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 シャオイェンが無理やり押しかけてメンバーに名を連ねたのは、コッペペがマスターを務める名門ギルド、トライマーチだった。そこでは愛しいコッペ様との大冒険が待っている! ……筈、だった。竜の巣に分け入り秘宝を手に入れ、空の果てまで気球艇を駆って()び、憧れの海へと旅立つのだ。そして渚の白い家で二人は――
「二人は、二人は……ああん、駄目ですぅ! ……はぁ、それがどーして、こんなことに」
 シャオイェンが今いるのは、秘宝の待つ竜の巣ではない。空は遥か頭上に見えず、変わって鍾乳洞の岩盤が見渡すかぎり覆っていた。海など望むべくもない、じめじめとした洞窟内に広がるのは水たまり。
 ここは名も無き小迷宮、カエルや虫が騒がしい沼地だ。
 シャオイェンの初仕事は、仲間たちと一緒にこの場所の地図を作ることだったが、
「メテオーラ、そっち行ったぞ! うおお、デケェ、デケェぜ! あ、ほら姫、こんどはそっちだ!」
「逃がしませんの! それにしても立派ですわ、わたくしザリガニさんは初めて見ますの」
「凄く……大きいです、ふっふっふ……ああもう、ヨダレが。っとっとっとぉ? に、逃げるっ!」
 同行者は同年代の女の子ばかりで、それも冒険そっちのけでザリガニを追っている。誰もが裾をまくって腰に結び、ブーツやサンダルを脱いで水辺に浸かっていた。そんな少女たちの白い足を縫うように、巨大なザリガニが右へ左へと逃げているのだった。
 シャオイェンはそれを眺めては、水辺に座りながら大きな溜息を零す。
 こんな筈ではなかった、現実は夢見た色とは少し違う。
「シャオ、あなたは一緒に騒がないの? 楽しい、らしい、よ?」
「あっ、え、えと」
「グルージャでいい。あたしもシャオって呼ぶから」
「は、はい、グルージャ。……シャオはああいう真似しないですぅ、もう立派なレディなんですぅ〜!」
 ぷぅ、と頬を膨らませて唇を尖らせる、そんな仕草が子供そのものだということにシャオイェン自身は気付かない。それでもグルージャは咎めることなく、フラットな無表情で「そう」と短く言葉を切った。
 そうして隣に腰掛けてくるので、シャオイェンは少し年上の少女の落ち着いた物腰に息を飲む。
 視線に気付いたグルージャは、手元の羊皮紙を開きながら小さく小首を傾げた。
「? なにかあたしの顔に、ついてる? シャオ」
「な、ななな、なんでもないですぅ! ……グルージャこそ、ザリガニは」
「あたしはこれを少しまとめたいから。危険な魔物もいないし、道も平坦。マッピングもすぐだった」
「あ、それ……」
 既にもう、グルージャがこの小迷宮の地図を半ば完成させてしまっていた。巨大なカエルのバケモノが飛び跳ねてる他は、これといって敵意も害意もない沼地である。洞窟の外に雨を呼ぶ両生類の混声合唱曲(コーラス)を聞きながら、グルージャはもう一仕事してしまったのだ。
 大人びた雰囲気で手早くメモをまとめるグルージャの、その白い手を覗き込んでシャオイェンはグムムと唸った。
 愛想の欠片もないのに、グルージャは仕事ができる。流石はあのヴィアラッテアのギルドマスター、ポラーレの愛娘だ。
「シャオ、暇なら貴女も行ってくれば? ザリガニ」
 隣のシャオイェンを見もせずに、突き放すようにグルージャが抑揚のない声。それが彼女なりの不器用な気遣いだとも気付けず、シャオイェンは言葉に詰まった。
 なんだか上手く馴染めそうもない。自分は褒められて伸びるタイプだし、甘やかされて実力を発揮する(タチ)だ。そんな彼女がニューカマーとして加わったのに、他の少女たちはフリーダムに過ぎる。そんなことを考えていると、ようやくグルージャが顔を上げてシャオイェンに向き直った。
「コッペペさんは、なんて言ってたの?」
「コッペ様はぁ……シャオの居場所はここだって。グルージャたちにしっかりついてって、よく勉強しなさいってぇ」
「行儀見習ってことね。だったら……やっぱりシャオ、ザリガニよ」
「ザリガニ? ですかぁ?」
「そう、ザリガニ」
 キラキラと水飛沫(みずしぶき)に輝く少女たちをちらりと見て、グルージャがシャオイェンの耳元にそっと囁く。
「彼女たち、ただああしてザリガニを追って遊んでると思う?」
「……え? ち、違うですか?」
 グルージャは否定も肯定もしない。代わりに声音に僅かな真剣さを交えてくる。
「一見して遊んでるようにみえる。けど、一緒に混じれば……コッペペさんの言ってる意味がわかるかも」
「コッペ様の、言ってる、意味……そっ、そんなことぉ! ない、ですぅ……た、たぶん。でもっ!」
 意を決してシャオイェンは立ち上がった。衣の裾をまくり上げると、きつく縛って針金のような脚を水に浸す。
 ひんやり冷たい水が気持ちよくて、透き通る水面の下は砂がまるで銀世界のよう。
「お、なんだシャオ。混ぜて欲しいのか? おい姫」
「はいですの! シャオ、一緒にザリガニさんを捕まえましょう!」
「っと、言ってるそばから、そこぉ! ……にーげらーれたぁー、うぐぅ」
