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 小さな虫達が明かりを灯して闇夜に飛ぶ。そのぼんやりと光る軌跡の中に、ひときわ明るく輝く火があった。夜の闇にあって、ウロビトが祀る巫女の(いおり)には温かな家明(いえあ)かりが眩しい。それは決して強い光ではなかったが、提灯(ちょうちん)を手に持つ少女のあどけない横顔を浮かび上がらせる。
「里の外が騒がしいですぅ……やっぱりホロウが活発化してるです」
 少女の名はシャオイェン。巫女の身の回りの世話を焼く従者だ。彼女は小さな庭へと下りて、生け垣の向こうに防人(さきもり)達の隊伍(たいご)を見送る。大人達は先日のホロウ襲撃と巫女の危機に警戒を強めており、外界からの人間の接触もあって神経を尖らせていた。そんな時シャオイェンには、巫女の側にいることしかできない。
 否、側にいてできることがあると平らな胸の奥に結ぶ。
 自分とて未熟ながら方陣師、巫女を守るためならば我が身を投げ出すことさえ厭わない。
「ホロウに人間、来るなら来いです! シャオの目が黒いうちは――」
「シャオ? 誰かいるの? ふふ、勇ましいくらい元気だね、シャオは」
 一人、ズビシィ! と虚空を指さし決めポーズをとってたシャオイェンは、背後の声に慌てて振り返る。そこには、着替えを終えたウロビトの巫女、シウアンが微笑んでいた。
「巫女様っ、もうお着替えを!? お手伝いするのがシャオの仕事なのにですぅ」
「うん、いっつもシャオに任せっきりだったから。ふふ、グルージャやラミューみたいに、一人で着替えてみた」
「そんな、人間の真似なんかしなくてもいいんですぅ! 巫女様は偉くて尊いんですから」
「ううん、そんなことない。わたしもシャオと同じ。そしてグルージャ達と同じ人間なんだよ?」
 そう言ってシウアンは、慌ててぱたぱたと履物を出すシャオイェンに礼を言って庭へ下りた。年中温かで色彩豊かな植物が生い茂る第二大地、丹紅ノ石林(タンコウノセキリン)にウロビトの里はある。巫女の庵を囲む庭にも、木々が枝葉を伸ばして草花が生い茂る。その手入れの行き届いた庭園へと歩み出て、シウアンはにこりとシャオイェンに振り返った。
「で、シャオ。誰と話してたの?」
「そ、それは、その、シャオの独り言でぇ……けっ、決意表明ですぅ!」
「ふぅん、そうなんだ。わたしはてっきり、こっそり友達が遊びにきてくれたのかなって」
「み、巫女様?」
 不意に巫女シウアンは、そっと招くように手を伸べる。その先、庭の茂みに人の気配を拾って、シャオイェンは慌ててシウアンの前に立った。そして薄闇の中へ、ぬっと人影が立ち上がる。
「やれやれ、感のいいお嬢ちゃんだぜ。オイラ、完全に気配を殺してたんだけどな」


 突然、人間の男が現れた。シャオイェンの緊張感が突然ピークに達して、咄嗟にかざした手へと精神を集中して研ぎ澄ます。
 男の足元に方陣(ほうじん)を広げて、その力で自由を奪いながらシャオイェンは懸命に鋭い声を作った。
「巫女様はシャオが守るですぅ! 不埒な人間なんか、指一本触れさせないです!」
 まだまだ修行中の未熟者とはいえ、生まれと育ちだけは一流の高家で、シャオイェンの方陣は完璧だった。
 男はしかし、術中に(はま)っても平然としている。
「へぇ、これがポラーレの言ってた術かい。まずは脚を封じて縛ったかぁ、やるねえ」
「ありがとうです、それほどでも……ちっ、ちが、間違い! 巫女様、下がってください。侵入者、逃がしませんっ」
「オイラは逃げねえさ……一人じゃ逃げるつもりはねえよ。その()と一緒じゃなきゃな」
 そう言うと男は、うやうやしく(こうべ)を垂れて慇懃(いんぎん)で大げさな礼に身を曲げる。
「オイラ、コッペペってケチな吟遊詩人でさぁ。人の世に今宵(こよい)、人の子を解き放ちにまかりこして(そうろう)、ってな」
