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 久しぶりに出た里の外は、燃える紅葉が映える青空。吹き渡る涼しげな風に髪をおさえながら、ファレーナは天を仰いで目を細めた。周囲の同胞たちも落ち着かぬ様子ながら、遠く異国へと旅立つ高揚感と興奮に華やいでいる。
 長老会議を説き伏せ、ウーファンがタルシスへの人員派遣を決めたのが先週。最初は誰もが二の足を踏んだ。しかし、ファレーナが一番に名乗り出ると、瞬く間に使節団は定員を満たした。このウーファンの試みを強く後押ししたのは、意外な人物の存在だった。
「っと、迎えの気球艇が来たなあ。ありゃ客船級じゃねえか、へえ……賓客(VIP)扱いたぁ辺境伯も大奮発だぜ」
 気付けばファレーナの隣に、顎の無精髭を撫でる一人の人間が立っていた。名は確か、コッペペ。以前、巫女の(いおり)に侵入して囚えられ、先日の騒ぎの間もずっと地下牢に繋がれていた男だ。彼は釈放となった時、真っ先にウーファンに訴えた。てっきり不満と非礼を口にすると思っていたファレーナは驚いたものだ。同時に、人間への興味を一層強いものにする。
 コッペペはまずウーファンに、タルシスに来るよう説得したのだ。
 次いで、ウーファンを口説かなかったことを詫びつつ、熱心に使節団の意義を語ってくれた。
 自身は後に赴くとしつつも、ウーファンは苦笑しながら提案を受け止めた。そして、本人の強い要望もあって、巫女シウアンのタルシス行きも裁可したのだ。彼女が長老会議でどれだけ絞られたかを知っているので、英断だったとファレーナは尊敬している。やはりウーファンは、巫女と里とを第一に考えるウロビトのリーダーにふさわしい存在なのだった。
「はぁ、シャバの空気はうめぇなあ……牢屋暮らしなんざ何年ぶりだったことか」
「なんと詫たらいいか、申し訳ない。コッペペ殿も巫女を思って来てくださったのに。それを」
「ああ、なに! 俺もレディの前で不躾(ぶしつけ)だった、それだけの話さ。それとな、ねーさんよぅ」
 ニッコリ笑ったコッペペの顔は、まるで少年のようなあどけなさがある。ともすれば、幼い子供の無邪気ささえ感じて、それがファレーナの罪悪感をあっという間に払拭してしまった。
「オイラのことはコッペペって呼んでくれや。んで、寝室にも呼び込んでくれればいいんだがなあ」
「ふふ、それは人間の世界の挨拶かなにかなのですか?」
「いや、人間の世界の……っていうか、美男美女が交わすジョークだな」
「……世俗には疎いもので。ではコッペペ、改めて謝意を。わたしたちも浅はかでした」
 ファレーナが頭を下げると、周囲のウロビトたちもそろってそれに(なら)う。今、この場で旅立ちの船を待つ者には、こうした素直さがあった。多くを若者が占め、その誰にも停滞よりも発見を望む気概がある。だからこそ、自分たちが固執していた巫女と里の平穏が、その閉じた世界の平和が脅かされていると感じているのだ。
 それはファレーナも同じで、好奇心と使命感が半々だ。
 非は認めるし助力は願い出る、そのために礼を尽くす……それは本来ウロビトの社会が持つ美徳だ。
「おっと、そういうのはやめてくれよな。オイラ困っちまうぜ」
「では、そのようにしましょう。皆も顔をあげよう。今は前を向いて進む時」
「切り替え早いねえ、ねーさん」
「ファレーナとお呼びください。仰々しさが落ち着かないのは、人間もウロビトも同じなのですね」
 自然と笑みが零れて、ファレーナは目の前のコッペペに一人の男の面影を見出す。
 そう、あの不思議な青年もやはり、こういう少年のような顔を秘めていた。それは人ですらない、影のようなモノクロームの男。無表情の無愛想が時折見せる意外な横顔を、ついファレーナは思い出してしまう。
 これから知りたいと願う人間社会、その中で生きる錬金術が産んだバケモノ……原石のような人間性に興味は尽きない。
「みんな揃ったみたいだね! 大丈夫、タルシスは私たちを歓迎してくれる……胸を張っていこう!」
 明るく響く声に振り返れば、そこには正装に身を固めた巫女シウアンの姿があった。彼女は自ら希望して、タルシスの辺境伯と面会するのだ。そこで語られることは、二つの種族が幾星霜(いくせいそう)の年月を超えて再会した、その先の未来への展望だろう。それを任せるだけの器が巫女にはあると信じられるし、それを支える同胞たちも頼もしいと思うファレーナ。
 だが、シウアンが「ここでもういいよっ」と声をかけると、運び込まれた荷物が山となった。
「おいおい、シウアンちゃんよぉ……こらまた随分な荷物だな」
「コッペペさん! 釈放されたんですね」
「ああ、静かでいい部屋だったぜ? 男は身一つでも困らねえしな。それに比べて女の子は物入りだ」
「そっ、そそそ、そうなんです! 私ほら、谷の外に出るのは初めてなので! だから、色々と荷物を」
 ファレーナはその時、巫女の表情に言葉にはない事実を拾ったが、あえて黙っていた。
 ――シウアンはなにか、隠し事をしている。
 長年巫女を見てきたファレーナには、その隠し事がどれだけの意味を持つかまで容易に察することができた。口に出して正さないのは、その内容まで想像がつくから。そして恐らく、ファレーナの思い描くかわいい嘘は、十中八九当たっているだろう。