 バシャン! と頭から水に突っ込んだメテオーラが、びしょ濡れで立ち上がる。彼女は上着も脱いでシャツだけになると、再びザリガニへと目を輝かせた。爛々と流星のように灯る瞳にはもう、ザリガニしか映ってはいない。
「よっし、そろそろ決めようぜ。シャオ、お前ちょっとそこに立ってろ」
「ほへ? こ、こうですかぁ?」
「姫、メテオーラとザリガニを追い込んでくれや。こっち側は深いからオレが立つ」
 確かこの赤頭巾の少女はラミュー。グルージャは事務的な手続きや物資調達等、このパーティを取り仕切っているが……現場の司令塔は彼女だという。若くして熟練冒険者で、ガサツで男勝りで、お風呂場で見たが実際は本当に――
「や、やだっ! 思い出しちゃったですぅ!」
「あァ? なにやってんだお前。いいか、そっち行くからな! 捕まえろよ」
 赤面に頭上の記憶を手で追い払いながらも、シャオイェンは気付いた。これが恐らく、コッペペが言ってた、グルージャが見せたかったものだ。少女たちは一度本気になると、各々に役割を分担して手際がいい。特に目配せの利いてるラミューは指示も的確で、その上一番面倒なことは率先して自らこなしていた。
「ではメテオーラ、ワルツのリズムで参りますの!」
「おう、ばっちこい! ほらほらほらほら、もぉ逃げられないぞ! わはは」
 リシュリーが水面に波紋を広げながらリズムを刻む。不思議の彼女の足さばきは、決して不協和音にさざなみをたてることはない。まるでそう、沼の上に直接立っているかのような軽やかさだ。そして、そのリズムに乗って走るメテオーラは、わざと大げさに立ちまわってザリガニの影を追いかける。濡れるのも構わず、がむしゃらに。
 そういえばこの場所に来る前、何度か魔物とエンカウントした時のことをシャオイェンは思い出す。ラミューに言われた通りにしか動けなかった自分とは違い、リシュリーもメテオーラも自分の役割を熟知していた。勿論グルージャも。リシュリーは常に仲間たちのリズムとテンポを調律している。メテオーラは誰よりも脚を使って動き、人一倍汗をかいて攻守に立ちまわる。全て皆、自主的に、積極的に。
「っし、シャオ! そっち行ったぞ、捕まえろ! 得意の方陣でもなんでも出して、フン縛れ!」
「は、はいですぅ!」
 杖は岸に置いてきてしまったし、あれがなくても方陣を組める域にシャオイェンは達していない。例えばウーファンやファレーナならば、それくらいはやってみせるだろうが。だが、相手は魔物ではなくザリガニ……足元に泳いでくる赤黒い影に屈み込むなり、シャオイェンは手を伸べた。
 掴んだのはきっと、これからの自分。明日(これから)の絆だったんだと思う。


「やったですぅ! ザリガニ、ゲットですぅ!」
「おっしゃ、やるじゃねえかシャオ。ふー、本気になりゃこんなもんよ」
「おーきなハサミですの。ふふっ、おばねーさまが見たらビックリしますわ」
「うふふ、あはははは……プリップリだぁ。でっかいなあ、しかも身が引き締まって……グフフ」
 両手で頭上にザリガニを掲げるシャオイェンの周囲に、仲間たちが集まりだした。
 もう、シャオイェンも気付けば仲間の一員だった。ザリガニを追う短い時間で、仲間を理解し自分を知った。それが全てではないが、全てを得る最初の一歩としては十分に過ぎる。不思議な充足感で、シャオイェンは三人の少女たちと微笑みを交わした。
「終わったみたいね。こっちも大丈夫、あとは清書するだけ」
「あ、グルージャ! グルージャの言ってたこと、本当だったですぅ! 見てくださいっ、ザリガニ!」
「グルージャもほら、ザリガニさんですの! こぉーんなにっ! おっきーですわー」
「なんだグルージャ、しょーがねえなあ。お前にも触らせてやるよ、でけえだろ? な? なぁ?」
「……じゅるり。ガニ……うま……!」
 シャオイェンを囲む誰もが笑顔だった。
 次の一言がグルージャから発せられるまで。
「そう。それで? そのザリガニ、どうするの? ザリガニよ。ザ、リ、ガ、ニ。どうしたいの?」
「ど、どうって……なあ」
「そうですの、どうと言われると。……あら?」
 リシュリーが笑顔のままフリーズした。ぶすぶすと額から煙をあげる彼女を仰ぎながら、ラミューもシマッタとばかりに頭巾を目元にずり下ろす。両手にザリガニを抱えたままワキワキと遊ばせ、シャオイェンもその場に立ち尽くした。
「だ、だってグルージャ、言ったですぅ! コッペ様の言ってた意味がわかるって」
「わかる、かも、って言った。かも、って」
「ラミューたちが遊んでるように見えるか、って……あ、あれ?」
「うんとも、いいえとも言わなかったけど……遊んでると思ったわ。違うの?」
 誰もが「えっ……」となった。
 そして再度、どうするのかと呟くグルージャに驚愕の言葉が跳ね返る。
「あれぇ? グルージャは食べないの? ザリガニ、うんめえよ!」
 メテオーラの一言に今度は、グルージャが「えっ……」となった。
 少女たちの結束が固まる午後は、静かに河鹿の鳴く声に見送られていった。

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