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 南の聖堂に絶叫がこだました。
 仲間の声に振り向いたポラーレは、ありえない光景に我が目を疑う。そこには、震えて崩れ落ちるラミューの背中と……それを見下ろし槍を振り上げる、額から血を流したもう一人のラミュー。寸分たがわぬ顔が今、精密機械のような無表情で武器を構えていた。
 すかさずクラッツが割って入るが、まだラミューは、本物の彼女は動けない。
 そして、異変は周囲の帝国兵たちへも伝搬(でんぱん)していった。
「クッ、もしやこの兵士たちは全員……そんな、まさか」
 呟くポラーレの悪い予感が現実となる。
 次々と鎧を脱ぎ捨てる兵士たちは、その鉄兜の中から同じ顔を出現させた。インナー姿の起伏も顕な彼女たちは、軍隊蟻(アイオーン)にも似た機械的なフォーメーションで、あっという間にラミューをクラッツごと取り囲む。
 だが、呆然とするラミューをかばいつつも、身構えるクラッツに不敵な笑みが浮かぶ。
「旦那っ! ここは俺に任せて、あの女騎士を! ヘッ、面白くなってきやがったぜ!」
 啖呵(たんか)を切ったクラッツが、槍衾(やりぶすま)の中へと消えてゆく。ラミューと同じ顔を持つ兵士たちは、眉一つ動かさず冷徹な槍さばきで殺到した。その中で竜鱗の刃だけが、クラッツたちの無事を知らせるように煌めいている。
 そして、ポラーレにも、その隣のヨルンにも仲間を気遣っている余裕はなかった。
 二人の背後で、皇子を守るように立ちはだかる影があった。
「お前たちの相手は私だ! 計画種(プランシーダー)やプロト・ゼロに構っている余裕など与えぬ」
 砲剣を構えたエクレールが、一歩、また一歩ポラーレへと近付いてくる。その圧倒的な威圧感を前に、隣でヨルンの気配が強張るのを感じた。だが、背後は既に乱痴気騒ぎの鉄火場で、逃げ場はどこにも存在しない。
 だが、ポラーレの友はこんな時でも冷静に自分を律することができた。
 その思考は稲妻の如く鋭く、凍れる絶対零度の精神力で。
「計画種? プロト・ゼロとは……なんだ? 答えろ、デフィール」
「私の名はエクレール! 皇子殿下の騎士! ……フッ、教えてやろう。殿下の大いなる計画が蘇らせた禁忌の研究、完全なる強化人類。それが計画種」
「では、ラミューは……プロト・ゼロとは」
「その試作零号、実験体(モルモット)だ。まさか生きているとは思わなかったぞ」
 エクレールに冷たい笑みが浮かぶ。真逆にヨルンの無表情はますます冴え冴えと固く凍てついていった。それが友の怒りの表情だと、今のポラーれにはわかる。感じるのだ。
 そして合点がいった……常日頃から感じていた、ラミューの超人的な身体能力の正体に。同時に、彼女の雌雄同体、両性具有の(カラダ)の意味も。完全なる強化人類……男女の別なく繁殖し、どのような環境でも生き残る屈強な肉体を持った新人類。それがラミューの正体か。
 だが、答は否だ。
「……娘の友達を、侮辱しないでくれるかな。彼女は、プロト・ゼロとかいう名前じゃない」
「師の忘れ形見は、お転婆のじゃじゃ馬だが……ラミューは、俺たちと同じ人間だ」
 鞘走る金属音を翻して、ポラーレが天羽々斬(アメノハバキリ)を身構える。ヨルンもまた同様に、手に雷を集めて周囲の空気へ氷の結晶を散りばめ始めた。
 そして二人は、毅然とエクレールへ対峙する。
 ポラーレは自分に迷いを感じなかったし、隣にそれを見出だせなかった。
 ヨルンは今、普段通りの冷静さで静かに怒りを燻らしている。いつも通りだ。
「よかろう、二人いっぺんにかかってくるがいい。殿下、後ろにお下がりを」
 バルドゥールを背に守りつつ、エクレールが巨大な砲剣を振りかぶった。
 同時に、真っ逆さまに大上段から振り下ろされた斬撃がドライブの咆哮を張り上げる。強力な一撃が床を断ち割り、レンガを敷き詰めた足元が荒波うねる大海のごとくめくれ上がった。
 その中を左右に回避したポラーレとヨルンは、呼吸を合わせて反撃に身を翻す。
 だが、白煙を巻き上げる砲剣を軽々と引き絞り、崩れゆく聖堂に女騎士が舞った。
「――遅いッ! やはりその程度か……クラックスとやらには、程遠い」
「くっ、重い甲冑でこのスピード!」
 死角へと忍び寄るはずが、瞬く間にポラーレはエクレールに肉薄された。無数に放った投刃の全てが、光の軌跡を描く剣閃に叩き落とされる。僅かにその斬光を貫通した数本も、虚しく装甲の上で金属音を奏でた。