 その時、周囲へとプロペラの風を吹き降ろしながら、巨大な気球艇が舞い降りてきた。周囲のウロビトたちも乗船準備に鞄を持ち上げるが、それと比べても明らかにシウアンの荷物は多くて大きい。
「どれどれ、シウアンちゃん。おじさんが荷物を積むのを手伝ってやらあ」
「ありがとうございます! あ、でも、こっちのは私が」
「女の子が力仕事はいけねえぜ、おじさんに任せときな。よっ……随分重い衣装箱だなあ、こりゃ」
 その時、シウアンが口を開きかけて、慌てて手で覆った。
 だが、彼女が噤む代わりに、衣装箱が喋った。
「重くないですぅ〜! ……あぅ!」
 瞬間、その場の誰もがピタリと固まった。視線がシウアンに殺到し、次いでコッペペが肩に担ぐ衣装箱へと注がれる。
 しれっとファレーナはしかし、小さな嘘をささやかな大嘘で塗り替えた。
「ウロビトの里では、そういうこともあるのです。コッペペ、荷物をよろしくお願いしますね」
「……なるほど! そうだよなあ、うんうん。じゃあ、運び込んじまうぜ」
 察してくれたのか、深く言及せずにコッペペが荷物を担ぎなおす。
 だが、それで終われば忘れられる話だったが……衣装箱はガタゴトと揺れて喋り続ける。
「シャオは重くは……レディに対してそれは失礼なのですっ! あ、キャッ!」
「とっとっと! おいおい、活きのいい荷物だ、っぷ!?」
 コッペペの肩の上で揺れていた竹の衣装箱が、バランスを崩してその場に落ちた。同時に中身がぶちまけられて、大量のぬいぐるみが散らばる。その中から這い出てきたのは、可憐な人形のごとき少女だった。
「っと、これは……大丈夫かい? リトルレディ」
「いたた、お尻打ったですぅ〜……はっ! あわわ、こここ、これはその、ええと」
 やはりファレーナの想像した通りだった。
 箱の中から現れたのは、巫女シウアンの側で世話係をしているシャオイェンだ。もちろん、今回の使節団のメンバーではない。つまりこれは密航で、共犯者はほかならぬ巫女その人というわけだ。ちらりと見れば、シウアンは申し訳なさそうに(うつむ)いてしまった。
「巫女、これはどういうことですか!?」
「これ、シャオイェン! 家族も心配するであろうに!」
「またこの()は……おとなしく里で巫女の帰りを待ちなさい」
 周囲の者達は呆れつつも、いつものことだと溜息に肩を竦める。
 このお転婆(てんば)な少女は、時折暴走するのだ。思い込みが強く、一途に過ぎるところがある。
 だが、そんなシャオイェンに(うやうや)しくひざまずくと、そっと手をのべる男が一人。
「リトルレディ、どうしてこんなことを? いくらちっちゃいお尻でも、荷物の中は狭過ぎらぁ」
「ちっ、ちっちゃくないですぅ! ……そ、それは、その……また、お会いしたい、のも、あったけど」
 赤面に俯きながらも、シャオイェンはぼそぼそと喋り出す。
「巫女様はすぐ里に戻らなきゃいけないですぅ……もっと外、見たいのに。だから」
 きっ、と潤んだ瞳で顔をあげたシャオイェンは、前のめりに声を張り上げた。
「シャオが巫女様に代わって、外の世界を見て、聞いて、触れて……巫女様に伝えるですぅ!」
 その言葉に、ファレーナはもちろん、周囲のウロビトたちも黙ってしまった。そして、誰もが笑顔になる。
「シャオイェン、ウロビトに恥じぬ振る舞いで暮らすのだぞ」
「しっかり見聞きして、巫女に伝えておくれ……我々と共に行こう」
「では、他の荷物もシャオイェンの……はは、困った娘だ。どれ、俺らで運んでしまおうぜ!」
 ファレーナも仲間たちを手伝い、シウアンの……というよりは、シャオイェンの荷物を気球艇へと運び込む。ほかならぬシウアン自身が、率先して自ら荷物を手に取った。
 そんな中、散らばるぬいぐるみを片付け初めたシャオイェンの手を、コッペペが手に取り立ち上がらせた。
「さ、リトルレディ……シャオイェンちゃんつったか? タルシスへのご招待だ、オイラが身元は保証するぜ」
「いいんですか? シャオ、酷いことしたし、嘘ついたですぅ」
「そのことは謝ればいいさ。見ろ、みんなわかってらあ」
 シャオイェンは周囲の仲間たちや巫女、そしてファレーナにぺこぺこと頭を下げる。
 そして、キラキラと輝く瞳でコッペペを見上げた。
「みんな、ごめんなさいですぅ! そして……ありがとうございますっ、コッペ様っ!」
「コッペ様ぁ!? オ、オイラのことか? 様、て……よしてくれや、ハハハ」
「コッペ様はコッペ様ですぅ、だって……シャオのお慕いするお婿様なんですからっ!」
 誰もが絶句した。
 また始まったか、とファレーナが笑いを唇に浮かべた。
 コッペペは優雅にシャオイェンをエスコートしたまま固まってしまった。
「あの夜、コッペ様は優しくシャオを抱きしめてくれたですぅ……シャオ、身体を許してしまいました」
「ちょっ、ちょっと待て待てぇい! そりゃ違うぜ、オイラはホロウから守るためにこう、庇って」
「そうなんです! コッペ様は命がけでシャオを守ってくれたですぅ。これはもう、運命なのです!」
 こうして、タルシスにウロビト達がやってくることになった。
 同時に、放蕩一代男コッペペの隣に、小さな小さな押しかけ女房がやってきたのだった。

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