 コッペペと名乗った男はニヤリと笑うと、身を起こすや背中へ手を回す。
 武器を取らせてなるものかと、即座にシャオイェンは広げた方陣の光を瞬時に組み換え再起動させる。
「っ……! う、腕か、次は……」
「おとなしくするですぅ! 両手両足の自由を奪いましたっ。巫女様、すぐに大人達を呼んで――!」
 やはりシャオイェンの方陣は完璧だった。しかし、両足の自由を奪われて尚、苦しげにコッペペはその場に踏ん張りどうにか立っている。そして、両手の自由を束縛したにもかかわらず、ゆっくりと震えながら背中の荷物を手に取った。
 シャオイェンが武器だと錯覚したそれは、月明かりに目を凝らせば古びた楽器だ。
「次は頭を縛るかい? やってみな、お嬢ちゃん。それでもオイラは歌ってみせらあ」
 ポロン、と和音が一つ、また一つ爪弾かれる。それは徐々に連なりを増やして、点と点とは線を織り成し、優美な音の(クレッセント)となって夜気を優しく震わせた。常人ならば感覚すらない封じられた腕で今、コッペペはリュートを奏でている。
 即座にシャオイェンは、残る頭部を封じるべく方陣を組み直そうとして……ポンと肩をシウアンに叩かれた。
「待って、シャオ。この人、害意も殺気もないよ。それに、ほら……優しい音楽」
「ウロビト達が閉じ込め祀る少女へ歌うぜ? オイラを通じて世界を、外の広さと豊かさよ、伝われっ!」
 コッペペの歌に、外から大人達も弓や槍を手に駆けつけた。だが、屈強なウロビトの防人達も、ただただ歌うコッペペに手を出せない。
 何よりシャオイェン自身が、静かに方陣を解いてコッペペに魅入っていた。自分の術が二度も決まった、それにもかかわらず男は逃げようと藻掻(もが)きもせず、ただ平然と楽器を抱いて一緒に歌っている。その姿は、その声はシャオイェンを囚えて離さない。
「綺麗な歌……四季が彩る外の世界が見えるみたい。ね、シャオ。……シャオ?」
「……素敵ですぅ……はっ! は、はい、でもっ! 侵入者は、許さないですぅ」
 慌ててシャオイェンは我に帰ると、再び方陣を広げて、先ほどより強めた束縛の力を励起させた。
 コッペペは頭を封じられて一瞬ひるんで唇を噛んだが、震える声で歌い続ける。その声は苦しげな響きの中でより洗練されて、一層熱のこもった歌を紡ぎ出した。
 やがて周囲の大人達も我に返って、術に抗い歌う疲労で身動きが取れぬコッペペを拘束する。
「待って……ええと、外からいらした詩人さん。素敵な歌でした。今度はわたしの番ですねっ」
「み、巫女様?」
「シャオ、一緒に歌って……ねえ、みんなも! 詩人さん、わたしの歌で感じて……わたしは、ここにいるっ」
 突然、シウアンはシャオイェンの手を取り大人達の中へと分け入った。
 誰もが驚く中、彼女の唇はハミングを伴い静かにリズムを刻み出す。そして、ウロビトの里に伝わる祝祭のメロディが響いた。つられてシャオイェンも、シウアンの声に声を重ねて歌い出す。ウロビトの里ではこうして、大地への感謝を歌に込めて代々伝えているのだ。その素朴な響きは徐々に広がってゆき、大人達も楽しげなシウアンの笑顔に促されて声を合わせる。
 合唱の声が包む中、みんなで一曲歌い上げたシウアンは、すぐ目の前で詩人の男を見上げた。
「詩人さん、わたしの歌で伝わればいいんだけど……わたしね、外の世界がすっごく魅力的。ワクワクする」
「……ああ。伝わるぜ、わかっちまったヨ」
「でも、わたしが生きるのはウロビト達の隣、みんなの中なの。わたし、望んでここをふるさとに感じてる」
「みたいだな。たっは、オイラの早とちりかい? でもな、お嬢ちゃん。か弱い少女がもしやと思ったらオイラ……!?」
 シウアンの前に優しげに目尻を下げていたコッペペが、不意に表情を固くして緊張感を帯びた。
