて忍び寄ったのだと。
 上機嫌でラミューから受け取ったジョッキに口をつけて、男らしくグイと喉の奥へ流し込んだところでグルージャも席を立つ。それは、一瞬の間をおいてクラッツが盛大に酒を吹き出すのと同時だった。
「☆%#&!? てっ、手前(てめ)ぇ! なんだこりゃ、何を飲ませやがった!」
「気に入ってもらえた? うるさい口を封じるとっておきよ」
「お、お前……えっと、グルージャ? だったよな、クソッ! 俺が何したってんだよ」
 口元を手の甲でゴシゴシ拭いながら、涙目でクラッツが椅子を蹴る。
「自分の胸に聞いてみて」
「無駄だぜ、グルージャ。デリカシーのねえ馬鹿にゃ無縁の話さ」
「そうね、ラミュー。じゃあ教えてあげる……友達を侮辱しないで」
 知りもしないで哀れみ同情を寄せて、あまつさえその者の生きる状況を不当に貶めるのは許せない。グルージャは隣のラミューを見上げて互いに頷き合った。それは、クラッツが腰の剣を抜き放つのと同時。


「……キレちまったぜぇ、久々によお。おうこら、吐いたツバ飲んどけよ!」
「ちょ、ちょっとクラッツ! またサーシャに怒られちゃう」
「だーってろ、フミヲ! けっ、これだから恵まれた育ちのお嬢さん方はよぉ……むかつくぜ」
 騒然とする酒場の中央で、短慮の炎を燃やしてクラッツがペッと手に唾を吐きかける。その手に握られているのは、かつてエトリアの聖騎士が振るったという伝説の宝剣だ。三竜の鱗を紡いで束ねた刃が今、グルージャへと向けられる。
 だが、グルージャは怯まず真っ直ぐ見つめ返した。
 その視線を遮るのは友の背中のみ……グルージャを庇うようにラミューもまた剣を抜く。
「聞こえてねぇのか……ダチを愚弄(ぐろう)すんなって言った! 誰が恵まれたお嬢さんだって?」
 ラミューの空色の瞳に怒りが燃えて、抜き放つ突剣が小さく(しな)る。グルージャは自分のために怒り、自分自身の憤りを重ねてくれるラミューに不思議な気持ちを寄せていた。そんな自分に気付いた驚きが、ついつい止めるタイミングを忘れさせる。
「俺ぁ女は斬らねえけどよ……少し痛い目見てもらうぜ、このオトコンナ!」
「なっ……ファック! でけぇ声で喋るんじゃねえ! ……回りが見てるだろ、畜生っ」
「俺は、俺達シャドウリンクスはな……泥を(すす)るようにして生きてきたんだ。おめでてぇ手前ぇ等とは違うんだよ!」
「笑わせるぜ、不幸自慢か? とんだ甘えん坊だな。うぜぇ! 性根を叩きなおしてやるっ」
 ラミューとクラッツは同時に床を蹴ったが、その剣が交わることはなかった。
 二人の間に影がさして、漆黒が広げる両手が素手で二人の剣を左右に握り締める。鮮血は舞うことなく、二人が全力で振るった刃は時間を忘れたようにピタリと静止した。
 二人の剣士の狭間に今、双方の剣を握って封じるポラーレの姿があった。
「ラミュー君、軽率だよ。……グルージャのためにありがとう」
「旦那! あ、いや、ついカッとなってよ……そ、それ、痛くねぇのか」
「生憎とそういう機能はなくてね。ほら、流れる血もない身だから……人間じゃ、ないからね」
 薄い笑みを浮かべるポラーレを前に、即座にラミューは剣を引いた。逆に、渾身の打ち込みを軽々片手で止められて、クラッツは表情を失い硬直している。はたと正気に戻った彼がさらに力を込めても、竜鱗の剣はびくともしない。
「クラッツ君、だったね。よさないかい? こういう場で剣を抜くのはよくないよ」
「手前ぇ、おいこら、おうこらっ! グ、グヌヌ……動かねえ。でもっ、退けるものかよ!」
「……人ならぬモノが人を守り育てては、いけないかい? おかしなことだと?」
「へ?」
 小さな呟きと共に、ポラーレはパッと手を離した。それでよろけてつんのめったクラッツを、彼は軽く支えて元の位置に立たせてやる。ぽかんとしてしまったクラッツに、静かにポラーレは語りかけた。それは厳しさが入り交じるのに、平坦で抑揚に欠く声は穏やかだ。
「君もあの娘に、巫女に会ってくるといい。その目で見て判断すべきだよ。一流の傭兵ならそうする筈、そうするべきだ」
「お、おおう……そ、そう思ってたとこなんだよ! なあフミヲ! は、ははは……旦那、あんたは」
「僕もね、大事な娘が一人いる。僕の全てで守るべき、大切な家族だ。……駄目かい?」
「……いいや、ちっとも。俺だって、守りてぇダチが、仲間がいるからよ。ヘヘッ」
 鼻の下を指で擦って、クラッツは剣を収めた。その姿にぽーっと憧れをくゆらすラミューと同じ熱量を、グルージャは憑物が取れたようなクラッツに見る。自慢の父はどうやら、無自覚に少年少女の心を盗む名人のようだ。
「でもすげえぜ、旦那! 俺の剣をあっさりと……ま、まあ、俺も本気じゃなかったけどよ」
「あ、うん。ごめん、簡単だった。いいかい、僕がモラルを語るのも変だけど。駄目だよ、いいね?」
「おうっ! へへ、飲み直すか……旦那! 一杯(おご)らせてくれよ。おいフミヲ! 今日は旦那と飲み明かすぞ!」
「あ、いや、その、クラッツ君……僕はグルージャを迎えに、来た、だけ、なんだ、けども」
 もだもだと口ごもるポラーレを、いいからいいからと勝手に引き連れ上機嫌でクラッツはテーブルに戻ってゆく。その口からこぼれ出た一言だけが、当事者達に小さな驚きを投げかけていた。
「やっぱかっけぇ、(しび)ぃぜ……コッペペの旦那といい、ポラーレの旦那といい。たまんねえなあ、おい!」
「よ、よしてくれないか、こそばゆいよ。……コッペペは、うん、彼は凄い冒険者だね」
「だろ? それがわかる旦那も俺もすっげえんだよ。コッペペの旦那、一人で巫女を助けに行ったからな!」
 ポラーレの無表情が、そこに僅かに浮かぶ照れくささを失ってしまった。グルージャもラミューも、互いに顔を見合わせ、次の瞬間には酒場を飛び出す。彼女達は、そしてポラーレはまだ知らない……僅かに知り得ても理解していない。コッペペという生き方がどのような一途さを秘めているかを。

《前へ戻るTEXT表示登場人物紹介へ用語集へ次へ》