 落とせなかったのではない……エクレールは鎧を信じて、落とさなかったのだ。
 圧倒的な強さで、武具の重さをもろともせずにエクレールがポラーレを薙ぎ払う。
 辛うじて受け止めた手の中で、熱く灼けた刃を押し返す天羽々斬が唸りをあげる。
「ほう? 業物(わざもの)だな……我が剛剣を受けて圧し折れぬとは」
「借り物でね。できれば、生きて返したい……そう、思っている、から!」
 押されっぱなしで終わるポラーレではなかったし、そうはさせじと意気込む身体が人の輪郭を解いてゆく。あっという間にポラーレは、手にする剣から沸き上がる闇の波動を己の身の内へと招いた。遥か南国で異界の禍神核から削りだされた逸刀は、まるで自分の身体の一部のように馴染む。
 夜の闇より尚濃い影へと変貌したポラーレは、背後で術を繰り出す気配に呼吸を合わせる。
「こういう芸当も……できる、けれど!」
「合わせろ、ポラーレ! デフィールの……エクレールの脚を殺すッ!」
 あっという間に人ならざる瞬発力でエクレールにまとわりついたポラーレが、その周囲の床へと投刃を無数に屹立させる。同時に彼は、鎧の上からエクレールを縛り上げた。
「くっ、外道の所業が……離せっ、バケモノ!」
「お生憎様。バケモノに人の言葉は通じないよ。通じないんだ……今の僕には、ね。ヨルン!」
 ポラーレの声が轟雷を呼んだ。
 床に突き立つ無数の投刃が、避雷針となって稲妻を導き、光の檻へとエクレールを閉じ込める。聖騎士の技を持ってして属性攻撃を無効化するエクレールでも、流石にこの搦手(からめて)を予期することはできなかったようだ。
 即座にエクレールから離れて人の姿を取り戻したポラーレが、トドメの一撃を振りかぶり……そして、刹那の瞬間に逡巡(しゅんじゅん)から静止する。それは僅か一秒にも満たぬ瞬間だったが。だが、屈強な騎士に反撃の機会を与えるには、あまりにも悠長に過ぎた。
 それでも、ポラーレの冷たい殺意に感情と思考が割り込んだ。
 ――この人を、殺してはいけない……あの人が、そう願っている気がする。
 ヨルンにとってエクレールは、デフィールという名の妻の筈だ。この人は、友の妻なのだ。
 では、あの人は? 今も胸の奥にずっと存在感を放っている、奪いさらわれたあの人は。
「ポラーレッ! 躊躇うな、その女は……俺の女は油断を許す甘い騎士では――」
 その時だった。強引に力で周囲の落雷をねじ伏せると、エクレールがポラーレへと剣を向ける。必殺の間合い、そしてそれがわかるポラーレは遅れを取った。回避も、反撃も、許されない。


 そして、ポラーレを真っ赤な鮮血が染め上げる。
「……無事か? ポラーレ……らしく、ないな。お前が、躊躇(ちゅうちょ)、など……」
 目の前に今、振り返るヨルンが吐血していた。その背から、エクレールの剣が刺し貫いて飛び出ている。ヨルンは、我が身一つを投げ出してポラーレを庇ったのだ。
 それが理解できた瞬間、ポラーレは悲痛な震える声を聞く。
「あ、ああ……うっ! こ、これは……なんだ、この頭の痛みは! う、うあああああっ!」
 ポラーレの腕の中へと、ヨルンが血塗れで倒れてくる。その胸に突き立つ砲剣を手放したエクレールは、豪奢な金髪を振り乱して頭を抱え、そのまま絶叫を張り上げながら倒れ込んだ。
 全く予期せぬ展開に、その原因を謳う声が割って入る。
「いけない、心身制御が! エクレール、しっかりするんだ。エクレール! ……母様!」
 背後で毅然と対決を見守っていたバルドゥールが、血相を変えてエクレールを抱き上げる。
 だが、声を張り上げ泣き叫ぶエクレールは、まるで(たが)が外れたかのようにのたうち回っていた。それはポラーレに、以前から予見していた洗脳の兆候を感じさせるには十分だった。
「母様、しっかりして! 大丈夫、僕が守るよ、僕が!」
「うっ、うう……頭が、割れて、砕け……守らなければ、私が……息子を、リュクスを」
「母様!? 僕だよ、バルドゥールだよ! クッ、記憶がショックで蘇りかけてる?」
 その隙を逃すまいと、友を抱き上げゆらりとポラーレが剣を振り絞る。
 事件の元凶、帝国の皇子を討つ千載一遇のチャンス……だが、背後の殺気がそれを許さない。
「……今すぐ殿下とエクレールから離れろ、冒険者。無礼は承知、俺が相手をさせてもらう」
 振り向けばそこには、悲壮な決意に表情を強ばらせる、ローゲルの姿があった。

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