 それで我に返った大人達が、慌ててその両腕を捻じりあげて地へと組み伏せる。多勢に無勢な上に無抵抗で、しかしコッペペは先ほどの演奏と歌声が嘘のように、カミソリのような気迫をその身に帯びて奥歯を噛んでいた。
 同時に、この穏やかな夜の空気が大きく(よど)んで歪むのをシャオイェンも感じる。
 それは、ウロビト達を長らく脅かしてきた脅威の顕現する前兆(サイン)
「! 巫女様っ、シャオから離れないでくださいぃ。その人間より今は……きっ、来ますぅ!」
 幾重にも結界を張って守られた、里の中でも一番警備の厳重な巫女の庵なのに。それなのに、不意に重く垂れ込める冷たい瘴気と共に、月影の中へと無数のホロウが浮かび上がる。大人達は誰もが口々に非常時を叫んで、その手に武器を構えてシャオイェン達を取り囲んだ。
「ばっ、馬鹿な! 里の中へホロウだと!」
「くそぅ、やっぱり人間だ! 人間がホロウを呼び込んでいるんだ!」
「誰かウーファン様を! ファレーナ様を! 早く!」
 だが、驚くべきスピードで増殖を繰り返して、あっという間にホロウの影はシャオイェン達を取り囲んでしまった。幾重にも連なり揺れる空虚な殺意が、じわじわとその包囲網を狭めてくる。
 ホロウ……それはウロビトがこの里に暮らし始めてから、長らく共に生きてきた影。ウロビト達が連れて生きる、彼等彼女等の暗部。詳しい正体は一部の者しか知らないとされる、ウロビト達の永遠の敵対者だ。その虚ろで歪な姿に魅入られた者は、誰一人として命を全うすることはかなわない。
 巫女の従者として教育され修練を積んできたシャオイェンでも、これだけの数のホロウを見るのは初めてだった。
「なあ、お嬢ちゃん……オイラの手足、自由にしてくんねえか? 守るぜ……お嬢ちゃん達をよぅ」
「だっ、駄目ですぅ! ここはシャオが、シャオ達が……ウロビトの巫女様は、ウロビトの力で守るんですう〜!」
「待って、シャオ。みんなも……無茶は駄目だよ? ね、ここはわたしに任せて」
 シャオイェンがコッペペと問答をしていた、その隙に手が振り解かれた。
 シウアンは一人、強張り固まる大人達の間をすり抜けてホロウの前に躍り出た。
 ホロウの群れはゆらゆらと揺れながら、シウアンを見るなりおどろおどろしい風鳴りのような声を輪唱させる。
「やっぱり……わたしが目的なんだね? だからこの間も……ねえ、ホロウさん達! 何をそんなに怯えているの」
「巫女様っ、いけませんですぅ。ホロウに心を開いた者は、闇に取り込まれてしまうです!」
「わたしが人と……ううん、ウロビトが人と交わり触れ合うことが怖いの? どうして――」
 その時、ホロウ達の影が膨れて交じり合い、巨大な空気の(おり)となって巫女を包んだ。
 咄嗟のことでしかし、慌てて駆け出すシャオイェンの目の前で……彼女自身すらも一緒に飲み込もうと闇が鳴動する。
「巫女様を守るです、シャオが、シャオはそのために……巫女様ぁっ! あっ」
 爛れるように冷たい虚無の中へと、吸い込まれそうになった瞬間にシャオイェンは抱き上げられた。
 それは、自分が四肢の力を奪ったはずのコッペペだった。
「無茶は駄目だって、あの娘が言ってたぜ? な、そうだろ……リトルレディ。こいつら、理屈が通用しねえ」
 助けだされたシャオイェンは今、たくましい男の胸に抱かれていた。その矮躯を引き込み損なって、ホロウの集合体は吼え荒ぶように凝縮した後、シウアンを包んだまま霧散して消えた。
 己の務めを全うし損ねた悔しさに涙が零れて、シャオイェンは静かに抱きしめてくれる男の腕に抗えなかった。
 ウロビトの巫女、ホロウにさらわれる……この一報は遠く離れたタルシスを震撼させるのに十分な衝撃だった。

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