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 もう何度目か、数えるのをやめたのすら忘れている。
 しきみの目の前に再び広がる色彩なき原風景。
「なんじゃあ、今宵はまた随分と鮮明に見えるのう。……お迎えかや?」
 果て無き荒野は古戦場、踏み出す一歩が(むくろ)を踏み抜く。しきみの周囲には、かつて打ち倒してきた者たちの屍が無数に転がり髑髏(ガイコツ)で見上げてくる。
 その中に幽鬼のごとく揺らめいて、無数の人影がしきみを見詰めてくるのだ。
 それは、まだ幼い少女だったしきみの上を通り過ぎていった男たち。
 かつての夫たちだ。
「やれやれ、毎度ながらかなわんのう。代わり映えしない夢じゃ」
 うんざりしたように溜息を吐きつつ、しきみは瞬時に理解した。
 先立つばかりだった夫たちの世界に、自分もまた踏み出す時が来たのだ。虚ろな目をした男たちの影は、風が(ほら)を抜けるような声でしきみを呼ばう。
「えぃ、()かすでないわ。順々に相手なるゆえ、な? ワシとて……嫌ではないからの」
 いつもは眠れぬしきみを(さいな)む悪夢だった。
 だがもう、頭の重い朝が訪れぬと知れば、懐かしさばかりが込み上げる。
 しきみが契りを交わした夫たちは皆、政略結婚だった。東の小国で武家の女として生まれたしきみには、それが当然だった。時に世は乱世……昨日の敵は今日の友、敵の敵は味方という時代である。草壁一門の血と家を守るために、多くの男が婿に来て、戦で死んでいった。
 共に戦うしきみだけが、いつもいつも生き残るのだった。
「思えばしかし、因果な日々の終わりに楽しい人生であったわ。冒険者じゃからのう」
 ゆっくりと近付いてくる死者の魂に、自分もまた同質であると両手を広げた、その瞬間。
 不意に手首を冷たい握力が掴んだ。
「姉者、行っては駄目だ。そっちに……行かないで」
 振り向けはそこには、しきみの妹なずなが右手を伸べていた。
「なんじゃ、愚妹。記憶、戻ったんじゃなあ」
「姉者、行っては駄目だ。行かないで」
「行かないで、と言われてものう」
「姉者、行かないで……駄目だ」
 同じことをうわ言のように繰り返す、妹の腕は義手だ。それは今、モノクロームの世界で唯一色付いている。
 なずなの鉄腕は今、煙をあげて紅蓮の炎に包まれ燃えていた。
「おいおい愚妹、腕が燃えておる。これじゃからカラクリは」
「姉者、駄目だ……行っては駄目」
「まったく! 相変わらず手のかかる娘じゃあ。ワシがいないとなにもできん」
 やれやれとしきみは、握ってくる腕へばたばたと着物を脱いでかぶせる。たちまち炎が衣を飲み込んで、周囲の男たちから長い長い影を引きずりだした。
 だが、それでもなずなはしきみの手を離さず握り続ける。
「ええい、消えんぞこの火……愚妹が、なずなが燃えてしまうわ! くそぅ、消えぬ!」
「姉者……行っては駄目だ」
「ああ、わかっておる。わかっておるからにの! ……ッ! あ、ああ……うああああっ!」
 ついには炎は燃え広がって、しきみの目の前でなずなを飲み込んだ。
 しきみは絶叫と共に、燃え崩れる妹を抱き締める。
 そこでいつもの悪夢は、普段と違う結末にねじれて歪む。現世への覚醒と同時に、しきみは上体を跳ね上げ起き上がった。
 そこは、大勢のウロビトやイクサビト、そして人間たちが手当を受けている広間だった。
「よお、目が覚めたか? 運の太ぇ女だな。……くたばられちゃ俺も面白くねえからよ」
 汗だくで呼吸を貪れば、細い肩が大きく上下する。それを落ち着かせるように背に大きな手が当てられて、横を向けば見知った男が笑っていた。
「サジ……タリオ。お主……」
「いやもう、お前なあ。どういう鍛え方してんだよ。ふつーなら死んでるぜ?」
「そうじゃ、ワシはなずなを(かば)って……なずなは? 愚妹は無事かや」
「ほれ、そこに。あとな、起きるならなんか着ろや」
 顎でしゃくって逆の隣を差しつつ、サジタリオが自分の上着をしきみの肩にかけてくれた。
 振り向けばそこには、うつらうつらと舟を漕ぐ妹が座って眠りこけている。
「さっきまで起きてたんだけどな」
「なんじゃあ、人を呼びつけておいて……気持ちよさそうな顔で寝ておるわ」
 なずなは右腕がなかった。二の腕の中程に義手の残骸が、焦げた金属となって僅かに残っている。夢はこれの暗示でもあったかと、しきみは包帯まみれの手でなずなの頬に触れた。
「……姉者、駄目だ……行かないで」
「おうおう、いつまでたっても子供よな。ワシの後ばかりついてきよる」
「姉者……ん、あ」
「っと、起こしてしもうだ。わはは、なずな! よだれが垂れておるぞ」
 むにゃむにゃと目を覚ましたなずなは、しきみの声にゆっくりと瞳を瞬かせる。その視界に姉の笑顔が映ったからだろう。一瞬で飛び起き立ち上がると、口元を手の甲で拭いつつよろけた。右腕がないのでバランスを崩したが、すぐ後ろに立つ人物が彼女を支えてくれる。
「大丈夫かい? なずな君」
「あ、ああ……すまない。それより姉者! どうして無茶をする! 私は、私はっ!」
「記憶、戻ったみたいだね。サジタリオもお疲れ様。……僕は、君の狼狽を初めて見たよ」
 その人物は黒一色に白い顔で、なずなを立たせてやると薄い唇で笑った。
 笑ったんだと思う、その怜悧な顔が不器用に歪んだのは。
 サジタリオはその声に「狼狽(うろた)えてねぇよ」と肩を竦めつつ、込み上げる笑いを噛み殺している。しきみはその人物が誰だか知っているのだが、珍妙なその姿に首をかしげた。なずなも同様の様子で、
「ポラーレ殿……なのか?」
 名を呼んでみつつ、その発言に自信が持てずに疑問符を添えた。
 そこにはモノクロームの少女が、腰に太刀をさげて立っていた。
「しきみ君、無事でよかった。サジタリオがね」
「るせーよ、お前なあ! ってか、なんだよその格好!」
「ん、ああ……無理が(たた)った。僕を構成する物質がね、半減とまではいかないけど、かなり」
 声は間違いなくポラーレだ。しかし、それを発するのは小さな小さな少女。彼女にしかみえない彼は、バツが悪そうに頭をかきながら真っ黒なワンピースを揺らす。
「かなり僕が零れてしまってね。いつもの姿を維持できないんだ。それで……ただ、この太刀のお陰で辛うじて人型を保ってる」
「太刀の、おかげ? そりゃ、確か」
「うん、アルマナ君が持ってきたものだけど……虚ろなる神より削り出したる刃は、どういう訳か僕と波長が共鳴するんだ。回復、とまではいかないけど、相性がよくてね」
 苦笑めいた笑みでまた、ポラーレは少女のあどけない顔を歪める。
 その表情はともかく、整った顔立ちをしきみはどこかで見たような気がしていた。
「……邪悪な神を倒した、その(コア)でこの太刀は造られている。僕は、それと同質に近いらしい」
「あ、そうかよ。おいおい、自嘲の余裕があるなら大丈夫だな? くっだらねえ」
「サジタリオならそう言うと思った。とにかく、数日で元に戻るから。だから」
「ああ、さっさと普段のぬぼーっとした冴えねえお前に戻れよな。落ち着かねぇからよ」
 サジタリオはしかし「わはは、チビになってら」と、わしゃわしゃポラーレの黒髪をかき乱して頭をなでた。ポラーレもその手を振り払いつつ、まんざらでもない様子だ。
 しきみはホッとしたのと同時に、全てを悟った。
 ホムラミズチは倒されたのだ……犠牲は大きかったが。


 込み上げる勝利の笑みと同時に、思い出したように全身の激痛が襲ってきた。
「ふ、ふはは! これにて一件落着という奴じゃな! は、はは、は……」
「姉者、脂汗が酷いです。常人なら即死の大怪我、寝ててください」
「い、痛くはない、平気じゃ! 武家の女は強いんじゃあ……イチチ。……おろ?」
 次の瞬間、しきみは逞しい腕に抱き上げられた。サジタリオはそのまま、姫君をさらう狩人のように立ち上がる。
「ま、しばらく部屋で安静にすんだな。おい相棒、巨人の心臓と……多分あるぜ、例の石版」
「ああ、グルージャたちがもう一度ホムラミズチの間に今。今度は、大丈夫だと思う」
「巫女の、シウアンちゃんのためならなんのその、か。友達ってなあいいもんだぜ。へっ」
 それだけ言ってサジタリオは、ポラーレと頷き合う。なずながきょとんとする中、しきみはそのまま運ばれる荷物になった。
 去り際に見送ってくれるポラーレの顔を見て、しきみは漠然とだが感じた。
 その顔はどこか、美貌の方陣師に似ている、と。
 それをポラーレ自身は後に、自分を縛ることで維持してくれた者の影響、後遺症みたいなものだと説明したが、非常に疑わしかった。

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